第四話「バグ」
第四話「バグ」
脳に直接声が流れ込むなどと言う経験は、言うまでもなくはじめてだったので、驚きのあまりしばらく動くことすらできなかった。
「変なメロディではあるけど、特に何もなかったわね」
「だねー」
「? 二人には、聞こえなかったのか?」
「ピアノの音なら聞こえたけど・・・他に何か聞こえたの?」
「もう一回引いてみよっかー?」
「いや、それは、やめて」
脳への衝撃が大きすぎてまだ頭がぐわんぐわんする。もう一度同じ衝撃を受けるのはまずい。
「何が聞こえたのか、教えてもらえる?」
「・・・少女の声で、世界は壊せるが、理は壊せないということを言っていた」
「世界は壊せるけど、理は壊せない? どういうこと? 理解不能ね」
そう、まさに、理解不能なのだ。理が壊せない、理壊不能だということが。
「何かのメッセージかなー。意味深だねー」
ネイロは既にこの件への関心を失っているようで、再び椅子から降りて歩き始めた。呑気なようで、正しい。正直、現段階では情報が少なすぎて考えようがないので、このことは頭の片隅に留めておく程度が良いのかもしれない。それよりも、ネイロが発見したバグというのを教えてもらうのが先だろう。
音楽室を出た後、一階まで下りていく。
「ねえ、この世界は、なんでミんな感情がないんだろう」
移動中、ネイロがふと問いかけた疑問である。
「なんでって・・・世界がアップデートされたっていうんなら、神がそっちの方が良いと思ったんだろうな。感情がなくて、争いのない世界の方が」
現に、大阪では感情の残っている者達が殺し合いをしているというし、感情がある限り、人類は争いとは無縁にはなれないのだろう。
「本当にソうかなー。神様がソんなこと思う? 少なくともあたシたち人間は前の世界の方がいいと思ってるでしょ? だかラ、神様が本気でソんなことをいってるんだったラ神様はこの世界エアプだよ」
エアプ。エアプレイ。
言うなら、知ったかぶり。
子供の戯言だと無下にするほど、その考えは大きく的を外してはいなかった。
俺は神に対する先入観が強すぎたのかもしれない。神は我々人間を遥かに超越した、感覚を人間とは分かり合えないような存在だと、考えていた。
しかし、神が、人間と同じような感覚を持っているような存在だとすれば、この人類が感情を失った世界というのは、確かにあり得ない。
「確かに・・・ネイロの言う通りかもしれないな」
「神が本当に争いのない世界を創りたかったなら、この世界の数々のバグも、私たちがいることも説明がつかないし・・・世界アップデート論は納得のいく説ではあるけど、真相は全く違うものなのかもしれないわね」
世界アップデート論と全く違う真相など、俺には見当もつかなかった。それほどまでに、世界アップデート論が、何もないところから導き出した答えとしては完璧すぎたのだ。一体なぜこんな世界になったのか、色々なことを知れば知るほど、謎は深まっていくばかりだった。
そんな話をしながら辿り着いたのは、倉庫。
倉庫には、運動会で使うような玉入れのポールや得点板、大量の教科書類や資料、その他よく分からないものが極めて散らかって保管されていた。
ぐちゃぐちゃだった。
「じゃあ、あたシの発見したバグを教えるよー」
わざわざ倉庫に来なければならないバグとは何だろう。
「ドレにシようかなー。こレかなー」
選ばれたのは、黄色のマーカーだった。手に取ると、ネイロはそのマーカーに、キスをした。
「な、なにしてるの?」
隣のムーがすごく動揺していた。
一方ネイロはムーの動揺などどこ吹く風で先程キスをしたマーカーをムーに手渡す。
「こレを、この倉庫のドこでもいいから隠シてミて、ムーお姉ちゃん」
「おねっ」
自分でそう呼ぶよう言ったんだろう。
かくれんぼの鬼のように、後ろを向くネイロ。ムーがマーカーをどこに隠すのか見ようかと思ったが、少し目を話した隙にムーはもうマーカーを持っていなかった。隠すのが速い。
俺の不思議そうな顔が伝わったのだろう、ムーは得意気に自分のポケットからマーカーをチラリと見せた。せこい。俺たちは倉庫内にいるから倉庫の中に隠したことにはなるが・・・。
「もういいわよ、ネイロ」
「はーい」
バレリーナのように回転して前を向くと、パン、と両手を合わせる。そのポーズはインド人を彷彿とさせた。
しかしネイロはバレリーナでもなければ、インド人でもない。合わせた両手を開くと、中から出てきたのは黄色のマーカーだった。そのまま、床に落ちて小さな音を立てる。
「あれ?」
ムーが自分のポケットに手を入れ、挙句の果てにひっくり返してみるが、さっき入れたはずのマーカーはなかった。
「こレがあたシの見つけたバグ。両手を合わせて開くと、最近キスシたものをテレポートさせラレるのー」
テレポートとは、なんて便利なバグだろうか。使う条件が少し抵抗があるものの、有用さは申し分ない。使う条件に抵抗が・・・物にキスをするのか・・・
どうやってそのバグを見つけたのかも気になるところだったが、それは聞かないでおくことにした。
「あたシが教えたから、次はムーお姉ちゃんたちの番ね」
バンクたちの番、ではなくムーお姉ちゃんたちの番、と言われたのが少し悔しかった。
「私のバグを教えましょう。教えるから、そこに立って」
自分の正面にネイロを立たせるムー。気をつけをして立っているネイロ。
「何してるの。バンクもネイロの隣に立って」
「俺もなのか? 俺はムーの見つけたバグを知ってるが・・・地面をすり抜けるやつだろう?」
「合ってるわ。でも、使い方、分からないでしょう」
その通りだった。
ネイロの隣に立った。気をつけの姿勢で。
「私の見つけたすり抜けバグは結構色んな役に立つと思うから、使えるようにしておいた方がいいと思うの。使うにはコツが必要だけど」
「えっ、地面をすり抜けラレるのー? すごーい! 使えるようになりたい!」
うんうん、と気分が良さそうに頷くムー。
「やり方は簡単。ジャンプして、左足と右足をくっつけながら特定の角度で地面に飛び込むだけ。こんな風に、」
と言って、ジャンプして、くっつけて地面に飛び込んだムーの左足と右足は、みるみる地面をすり抜けて沈んでいった。
「もっと速く沈まないのか?」
「無理ね。沈む速度は変わらない。全身が地面をすり抜けるまで、十数秒かかる」
「・・・俺と会った時、首から上だけが地面の上に出てたってことは、すり抜けるのを途中で止めることはできるんだろ?」
「それも無理ね。首から上はすり抜けないってだけ」
「・・・」
この会話をしているうちに、ムーは俺と会った時と同じ、生首のような状態になった。
「生首ミたいだねー」
やっぱり誰でもそう思うよな。
「で、次に戻る時だけど、これは本当に簡単。左足と右足を、離すだけ。逆に、すり抜けてる間は左足と右足をくっつけてないといけない」
これも昨日と同じように、地面から押し出されるようにして全身を地面の上に戻した。
「左足と右足がくっついてないといけないってことは、歩けないってことだろ? どうやって移動するんだ?」
「それは・・・言葉で言うのは難しいわね。完全に感覚よ」
「よーシやってミよー」
ムーが飛び込んだ時の角度を思い出しながら、ジャンプ。角度を気持ちずらしながら再び、ジャンプ。
そして二人がぴょんぴょん跳び始めてから十分後。
「こレ、本当にできるの?」
「できる気がしないんだが・・・」
二人とも疲れがみえてきた。
「よく考えたら、このバグ使う場面ってどんな場面だ・・・あんまり役に立たないんじゃないか? 地面をすり抜けてどうするんだ・・・」
疲れからバグを罵倒し始めた。
「地面をすり抜けるだけだとあんまり役に立たないけど・・・応用すると結構使えるのよ」
「へー。例えば?」
「例えば、こういう建物の二階の床でこのバグを使うと、一瞬で床をすり抜けて一階まで落ちるわ」
「それは、首より上も?」
「首より上も」
「首より上はすり抜けないんじゃ?」
「それは・・・バグよ」
バグのバグという非常に難しい概念が生まれてしまった。もう何があっても不思議ではないが。
「バグのバグはおいといて・・・それは使えそうではあるな。下りる時に階段を使わなくて済む」
疲れていたが、モチベーションを取り戻した。再びジャンプに興じることとしよう。
ネイロはすっかりバテてしまい、途中から一人でぴょんぴょんし始めて数分後。
ようやく、その時は来た。
「おっ。すり抜けてる!」
ずっと挑戦し続けていた分、喜びもひとしおだった。そして俺からムーへの評価は高まった。これが一発でできるムー、何者・・・
疲れて隣で体育座りをして休んでいたネイロも、
「できたのー!?」
と勢いよく飛び上がり、飛び跳ねて自分のことのように喜んでくれた。そしてその足が沈み始めた。
「あ、あたシもできた」
なんだと。俺の努力を踏みにじるのはやめてくれ・・・お願いだから。
ともあれ、やっと成功した。すり抜けている時の移動はとても簡単だった。確かにこれは言葉では表現しづらい。これを体験したことのない人にこの感覚を教えるのは、目の見えない人に色の概念を説明するのと同じくらい難しいだろう。
俺は倉庫のごちゃごちゃした物たちの間を通りながら、体が徐々にすり抜けていく感覚を味わう。
いつのまにかムーも生首になっており、ここに三つの生首が一堂に会すこととなった。
「そういえば、髪はすり抜けないんだな」
ムーの長い髪を見て、言う。
「みたいね。そこの判定もよく分からないんだけど・・・服とかは身体と一緒にすり抜けるんだけど、髪とか、腕時計とかのアクセサリーはすり抜けないようなの」
髪に、アクセサリーね・・・。・・・腕時計?
左手を見る。
「・・・ない。腕時計がない」
あれがないとあの家に行くことが・・・いや一旦落ち着こう。
腕時計は地面をすり抜けない。ということは、腕時計をつけていた手だけがすり抜けて、腕時計は地面の上にあるということ。
「ムー、ネイロ。腕時計探すの手伝ってくれないか」
三つの生首、もとい三人の腕時計捜索が始まった。途中でこの学校の過去の卒アルなどが見つかり捜索の手が止まったことは多々あったが、腕時計を探し続けた。
だが、結果からして、腕時計は見つからなかった。全員が足を地面につけて探したが、ごちゃごちゃの物の中から腕時計は見つからず、気づいたらネイロは寝ていた。倉庫の中の話である。物と物の間のスペースで器用に寝ていた。
「ネイロが寝てしまったが、どうする?」
ムーに尋ねるも、ムーも寝ていた。
仕方ないので、物をどけ、横たわるスペースを確保して今日はもう寝ることにした。腕時計は、また明日探そう。
朝起きると、なぜか一人だった。横に紙が置いてあり、そこには
「私とネイロは音楽室に戻ってます」
と書いてあった。
今音楽室に戻る用事なんてあっただろうか・・・
寝起きでそんなことを考える脳はなく、とりあえず一人で階段を上がっていく。曜日感覚などとうに失っていたが、人っ子ひとりいないところを見ると今日は土曜日らしい。
そして二階に着いた。そのまま上っていくつもりだったが、そこで、バリーンとガラスの砕け散る音が聞こえた。音はそんなに遠くない。恐らく、すぐ近くの教室。
誰かいるのだろうか? ムーとネイロは先に音楽室に行ったはずだ。一体誰が・・・
音の原因は、すぐに見つかった。あろうことか、学校にわざわざ窓を割って二階から侵入した男がいたのである。男は右肩に人を担いでおり、こっちを見るなり、言った。
「ん? 兄ちゃんだけか? 一緒にいた姉ちゃんはどこ行った。逃げきったと思って安心してんなら大間違いだぜ。言ったろ? 俺は、受けた仕事は必ず果たすんだ」
その男の名はヒトゴロシ。ムーを殺しに来た、殺し屋だった。




