バラク邸でのお話
父のドーベルは朝になる前に王宮へ行き、兄のシェパードは学校の寮にいるので、普段の朝食の席にはサモエドが一人で着くのが当たり前だった。
「……」
それが、何故こうなったのか。
テーブルの上座に着き、静かに朝食を食べる一人の青年をサモエドは横目に入れる。
藍色のサラサラな髪を持つ、彼の名はテュクル・ケレスン・キュマ。ベリー嬢の虜になっている筈の隣国の王子である。
話は遡る事十日前。
夏の長期休暇で兄が屋敷に戻ってくる直前に遡る。
朝一で息を切らせながら執事のジャックがバラク家の扉を叩き、テュクル王子が我が家に来ることを報せたのだ。
その時にはまだドーベルが在宅していたので、余りにも急すぎる事を怒っていたが、どうやらアーズ国の国王陛下からの了承を得るなどの諸々の手続きで、このような事になってしまったそうだ。
初日から九日前まではテュクル王子を家に招いたシェパードが王子の相手をしていたのだが、今日、彼の姿はない。
実は彼は昨夜から長期休暇中の校外学習に行ってしまったのだ。
テュクル王子曰く、特にサモエドに求める物はないそうだが、流石にバラク家の者としてお持て成しはしなければならない。
サモエドはテュクル王子が食事を終えるタイミングで「あの」と声をかけた。
「今日はどのようにお過ごしになられるのですか?」
「………」
テュクルはハンカチで口元を綺麗に拭いながら、思案している様子だ。
「そうだな、庭でも散歩しようかと思う。……ああ、1人で散策するから、お前には面倒は掛けない」
「わかりました」
シェパードは一週間留守だ。バラク公爵領にある本宅には一月は費やせる程の広さの庭があるのだが…ここは王都の屋敷であり、庭はそれなりに広いが、一週間も見て回れるほどではない。
自室に戻ったサモエドは『困りましたわ』と溜息とついた。
一方、テュクルは庭の芝生を踏みながら、考え事をしていた。
『とても良く手入れのされた庭だ』
急な来訪だったにも拘わらず、卒なく他国の王子である自分を受け入れてくれたバラク公爵家。屋敷の隅々から、誇りと自信を窺うことができる家だとテュクルは思った。
いつであったか、バラク公爵家は第二王子に取り入った、などと疑った自分が恥ずかしくなる。
今だから分かるが、こんなにも堂々とした家なのだから、娘が第二王子の婚約者に選ばれて当然だ。
食事の席で顔を合わせるサモエドを見ても、彼女はとても淑女然としている。第二王子が気に入るのもやはり当然なのだ。
「アクリは弟と大喧嘩をしたらしいが、大丈夫なんだろうか」
ファルトの誕生日パーティーにはテュクルも招待されていたが、体調不良を理由に欠席していた。
その頃には既にベリーへの恋心に対する反発心が育っていたので、彼女と顔を合わせたくなかったのが本当の理由だ。
『風の噂では、シェパードのあの妹を国外追放すると言いきったらしいが……本当なのだろうか?本当にそんな馬鹿な事を仕出かしたのだろうか?』
不意に、ツキンっと頭が痛くなる。
『俺も、第三者視点から見たら、アクリと同じ馬鹿ものに見えているのか?』
ツキン、ツキン、と痛くなる。
『アクリの振る舞いは、王太子のそれではない。俺は、あんなふうになってはならない』
本格的に痛みだした頭に手を遣る。
何処かに休憩する場所は無いかと巡らせると、大きな木の下にテーブルセットが設置されているのが見えた。
テュクルは覚束ない足取りでそちらに行き、どかりと腰を下ろした。
痛む頭を振っていると、ちょきん、ちょきんという鋏の音が聞こえる事に気が付く。
其方を見れば、黄色い花が挿してある麦わら帽子の男が、庭の花を摘んでいた。
「お前は、庭師か?」
声をかけると、彼は此方に笑顔を向ける。
「ええ、そうです。どうされました、お加減が悪いのですか?」
テュクルが「少しな…」と呟くと、死角からグラスを差し出された。
シェパードがいつも連れている執事の男だとテュクルは認識した。
「ハーブティーでございます。冷えていますのでどうぞ。……ああ、毒見なら今いたしましょう」
飲み物を入れたピッチャーをもう一つのグラスに注ぎ、執事は飲み干す。
それを見た後、テュクルはグラスを仰いだ。
「お前はシェパードの執事だろう、一緒に行かなかったのか」
ハーブティーを飲むと不思議と頭の痛みは無くなり、思考できる頭に戻る。
疑問を執事に向ければ、彼は感情の籠っていない目で「私はシェパード様ではなく、サモエドお嬢様の執事ですので」と答えた。
「妹の方のか」
「はい。シェパード様が学園へ入学される折、付いていくようお嬢様にご命令されました」
「ふうん。兄ではなく妹の方に先に執事を与えたんだな」
「バラク公爵夫人がお亡くなりになられた時、『娘を守れ』と旦那様にご命令されました」
ああ、とテュクルは思い出す。
そう言えばシェパードの母上は亡くなっていたんだったな、と。
傷つく年齢でもないだろうが、一応気を付けておこうと思う。
そこに カンカンカン、とノッカーの音が響く。
「客か?」
「恐らくは。使用人用の出入口のノッカーの音ですので、要人の方ではありません」
「……そろそろ屋敷の中に入ったほうが良いな。この後すぐに要人が来るから、その報せが来たのかもしれないからな」
グラスをジャックに渡し、テュクルは今度はちゃんとした足取りで屋敷の中へ戻っていった。
そしてテュクルの予言は当たり、一台の王家のエンブレムが付いた馬車がやって来た。
それを窓で見ていたテュクルは憂鬱そうな顔をした。
「アクリがここまで来るとは…」
はあ、と溜息をつく。
しかし、待てども一向に来客の報せが来ない。
まさか自分の為にバラク家の使用人が王太子であるアクリを拒否したのかと不安になる。
そこまでしてもらうつもりはないテュクルは扉を開け、すぐそこの窓を拭いていたメイドに声をかけた。
「来客…ああ、あの馬車はファルト殿下の馬車でございます」
「ファルト…第二王子のか。ああ、じゃあ単に婚約者の顔を見に来ただけか」
覚悟を決めていたテュクルは拍子抜けする。
テュクルの様子に困惑するメイドに「ああ、それならいいんだ」と一言声をかけ、部屋へ戻ろうと踵を返したが。
「テュクル王子、良いところに」
声をかけられ振り向くと、アクリにはあまり似ていない第二王子が廊下の向こうからサモエドを連れて歩いてくるのが見えた。
「挨拶をしておこうと思いまして。今、時間は大丈夫ですか?」
穏やかに笑う様も、全くアクリに似ていない。
「構わない。丁度暇にしていたところだからな」
そう返事をすると、ファルトは「良かった」と微笑んだ。
*
三人は応接室に場を移し、上座には誰も座らないよう、テュクルとファルトは対面でソファに座る。サモエドは少しだけ距離をあけ、ファルトの隣に座っている。
「とある事情で我が国に留まられたと聞いて心配しましたが、お元気そうで何よりです」
「ああ。まあ、少しな。……堅苦しいのは好きじゃない、公式の場でもないんだ、言葉遣いに気を付けなくて良い」
ファルトは苦笑する。
「すみません、これが地なので。テュクル王子は喋りやすい方でお願いします」
「ああ、そうさせてもらう。ところで、アクリはもうキュマに行ったのか?」
「いいえ」
ファルトが首を振ったので、テュクルは少し肩を落とした。彼がこの国から出てくれれば、彼の来訪にドギマギしなくて済むからだ。
そんなテュクルの思いを知っているのか、ファルトは「大丈夫ですよ」と話す。
「兄上はバラク家には来ませんから」
「何故?」
「兄上には『私の婚約者に二度と近づかないで下さい』と言っておきましたから」
「それを律儀に守るのか?あいつが」
ベリーにお願いをされれば、ころっとそんな約束は破るだろう。
「守らせますよ」
温和な彼から、威圧を感じる。
「『アーズ国の国王陛下命により、第一王子アクリはバラク家の屋敷に近づくことまかりならぬ』と父上からのお墨付きです。兄上が来たら門前払いで大丈夫ですからね、サミー」
サモエドの方を見てにっこりと笑った時には、その威圧は解けていた。
仲睦まじいファルトとサモエドを見て、ああ、と思う。
「もしかして、婚約者を心配して様子を見に来たのか?」
使用人はいるが、父も兄も留守。そんな環境でテュクルとサモエドが一つ屋根の下にいるのだから、心配にもなるだろう。
それに対しファルトは「バレましたか?」と冗談っぽく言った。
「悪いな、この国でアクリの手が届かない場所ってのは案外少ないからな」
「いいえ、そこは不肖の兄がすみませんと言いたいです」
「まあ避けたいのはお前の兄貴じゃなくて、ベリー嬢の方なんだがな」
ははは、と自嘲気味に笑ったテュクルに、また頭痛が襲う。
いち早く察知したサモエドは「痛みますか?」とハーブティーを勧める。
ハーブティーをがぶ飲みするも、痛みが引いて行かないのか、テュクルは呻いた。
「……この頭痛…何かおかしい。病気かもしれない。すまないが医者を手配してくれないか」
サモエドとファルトは目を合わせる。何処か困った様子の二人にテュクルは「どうした?」と問う。
言い難そうにするが、ファルトは一度頷くとテュクル王子に向き直った。
「テュクル王子のその頭痛は、とある病から覚めようとする時の頭痛なのです」
「病?」
「このバラク邸には、その『病』を治す作用の成分が蒔かれているのです。学園でもこれより成分は低いですが、同様の物を散布しています」
「ちょっと待ってくれ、何を言っている?どういう事だ」
テュクルが前のめりになってファルトとサモエドに問いかけるので、ファルトはサモエドの前に腕を出し、庇う。
そしてファルトが説明の続きを話す。
「これはアーズ国の国王陛下もご存知の事です。まだ詳しくは説明できませんが、現在王立学園では一部の生徒が病に侵されている疑いがあるのです」




