それは夏休み前日のこと
ここ王立学園では夏の長期休暇中の校外学習を奨励しており、今年も休暇に入る数週間前から校門近くの掲示板にお知らせを掲示し、希望者を募っていた。
校外学習は主に『農業』『林業』『漁業』『工業』『商業』『芸術』『兵士体験』などが選択でき、選択した分野に特化した地域へと一週間勉強に行くことになる。
シェパードは一年生の時に工業、二年生の時に商業を選択。そして今年は農業学習を希望した。
夏休み前の最後の登校日、放課後。
生徒会支部では日常業務ではなく、備品や書類などの整頓をしていた。夏休み中に清掃業者が入るので、書類が迷子にならないようにしておく為だ。
「明日から夏休みですね。今年は何しようかな…」
窓を全開にして熱気を外に出してはいるが、室内はかなり暑い。そんな頭が茹るような環境なので、いつもは真面目に事務作業をする生徒会支部メンバー達も、ついついお喋りで手が止まってしまう。
しかしシェパードもハイドも特に注意はしない。偶にはこんな気安い空気になるのも悪くないと思ったのだろう。
「そう言えば校外学習って何でしょうか?一応私、芸術で希望しておいたのですが」
一年生の女子生徒ルラン・キンスが、大きな眼鏡を押し上げながら先輩方に問いかける。
その問いに答えたのはハイドだった。
「選択した物にもよりますが、工業や商業は見学が主でしたね。兵士体験は文字通り、王宮の敷地に在る兵舎に行って、現役兵士達と同じ訓練をするらしいですよ」
まあ私は兵士体験を選んだことが無いので、聞いた話ですがね、と締める。
「あの…芸術系は誰かされたことないですか?」
「私は一年と二年で工業と商業を選択した」
備品の確認をしながらシェパードが言うと、ハイドも同意する。ちなみに支部にいる三年生はこの二人だけだ。
2年生はヘリム・クルックだけだが、彼も首を横に振る。
「僕は去年、漁業を選択したからね。うちの領地は海に面しているから、勉強しておこうと思って」
当然だが大抵の貴族たちは自分たちの領地に関係するものを選択する。
兵士体験などは騎士になる予定の次男坊や三男坊が選択し、芸術は服装や家具、お茶会で使用する備品などのコーディネートをする機会が多くなる女性が選択するのだ。
「まあ、学生の我々に無茶な事は要求されないだろう。……いや、兵士体験は結構大変だと聞いたが」
その言葉に顔色をサッと悪くした一年生がいたので、シェパードは慌てて「一週間だけだから、大丈夫だ」とフォローを追加する。
ハイドも「そうですよ」と頷いた。
「案外、兵士体験は女生徒の希望する人が多いみたいですよ。ダイエットに丁度良いと」
「……そういうのはアリなのですか、エレッツ先輩」
「騎士団長が拒否していませんからね。それに護身術程度は女性も身に付けておくべきでしょうから、構わないでしょう」
『ダイエット』の言葉にルランが喰いつくが、彼女はモヤシでがり勉タイプなので、お前には兵士体験はついていけないだろう…とその場にいる皆が思った。
書類の整頓は早くに終わり、一同はまだ日が高いうちに校舎を後にする事が出来た。
「皆さんとも約一月半、お別れですね。まあ、王都の教会に来てもらえれば、私はそこにいますが」
「なんだか開放感が半端ないですね。お陰で夜から行われる祭式への参加もテンション上がります」
アトマ教猊下の子息ハイドと信徒のヘリムは今日もこれから教会に用事があるらしく、二人あっさりと「では、さようなら」と校門を出て行った。
ルランを始めとする一年生達は、初めての長期休暇ということもあり、早めに寮に戻り実家に帰る支度をすると言う。
シェパードは、どうせ荷物の支度は執事のジャックがしてくれているだろうからと、彼は一人で少し寄り道をする事にした。
「副会長、さようなら!」
「ああ、気を付けて帰れよ」
ルラン達に手を振り、シェパードは校舎脇へと足を向けた。
*
校舎脇には、芝生が生えたなだらかな丘があり、東屋が立っている。
特に花が植えてあるでも、景色が良いでもないので、この東屋で人影を見かける事は殆ど無い。
では、何故シェパードがこのような知る人ぞ知る場所に来たのかと言えば、ここからは丁度生徒会室の内部が見えるのだ。
ちなみにこの情報は学園の調査をしている執事のジャックから齎されたものだ。恐らく彼も此処から生徒会室の観察をしていたのだろう。
シェパードは生徒会支部に行くようになってから、時間がある時に限るが、ここに来てオペラグラス片手に王太子達の様子を窺っていた。
今日も特等席に座って少しだけ様子を見ようと東屋に入る。すると、柱の陰で気付けなかったが、今日は先客がいた。
「……テュクル王子」
信じられないような物を見る目をするシェパードに、テュクルは「ああ、バラク殿か」と呟いた。
シェパードはすぐに我に戻ると、何故ここに居るのかと、出来るだけ丁寧な口調で問いかける。
すると、テュクルは憂鬱気に目を曇らせ、溜息をついた。
「なあ、バラク殿。俺は俺が信じられなくなったんだ」
「は」
テュクルは溜息を何度もつく。
「俺は何故ベリー嬢が好きなのか、よく分からない」
シェパードはひゅっと息を呑む。
「もしかして、ここ最近物凄く頭痛に襲われたりしませんでしたか?」
解毒されたのだろうかと確かめるが、テュクルは頭を振った。
「そんな事はない。……いや、確かに頭が痛い問題だ。……時間があるなら話を聞いてほしいのだが」
縋るような目で見られ、シェパードは頷くことしか出来なかった。
テュクルが言うのは、まだ彼はベリーの事をとても愛しているのだそうだ。
だが、その理由がさっぱりわからないのだと彼は言う。
「俺はな、包容力のある女が好きなんだ。皆に頼りにされ、どんな事でも任せられる……しかし、ふとした時に俺に頼ってくれるような、そんな女」
「……ベリー嬢はその正反対ですね」
ベリーは誰かを守るではなく守られたい派で、何でもかんでもすぐに人を頼る。
テュクルは遂に頭を抱えてしまった。
「最初はな、とんでもなく良い女なんだと思っていた。自分のタイプからかけ離れているのにも関わらず、好きになってしまったからな。しかし、今は何がそこまで惹かれるのか良く分からない」
怖いんだ、とテュクルは言う。
「俺の中には、ベリー嬢を愛する俺と、それを止めようとする俺がいる。混乱しそうだ」
シェパードはテュクルに感心してしまう。解毒されていないのに、ベリーの毒に対抗しているのだから。
「テュクル王子、ベリー嬢への気持ちを止めようとしている貴方は、きっと王族である真の貴方なのでしょう」
「王族である、俺?」
「はい。貴方がキュマ国の王子で在りたいのであれば、その抵抗している方の貴方の言葉を尊重すべきです。何故なら、現状貴方はベリー嬢を愛するがゆえに、多くの者を傷つけている。それは人々に敬われるべき王族の方がやることではありません」
テュクルはガリガリと無遠慮に頭を掻きむしる。息も大分上がってきているようだ。
「俺はな、雨期のお茶会で…レイラ嬢の踊りがとても美しく見えたんだ」
「ええ、とても上品に踊られていました」
「努力しなければ、あそこまでの踊りは出来ない。彼女を称賛すべきだった。なのに、俺は……!何故あんな恥ずべき言葉を彼女に言った?努力した人間に、何故」
王子の顔が不愉快そうに歪む。自分の中にある矛盾が気持ち悪くて仕方ないのだろう。
「王子」
冷静な声を耳に入れ、テュクルは顔を上げる。
「夏の休暇はどちらでお過ごしに?」
「……俺の国だ。ベリー嬢が遊びに来たいと言ったから、アクリや他の生徒会の者達も来る」
それはいけないな、とシェパードは思う。
「その混乱している気持ちで、ベリー嬢達の傍に居てはいけません。今からでもお断りをした方が良い」
「……しかし、既に国にベリー嬢達の荷物を送っているし、アクリが言うのは部屋も確保しているそうだ。彼女らは、来る」
「では、王子がアーズ国にお留まり下さい」
「それは、許されるのか?あんなに楽しみしていたし、観光地に連れて行く約束も……」
シェパードは不思議そうに首を傾げた。
「誰に許されないのです?キュマ国の国王陛下に『自分は事情があって戻れないゆえ、アーズ国の王太子をよろしく頼む』と仰ればいいではないですか」
「父上に……。そうだな、そうだ」
そうだ、そうだとテュクルは頷く。
「俺の行動を制限できるのはキュマ国の国王陛下だけだ」
「ええ、そうです。貴方は他国の男爵令嬢の言葉に縛られるような方では決してありません」
少しだけ憑きモノが落ちたようなテュクルに、シェパードは胸をなで下ろした。
「しかし、バラク殿。一つ問題がある」
「何でしょう」
「……住む場所がない」
学園に通っている間は寮に住んでいるテュクル。今まで長期休暇は自国へ戻っていたので、アーズ国に拠点が無かった。
「王宮には来賓を滞在させる場所がありますが」
「そこに居ると、アクリがキュマへ帰らない理由を問いに襲撃に来る」
「……うちに、来ますか?」
「良いのか?」
バラク家はアーズ国でも一、二を争う名門公爵家だ。一国の王子を招いても不備はないだろ。不備はないだろうが、友達感覚でいきなり連れて帰っても良いのだろうかと不安になる。
が、折角好転しているのだから、元の木阿弥に戻してはいけない。
「……うちには妹がいますが、王子がそれでもよろしければ」




