異変
清々しい朝だった。
休暇明けは眠そうな生徒が多く登校してくるのが常であるが、今日だけは違う。
生徒たちは深呼吸をし、歓声を上げた。
「ああ!良い匂い!」
休暇中に業者を呼んで殺虫作業を行ったので、その臭いを誤魔化す為、良い匂いがするお香が数か月に渡って焚かれることとなる。
「嬉しいです!私この匂い大好きなの」
「私もです、この匂いの中でなら勉強も集中できちゃいそう!」
皆嬉しそうに校舎へ入っていった。
「さて……」
生徒会室や支部がある中央棟の窓から、登校してくる生徒の様子を見つめるのはシェパードだ。
「好転してくれれば良いがな」
***
ハナミズキが香るバラク公爵家の邸宅では、久々にバイオリンの音が響いていた。
演奏者はサモエドで、それを聴くのは正面の椅子に座るファルトと後ろに控える使用人たち。
ファルトの手にもバイオリンが握られている。
やがて曲が終わると、拍手がそれを称えた。
「とても綺麗な音色でした」
「ありがとうございます、ファルト殿下」
ファルトは椅子から立ち上がり、サモエドの隣に立つ。
「まだ弾けますか?サモエド嬢」
「はい、大丈夫です。宮廷音楽家の方の新譜などどうでしょう、私が伴奏を致します」
二人は頷き合い、二重奏が始まる。
本日は親交を深めようと、ファルトがバイオリンを持ってバラク家に訪問していた。
顔合わせのあの時にファルトが彼女のサイドの髪に結び付けたリボンが、今日も同じ位置で揺れている。
それをファルトは嬉しい気持ちで見つめながら、曲は佳境に向かう。
本当はファルトが多少心得のあるバイオリンを披露するだけのつもりだったが、サモエドもバイオリンを嗜んでいるという話になり、このような形になっている。
どちらが突出した腕前ということもなく、同じレベルの音が交わり曲になっていく。
ふっと音が消えた。曲が終わったのだ。
決して1人では奏でれない二重奏はとても楽しい気分になる。綺麗に揃えば特に。
息が上がっているのに、まだまだ弾こうとする二人を使用人たちが止め、テーブルに着かせた。
「まだ弾き足りませんわ」
「そうですね」
「今日で無くとも、機会は無限にあるではないですか」
不満げに漏らす主人たちに、バラク家の家令が微笑みながらお茶を注ぐ。
そんな家令の言葉をすぐに理解したファルトは、真っ赤になって俯いた。
そう、彼らは婚約し結婚する間柄なのだから。
ファルトがちらりとサモエドの方を向けば、彼女も気恥ずかしそうにもじもじしている様子だったので、同じ気持ちなのだなと心が軽くなった。
「あの、サモエド嬢」
「はい」
名が呼ばれ、サモエドは顔を上げる。
「そのリボン……して下さっていて、嬉しいです」
言われてサモエドの指がリボンに絡む。そして何気なくファルトの髪留めの方に目を遣ると、黒い髪留めがされていた。
「ファルト殿下はもうリボンをなさらないのですか?」
「私は男だからリボンを持っていないんですよ。異母妹達は沢山持っていますけどね」
それもそうか、とサモエドは思う。
「このエンジのリボンはお守りだと仰っていましたが、誰かから貰ったものなのですか?」
「王族の者はそれぞれ『色』を持っていることはご存知ですか?」
サモエドは初耳だった。
「大した理由はないんですよ。ただ、遠くから見て判別がつくようにしているだけで」
「名札のようなものなのですね」
王太子の誕生日パーティーを思い起こせば、そういえば王太子や国王、王妃などが座る椅子には特定の色がついていた。
「普段からその『色』を目立つ場所に付けることになっているのです」
そう言ってファルトはハンガーに掛けられているエンジ色の上着を指さした。
「殿下はエンジ色がそうなんですね」
「ええ。国王は紺、王妃は菫色。……兄上は青色ですね」
パーティーで王太子が青色のマントを羽織っていたことがふと頭を過った。
「色の選定基準は現在の王族の誰かが使っている色でなければ良いだけなので、各々好きな色を使っているようです」
「殿下はエンジ色がお好きなのですね」
ファルトは「うーん…」と困った様な声を出す。おや、と思ったサモエドは「違うのですか?」と尋ねた。
「特に好き嫌いはないんです。兄上が青だったから、寒色系ではないものにしようと思って……」
暖色系だったらどの色でも良かったファルトは、その候補達の色のリボンを伝書鳩に括りつけ、遠くの街で離して素早く自分の所に戻ってきた色を選ぼうとしたのだ。
しかし、鳩を離した数十分後に豪雨に見舞われてしまって。
「それで戻ってきたのはそのエンジ色のリボンを括りつけた鳩だけだったのです」
他の鳩たちはいくら待っても結局戻っては来なかった。
以降、幸運のリボンとしてファルトはそのエンジのリボンを身に着ける事にしたのだった。
話し終えたファルトは恐る恐るサモエドの様子を窺う。
「鳩に括りつけたリボンですが……不快になりましたか?」
「ファルト殿下がいつも身に着けていたリボンなのです、全く不快ではありませんよ」
「!、ありがとうございます」
ファルトはにやけそうになる顔を隠すために、カップのお茶を仰いだ。
空になったカップにお代わりのお茶を注ぐ家令がサモエドに話しかける。
「お嬢様はどのような色がお好きなのですか?」
「私ですか?」
「お嬢様は王家に嫁がれますから、今から色を決めておいた方が宜しいかと思いまして」
若い二人の頬がまた赤くなる。
そんな様子を見ていたメイドが「家令のおじいちゃんったらお嬢様たちで遊んでいるわね」などと心の中で呟いた。
真面目なサモエドは照れながらも、「私は」と考え始めた。
「山吹色かしら」
「好きな色なのですか?」
「エンジ色のドレスにどのような小物の色が合うか考えて…黒色でも良いかもしれませんね」
誰に言われたでもなく、ファルトの色であるエンジ色のドレスを着るつもりのサモエドに、ファルトはこれでもかと言うほど顔を赤くし
「『色』には無彩色は止めた方が良いかと……」
と呟くことしかできなかった。
休憩も終わり、もう一曲弾きましょうかと話していた時、メイドが来客を知らせに来た。
「何方ですか?」
サモエドはちらりとファルトの方を見る。サモエドの視線を受け取ったファルトはにこりと笑った。
「私の事ならお気になさらず」
その言葉にホッとしたメイドが『シェパード様です』と来客の名を告げる。
客も何も、兄だった。
サモエドたちがいる応接間に通されたシェパードは、気まずそうに笑って、ファルトに挨拶をする。
「申し訳ありません、ファルト殿下。殿下がいらっしゃっているとは知らず」
「謝らないで下さいシェパード殿。お屋敷にお邪魔をしているのは私の方です」
まだ授業中だというのに兄が此処に居るのが不思議で、サモエドは兄にどうかしたのか尋ねた。
「頭が痛くなって、早退してきたんだ」
寮ではなく実家に戻ってきたと言う事は、相当酷いのだろうか。
「大丈夫なのですか?お部屋で寝ていて下さいお兄様」
「いや、学園から出たらケロッと治った」
「え?」
シェパードはファルトの方を見る。
「サミー、殿下にはお話しても良いんだろうか」
「私が居て拙いなら退席しますよ」
サモエドは少し悩んだ後、ファルトにも知っておいて欲しいと、軽く今までの事情を彼に聞かせた。
そして意外にもファルトは大まかな事を知っていたらしく、頷いた。
「サモエド嬢が教会に行っていたことは知っていました。シェパード殿の病気を救おうとしていると風の噂で聞きましたが……なる程、毒を…」
「殿下は国王陛下から事情を聞かされていたのですか?」
サモエドの問いにファルトは首を振った。
しかし『ハンリーを通して貴女の様子を見ていました、そこから独自の調査で…』とは流石に恥ずかしくて言えないので「臣下が教会の野菜の大ファンで足繁く通っていまして」という事にしておいた。




