王妃の背中
弟に謝罪を要求されたアクリは戸惑う。
「大袈裟に『国家反逆』などと使ったことは謝ろう。しかし悪女発言は撤回しないよ?お前は騙されているんだ、ファルト」
「兄上はバラク公爵令嬢の何をご存知なのですか」
「何を、だと?」
不意にアクリの頭に数日前にシェパードと同じようなやり取りをした事がよぎった。
「(確か彼は妹を優しい娘だと言い、それを自分が一笑に付したのだったか)」
自分のとっては雑魚のような小娘などを知る必要はない、だからアクリはベリー以外の御令嬢を知ろうともしなかった。
そもそも、生徒会メンバー達の中ではベリー以外の御令嬢なんてものは『貞淑の欠片も無く、傲慢で、強欲で、嘘つきで、すぐに保身に走る』と浸透している。
汚らわしい、虫唾が走る。
「バラク公爵令嬢は、僕の婚約者候補の御令嬢だ。自分に魅力がない事を棚に上げ、僕が全く靡かないからと姦計を巡らせ、第二王子であるお前に媚を売って取り入ったのだ」
ほら、ろくでもない女ではないか。
「では、バラク公爵令嬢のお名前は?」
「何を。………確か、サミエルと言ったか」
勿論違う。
「名前すらまともに知らない御令嬢の事を、よくもそこまで堂々と僕にご教授してくれましたね、兄上」
語気を強めるファルトを前にして、アクリはよろりと一歩後退する。
「僕は、一年間サモエド嬢の事を見てきました。そして、素晴らしい人だと判断したのです。兄上の婚約者候補を辞退し、僕の婚約者になって欲しいと彼女に願ったのは僕です」
「何だと?一年も前からその令嬢はお前に取り入っていたのか?」
ファルトは首を振る。
「遠くから僕が彼女を勝手に見ていただけのこと。サモエド嬢は傷だらけになりながら、ただ兄上のシェパード殿を救おうと奔走しておられました」
シェパードは病気だったのか?などと的外れな事を呟くアクリに、ファルトは「兄上!」と厳しい口調で呼ぶ。
「貴方がした僕……私の婚約者への侮辱、決して忘れません」
「ファルト……」
言いたいことを言ったのか、ファルトは「失礼します」と王妃とアクリに挨拶をすると、開けたままになっていた自室に入っていった。
取り残された形になったアクリは、呆然としたまま閉ざされた弟の部屋の扉を見つめる。
ふう、と王妃はため息を吐いた。
「ファルトの怒りを察することはできましたか?」
「怒り?あいつは本当に怒っていたのですか?婚約者の為のただのポーズではなく?」
戸惑うような言葉に、王妃は呆れてしまう。
「当たり前でしょう。慕う女性を悪女と罵られた者の気持ちが貴方になら分かる筈ですよ。貴方なんて意中の女性…件の男爵令嬢だったかしら?その方が少し困らされた程度で国家反逆などと大それたことを言っていたではありませんか」
「ベリー嬢はバラク公爵令嬢とは次元が違います。とても素晴らしい女性なのです。純粋で愛らしく……」
「同じです。ファルトにとってのサモエドさんは貴方にとっての男爵令嬢と同じなのよ」
「まさか!」
アクリの中では信じられない気持ちでいっぱいだった。ベリー以外の女性を慕う男がこの世にいるとは、という不思議な感覚とでも言おうか。
「母上もファルトもベリー嬢の素晴らしさを知らないだけです。ベリー嬢の人となりを知れば、必ずや虜になるでしょう」
王妃はアクリの懲りない様子にため息をつくことしかできない。
「あと1年と11か月……貴方が卒業する日まで、貴方が男爵令嬢のことを大切に思うのなら、私は貴方と男爵令嬢の婚約……いいえ、結婚を認めましょう」
「母上!?」
「国王にも伝えておきます。ではご機嫌よう、アクリ」
それは真ですか!と嬉し気に騒ぎ出す息子に背を向けると、王妃はもう何も言わずその場から去っていったのだった。
無視をされた結果になったが、それでもアクリは心を高揚させた。
王妃にベリーとの結婚を認めてもらえたからだ。
「ファルトの事は目を覚まさせてやることは出来なかったが、また次がある!それよりもベリー嬢とのことだ!」
満面の笑みで足早に自室へと戻っていく。早く寮に戻ってベリーにこの朗報を届けたいからだ。
近い未来、この日の王妃の背中を後悔の気持ちで思い出す事になるとも知らず。
***
自室に戻ったファルトは、兄の剣が刺さった誓約書を悲し気に見つめていた。
「このままにしておくのは可哀想だけど、証拠になるから……」
ごめんなさいサモエド嬢、と呟いて、メイド達に証拠の保全を命じる。
ファルトにとってサモエドは憧れの君だった。
第二王子として生まれたファルトは、生まれた時から『立場を弁えるよう』言われて来た。
兄である王太子のアクリより目立たず、しかし第二王子として堂々としておく役目を押し付けられ。
どのように在れば良いか困ったファルトが参考にしたのは、国王(父)の傍にいる王妃(母)の姿だった。
余談だが彼がおっとりとした雰囲気なのは、そのせいである。
そのおかげか、彼は何処で何をするにしても王太子の弟以上の者ではなく、しっかりとした『お控え様』という目で見られ王位継承争いなど無縁であれた。
逆に側室の子である第三王子は、臣下の者達に何か吹き込まれたのか、かなり高圧的な態度をとっている。
後々面倒な事にならなければ良いが、とファルトは思う。
その心がけで、今日もお控え様として生きていた彼の日常に、ちょっとした変化があったのは王太子が王立学園に通い始めて半年ほど経ったころからだった。
王太子がとある男爵令嬢の虜になってしまったという噂がまことしやかに囁かれ始めたのだ。
そしてその噂が事実だとばかりに、男爵令嬢の為に寮に豪奢な特別個室を作るだの、他の御令嬢が男爵令嬢を苛めるので排除したいだの我が侭を言いだし、国王が叱責する回数も増えていった。
あの優秀な兄が叱られるという衝撃的な場面を見て、ファルトに好奇心が芽生えてしまう。
兄を恋に狂わせるなんてどんな御令嬢だろうかと。
芽生えたものは簡単に抑える事が出来ず、騎士団長の息子を伴ってお忍びで見に行ったことがあった。
そして味わったのは、またもやとんでもない衝撃だった。
兄どころか、名立たる貴公子達を連れ従わせる、平凡な御令嬢がそこにはいたのだ。
『(バラク公爵のご子息、ラスコー公爵のご子息、騎士団長の次男……まだまだいる!?あれ?あの人外国の王子じゃなかったっけ)』
あの平凡な容姿の御令嬢にそんなに魅力があるというのか……!凄い!!
どのような御令嬢なのか更に興味が湧いたファルトは、暫くの間お忍びで遠くからベリーの事を観察することにした。
が、一週間で音を上げた。
混乱の極みに達したファルトは、一緒について来てくれていた騎士団長の息子・ハンリーに心情を吐露した。
『僕は……まだ女性の良さに気づけない子供なんだろうか……』
どれだけ見ても、ベリーに魅力を感じなかったのだ。
年下のファルトから見てもベリーという少女は洗練された女性には程遠く、まるで物を知らない子供の様であった。
ファルトは王妃を目標とし、その背中を見てきたのでベリーの振る舞いが王妃のそれとあまりにも違いすぎて、同じ女性なのか……貴族の御令嬢はあんなものなのかと疑心暗鬼になってしまっていた。
まだ自分は子供だから、果実酒よりも果汁の方が美味しく感じる……そう言うものなんだろうとファルトが無理やり納得しようとしたが、ハンリーが『お待ちください』と待ったをかけた。
『私は果実酒が好きですが、あのベリーという少女に微塵も惹かれません』
『しかし兄上たちは……』
『そこなんですよね。私の弟もいましたし…揃いもそろって、この世代は珍味好きだというのでしょうか』
『珍味?』
不思議そうに復唱するファルトを見て、ハンリーは「失礼、言葉が下品でした」と咳払いをした。
『とにかく、私は嫌悪を覚えるレベルです』
『そ…そうなんだね!僕の感覚は正常なんだよね!』
ハンリーに縋るファルトの手は必死だった。
そんなどことなく女性を怖がりだしたファルトを見て、困ったのはハンリーだ。
『(このままにしておくとファルト殿下が女性嫌いになってしまう!)』
『し…仕切り直しましょう』
無理やり知恵を振り絞った結果、ハンリーは教会に行くことを提案した。
『少なくとも教会にいる女性はあのベリーという少女の正反対に位置しています。心を落ち着かせましょうファルト殿下』
『う…うん』
そしてその判断は正解だった。
ファルトは身分がばれないようストールを頭から被り、教会の門をくぐる。
教会では聖歌隊が歌っていて、それに聞き入る国民達でいっぱいだった。
『綺麗な声だね』
『ええ。皆血の滲むような特訓をしてきたのでしょう、尊敬に値します』
ハンリーは努力をこよなく愛する男である。
『それにしても、沢山人がいるね。王宮の人達とはまた全然雰囲気が違う』
ファルトは身長の低い子供の目線で辺りを興味深く見学していると、ふと目が合った。自分と同じ年頃のベールをした少女だった。
少女はファルトに微笑みかけ、そして別の方向に視線を向けてしまった。
だが、ファルトは彼女に釘付けになってしまう。
何故なら、ベールからはみ出した髪が自分の母と同じ色をしていたからだ。銀髪は貴族でしか見かけない珍しい色。
『どうかされましたか?』
『あの子……』
ハンリーはファルトの目線を辿り、同じく銀髪の少女と彼女の傍にいる男を目に入れる。
『恐らく少女の方はバラク公爵家の御令嬢ですね。お供に連れている執事に見覚えがあります』
『バラク公爵の?兄上の婚約者候補の方か』
『聖歌隊の歌を聞きにいらしたのでしょうか』
二人でサモエドを観察していると、何やら野菜を持った修道女たちが彼女の元にやってきた。
『……野菜?』
野菜を受け取った少女は嬉しそうにお辞儀をし、執事と共に教会から出て行ったのだった。
『……公爵令嬢が教会の野菜を?』
ハンリーが不思議そうにしているので、どうやら普通の事ではないようだとファルトは思う。そして好奇心が湧いてきた。
『ハンリー、僕たちも野菜を貰おう。何か凄い効果があるのかもしれないよ』
『了解しました』
その後教会を後にし、馬車に乗った二人は早速貰った野菜の中から胡瓜を取りだした。ハンリーは持っていた小型ナイフで綺麗に皮をむいてから毒見として一口齧る。
『……これは』
『どうかした?危険な物だったの?』
『仄かに薬草の匂いがありますね』
ハンリー・オノクルは、オノクル公爵家の嫡男であり、次代の騎士団長となる男である。
彼はいかなる場所ででも生き残る確率を上げる為、微量の毒すら探知できるよう訓練されている。
『その薬草は危険な物?』
『いいえ、……これは防虫用の薬草と、栄養剤の臭いですね』
つまり
『虫対策と野菜への栄養分として散布したんでしょうね。大丈夫、人体に影響ある薬草ではありません』
太鼓判を押され、ファルトも一口齧った。
『美味しい。食事に出てくるサラダ以外で生の野菜を食べたことなんて初めてだよ』
良い子のファルト的には馬車で食べるということも、背徳感がある。ふと、先程の銀髪の御令嬢の事を思い出す。
『バラク公爵令嬢もこうして馬車の中で食べているのかな?』
『そのような事はなさっていないと思いますよ。ファルト殿下はベリー嬢のせいで誤解していますが、普通の御令嬢は王妃様のような洗練された女性であろうと、弛まぬ努力をされているものなんですよ』
『そうなの?』
ハンリーは力強く頷く。
『お疑いなら、バラク公爵令嬢の事を観察してみればよろしいかと。母上の公爵夫人がお亡くなりになっているので、滅多にお茶会にはいらっしゃいませんが、2か月後の王太子の誕生日パーティーにはご出席されると思いますし』
そして、2か月後にハンリーの言う通りだとファルトは驚くことになる。
まるで小さな母上がいるみたいだった。
興奮したファルトはパーティーが終わった後、その勢いのまま父母にそれを伝え、二人の苦笑を誘った。
『バラク公爵の娘さんは貴方と同じ歳よ、ファルト。私のような年増と似ているなんて言ったら可哀想よ』
『容姿の事ではありません。佇まいの事です』
『ファルトはもう少し貴婦人を喜ばせるセリフの勉強をした方がいい。王妃よ、今日は一段と美しいぞ』
ふふふ、ありがとうございます陛下、と扇で口元を隠しながら王妃は笑う。
『バラク公爵令嬢は王太子の婚約者候補ですから、王妃教育を受けていらっしゃるのよ、ファルト』
『王妃教育ですか』
別段、サモエドがずば抜けて素晴らしいと言うわけではないと言われたようで、少ししょんぼりしたファルトに、王妃は『でも』と続けた。
『貴方の言う通り、あの御令嬢はとても綺麗な仕草をしていたと思います。あの年齢であそこまで磨くなんて、とても素晴らしい子だと思いますよ』
萎れかけた興奮が復活する。
『ですよね!』
その日から、ファルトの憧れの人物は二人になった。
サモエドは王太子の婚約者候補であった為、堂々と会いに行くのは憚れる。だからハンリーが暇な時に教会に行ってもらい、彼女の様子を教えてもらっていた。
それから時は流れ
ファルトが兄が本格的に狂ったことを知ったのは、つい最近のこと、兄が二年生に進級してからだった。
父と母が、まだ内密だがと胸の内をファルトに聞かせてくれたのだ。
『ファルト、貴方に王太子になる覚悟はありますか?』
あの時の両親の顔はあまりにも思い詰めていて、ファルトは可哀想で見ていられなかった。
しかし彼は好機だと思った。だから両親の目を見て優しく微笑んでみせた。
『僕は兄上の控えとして今まで学び、生きてきました。前に出ることは慣れておりません』
だから、と続けた。
『僕一人では兄上のようには出来ません。僕にはしっかりと支えてくれる方が必要なのです』
両親の不安を取り除く事と引き換えに、ファルトはサモエドを望んだのだ。
区切りが良いところまで書こうとして、長くなりました。




