第三章⑤
テラスはニシキの髪の毛を人形にするみたいに勝手にアレンジしていた。弄んでいる、と言った方が表現は適切だろう。最初は吠えていたニシキもテラスが止めないからもう無視に徹することにしたようだ。しかしほとんど同じ二人が別々に違うことをしている光景が、放課後の美術室にあって幻想的に見えないこともなかった。
「とにかくずっと、私はね、テラスが会長を務めるボランティア同好会エコロジーを潰すことをずっと真剣に考えていたんだ、ボランティアなんてしないで何をしているかっていったらね、アニメを見ているの、こいつ、オタクなの、魔法少女テスコが大好きなの、」ニシキは人差し指を立てて語る。「エコロジーの部室には環境保全に関するものは何もない、あるのはアニメのDVDとコミックとグッズとエッチな本、利根川のゴミ拾いにも行きやしなくて、やっていることはアニメのDVDを見てコミックを読んで抱き枕カバーを頭から被ってふざけているだけなの、そう、ふざけているだけなのよっ、存在自体がふざけているのよっ」
「たまには行くよ、ゴミ拾い」テラスはニシキの髪型をいじるのに飽きたようでニシキの隣の椅子に腰掛けた。
「私にドヤされたときだけでしょ!」ニシキは吠える。
「えへへっ、」テラスは舌を出して適当に笑って誤魔化す。「へへっ、チュウしようよ」
「チュウしようよじゃないよっ、」ニシキはテラスから身を引きがなる。「笑って誤魔化すんじゃないよっ」
「もぉ、後輩ちゃんたちがいるから恥ずかしがっちゃって、」テラスはニシキの腕をベタベタ触る。「家に帰ったら甘えてくるくせに、ベッドでは可愛いくせに」
「誤解を招くこというなぁ!」ニシキは吠えた。そして息が切れている。「た、確かに昔はそうだったかもしれないけど」
昔はそうだったんだ、と丈旗は思う。
「もう私はテラスのニシキじゃないの、っつうか、今日も生徒会の邪魔をしてぇっ!」
「邪魔ってなんのことかな?」テラスは口元に手を当て首を傾げる。「ディスカッションを盛り上げたつもりなんだけどな」
「混乱させただけでしょ!」
「最終的に皆が私の意見に傾いたことが気に入らないのね、」テラスはニシキを宥めるように肩に手を置く。「書記ちゃんも会計ちゃんも副会長ちゃんも、言ってくれたわ、エコロジーを潰すのはおかしいって、そしてもっと予算をエコロジーに回すべきだって」
「触るなっつうのっ、」ニシキはテラスの手を払う、「あの娘たちは何も分かっていないのよ、あんたのことを何も分かっていないのよ、あんたが悪い魔女だって誰も知らない、皆、私の方が異常だって思ってる、気に喰わない、本当に気に喰わないっ」
「気に喰わないとしてもだって、それが真実なのだから、私が正義なのだから、仕方がないことなのよね、でも、大丈夫、ニシキが素直になれば、それで何事も解決、問題は解決されるのよ、一見、難しい問題ほど、本質は至ってシンプル、そしていい問題だった、とも言えるわね」
「てめぇ、」ニシキはテラスに顔を近づけて怒鳴る。「少し黙っとけ!」
テラスは口にチャックするジェスチャをして黙り、そして隙を見てニシキの唇にキスした。
ニシキはわずかに頬をピンク色に染めたけれど、過剰な反応はしなかった。それはきっと、幼い頃からキスを繰り返してきた双子だからかもしれない。今までずっと仲がよかった。でも、高校生になり、今まで親の意向で一緒にされていたクラスも変わり、互いに別々の友人と付き合う中で、微細に違っていた主義主張が自然と大きくなっていき、こんな風に食い違ってしまう関係になってしまったのだ。
ニシキはテラスを睨み言う。「……絶対に潰してやる、あの部室は絶対にキネマ研究会のものにするんだからなっ」
「それはきっと、」テラスはニヤニヤして言う。「無理だろうね」
「キネマ研究会?」ミヤビが言う。
丈旗も、キネマ研究会、というワードがニシキの口から出たことに反応した。そしてそのワードの登場の仕方が少し妙だと思った。ニシキはキネマ研究会の安賀多と斑鳩の二人に、素敵なキネマを作るように言ったはずだ。部活の発足はキネマ次第、そういうことだったはずだ。それなのにニシキは、エコロジーの部室をキネマ研究会のものにすると言った。素敵なキネマを作れと無理難題を言い渡したのはニシキのはずだ。その立場からの物言いではないと思った。それはミヤビも思ったことだっただろう。
「ええ、そうなの、」ニシキはミヤビの方を見て言う。「キネマ研究会、確か二人と同じクラスの子たちだったと思うわ、うん、一年三組だったな、キネマ研究会発足の依頼書が来ていた、書面もしっかりしていたし、目的も展望もきちんとあった、情熱が感じられた、だからキネマ研究会を発足させたい、でも、部室がない、ここから自然と理性的に導かれる心理がある、それはボランティア同好会エコロジーを潰すこと」
丈旗はいよいよ話がおかしいと思った。
安賀多と斑鳩は生徒会長と会って話をしたと言っていた。
当の生徒会長のニシキは二人に会ってはいないと言う。
そしてキネマ研究会の発足に諸手をあげて賛成の勢いだ。
考えられることは一つ。
ミヤビも何かに気付いた目をして、テラスのことを睨んだ。「……もしかして、テラス先輩」
「しー、」テラスは唇の前に指を立てる。「しー」
なるほど。
やはり確信犯か。
意図的か偶然か分からないけれど、生徒会長の双子の姉のテラスは安賀多と斑鳩を騙したのだ。
自分の同好会が潰されないように、早い段階で手を打っていたのだ。
藍染テラス。
なかなかに侮れない人物だ。
「やっぱり!」ミヤビは机に手を付いて立ち上がる。「やっぱり、そうだったんですねっ!」
「ミャアちゃん?」ニシキは急に立ち上がったミヤビを見てポカンとした。「急にどうした? やっぱりって、何?」
テラスは観念した表情をして首を竦めておそらく次の手を考えている、という顔をしている。
さあ、言ってやれ。
丈旗はそういう気分だった。
しかし。
「……えっと、」ミヤビは何故か、ことの真実を話そうとしなかった。言い淀み、そして座って笑う。「その、やっぱりなんでもありません、えへへっ」
「どうして?」黙っていろと言われた丈旗だが声を発してしまった。
「黙ってろっ」ミヤビがそう言い睨むから丈旗は黙った。
でもなぜだ?
テラスも首を傾げている。
ミヤビの考えていることが丈旗には理解不能意味不明だ。
そして不安になる。
俺はミヤビのことを何も分かっていないんじゃないかって、不安になるのだ。
「あ、そうそう、」テラスが何かを思い出したように口を開いた。「キンちゃん、キンちゃんにお願いがあるんだけれど」
「キンちゃんって言うなっ!」
「キンちゃん?」ミヤビは首を傾げて笑う。「あ、もしかして、錦、だから?」
「うん、そうそう、」テラスは頷く。「昔からショウちゃん、キンちゃんって呼ばれててね」
何だかお笑い芸人みたいだと丈旗は思った。
「お願いって何?」ニシキは頬杖付いて、疲労した表情で息を吐く。「聞かないけど、聞いてあげるわよ、聞いたらさっさと、帰ってよね」
「実は私、喫茶ドラゴンベイビーズのオーナからフェスティバルのプロデュースを頼まれていてね」
「は?」ニシキは眉を潜めた。「何の話よ?」
「それでニシキに絵を描いて欲しいと思って、」テラスは歯切れよく言う。「ブロック・ガーデンの壁一面に絵を描いて欲しいと思って、実はもうオーナには話しているの、未だかつて誰も絵に出来なかった錦景、ブロケイド・シーンを描くって返事をしちゃったの、だから断れないの、でも、ニシキならそれは可能なことだと思う、いえ、」そこでテラスはミヤビを見た。「二人なら出来るのではないかしら、それじゃ、お願いね、細かいことは家で話すから、ノックしたら、開けろよ、じゃあ、バイバイ」
テラスは肩で空気を切り美術室から出て行った。
ニシキはポカンとした表情で言う。「フェスティバルって何?」
フェスティバルのことは終始理解不能意味不明なままだったし、ニシキはずっと不機嫌でそれは錦景が夜の七時になるまで変わらなかった。ニシキが今日短い時間で描いた抽象画はその気持ちが如実に反映されていた。中央に、太い赤が稲妻のように走っていた。丈旗は今までニシキの絵を見てきたが、それが最高傑作だと思った。ミヤビも思ったのだろう。
「先輩、その絵、欲しい」
「え?」ニシキは疲れ切った顔で笑う。「こんな変な絵、いらないでしょ?」
「そんなことありません」ミヤビは情熱的な瞳で言った。
本人はその絵の良さに気付いていないらしい。
芸術とは得てして、そういうものだ。
さて、丈旗は微かな疑念を残して帰宅する。机の上にミヤビが書いた脚本を置き、椅子に座り、スマホにミヤビの電話番号を表示して迷っていた。
どうしてあのとき、ミヤビは言わなかったのだろう。
丈旗は目を瞑り。
まあ、いいか。
ミヤビはミヤビなりの、考えがあるのだろう。
机の上にスマホを置いた。
そのタイミングでスマホが震えた。
ミヤビからだ。
「もしもし?」
『あ、ケン、ミヤビだけど、あのさ、キネマのことなんだけど』
「そう、俺もそのことで電話しようと思ってた」
『テラス先輩にタモツとイオは騙されていたんだね』
「そうみたいだな、これでキネマを撮る意味はなくなったわけだ、安賀多と斑鳩がキネマを提出しなくたってニシキ先輩はキネ研を発足させるはずだ、それにしても、ミヤビ、どうしてあの時、本当のことをニシキ先輩に言わなかった」
『……キネマを撮りたかったのよ、本当のことを知ったら二人、撮るのを止めちゃうでしょ? だから、言わなかった、ニシキ先輩が直接タモツとイオのところに行って話をするかもしれないからね、とにかく私は、絶対キネマを撮りたいわけなのよ、二人にはこのこと、内緒だよ』
「それは二人が可哀想じゃないか? 本当のことを教えるべきだと俺は思うけど、キネマを撮りたいなら、あの脚本をキネマにしたいなら、本当のことを言って頼めばいい、二人はやってくれると思うが」
『タモツが問題よ、丈旗が嘘を付いたことは分かってるのよ、タモツが嫌がっていること、分かってるんだから、絶対、だから、コレは無理矢理にでも撮らなきゃいけないのよ』
「ミヤビ、お前、そんなにボーイズ・ラブのことが、」
『え、ボーイズ・ラブ?』
「……いや、なんでもない、なんていうか、情熱的だなって、思って」
『情熱的よ、悪い?』
「いや、俺はそんなミヤビが好きだよ、大丈夫、俺は協力するよ」
『ありがと、私も私に従順なケンのことが好きよ、それじゃあ、バイバイ』
電話を切ってから、しばらく時間が経ってはっと気付いた。
これは告白のうちに入るのだろうかって。
いや、電話越しで、こんなきちんとしていないのは、なしだ。
でも。
ミヤビに好きと言われて、丈旗は信じられないくらい有頂天だった。




