第三章⑥
錦景第二ビルの二階にこじゃれたダンスホールがある。そのホールの名前はビスケッタという。ダンスホール・ビスケッタの南側は一面ガラス張りのため、その前を通る陸橋から練習風景は丸見えだった。特に夜は意図的にホールの中が明るくなる。吊されたシャンデリアを白く光らせ、その中で優雅にワルツを踊れば、キネマのワンシーンのように幻想を作ることが出来る。それを見たものの足は止まる。
そんな場所でスズメとマナミ、エクセル・ガールズの二人は稽古をすることになった。
ダンスの先生の名前は管江。管江はダンスホール・ビスケッタの経営者で、天之河と篠塚とも顔見知りで、錦景女子高校の出身だった。
「たった二曲だって思っているかもしれないけど」
管江は商業指定のTシャツとハーフパンツ姿のスズメとマナミの二人を、いわゆる体育座りさせて言った。「私は妥協は許さない、可愛くて当たり前、それは大前提、可愛くなければ何も始まらない、素晴らしい歌と素晴らしいダンスを提供するのがあなたたちの使命、アイドルの使命なのよ、どちらか一方が出来ても駄目、両方出来なきゃ駄目だわ、もしライブがDVD化されたとき、声が加工されるのは嫌でしょ? 私、ああいうの、凄く気になるタイプなの、違和感があったら、もう集中出来ないの、完璧に歌い上げて、完璧に踊るのよ、DVD化されても編集されないようなライブをするの、いい、二曲だけだし二週間あるから大丈夫、そうじゃないの、二曲を完璧に歌って踊れるようにするための期間は二週間しかないの、たった二週間しかないの、それを理解しなさい、あっと言う間よ、分かった!?」
そんな風に怖い顔で熱っぽく語ったのは、管江がアイドルオタクで、自身もアイドルを目指していた経験があったからだった。「でも、私は駄目だった、いくら上手に歌を歌えたって、いくら上手に踊れたって、私には可愛さが足りなかった、そうただの美人じゃプロじゃ生きていけないの、美人の中にも赤ちゃんのような愛らしさがないと、日本では駄目なのよ」
といううわけで、スズメがああだ、こうだと悩む前に厳しいレッスンが始まった。管江は優しくて、冗談も言ってくれるけど、レッスンのときはいつも真剣だった。お涙頂戴ドラマが頭を過ぎるスパルタ加減だった。
とある稽古の風景として。
「先生!」スズメはバタンと床に手を付いて倒れた。「もう、無理です、私、踊れません!」
「踊れる!」管江は腕を組みがなる。「スズメ、立ちなさい!」
「無理です!」
「立つのよ!」管江はスズメを無理矢理立たせ、鳴り止まない、絶賛リピート中のエクセル・ディスコに合わせて踊らせた。「ほら、踊れ、スズメ!」
「もう、無理です!」
そんな風に泣きながら管江の操り人形みたいになって踊るスズメの横で、マナミは簡単に振り付けを覚えて優雅に踊り、ダンスホールに練習に来ている小学生相手に基本的なことを教える余裕すらあって、『マナミてんてー』とか呼ばれていた。『はぁい』とか高い声で返事をしたりして、マナミはとても楽しそうだった。一方のスズメは小学生たちから『泣き虫のスズメちゃん』なんて、そのまんまに呼ばれていた。何も捻られてもいないし、かかってない。しかし子供が正直に思っていることだから心にグサっと来た。そんな小学生たちにある日、踊りが上手くなるようにお守りをもらった。その時はもう発狂しそうになるほど悔しい、とは思わなくて、子供たちの優しさにただ涙した。「……み、みんな、本当に、ありがとう、私、頑張るぅ」
とにかくもうエクセル・ガールズのくせに、エクセルの授業どころじゃなかった。スズメのエクセルの技術はオート・サムから進歩していなかったし、エクセルのテストは散々だった。でもダンスの方は続けていればなんとか形になっていくもので、最初は苦戦していたステップもいつの間にか自然と踏めるようになっていった。管江も誉めてくれるようになった。「そうそう、やれば出来るじゃん、大丈夫、筋が悪いわけじゃないんだから、私が本気で絶望したのは、この世で谷崎モモカだけよ」
学校に、ダンスの稽古に、ドラゴンベイビーズのバイトに、それからレコーディングと短い時間の中で沢山のことをした。それは一晩の夢のようで、アイドルみたいだと思った。毎日は目まぐるしいスピードで過ぎていった。
エクセル・ガールズの衣装が届いたのは放課後、錦景市はすでに夜の七時、ダンスの稽古中だった。嬉しくなって二人はその場で衣装を着てみた。スズメとマナミ、並んで立ち鏡を見れば、二人だけまるで六十年代にタイムスリップしたように、現実の世界から浮いていた。衣装の形、色はどこかアバンギャルドで、九十年代生まれの二人からすればセンセーショナルな衣装だった。
「まるで私じゃないみたい」
そう言ったスズメに管江が言う。「アイドルっていうのは素敵に作った自分を見せる職業よ、本性をさらけ出して売れる娘なんて天文学レベルの希少さでいないんだから、だからもっと私じゃない私を磨きなさいスズメ、そして私を越えて、私にするのよ」
「えっと、」スズメは首を傾げて、笑顔で聞く。「どういうことですか?」
最近、錦景女子高校出身の人って急に哲学っぽいことを言い出す、ということが分かった。そういう伝統なのかなって思った。指摘したら怒られそうなので、誰にも言わないけれど。
そしてスズメとマナミは衣装を纏ったまま、ダンスホールで二曲を歌い踊った。『エクセル・ディスコ』ともう一曲、ピアノの上手な女の子が提供してくれた曲。歌と踊りは完璧だった。笑顔も完璧だった。
ダンス・ホールの隅に座って二人のことを見ていた子供たちは手を叩き。
管江は満足そうな表情を見せてくれた。
そして振り返り、一面ガラス張りの窓の向こうをふと見れば、傘を差した森村ハルカがこっちを見て、大きな拍手をしていた。
スズメはハルカに見られて恥ずかしくなかったっていうことはなかったんだけれどでも、メイド服を来た姿を見られたときよりは恥ずかしくなかった。むしろ『私を見て!』という、不思議な、今までにない気持ちに心が満たされていたように思う。
スズメはスマホを持ってガラスの方に近づき、ハルカの顔がよく見える距離で、目線がしっかり交わる距離で、ダイヤルした。
陸橋の人混みを背景に傘を差して立つ錦景女子高校のハルカはスマホを耳に当てる。『もしもし』
「もしもし、ハルカ、その、……どうだった?」
『サインを頂戴、』ハルカは微笑み言う。『私、エクセル・ガールズのファン第一号だからね』




