第7話 - 交わさなかった言葉
いつものように鍵を壊し、ノクスは貴族の屋敷に音もなく侵入する。月すら遠慮するほどの暗い夜が、ノクスの姿を屈強な見張りから隠していた。
ノクスはまっすぐに対象の部屋に向かう。屋敷の中は外と違い、起きている人間はいないようだ。
落ち着いた、しかし見事な彫刻が施された扉をノクスは開く。部屋を見渡すとラウルの情報通り、対象はベッドで眠っているようだ。
しかし、そこから一歩踏み出す前にノクスは気づく。
(起きている……)
ノクスは首に巻いた黒い布を、口元を覆うように持ち上げる。相手もノクスが近づいてこないと気づいたのだろう、ベッドからのそのそと起き上がる。ゆったりとした白いガウンを揺らし、彼は立ち上がってノクスに向き直った。
「君はエクセクトレスか?」
「……はい」
ノクスは警戒心のない、淡々とした声で返事をする。初老の貴族の男も、慌てる様子は全くない。
「そろそろ来るとは思っていた。が、それが今日だとわかって起きていたわけではない。情けない話、不安で毎日眠れていないんだ」
明かりの灯っていない闇の中でも、夜目が利くノクスには彼の顔がはっきりと見える。目元にできた隈を見る限り、嘘ではないのだろう。エクセクトレスの情報が漏れたわけではなさそうだ。
「私が駆除される理由を聞いても?」
男の問いに、ノクスは一瞬迷う。依頼には当然守秘義務が存在する。しかしラウルの言っていたことが頭を過ぎり、ノクスは口元の布を首まで下げる。
「王家への反乱を企てている、と……」
「反乱か」
男は乾いた笑いをこぼす。驚く様子も、憤る様子もない。
男は窓に近寄り、紺色のカーテンを開く。雲の隙間から覗くわずかな星明かりでは、彼の顔を照らすには足りない。
「秩序とは誰が決めると思う?」
突然の問いに、ノクスは一瞬うろたえる。問いの内容が、ではなく、駆除対象にこんなに落ち着いて話しかけられたことがないからだ。
男は夜空に目を向けたまま言葉を続ける。
「女王か? 貴族か? 民か? それとも人ではなく、大いなる自然か? エクセクトレスが守る秩序とは、一体何のことだと思う」
「……」
ノクスは答えに困り目を伏せる。秩序を守る組織にいながら、そんなことは一度も考えたことがなかった。
男は「ふふっ」と小さく笑いをこぼす。
「答えないか。そうだろうな。君たちは手足であって頭ではない」
男はカーテンを開けたままノクスに目を向ける。
「君、名前は?」
「……ノクス、です」
「ノクス……『夜』か。君を体現したような名だ。まるで、名に合わせて人格を作り上げたかのように」
ノクスの青い瞳が揺れる。彼の言っていることが、わかるようでわからない。
「……王家への反乱を企てているのは、本当なのですか」
ノクスは生まれて初めて、駆除対象へ問いを投げかける。意味のないことだとわかっている。けれど、なぜか聞かずにはいられなかった。
男は一瞬目を丸くするが、すぐにまぶたを伏せて微笑みを浮かべる。
「手足が問いを立てるか。やめておきなさい。こちら側になりたくなければな」
男はカーテンを閉め、くるりとベッドに足を向ける。
「私が横になったら、すぐに殺しなさい。私は君に気づかずに眠っていた。君は私と言葉を交わしてなどいない。いいね」
「なぜ……」
「やめておきなさい」
もう一度放たれたその言葉には、有無を言わさぬ重みがある。ノクスは大人しく口を噤んだ。
男はベッドに横たわり、のそのそと毛布を被る。それ以上話をする気はないようだ。
ノクスは腰からナイフを抜く。足音を立てずベッドに近寄り、横向きに寝る男の背中を眺める。
まだ起きている。だが、男が振り向く様子はない。
ノクスはぎゅっとナイフの柄を握る。こんなにも刃が重いのは、初めて“害獣”を駆除したとき以来だ。
(……迷うな。迷いのある刃で、命は切れない)
ノクスは刃を振る。一息に、苦しまずにあの世に行けるように。
毛布が色を変えていく様子は、闇の中ではあまりわからない。もともとが紺色では、明るいところでもわからないかもしれないが。
ノクスはポーチから布の切れ端を取り出し、刃を拭う。血を吸った布が、いつもより重く感じた。




