第4話 - 泥汚れの王子
庭先に香ばしい匂いが漂う。ノクスの目の前で焼かれているウサギは、茶色かった毛を黒く染め、白い煙を上げている。パリパリした皮を見るともう食べられそうだが、中まで火が通るにはもう少しかかるだろう。
ノクスは均等に火が通るよう、ウサギを括りつけた棒をくるくると回す。呑気に一時間もこんなことができるのだから、やはりこの国は平和だ。
(あと十……いや、十五分くらいか?)
盛大に鳴る腹は「もう食べられる」と言っている。しかし、野生動物の相手は油断したら負けだ。判断を誤ると腹を下してしまう。
ザッザッザ……
自分に近づく足音が聞こえ、ノクスははっと顔を上げる。相手の正体を察し、手を止めようとした……が、ウサギを焦がしてはいけないと思い、そのまま回し続ける。
相手は一見質素な、しかし上等な茶色のブーツを泥で汚してノクスの家の敷地を踏む。昨夜降った雨で地面がぬかるみ、少し歩きにくそうだ。
「やあ、ノクス」
相手は笑顔で片手を上げる。迷いながら頭を下げるノクスの様子を察し、優しげなエメラルド色の目を細めてクスクスと笑う。
「そのまま焼いてていいよ。焦げちゃうからね。それ、僕も食べられる?」
「……殿下のお口に入れていいものではないと思います」
「駄目かぁ」
彼はウサギの前に立ち、残念そうに眉を下げる。
「僕もそういう、手の込んでいないご飯を食べてみたいんだけどな」
「野生動物を食べるには、ある程度胃が丈夫である必要がありますから……」
「それは鍛えられるものなの?」
「医者ではないのでわかりかねます」
「そっか」
彼はくるくると回るウサギの前にしゃがみ、頬杖をつく。その動作は一見庶民的だが、隠しきれない気品が漂っていた。
フレデリック・フィデリス・ペレニウス。彼はここ、クラリタニア王国の第一王子だ。優しげな風貌と穏やかな声で、多くの国民からの人気を得ている。眉目秀麗、頭脳明晰、品行方正、とにかくできた人物だと褒め称えられ、次期国王として申し分ない実力だと噂される。
しかし、それは仕事用に作った顔だ。素の彼は決して真面目ではない。幼いころは勉強をせず遊び回り、夜は眠らず読書に耽り、挙句の果てには大事なパーティー中に寝ていた。大人になった今でも、「息抜きも大事だ」と言って度々城を抜け出している。今回もきっとそうだろう。
フレデリックが身分違いのノクスを知っているのは、彼がエクセクトレスのメンバーを全員把握しているからだ。本来王子は指示を出すだけでいいのだが、共に平和を守る仲間として知っておきたいらしい。ノクスは王子から友人のように扱われることに、少々気後れしている。
フレデリックはサラサラとした金髪を揺らし、焼かれるウサギを楽しそうに眺める。
「このウサギは駆除対象だったの?」
「はい。農作物を荒らしていました」
「こんなに美味しそ……かわいいのになぁ」
「見た目は関係ありませんから」
ノクスは淡々と棒を回し続ける。フレデリックはウサギを目で追っていたが、ふとその瞳が陰る。
「ノクスはいつも駆除した動物を食べるよね」
「問題でしたか?」
「ううん。なんでかなーと思っただけ。捨てる業者もいるじゃん」
ノクスはじっとウサギを見る。焼かれた目は白く濁り、ノクスを映すことはない。
「“害獣”というのは、人間の基準でしかないからです」
「ほう」
フレデリックは興味深そうにうなずく。ノクスはただ、白い目を見つめながら棒を回す。
「動物たちは害をなしているつもりはなく、生きるために食事をしているだけです。しかしその食事が、人が汗水たらして作ったものであったり、人間そのものだったりする。生活が衝突しただけなんです。それを人の基準で害獣とみなし、命を奪う。俺はその命を無駄にしたくないだけです」
「……そっか」
フレデリックの瞳に、燃える炎が映りこむ。その表情が、ノクスにはどこか愁いを帯びて見える。
「……ノクスは優しいね」
思いもしなかった言葉に、ノクスは乏しい表情筋を広げてきょとんとする。
「そう……でしょうか」
「うん。奪った命に責任を取ろうとしてるんだから、偉いよ」
フレデリックは寂しそうに目を細める。
「僕は……その責任から逃げてるから」
それが国政の話だとノクスは察する。今この国は「軍を持つべき」とする派閥と、「持たざるべき」という派閥に二分している。女王が後者のため、今は武力を完全に放棄している。
フレデリックも後者だ。世界の平和のためには、まずこちらが武器を捨て、戦わない意志を示す必要がある……と、以前記者に話していた。しかしそれは建前で、本当は「自分が武力を持つ判断をしたことで人が死ぬのが怖い」のかもしれない。
ノクスは回していた棒を止め、パチパチと音を立てるウサギを火から外す。
「それも、殿下の優しさだと思います」
「そうかな」
「はい。奪わなくて済むのなら、それが一番ですから」
「臆病者って弟には言われるけど」
「見解の相違による言葉の綾では」
「それはそう」
フレデリックは火を消すノクスを見ながら、ふっと顔を綻ばせる。
「ちょっと気が楽になったよ。ありがとう」
「お役に立てたのなら光栄です」
ノクスは表情を変えないまま、ウサギの皮をナイフで剥ぐ。フレデリックはうずうずとそれを眺める。
「それ、やっぱり僕も食べちゃ駄目?」
「いけません」
「ちぇっ」
フレデリックは子供のように口を尖らせる。まとう空気は柔らかい。どうやら、公務の息抜きにはなったようだ。




