第9話 - 変わらない様子
本部の入口に着き、ノクスはケープを外す。エクセクトレス全員の顔を把握している門番は、ノクスを一瞥だけして門を開ける。同じことができるノクスが、それに驚くことはない。
いつもの癖で足音を消し、ノクスは目的の部屋へ向かう。もしかしたら祭りである今日はいないかもしれない……と思いながら、慣れた手つきで部屋の扉をノックする。
「どうぞ」
(……いる)
落ち着いた深い声にノクスは安心する。一呼吸だけ置き、ノクスは扉を開いた。
片付いた机の前に、壮年の男がまっすぐに立っている。まるでノクスが来るのを待っていたかのようだ。
かっちりとした黒い上着は、彼がいつも仕事で着ているものだ。祭りの今日は礼服を着ているかと思ったが、そうでもないらしい。
ノクスはやはり音を立てずに扉を閉め、男に一礼する。
「お久しぶりです、ししょ……閣下」
「どっちでもいいよ。そっちも少し照れくさいけどね」
男は穏やかに目尻のしわを深める。変わらない様子に、ノクスは小さく微笑んだ。
クレメンス・レクトル。彼はクラリタニアの宰相であり、エクセクトレスの統括であり、ノクスをエクセクトレスに誘った人物だ。
ノクスとクレメンスの出会いは約十二年前。戦争孤児だったノクスは、街で物乞いをして生活していた。なるべく羽振りのよさそうな見た目の人物を狙っていて、クレメンスもその一人だった。
「パンをめぐんでください」
そう繰り返していたノクスに、彼は驚きの言葉をかけた。
「仕事をあげよう。私と一緒に、この国を……平和を守ってくれないかい?」
ノクスはよくわからないままうなずいた。ただクレメンスが「パンよりも必要なもの」と言ったのを鵜呑みにした。このまま物乞いをしていてはいつか生きていけなくなると、心のどこかで思っていたのもあるだろう。
当時、まだ宰相でもエクセクトレスの統括でもなかったクレメンスは、生きるために必要な全てを自らノクスに教えた。駆除の仕方、刃の研ぎ方、掃除、洗濯、料理に至るまで、全てを。
そのおかげで、ノクスは今一人で生活できている。料理だけは全く上達せず、獣の丸焼きしか作れないが。
クレメンスは大きな窓の前の机につく。姿勢を正して、柔らかな笑みをノクスに向ける。
「町での生活はどうかな?」
「不便はありません」
「ちゃんとご飯は食べてる?」
「駆除した生き物を焼いて食べています。あとは、依頼のお礼にといただいたものを」
「うーん……栄養の偏りが心配だね」
クレメンスは困ったように眉尻を下げる。ノクスは特に不調を感じていないが、クレメンスの視線から不安の色を感じ取り、少々反省する。
「……野菜も食べるようにします」
「そうするといい。今は若いから平気かもしれないけど、大人になったら不調が出てくるからね」
(そうなのか……)
ノクスは心にしっかりと記録する。考えることは苦手だが、覚えることは得意だ。
「“駆除”の方は滞りないと報告を受けているよ」
クレメンスのその言葉に、ノクスの眉が一瞬ぴくりと動く。そのわずかな変化を、彼は見逃してくれなかった。
「何か気になることでも?」
ノクスは無理やり表情を消す。今思い出したことは、たとえ親代わりである彼が相手でも知られてはいけない。
『私は君に気づかずに眠っていた。君は私と言葉を交わしてなどいない。いいね』
ノクスはその言葉に返事をしていない。だが、心の中で了承している。
「何もありません」
クレメンスの灰色の瞳が鋭く細められる。まるで真意を読み解こうとしているようだ。
しかしやめたようで、クレメンスはふっと微笑みを浮かべる。
「そうか。それならいいよ」
クレメンスは机に肘をつき、軽く身を乗り出す。
「ついでで申し訳ないけど、一つ頼まれてくれるかい?」
「はい」
あまりにも早い返事に、クレメンスは苦笑する。
「まだ内容を話してないのに……ありがたいけどね。今回の依頼は駆除じゃないよ」
ノクスはぱちぱちとまばたきをする。駆除ではない依頼など受けたことがない。
「……俺にできるでしょうか」
「さあ。でも受けてくれるんだろう?」
クレメンスがにこりと笑う。ノクスは返事をしたことを後悔する……ことなく、淡々と「はい」と告げる。
「秩序と平和のためでしたら」
「頼もしいね」
クレメンスは引き出しから一枚の紙を取り出し、ノクスに差し出す。
「今回の任務は、第二王子エリック・ウィクトル・ペレニウス殿下の護衛だ」
ノクスは紙を受け取る。小さなそれには日付、時間、当日のエリックの予定が細かく書かれている。
「クラリタニアの北西部に、未開拓の森が広がっていることを知っているかな? その調査のための遠征に同行してほしいんだ」
北西部の森は隣国との国境に接する、天然の要塞だ。狭い道は馬も通れず、光もあまり入らない。
(つまり、死角が多い)
ノクスは自分に任務が回ってきた意味を理解する。たしかにこれは軍ではなく、エクセクトレス向きの仕事だ。
ノクスは紙をクレメンスに返す。クレメンスは何も聞かずにそれを受け取った。
「承知いたしました。行ってまいります」
「うん。よろしく」
クレメンスは紙を明かりに翳して燃やす。ノクスはクレメンスに一礼し、その場を後にしようとくるりと背を向ける。
「ノクス」
引き留めるような声に、ノクスは再び体ごとクレメンスを見る。垂れた目尻は、我が子を見るかのように穏やかだ。
「何かあったら、どんな些細なことでも言うんだよ。エクセクトレスは組織であり、家族なんだから」
ノクスははっとする。やはりクレメンスは、「何もない」というノクスの発言が嘘だと気づいている。
『秩序とは誰が決めると思う?』
宰相であるクレメンスは、おそらく“秩序”に近い存在だ。エクセクトレスの任務も、多くは彼から命令が出ている。
きっとクレメンスは、あの問いの答えを持っている。だが、ノクスは何も聞かなかった。
「ありがとうございます」
ノクスはわずかに微笑む。たしかに答えは気になる。しかし“親”であるクレメンスを、ノクスは疑えなかった。




