第9話:雨の馬車と、不器用な温もり
夜会の翌日、外は朝からしとしとと冷たい雨が降っていた。
ローゼンバーグ家の応接室。
昨夜の夜会で第二王子・クロードと宰相派の侯爵が見せた狼狽ぶりは、たちまち貴族たちの間に広まり、形勢は完全に逆転した。ローゼンバーグ家の領地への不正な圧力は排除され、商会からの違約金も回収の目処が立ったのだ。
「まったく、騒がしい夜会だったな」
俺――エレノアは、ソファーに深く腰掛けながら、運ばれてきた熱々の紅茶に口を付けた。
華奢なドレス姿のままため息をつくと、専属の侍女が申し訳なさそうにタオルを差し出してくれる。
扉がノックされ、ずぶ濡れの騎士団長セドリックが入ってきた。
彼の銀の鎧には雨粒が光り、前髪を乱した姿はどこか野性味があって美しい。
「……セドリック、ずぶ濡れじゃないか。風邪を引くぞ」
俺がそう言ってハンカチを投げると、彼は苦笑いを浮かべながらそれを受け取った。
「すまない。第二王子派の貴族たちの家宅捜索に立ち会っていてね。証拠はすべて押収し、王城でも殿下の責任が問われることになったよ。……君のおかげだ、エレノア嬢」
セドリックは俺の正面に腰を下ろし、灰色の瞳でまっすぐとこちらを見つめた。
その瞳には、感謝だけでなく、一人の女性に対する深い熱が宿っているように見えた。
「俺の手柄じゃねぇよ。親父が情けねぇ分、俺が看板を守るために仁義を通しただけだ。あんたも騎士団をまとめてくれて助かったぜ」
「エレノア……」
セドリックはため息をつき、俺の手をそっと自分の大きな手で包み込んだ。
彼の体温が伝わってくる。手袋越しであっても、その手の温かさは裏社会で生きてきた俺の冷えきった心を、不思議と溶かしていくような感覚があった。
「エレノア。私は驚いているんだ。初めて会った時、君は第二王子に婚約を破棄されたばかりの弱々しい令嬢に見えた。だが、今の君は違う。誰よりも気高く、そして強い」
「あんたも、お目付け役の割にはいい男じゃねぇか」
俺がニヤリと笑うと、セドリックは少しだけ耳を赤く染めた。
硬派で無愛想な騎士団長が、俺のような元極道の魂を持つ令嬢にここまで心を開いてくれるとは、異世界転生も案外悪くない。
「これからも、君の隣に立たせてほしい。ローゼンバーグ家の問題だけではない……私は、君という人間そのものに惹かれている」
それはストレートで、けれど不器用な彼らしい言葉だった。
俺は思わず口元を緩め、彼の大きな手に自分の手を重ねた。
「いいぜ。あんたが筋を通す男だってことは分かってる。……アステリア卿、これからもよろしく頼むよ」
セドリックは少しだけ微笑み、俺の額にそっとキスを落とした。
ひらひらとしたドレスの中で、裏社会を生き抜いた極道の魂が、温かな感情で満たされていくのを感じた。
* * *
その日の午後。
アステリア家の馬車に乗り込み、俺たちは第二王子派の残党が潜むという領地外れの倉庫街へと向かっていた。
馬車が揺れる中、俺は仕立ててもらったネイビーブルーのドレスの中に忍ばせたナイフの柄を確かめる。
「おい、セドリック。最後のネズミ狩りだ。仁義を通す準備はできてるか?」
「ああ、いつでも行ける。……私の守備範囲からは、決して離れないでくれよ」
セドリックの頼もしい声を聞きながら、俺は不敵な笑みを浮かべた。
最強の騎士と、元ヤクザの令嬢。二人の戦いが、ついに決着の時を迎えようとしていた。




