第2話:お嬢の「交渉術(マナー)」を教えてやるよ
「エレノア! あなた、使用人をいじめたそうね! この卑しい娘が、自分の立場をわきまえなさい!」
食堂に現れたのは、義理の姉であるイザベラだった。
派手なドレスを身にまとい、取り巻きの侍女を連れて俺――エレノアを見下ろしている。記憶によれば、こいつは事あるごとにエレノアに難癖をつけ、この家での立場を奪ってきた主犯格の一人だ。
だが、今の俺にそいつは通用しねぇ。
俺はティーカップを静かに置き、イザベラに向かってゆっくりと視線を上げた。
「……卑しい、か。自分の家の『看板』を汚しているのがどっちか、分かって言ってるのか?」
「な、なんですって……?」
イザベラが毒気を抜かれたように言葉を詰まらせた。
無理もない。かつては怯えて震えるだけだった妹が、今は座ったまま、獲物を品定めするような鋭い眼光を放っているのだ。
「いいか、イザベラ。俺はな、食事の恨みは深いんだ。主人に冷めきった残飯を出す。これは使用人の怠慢じゃねぇ。お前のような上が、管理を疎かにしている証拠だ。……組の運営、いや、屋敷の管理ってのはな、下の者の腹を満たしてこそ成り立つもんだ」
「何を……わけのわからないことを……!」
イザベラが顔を真っ赤にして怒鳴る。俺は立ち上がり、ドレスの裾を優雅に捌きながら彼女の至近距離まで歩み寄った。
身体の大きさは俺の方が小さい。だが、俺がかつて数多の修羅場を潜り抜けてきた「気圧」が、狭い室内を支配していく。
「お前が裏で帳簿をいじって、俺の分の予算を自分の宝石代に回してるのは分かってるんだよ。……ネコババってのはな、バレた時が落とし前をつける時だ。……どうする? 今ここで、すべてを公爵(親父)にぶちまけるか、それとも――」
俺は彼女の耳元に顔を寄せ、底冷えするような低い声で囁いた。
「――二度と、俺の前にその汚いツラを見せないか。選べよ」
「ひっ……!」
イザベラは恐怖に顔を歪め、そのまま腰を抜かして床にヘタリ込んだ。
ヤクザの若頭が放つ「本物の殺気」を、平和な温室で育った令嬢が耐えられるはずもない。
「……おい、爺さん。続きの紅茶は、今度は熱いやつを持ってこい。次は無いぞ」
震えながら廊下で見ていた執事に対し、俺は上品な微笑みを浮かべた。
それだけで十分だった。その日の午後から、俺の部屋に運ばれてくる食事は王族並みに豪華なものへと一変した。
* * *
数日後。
ローゼンバーグ公爵家の屋敷に、一台の軍用馬車が到着した。
馬車から降りてきたのは、この国の若き騎士団長であり、冷酷非道で知られる公爵・セドリック・フォン・アステリア。
エレノアの婚約者であった第二王子が「彼女を監視しろ」と送り込んだ、いわば『お目付け役』だ。
俺は応接室で、足を組んでセドリックを待っていた。
「お嬢様、足をお閉じください……!」と侍女が泣きそうになっていたが、知ったことか。ヤクザに「淑女の行儀」なんてものはねぇ。
扉が開くと、銀の鎧をまとった長身の男が入ってきた。
冷徹な灰色の瞳、整いすぎた容貌。全身から「強者」の香りがプンプンする。
(……ほう。こいつはいい面構えだ。骨があるじゃねぇか)
俺は不敵な笑みを浮かべ、立ち上がることなく彼を迎えた。
「初めまして、セドリック卿。……わざわざこんなところまで、挨拶に来るなんて律儀なこった」
セドリックは、部屋に入った瞬間に足を止めた。
彼は、かつての「弱々しい令嬢」を想像していたのだろう。だが、目の前にいるのは、公爵令嬢の皮を被った「裏社会の怪物」だ。
「……失礼。エレノア嬢で間違いないか?」
「ああ。俺が、この屋敷の主……エレノアだ」
セドリックの瞳に、かすかな驚きと、そして鋭い観察の光が宿る。
彼は俺の前に立ち、腰の剣に手をかけたまま、低く響く声で言った。
「第二王子から、貴女が乱心したと報告を受けた。……だが、私の目に見えるのは、狂人ではない」
「じゃあ、何に見える?」
俺は試すように、彼に殺気をぶつけた。
並の人間なら気絶するレベルだが、セドリックは眉一つ動かさず、むしろ興味深げに口角を上げた。
「……戦場を知る、本物の『戦士』の目だ。貴女は一体、何者だ?」
「何者でもねぇよ。ただ、筋の通らねぇことが嫌いな……ただの女だ」
二人の視線が空中で激突し、火花が散る。
極道の魂を持つ令嬢と、鉄の規律を重んじる騎士団長。
この最悪で最高な「出会い」が、異世界の勢力図を大きく塗り替えることになるのを、この時の俺たちはまだ知らなかった。




