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盲目の君は何をみゆ  作者: 巫篠 美都瑠


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 大晦日にかけての街は、年の瀬特有の慌ただしさに包まれていた。

 商店街のスピーカーからは、クリスマスソングに代わって「お正月」の童謡や威勢のいい演歌が流れ、注連飾りや門松を買い求める人々が行き交っている。吐く息はどこまでも白く、朝方には路肩の水たまりに薄氷が張るほどの冷え込みが続いていた。

 その賑わいから完全に隔絶されたように、蒼井優生はベッドの上で、ただ天井の木目をじっと見つめていた。

 カーテンの隙間から差し込む冬の光は弱々しく、暖房をつけていない部屋の空気はしんしんと冷え切っている。時折、階下から母親が掃除機をかける音や、大掃除を急かす声が聞こえてくるが、優生にはそれに答える気力すら湧かなかった。

 枕元に置かれたスマートフォンの画面が、微かに青く発光した。

 画面には、緑色のメッセージアプリの通知。

『優生くん、お家の用事まだ忙しいですか? 無理しないでね。寒くなってきたから風邪ひかないように気をつけて』

 愛理からのメッセージだった。

 優生はその画面を開くことすらできず、通知を眺めては電源ボタンを押して画面を落とす、という無意味な動作を繰り返していた。

 卑怯者だ、と自分を嘲笑する声が頭の中で木霊する。

 用事など何一つない。ただ、クリスマスイブの夜に愛理の母親から吹き込まれた「あの子、優生くんに恋してるわよ」という言葉に打ちのめされ、自意識の暴走から逃げ出してきただけだ。

 自分が愛理を異性として好いていることは、彼女の取り乱す手を握りしめた瞬間に自覚していた。

 けれど、それはあくまで「自分が彼女を守りたい」「彼女の暗闇を照らしたい」という、一方的な献身のつもりだったのだ。彼女にとって自分は、頼れる手すりのような存在にすぎないはずだった。

 それなのに、もし彼女もまた、自分に対して一人の男としての好意を抱いているのだとしたら。

 彼女のあの柔らかい笑顔も、体育祭で首に抱きついてきた体温も、紅葉の湖畔で肩を寄せてきた微かな重みも、すべてが別の熱を帯びて優生の胸に焼き直されていく。

(もし、ただの勘違いだったらどうする?)

 優生は腕で両目を覆った。

 自惚れて告白し「そんなつもりじゃなかった」と拒絶されたら。

 彼女の視力は、母の愛と優生の存在によって奇跡的に少しだけ取り戻されたばかりだ。まだ心因性の脆さを抱えた彼女の心を、自分の身勝手な欲望でかき乱し、せっかく築き上げた居場所を壊してしまったら、今度こそ彼女を修復不能な暗闇に突き落としてしまうのではないか。

 事なかれ主義。かつて自分が平穏を保つために掲げていたその殻が、一番大切な局面で、呪いのように足を引っ張っていた。

 身を起こし、優生は本棚の前に立ち尽くした。

 ここ半年間、愛理のために何十冊もの本を抜き出し読み返してきた棚だ。

 ファンタジー、冒険譚、推理小説、紀行文、詩集。

 自分が声に出して紡いできた無数の物語の背表紙を冷え切った指先でなぞっていく。

 ふと、あの夏の夜の光景が鮮明にフラッシュバックした。

 神社で打ち上がった大輪の花火。

 夜空を極彩色に染め上げる光のシャワーを見上げながら、音と匂いだけで置き去りにされ、哀しげに佇んでいた愛理の横顔。

 あの時、優生は言葉の無力さに絶望した。

『赤い光』『丸く広がる』。

 誰かが作った既存の言葉をいくら並べ立てても、彼女の心にあの美しさを届けることはできなかった。本に書かれた他人の文章を朗読しているだけでは、彼女が今この瞬間に生きている現実の美しさを分かち合うことはできないのだと痛感させられた夜。

 ——違う。

 優生は、息を呑んだ。

 あの時、足りなかったのは「言葉」そのものの力ではない。

 足りなかったのは、「彼女のためだけに紡がれた自分の言葉」だったのではないか。

 優生は本棚から一冊のノートと、一本の黒いボールペンを取り出した。

 机に向かい、ノートの白紙の最初のページを開く。

 愛理の横顔を思い浮かべる。

 雨の日の昇降口で、声を殺して泣いていた背中。

 図書室の木漏れ日の中で、目を閉じて自分の声に耳を傾けていた真剣な表情。

 二人三脚で、泥だらけになりながら「走れたよ」と笑った天使のような顔。

 紅葉の公園で、紙コップを両手で包みながら「世界は暖かい」と言ってくれた瞳。

 彼女が見ることができなかった景色。

 彼女に見せてあげたい世界。

 彼女が生きていくこれからの未来。

 誰かの借り物の物語ではなく、俺が、俺の言葉で彼女のために書きたい。

 彼女の目が見えなくても、俺が紡ぐ文章を読めばあるいは聞けば、頭の中にどこまでも美しく優しい色彩が広がるような、そんな物語を。

 カチリ、とボールペンのノックを押した。

 指先はまだ凍えていたが、胸の奥底からは、これまでの人生で一度も経験したことのないほどの熱いマグマが湧き上がっていた。

『——その少女の世界には、音が満ちていた』

 最初の一行を書き落とした瞬間、ペン先が滑るように紙の上を走り始めた。

 誰に頼まれたわけでもない。成績にも入らない。賞を獲るためでもない。

 ただ一人の、暗闇の中にいた少女に、世界の美しさを届けるためだけに。

 優生は何時間も、寒さも時間も忘れてノートに文字を書き連ねた。

 小説家になりたい。

 将来の夢なんて何も持たず、ただ無難に流されるだけだった事なかれ主義の少年が、生まれて初めて見つけた、命を懸けて果たしたい唯一の夢だった。

 気がつけば、窓の外は闇に沈み、遠くの寺から「ゴーン」という重々しい除夜の鐘の音が響き渡っていた。

 机の上の時計は、十一時四十分を指している。

 大晦日の夜が、静かに終わりを迎えようとしていた。

 優生はペンを置きノートを閉じた。

 迷いは、完全に消え去っていた。

 傷つくことを恐れて逃げるのは、もう終わりだ。

 関係が壊れることを恐れて足踏みをするのも、終わりだ。

 彼女の光になると決めたのだから、自分の本当の気持ちからも、彼女の未来からも、もう二度と目を逸らさない。

 優生はスマートフォンを取り、冷たい指先で愛理の番号を押した。

 コール音が、静寂の中に鳴り響く。

 一回、二回、三回——。

 カチャリ、と受話器が取られた。

「……優生、くん?」

 少し掠れた、心細げな、けれど確かに優生からの連絡を待ち望んでいた声が、耳元に届いた。

「愛理」

 優生は、自分でも驚くほど穏やかで、力強い声を出していた。

「ごめん。ずっと連絡できなくて」

「ううん……用事終わったの?」

「うん、全部終わった。……起こしちゃってごめん」

「うん。お母さんはもう寝ちゃったけど……私、なんとなく眠れなくて。除夜の鐘、聞いてたの」

 電話の向こうから、愛理の浅い呼吸が聞こえてくる。

 優生は窓を開け、冷たい夜風を胸いっぱいに吸い込んだ。新年の気配が、凍てつく空気の中に混ざり合っている。

「愛理。明日さ」

「……うん」

「初詣、一緒に行かないか」

 一瞬の沈黙。

 そして、電話の向こうで愛理が小さく息を呑む音が聞こえた。

「……行きたい。優生くんと、行きたいです」

 泣き出しそうなほど嬉しそうな、震える声。

「ありがとう。じゃあ、朝十時にこの間行った神社の前で」

「うん!約束ね」

 通話を終えた優生は、机の上に置いたノートを一瞥し、それから力強く拳を握りしめた。

 新しい年が明ける。

 すりガラスの向こう側にいた少女と、傍観者だった少年が、本当の光へと踏み出すための朝が、もうすぐそこまで来ていた。


 元日の朝。

 雲一つない冬晴れの空は、どこまでも澄み渡るような深い青色を湛えていた。

 凛とした冷気が肌を刺すが、風はなく、降り注ぐ朝日は柔らかく地面を照らしている。

 優生は約束の二十分前には神社の前に到着していた。

 大きな石造りの鳥居の前には、新年の参拝に訪れた家族連れや着物姿の人々が行き交っている。

 優生はマフラーに顎を埋め、白い息を吐きながら参道の向こうを見つめていた。胸の鼓動は、昨夜からずっと速いテンポを刻み続けている。ポケットの中には、昨日書き始めたノートの切れ端と、愛理に渡すための小さな紙袋が入っていた。

「優生くん!」

 人混みの中から、澄んだ声が響いた。

 優生が顔を上げると、参道の向こうから、白いダウンコートに身を包んだ愛理が歩いてくるところだった。

 首元には、以前優生が「似合う」と褒めた鮮やかな赤いマフラー。顔にはあの赤いフレームのメガネ。右手には折りたたまれた白杖が握られていたが、今日の彼女は杖を突くことなく、ゆっくりと、けれど確かな足取りでこちらに向かって歩いてきていた。

 すれ違う参拝客の輪郭をぼんやりと認識し、避けながら、真っ直ぐに優生のもとへ。

「愛理」

 優生が駆け寄ると、愛理はメガネの奥の瞳をいっぱいに見開き、パッと満開の花が咲いたように微笑んだ。

「あけましておめでとうございます、優生くん」

「あけましておめでとう。……一人で歩いてきたのか?」

「うん。バス停からここまで、少しだけ練習したの。……ちゃんと、優生くんのところまで来られたよ」

 誇らしげに胸を張る彼女の姿がたまらなく愛おしくて、優生は思わず口元を緩めた。

「すごいな。でも、人混みはまだ危ないから」

 優生はそう言って、愛理の冷たくなった右手をそっと取り、自分のコートのポケットへと引き入れた。

「はぐれないように、な」

「……うん」

 愛理の頬が一瞬にして真っ赤に染まる。ポケットの中で、彼女の細い指先が、優生の手をギュッと力を込めて握り返してきた。伝わってくる彼女の確かな体温に、優生の指先の冷たさがすっと溶けていくようだった。

 境内は、新年の祈願をする人々で溢れかえっていた。

 お札やお守りを焼く煙の匂いと、甘酒の匂い。二人は並んで参拝客の列に並び、ゆっくりと拝殿の前へと進んでいく。

 賽銭箱の前に立ち、優生はポケットから出した五円玉を二枚、愛理の掌に握らせた。

「せーの」

 チャリン、と澄んだ金属音が鳴り、二人は並んで深く二礼し、パン、パン、と柏手を打った。

 目を閉じ、手を合わせる。

 静かな祈りの時間。

 優生は、目を閉じながら、心の中でただ一つの誓いを神前に捧げた。

(俺の言葉でこの人を一生照らし続けられますように。彼女のために、最高の物語を書き続けられますように)

 参拝を終え、人混みを避けるように神社の裏手へと抜けると、愛理がポケットの中の手を軽く揺らしながら、上目遣いで尋ねてきた。

「ねえ、優生くん。神様に何をお願いしたの?」

「俺か?」

 優生は立ち止まり、木々の隙間から覗く冬の青空を見上げた。

「俺は……小説家になることを祈ったよ」

「え……? 小説家?」

 愛理が驚いたようにメガネの位置を直した。

「うん。小説家になって……愛理のために、ずっと物語を書き続ける。お前が読みたいって思うような、綺麗な世界の話を、一生書き続けるって祈った」

 誤魔化すこともなく、はっきりと口にされたその言葉。

 愛理は息を呑み、息が止まったように優生を見つめた。

「私の……ために……?」

「ああ。……で、愛理は何をお願いしたんだ?」

 優生が問い返すと、愛理は急激に動揺し、マフラーの中に鼻先まで埋めてしまった。

「えっ、わ、私は……ひ、秘密です! 神様との内緒のお話だから、絶対に言えません!」

「なんだよそれ。俺だけ言わせといてずるいぞ」

「ずるくてもいいの!言ったら、叶わなくなっちゃうかもしれないから……」

 必死に目を逸らす愛理の耳たぶは、マフラーの赤色と同じくらい赤くなっていた。

「……じゃあ、行こうか」

 優生は愛理の手を引いた。

 いつもの帰り道へと続く石段ではなく、神社の脇から山手へと続く、緩やかな上り坂の道へ。

「あれ? 優生くん、こっちの道でしたっけ?」

「ちょっと寄り道。愛理に見せたい……連れて行きたい場所があるんだ」

 坂道を登るにつれて、神社の喧騒は遠のき、周囲は静まり返っていった。

 冬枯れの雑木林の間を抜ける道。足元には霜柱がサクサクと心地よい音を立てている。

 優生は愛理がつまずかないよう、一歩一歩確かめるように坂を登りきった。

 辿り着いたのは、街を一望できる小さな丘の上の公園だった。

 古いベンチが二つと、大きな桜の枯れ木が一本あるだけの、普段は人があまり訪れない静かな場所。

 柵の向こうには、眼下に広がる街並みが、まるでミニチュアのように広がっていた。遠くには連なる山々、そしてその上には果てしない冬の空。

「ついたよ」

 優生は公園の中央で足を止め、愛理の方を向いた。

 冷たい風が丘の上を吹き抜け、二人のコートの裾を揺らす。

「ここは……?」

「俺が一番好きな公園。……愛理」

 優生は、愛理の手を両手で包み直した。

 心臓が破裂しそうなほど激しく鳴っている。逃げ出したいほどの恐怖と、それを遥かに凌駕する熱い決意が、喉元まで押し寄せていた。

「俺さ、ずっと事なかれ主義で生きてきたんだ。誰とも深く関わらず、他人の顔色を窺って、波風を立てないように……それが賢い生き方だって思ってた」

 愛理は静かに、レンズ越しの瞳で優生を見つめていた。

「でも、六月の雨の日に、誰もいない教室でお前が声を殺して泣いてるのを見た時……胸が張り裂けそうになった。あの日、昇降口でお前に本を読むって言ったのは、お前を助けたいっていうより、俺自身がお前と関わりたかったからなんだと思う」

 言葉が、溢れ出して止まらない。

「音読をしてお前が笑ってくれた時、世界が色づくのを感じたのは俺の方だった。体育祭で一緒に走った時も、紅葉を見に行った時も……俺は、お前と一緒にいる時間が、一番幸せだった」

 優生は、愛理の瞳を真っ直ぐに見据えた。

「花火の夜、お前に景色を伝えられなくて、自分が情けなくてたまらなかった。でも、もう逃げない。お前の目が見えなくても、俺が言葉で、世界中の美しいものを全部お前に届ける。俺が小説家になってお前の世界を照らし続ける」

 大きく息を吸い込み、優生は生涯で最も重い言葉を口にした。

「愛理。俺は、お前が好きだ。……可哀想だからじゃない。同情なんかじゃない。一人の男として愛してる。俺と、付き合ってください」

 言い終えた瞬間、世界から一切の音が消え去ったかのような静寂が訪れた。

 優生の告白は、冬の澄み切った大気の中に、真っ直ぐに溶けていった。

 愛理は、凍りついたように立ち尽くしていた。

 赤いメガネの奥の瞳が大きく見開かれ、唇が小刻みに震えている。

「……あ」

 愛理の目から、ぽろりと大粒の涙が零れ落ちた。

「え……あ、愛理!?ごめん、急にこんなこと言って……困らせるつもりじゃ——」

 優生が焦って手を伸ばした、その瞬間。

「うわぁぁぁんっ……!」

 愛理は耐えきれなくなったようにその場に泣き崩れ、優生の胸の中に力任せに飛び込んできた。

 ドサリと、優生の胸に小さな体が衝突する。

 愛理の両腕が、優生の腰に折れそうなほど強く回された。

「愛理……?」

「私の……っ!私の、お願い事も……っ!」

 愛理は優生のコートに顔を押し当て、子供のようにしゃくりあげながら叫んだ。

「優生くんと……恋人になりたいって……っ!ずっと、ずっと優生くんの隣にいさせてほしいって……そうお願いしたのっ……!」

 その言葉を聞いた瞬間、優生の目からも熱い涙が溢れ出た。

 優生は彼女の背中に腕を回し、骨がきしむほど強く、抱きしめ返した。

「そっか……。一緒だったんだな、俺たち」

「大好き……っ!優生くんが、世界で一番、大好き……っ!」

 丘の上の冷たい風が、二人の体を包み込んでいく。

 どれほどの時間、そうして抱き合っていただろう。

 やがて、愛理の嗚咽が少しずつ収まり、彼女は優生の胸からゆっくりと顔を離した。

 手袋を外し、震える指先で目元を強く拭う。鼻の頭を真っ赤にして、泣きはらした顔。

 その時だった。

 パキリ、と。

 愛理の頭の奥底で、何かが完全に砕け散るような、澄んだ音が響いた。

 ——あれ?

 愛理は、息を呑んだ。

 これまで彼女の視界を覆っていた、最後の薄い灰色の膜。

 父親への罪悪感という呪縛が母の愛で解け、そして今、「愛されることへの恐怖」という最後の心の鍵が、優生の告白によって完全に打ち砕かれたのだ。

 怒涛のような色彩が、彼女の網膜へと流れ込んできた。

 それは、暴力的な光ではなかった。

 優しくて、温かくて、残酷なほど鮮やかな、この世界の真実の姿。

「……あ」

 愛理は、震える手で、顔にかけていた赤いメガネをゆっくりと外した。

 ピントが、合う。

 すりガラスの向こう側にあった世界が、信じられないほどの解像度で輪郭を結んでいく。

 青空の、どこまでも吸い込まれそうな深い群青。

 風に揺れる冬枯れの木々の、繊細な枝の重なり。

 丘の下に広がる、赤や青や灰色の屋根が連なる小さな街並み。

 遠くの山並みに残る、白い雪の筋。

 そして——。

 目の前に立つ、少年の顔。

 少し跳ねた黒い髪。泣いたせいで赤くなった目元と鼻の頭。

 困ったように下がりながらも、自分をこの上なく愛おしそうに見つめている、真っ直ぐで優しい瞳。

 ずっと「声」だけで触れてきた彼の本当の顔が、今、光の中に鮮明に浮かび上がっていた。

「……優生、くん?」

 愛理の声が震えていた。

「愛理……? どうしたんだ?」

「み……見える……」

 愛理は自分の掌を見つめ、皮膚の細かな皺まで見えることに息を呑んだ。そして、再び優生の顔を穴が開くほど見つめた。

「優生くんの顔が……はっきり見えるよ……っ。こんな顔、してたんだ……すごく、かっこいい……すごく、優しい顔してる……っ!」

「なっ……!?」

 優生が絶句した瞬間、愛理は丘の下の景色を指差し、歓喜の悲鳴を上げた。

「街が見える!山も、空も……全部、全部見えるよ優生くん!!」

 愛理は手に持っていた折りたたみ白杖を取り落とし、丘の上の空気を胸いっぱいに吸い込んで、再び大粒の涙を流した。

 今度の涙は、悲しみでも怯えでもない。世界への感謝と、圧倒的な歓喜の涙だった。

 彼女の閉ざされていた世界に、真の光が戻った瞬間だった。

 愛理は涙を拭い、天使のように眩しい、これまでの人生で最高の笑顔を浮かべた。

 そして、白杖を飛び越えて優生に歩み寄り、しっかりと彼の目を見つめて、凛とした声で告げた。

「優生くん、ありがとう。私を、光の中に連れ戻してくれて、本当にありがとう」

 愛理は、優生の両手を握りしめた。

「改めて、言わせてください。私、星街愛理は、蒼井優生くんが大好きです。私を、あなたの恋人にしてください」

 優生は、視界が涙で滲むのを止められなかった。

 落ちた白杖を拾い上げ、彼女の小さな手を固く、固く握りしめ返す。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 丘の上の澄み切った光の中で、二つの影がゆっくりと重なり合った。

 もう、すりガラスの向こう側を恐れる必要はない。

 二人が手を取り合って歩む世界には、どこまでも広がる鮮やかな色彩と、光に満ちた未来だけが広がっていた。

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