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第4章:台所に響く悲鳴と、刃先の演技


「お義母さん、今日もご指導よろしくお願いします……」


数日後。和代が「様子見」と称して再び家に上がり込んできた。


希美は虚ろな目をさらに血走らせ、少し乱れた髪のまま二人を迎えた。その異様な雰囲気に、和代も智樹も一瞬言葉を詰まらせる。


「あ、あなた……なんだか顔色が悪いわね。ちゃんと寝てるの?」


「寝られるわけないでしょう……」


希美は蚊の鳴くような声で呟き、自嘲気味に笑った。


「私があまりに不器用で、手抜きで、不味い料理しか作れないから……智樹さんに迷惑をかけて、お義母さんを落胆させて……。私、生きている価値がないんじゃないかって、毎日考えているんです」


「ちょ、ちょっと希美、大袈裟だな……」


智樹が引きつった笑いを浮かべる。


しかし和代は自分たちが優位に立っていると疑わず、いつものようにマウントを取るように鼻を鳴らした。


「そこまで分かっているなら結構じゃない。でもね、そんなウジウジ泣かれても困るのよ! 智樹だって疲れて帰ってきているの。いい加減にしなさいな!」


その言葉が引き金だった。


「——いい加減?」


希美の雰囲気が一変した。


スッと立ち上がり、ゆっくりとキッチンへ向かう。


そして、まな板の横に置いてあった研ぎ澄まされた大きな三徳包丁を、無言で手に取った。


「ヒッ……!? な、何持ってるのよ希美さん!?」


和代の顔から一瞬で血の気が引く。


「おいノゾミ! お前、正気か!? 包丁なんて置いて——」


「止めないでくださいッ!!」


キーンと耳鳴りがするほどの叫び声が、リビングに響き渡る。


希美は包丁の背を自分の首元にピタリと押し当て、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら(という完璧な怪演で)、二人を鋭く睨みつけた。


「私がいなくなればいいんでしょう!? 私の料理が不味くて、私が生きているだけで二人に迷惑がかかるなら、ここで死んでお詫びします!!」


「や、やめろ! 警察呼ぶぞ!?」


「警察!? 結構です! 止めないでください! どうしても止めるなら——お義母さんを道連れにして私も死にますからぁッ!!」


「ひいいいぁぁぁッ!?」


包丁を振りかざし、狂乱したフリをして一歩踏み出す希美。


和代は悲鳴を上げて腰を抜かし、座り込んだまま必死に後ずさりした。


智樹も青ざめた顔でソファの裏へと隠れ、ガタガタと手足を震わせている。


「来ないで! 来ないでちょうだい! 智樹、助けてぇぇッ!」


「お、俺だって無理だよ! ノゾミ、落ち着けって! 頼むから!!」


いつも威張り散らし、希美を言葉で痛めつけていた二人。


その二人が今や、恐怖で声すらまともに出せず、生まれたての小鹿のように震え上がっている。


(ふん……案外、肝が小さくて拍子抜けね)


希美は心の中で冷ややかに毒づいた。


もちろん、本当に刺すつもりも自分を傷つけるつもりも毛頭ない。


だが、包丁を握り締めたまま肩を大きく上下させ、狂人のような笑顔を智樹に向けた。


「……ハァ、ハァ……智樹さん……」


「ひっ……!」


「……子どもができたら、落ち着くかな?」


包丁を持ったまま、ニッコリと満面の笑みで恐ろしい提案を投げかける。


智樹の背筋に、氷を突き刺されたような激痛と恐怖が走った。こんな狂気的な状態の妻と子どもなんて作れるわけがない。


「わ、分かった! 分かったから包丁を置け! もう料理のことも何も言わないから!!」


智樹が半狂乱で叫ぶと、希美は急に「あはっ」と短く笑い、ガラリと包丁を床に落とした。


金属音が静かなリビングに重く響き渡る。


「……すみません、取り乱しちゃいました。私、やっぱりどこかおかしいみたいです……」


希美が虚ろな顔でその場に崩れ落ちると、和代は脱兎のごとく立ち上がり、靴もまともにはかず玄関へと逃げ出した。


智樹も青ざめた顔で「母さん!」と後を追い、二人は逃げるように家を飛びしていった。


誰もいなくなった静かなリビング。


希美はゆっくりと床の包丁を拾い上げ、丁寧に拭いて収納した。


「ふう……一仕事終了」


そっと自分の下腹部を優しく撫でる。


実は数日前から、体調に小さな変化があったのだ。


まだごく初期だが、希美には確信があった。お腹の中に宿り始めた「新しい命」の存在。


(これで義母はもう寄り付かない。智樹も恐怖で私に暴言を吐けなくなる……完璧ね)


ここまでは全て計画通り。


希美は静かにスマホを取り出し、最新の録音データをクラウドへ保存すると同時に、次なる「最終決戦」に向けた準備を着々と進めるのだった。

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