全てを手に入れた高校生
「答えがわかると、つまらない勉強がさらに、つまらなくなるな……」
試験用紙を前に、辰也は小さくため息をついた。
視線を落とすだけで答えが浮かぶ。
考えるまでもない。式を組み立てる必要もない。
ただ“知っている”。
隣の席では、クラスメイトが頭を抱えている。
後ろではシャーペンを噛む音がする。
だが辰也だけが、退屈そうにペンを走らせていた。
「言っただろう? つまらないって」
頭の奥で、あの青年の声が響く。
「……ここまでとは思わなかったけどな」
満点を取ること自体は簡単だ。
だがさすがに露骨すぎる。
辰也は、わざと難問をいくつか間違えた。
計算ミスを装い、記号を書き違え、わずかに減点される程度に調整する。
普段から品行方正で優秀。
疑う者はまずいない。
それでも念には念を入れておいた。
「学校にわざわざ顔を出す必要もなさそうだな」
答案を提出しながら辰也は呟く。
「俺の代わりをしてくれる分身とかないの?」
「あるけど」
青年の返答は軽かった。
それからというもの。
教室に座っている“辰也”は、辰也であって辰也ではなかった。
分身は完璧に振る舞う。
授業も受け、ノートも取り、教師の質問にも答える。
そして本体の辰也は――。
「それで何をやるかと思ったら、ナンパかい?」
「悪いかよ。100%成功するんだぞ」
「僕のおかげでね」
街の中心部。
ガラス張りの高級店の前を、辰也は女性と並んで歩いていた。
顔立ちは元々悪くない。
だが今はさらに整えられている。
輪郭、目元、肌。
髪型も色も自在。
服装も女性ウケするハイブランドで固めていた。
それだけでも十分だろう。
だが辰也は、さらに術を重ねていた。
相手が自分に好意を抱くよう、さりげなく“流れ”を操作している。
もちろん、青年の力だ。
「あの子、ネットじゃ清純派で売ってるけどさ……」
高級ホテルのエントランスを出ながら、辰也は小さく呟く。
「実際は、けっこうノリいいんだな。
話もなんか合うし」
「あのタイプにのめり込むのはやめた方がいいよ」
青年が淡々と言う。
「顔とお金目当てだよ」
「顔も金も持ってるじゃないか」
「僕のおかげでね」
そんな生活が、二週間ほど続いた。
「君はすごいね」
「そうか?」
「この短期間で、ここまで己の欲望に忠実に立ち回った人は珍しいよ」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
辰也は笑う。
罪悪感は、最初の数日で消えていた。
分身が学校生活を維持し、評価も落ちない。
困ることは何もない。
「そろそろ満足したかい?」
「まだまだこれからだよ」
「僕に一生力を貸してくれって言う人は、割といるんだ」
青年の声色が、ほんの少しだけ変わった。
「でも大体はね、周りとうまくいかなくなって絶望したり……自分で終わらせたりする人が多いよ」
「それはそいつらが馬鹿だっただけだ。俺は違うよ」
辰也は即答した。
「君なんか、まさにそのタイプだと思うけどね……」
そこで、青年の言葉が途切れた。
「――おっと?」
黒い影が、何の前触れもなく飛び出した。
ビルの壁面。
地面。
看板の影。
あらゆる“暗がり”から滲み出るように現れ、辰也へ襲いかかる。
「いつも急だな……周りからは見えないんだよな?」
「基本的にはね」
「三体か」
辰也は肩を回す。
「ライトセーバー二刀流で行くか」
「どうぞ」
次の瞬間。
辰也の両手に、白く光る剣が出現した。
光刃が唸る。
影が飛びかかる。
だが結果は一瞬だった。
豆腐を切るように、抵抗もなく両断される。
斬られた影は霧散し、空気に溶けた。
「弱いのはいいんだけどさ……」
辰也は剣を消しながらぼやく。
「急に来られると、なんだかなあ」
「親玉みたいなのを斬れば止まると思うんだけどね」
青年が言う。
「なかなか姿を見せないね」
その時だった。
ぞくり、と。
背骨の奥を冷たいものが這い上がった。
「……なんだ、これは?」
胸の内側を、見えない手で掴まれたような感覚。
視線を感じる。
どこか遠くから。
だが確実にこちらを“見透かすような”視線。
心臓の鼓動が一瞬だけ乱れた。
青年が、わずかに沈黙する。
それだけで異常だとわかった。
「……僕達に敵意を持ってる人がいるみたいだ」
「敵意?」
「分身に気づかれたかな」
その言葉と同時に、
悪寒がさらに強くなった。




