六芒星の悪ふざけ(紫藤辰也編)
※ここから紫藤辰也編(全5話)になります。
あの時、馬鹿な担任に呼び出されていなければ――。
こんな面倒事に巻き込まれることもなかったのだろうか、と辰也は思う。
思い返せば、あれは秋口の夕暮れだった。
日が傾き、教室の窓から差し込む光が赤く染まり始めた頃。
雑用を押し付けられ、ようやく解放されて教室へ戻った、その時だ。
「委員長! 何とかしてくれ!」
教室に入った瞬間、数人のクラスメイトが辰也へ駆け寄ってきた。
「……はあ?」
間の抜けた声が漏れる。
彼らの指差す先――教室の片隅。
床に、ピンクのクレヨンで描かれた六芒星があった。
線は歪み、太さもバラバラ。まるで幼稚園児の落書きのようだ。
だが、その中心から。
黒い泥のようなものが、ふつふつと湧き出していた。
「悪魔召喚の儀式が成功しちまったんだ!」
「……小学生かお前らは」
辰也は呆れたように呟く。
しかし泥は冗談では済まなかった。
量はどんどん増え、六芒星の外へと溢れ出し、ゆっくりと床を這ってこちらへ流れてくる。
「と、とにかく任せたからな委員長!」
「頼んだぜ!」
「お、おい!」
止める間もなく、生徒たちは辰也を押しのけて教室から逃げ出していった。
静まり返る教室。
残されたのは、辰也と――迫り来る泥の塊だけだった。
泥は目の前で盛り上がり、ゆっくりと形を変えていく。
腕のようなもの。
脚のようなもの。
そして、人の顔のようなものが浮かび上がった。
頭では逃げろと叫んでいる。
だが身体は、金縛りにあったように動かない。
泥の口が開く。
「うわあっ!」
思わず声が漏れる。
だが次に出てきた言葉は、あまりにも場違いだった。
「なんか叶えてほしいことある?」
「……え?」
間抜けな声が口からこぼれる。
その瞬間。
六芒星の中心から、黒い影がいくつも飛び出した。
影は床を滑るように走り、一直線に辰也へ襲いかかる。
形は曖昧。
だが確実に“悪意”だけは感じ取れた。
辰也は思わず叫ぶ。
「た、助けてくれ!」
「わかった」
泥の人型が軽く手を払う。
その一動作だけで、辰也に迫っていた影はすべて四散した。
まるで砂のように、音もなく崩れ落ちる。
「あ、あんたがやったんじゃないのか?」
「違うよ。不安定な紋様描いたから、他にも出てきたみたいだね」
何でもないことのように言う。
辰也は慌てて床を見る。
「と、閉じないと――!」
しかし、そこにあったはずの六芒星は。
すでに跡形もなく消えていた。
「もうこれには効力はないよ」
「え、えっと……泥の神様かなんか?」
「え? ああ、ごめん。なんか動かしにくいと思ったら、中途半端に召喚されたみたいだね」
泥の姿が、ゆっくりと変わっていく。
黒い塊は縮み、形を整え、やがて――
人間の青年の姿になった。
「じゃ、そういうことで」
青年は軽く手を振り、辰也を置いて教室の出口へ歩き出す。
「ちょ、ちょっと待ってよ! 願いを叶えるって――」
「助けただろう。叶えたじゃないか」
「いや、もうちょっと延長して助けてくれないかな。
あの影みたいのに、また襲われるかもしれないし」
青年は足を止め、振り返る。
そして、ニヤリと笑った。
「そうやって、ずっと助けてくれって言うつもりだろう?」
「え、いや……まあ……」
「いいよ。暇つぶしにやってるだけだからね」
「マジで?」
「マジだよ」
青年は肩をすくめる。
「でも――」
その笑みは、どこか意味ありげだった。
「結構、つまらないと思うよ」




