第二話 神を覚えた日-1, 2, 3 for I’m With You-・2
「私、ちょっとお手洗い」
と冴が言ったため、七瀬は「じゃ、あたしも」と言った。
「長くかかるのかい」
「秀明……」
「冗談ではある」
確かに半分は冗談なのだが、半分は願望だった。真琴の心の内を覗いてみたい。それが冴にも伝わっていないわけではないので、もう、と言って足早に冴は体育館を出て行った。待ってと言いながら七瀬も出ていく。そして秀明は心の窓を開けた。
(なかなか白熱した試合だった)(つまんねー試合だったな)(夕飯なんだろ)(よし! 勝った!)(負けちゃった〜次がんば)(あの先生の指示はなんだったのだろう)(カッツェ)(ごめんね。本当にごめんなさい)(ことちゃん……ごめん)
こういう場合、感応する相手を決定的に定めるまでその場にいる全員の意識が流れ込んできてしまうのが精神感応能力というもののようであった。もっとも標的を定めてもそれ以外の意識を完全に遮断できるわけではないのだが、とにかく秀明としては人々の無限の意識が流れ込んでくるのがいつも面倒だった。それがこの能力の特性なのか、あるいは自分にとっての能力の特性なのかまでは、自分以外のテレパスと出会ったことのない秀明にはわからない。
ふと、秀明は、自分が存在しているぐらいなのだから、この世界には自分以外にも精神感応能力者はいるはずだ、と、漠然と信じていることを思った。
だが今の問題はそれではない。
(カッツェ)「カッツェが帰ってこなくて」
意識と共に彼らの発言も読み取れる。ただし秀明にとってどちらも聴覚的に聞き取るものではない。龍介が部室へと戻り帰宅の準備をする中、真琴と誠は互いに想起域を展開させながら会話をしていた。部員たちが皆それぞれ部室へと入っていく中、これなら二人の会話は相当長く続くだろうと、秀明は体育館の壁を背に座り込んで精神感応を始めた。
(俺が保護してる)「すぐ帰ってくるよ。探偵にも言ったんだろ」
「本当に大丈夫かな。あのサラリーマンが誘拐したんだ」(あの時、帰ってきたから)(だから今回もと思って)(神様っているんだと思った)(まこちゃんが好き)
「そんなのまだわかんないだろ。人を疑うのは良くないよ」(すぐに言ったらいいんだろうけど)(でも)(真琴のせいでカッツェが)
(探偵さんは疑ってる)(私の嘘)「でも怪しいの。本当にいつも私の家に」(そんなことよりあのサラリーマン)(犯人)
「猫が好きなんだろその人」(カッツェに挨拶)(わざと)(真琴が気になるのはなぜだ)「好きってだけだよ」(そうなのかな)(失恋の達人)(死にたくなる)
「だからきっと攫われた」(私が放したりしなければ)
(かわいそうな弱者男性)(俺も弱者男性)「とにかく、俺でよければだけど、後で一緒にその探偵事務所に行こうよ」
「まこちゃんがいてもなぁ……」(こんな言い方)「ごめんこんな言い方」
「いいよいいよ。ことちゃんが必要なら行くから」(行ったって無駄だけど)(俺が保護してるんだから)
「お待たせしました先輩」
「ああ。じゃあ行こうか」
「はいっす」
やがて秀明は二人を振り返ることなく、龍介と共に体育館を出て行った。
無論、真琴の視点と誠の視点は違っていたが、秀明がまとめると状況説明としてはこうなった。
真琴は誠に恋をしている。誠は真琴に対してそこまでの想いは抱いていないつもりだが、しかしこうやって自分に相談をしてくる彼女に対してだんだんと愛が生まれてきている。
真琴は室内飼いの猫のカッツェを外へ放した。それがきっかけで誠と結ばれることを望んだ。一緒にカッツェを探すという口実。
以前一度、誤って外へ出してしまった時、それに気づいた頃戻ってきたことから今回も自動的に戻ってくるものだと考えた。ところが戻ってこなかった。ずっと会っていない。
そして、カッツェは誠が保護している。近所で偶然カッツェを見かけた。前回カッツェが出て行ったことを知っている誠は、これは真琴がわざとやったと思った。なぜか? 自分の気を引くため。そうでなければ、一度外に出てしまったカッツェに対して真琴は絶対に注意するはずだから。そして、最初の捜索の際、どこか安心した様子の真琴の謎。
ちょっと悪戯しようと思った。そして真琴に反省してもらおうと思った。自分の身勝手な都合でカッツェを放したりしちゃいけないよ。そしてそもそも発見した以上保護しないわけにはいかなくて、でも、そこで真琴と自分が恋愛方面で繋がったら? 俺は君に対してそこまでの想いはない。失恋の痛みを知っている自分が大切な幼馴染みを傷つけるだなんてあってはならない。じゃあカッツェはどうする? いつ頃のタイミングで帰せばいい? それがわからず小さい頃から一緒のカッツェといつも部屋でこっそり遊んでいる。
誠はサラリーマンの男と自分との共通点を思う。細かいプロフィールまではわからないまでも、毎朝出勤途中で窓辺の猫に笑顔で両手で手を振るという彼に誠は、(自分と同じ弱者)という連想をした。なぜなら自分も人の家の動物にそうする弱者だから。あるいはゴキブリ恐怖症だから。あるいは漫画が好きだから。あるいは部活で一番下手だから。そのため誠はそのサラリーマンは無関係だと思う。なんと言っても犯人は自分なのだから。
そしてそのサラリーマンに対する真琴のイメージが凄まじく悪いことに対して、彼に凄まじく罪悪感を抱いている。それでも今この時において真琴は彼を疑わないという方向に意識が発展することはないだろう。その人に対して面倒なことをしなければいいのだが。
それなら早く真琴にカッツェを返してあげればいいものを、もしも自分が預かっていることがわかったら真琴に嫌われてしまう。
その時、失恋が十回目になる。
そんなの、もっと死にたくなってしまう。
それでも、いまだに自分が真琴に恋をしているのか、よくわからないでいる……。
ふう、と、ため息をつく秀明に、龍介は、
「重いっすか?」
「それなりに」
スーパーの帰り道、それなりの荷物を抱えながら二人は帰路へ着いている。
無論秀明がため息をついたのは真琴と誠の面倒臭いことこの上ないこの事件のようなものに対してだったが、龍介はちょっと困った。
「ちょっと買いすぎたかなぁ」(エコバッグ四つ)「重いっすよね」
「買いすぎるぐらいがちょうどいい。そういう性格なんでね」
「それならいいんすけども」
秀明が“そういう性格”なのかどうなのか、そこまで具体的なことはまだ付き合いの浅い龍介にはちょっとわからなかったが、しかしわからないでもない。確かに彼の秀明に対する評価は(不思議ちゃん)であったから。
「今日のメニューは?」
「ビーフストロガノフっす」
「難しそうだ」
(名前はね)「作り慣れてます」
「楽しみにしてるよ」
「あざっす」(喜んでくれるといいんだけど)
そしてシャハシュピールへ到着すると——秀隆がいた。
「やあ男子たちよ。わたしは刮目中だ」
唖然とする龍介。しかし秀明としてはこんなこともあるのが我が祖父なのだと半ば感動していた。




