第9話 魔法使い、ナンパされる
──その後、会場をダンスホールに移しての宴会で、飲み歌い踊る魔族たちを眺めながら、ヒースはひとり壁の花に徹していた。
視界の端に、リアムと魔王の姿が見える。魔王は上機嫌でリアムに何かを渡そうとし、リアムは引きつった笑いとともにそれを拒んでいるようだった。
(くれるものは、貰っておけばいいのに。……いや、でも、魔族のモノなんて、受け取るほうが面倒か?)
通常、アクセサリーや道具がそれ単体で魔法的効力を発生させることはない……はずなのだが、魔王の贈り物ともなれば、なにかが仕込まれている可能性も十分ありえる気がする。断るほうが正しいか。魔王とリアム、そしてふたりをとりなすリゼを冷めた目で眺めつつ、ヒースは先程の魔王の言葉、馬鹿みたいに熱に浮かされた声を思い出した。
(『このままここで暮らせ。俺の嫁になれ』……ねえ)
ごくシンプルに、羨ましいな、の感情が浮かぶ。リアムに言ったら『喜んで譲るが』と言われそうだが無論そういう意味ではなくて、魔王の高らかな告白はつまり、ヒースが言われたかった言葉そのものなのだった。
(『私と結婚して下さい。ずっとここにいて』……だなんて、まあ、師匠が言うわけないんだけどさ)
ヒースの脳を持ってしても、想像することさえ不可能だ。そもそも、いつもの無表情ではない、誰かを口説くときにふさわしそうな『甘やかな顔』でさえ、ただ一度きり、今となっては幻覚だったのではないかと思える山頂でしか見たことがないのだ。
(今思えば、それでよく『まだ恋人未満』とか思ってられたよな。……ま、それはともかく)
ヒースはちらりと時計に視線を流した。
(リゼの策、上手くいくといいけどねえ)
リゼの策では、リアムのそばにリゼとヒースが揃っていると不自然になる。だからヒースは一度席を外し、宴に紛れているようにと言われていた。そろそろか、と思いながら、ヴェドニカ産のやたら濃厚な酒を口に運んだところで、ヒースは、不意に掛けられた声に振り向いた。
「おひとりですかな」
当然ながら、知らない声だ。ヒースはそちらに視線を向けた。
「……誰」
漆黒の礼服を着こなした男の側頭部に、艶やかな光沢を持つ、捻れた角が伸びている。魔族の見た目がどれほど実年齢を反映しているのかはわからないが、人間で言えば三十を超えたぐらいに見える、落ち着いた雰囲気の、整ったと言っていい顔立ちの男だ。
見覚えはあった。魔王の側近のうち一人……だった気がする。が、紹介などろくに聞いていなかったので、立場や名前はわからない。ヒースの無礼に憤ることもなく、魔族はにこりと笑みを浮かべた。
「ヴェドニカの宰相を務めている者です。どうぞお見知り置きを」
「……宰相閣下が、一介の魔法使いに何の御用で?」
向こうの丁寧な口調と礼を受け、やっと敬語を思い出す。当たり障りない調子で首を傾げると、宰相はわざとらしく驚いた顔を作った。
「一介の、とは、謙遜が過ぎます。……王はあの男に興味を持たれたようですが、私は貴方にこそ興味がある。エルセリニアからこの王城までの道中、魔物の殆どを対処されたのは貴方ですね?」
「……どうして、そう思われたのです?」
宰相の指摘は正しかった。
ヴェドニカ国内では、魔族ではない、魔族の指揮系統下にない『魔物』が多数存在する。魔物は人を襲うため、『勇者パーティー』はそれに対処しながら王城を目指さなければならない。道中で実力を証明するとを、ヴェドニカの魔族が『勇者パーティー』に求めているからだ。
そして、此度の道中においては、その魔物退治の殆どを、ヒースが索敵即殲滅で行った。
後半こそリアムやヴァネッサの『腕がなまる』という文句を受けて対処を譲ったが、空から来る小竜などは、殆どヒースが撃ち落としたと言っていい。リアムの問いに、なんでもないように宰相が応える。
「魔法で一撃死させられていた死体が多すぎたからですよ。よほど狙撃魔法に長けていなければああはならない。王と勇者殿との腕試しの際は、その力を敢えて隠されていたようですが……私の目はごまかせません」
「……」
別に『敢えて隠して』いたわけではなく、恋バナに夢中になってリアムにバフをかけるのを忘れていただけなのだが。ヒースは黙って話の続きを促し、宰相は一歩ヒースに歩み寄った。
「あなた達人間は知らないでしょうが、魔族は総じて、人間に強い興味を抱いています。……我々が、人間の作るものを求めているのは、人間そのものを手に入れることができないからです。人間は弱く、こちらに来るとすぐに死んでしまいますからね」
「魔族だって、瘴気の外に出ればすぐに死んでしまうでしょう? 条件は同じです」
「対処法を知らない……体内に瘴気を溜め込むことのできぬものはそうですね」
宰相は軽く首肯した。
「そう、我々は、一部を除いて、共に生きることが不可能な存在です。故に焦がれる。……そして、私のような、あるいは貴方のような強い個体であれば、共に生きることは可能です。この意味が、理解いただけますね?」
ヒースは軽く眉を上げた。
こんなかたちで希望が叶わなくても良かったのにな、と思いながら、肩を竦める。
「口説き文句としては、上司のほうが一枚上手のようですね。少なくとも、情熱は感じられた」
「おや、貴方は理論派だと思いましたが、見誤りましたか。……そちらがお好みなら、すぐにでも」
男の手がするりとヒースの腰に回り──咄嗟に魔法で叩き落とそうと杖に込めた力を、ヒースはふと思い立って緩めた。
(『──例えば、あんなふうに』だったっけ?)
リゼの言葉が脳裏に蘇り、魔王がまさしく今の男のようにリアムの腰に手を回していた光景が思い起こされる。……これはまさしく、降って湧いたチャンス、というやつなのではないだろうか?
勿論、エセルヴォルドがこの光景を目にしているわけではない。けれども、『ヒースがヴェドニカの宰相に情熱的に口説かれた』という話を、どうにかエセルヴォルドの耳に入れることができれば、エセルヴォルドも少しは動揺するかもしれない。一瞬でそんな計算を働かせ、ヒースは戸惑った素振りで目を瞬いた。
「……おやめ下さい。戯れにしては度が過ぎている」
「戯れではありません。魔王が人間の嫁を求めるのなら、他の魔族にそれが許されない道理もありますまい。……道中の気配を追いながら、どんな人物が来るのだろうと考えていました。思えば、そのときには既に惹かれていた。それから、ひと目見て、貴方の美しさに我が目を疑いました。そして思った」
情熱があることを証明したがるように、男はひどく饒舌だった。そしてヒースは、こんなに直接的に口説かれるのが、当たり前にはじめてだった。勿論少しも心は動かされず、ただ、『こんな感じなのか』という冷静な分析だけがある。そんなヒースの目を至近距離で見据え、宰相はうっとりと目を細めた。
「……我が伴侶は、貴方を置いて他にいない」
ぞわっ、と。
突如として──想定していた以上の気色悪さが、背筋を這い登る。ヒースは軽く息を止め、咄嗟に視線を逸らした。
振り払えばいい、とわかっているのに、咄嗟に魔法が発動できない。混乱しているのだと遅れてわかった。
「……照れているのですか、愛らしい」
「っ、」
宰相の手が、ヒースを強く抱き寄せる。隙を見せすぎた。軽く舌を打ち、どうにか杖を握り直すのと同時──より、もしかしたら少し早かったかもしれない。
先端の石が強い輝きを放ち──じゅうっ、と、焼け焦げるような音が耳に届く。
「……ッ……!」
宰相が、ヒースから手を離す。ヒースの腰に触れていた手が、焼けた杭に押し付けられたかのように焼けただれているのが見える。ヒースは軽く目を見開き、けれどもそれより、宰相の驚愕のほうが大きかった。
「その石は、……」
「……え?」
「……そんな、……まさか……!?」
石? エセルヴォルドに贈られたこの杖、この石に、男は、見覚えがあるのだろうか。
(……というか、今)
思わず、手の中の杖をじっと見つめる。
(魔力を込めるより前に光らなかったか?)
発動する魔法そのものも、ヒースは軽く弾き飛ばすことを考えていて、こんな、焼くような魔法を使った覚えはなかったのだが。ヒースは男に石について尋ねようとし──けれども、それは叶わなかった。
「……リアム!? リアム、しっかりしてください、リアム!」
ホールに、リゼの悲痛な声が響き渡る。
振り返ると、青い顔でうずくまるリアム、その顔を覗き込むリゼ、愕然とした顔で立ち尽くす魔王の三者が見えた。リゼが続ける。
「これは、……瘴気酔いです! おそらく、魔王様の気を直に受けすぎたのでしょう、我々の浄化が間に合わず……ヒース! ヒース、すぐに来て!」
打ち合わせどおりだ。
ちなみに、ヒースはこの作戦のために『わざと』リアムの浄化を弱めていたので、リアムの蒼白な顔は演技ではない。ヒースは慌てた素振りとともにそちらに駆け寄った。
「これは……悪い、僕のミスだ。まさか、魔王様の気がこれほどまでに強いとは……」
「治療はできますか?」
「聖女である君にできないものが、僕にできると思うか?」
すべて、打ち合わせどおりのやり取りである。ヒースは申し訳なさそうな顔を作って首を振った。
「とにかく、エルセリニアにつれて帰るしかない。……申し訳ない、ヴェドニカにいては勇者リアムの命が危険だ。一刻も早く瘴気の薄いところにつれていき、治療を受けさせる必要があります」
視線の先で、リアムに劣らず蒼白な顔をする魔王に、申し訳ない気分になる。
けれども、同時に、これが現実だとも思う。
ヒースと違い、リアムは、自ら浄化を行えるわけではない。リアム一人では、瘴気の中で生きていくことはできないのだ。
だからリアムは、たとえ本人がそれを望んでも、魔王の嫁になどなれはしない。
「……わかった」
魔王が、絞り出すような声で言う。
話の分かる魔王で良かった、と、ヒースは内心で安堵した。魔王は、どうにか冷静になろうとしているような、押し殺したような声で続ける。
「王城回りが、国内で最も瘴気が濃い場所だ。ここを出れば、すこしはマシになるはずだ。……魔物どもに煩わされぬよう、護衛をつける」
魔王が、せめてその姿を目に焼き付けようでもするようなひたむきさでリアムを見つめ、低く、小さな声で命じる。
「……疾く、国へ帰るといい」
「感謝します」
リゼが深く頭を下げ、ヒースはリアムに肩を貸し、どうにかリアムを歩かせる。リアムが、ほんの一瞬だけ、魔王の方を見た気がする──ヒースの位置からは、リアムの表情は伺えなかったが。
そうして、ヴァネッサがひっそりと旅支度を整えていた馬車に乗り込んで、ヒースたちは勇者一行は、無事、魔王城からの脱出に成功したのだった。




