第6話 魔法使い、魔王退治(の傍ら、恋愛相談)をする
それは、本当に何気ない雑談からはじまった。
『ヒース君も今年で十八でしょう。器量もいいし、魔法の腕も立つ。そろそろ、結婚を考えても……嫁をとって独り立ちしてもいい頃なのでは?』
持病の薬を取りに来たジジ……村長がそう言ったとき、ヒースは(耄碌した爺が何か言っているな)ぐらいにしか思わなかった。
あの山頂の景色を見た日からずっと、ヒースは変わらずエセルヴォルドを慕っていた。あれから三年が経ち、ひっそりと読み進めた恋愛小説などから情報を得て、一転して積極的に距離を詰めていくようになったが、特に関係は進展してはいない。けれども邪険にされることもなく、それとなく擦り寄れば当たり前のように頭を撫でたりしてもらえるため、ヒースは自分たちの関係を、良好な恋人未満のそれと捉えていた。
だからこそ、ヒースは、それに応じたエセルヴォルドの言葉に、己の耳を疑ったのだ。
『そうですね』
……『そうですね』?
『確かに、考えてもいい年齢です』
『おお! うちの孫娘がちょうど同じぐらいの年頃でしてな。身内贔屓ですが、器量も悪くない。もしエセルヴォルド様がよろしければ、一度紹介など……』
どういうことだ。『そうですね』? ヒースはその場でエセルヴォルドを問い詰めたい思いを必死にこらえ、笑顔で村長の前に茶を置いた。
『失礼。僕はまだ若輩者で、身を固めるなど考えられません。……そもそも』
ヒースはちゃんと笑っていた──笑っていたはずだ。けれどもなぜか、村長の顔が見る間に引きつっていく。そこにとどめを刺すように、ヒースは村長に念を押す。
『そういった話は、師匠ではなく、僕本人にして頂けますか』
村長がこくこく頷いて、茶に手を付けることもなくそそくさと家を去っていく。その姿を見送ってから、ヒースはエセルヴォルドに向き直って『師匠』と眉を上げた。
『なんですか、今のは』
『……なんですか、とは?』
『嫁だの独り立ちだのの話ですよ。どういうつもりですか』
エセルヴォルドはちょっと首を捻って、それからやっぱり、何を聞かれているのかわからない顔で言う。
『どういうつもりと言われても……十八が成人年齢なのは事実でしょう。たしかにそろそろだなと』
『そろそろ?』
ヒースはいよいよ眦を吊り上げる。
『出ていけっていうんですか』
エセルヴォルドは、どこか戸惑ったような顔のまま、『君が、そうしたければ』と淡々と応える。
『いや、家事もろくにできない師匠を置いていけるわけないでしょう?』
『君が来る前は、一人でどうにかしていました。問題ありません』
『……僕が結婚してもいい、と?』
『君がそうしたいのなら』
エセルヴォルドの答えは、残酷なほどにあっさりしていた。ヒースは必死で舌打ちを堪え、『全くしたくありませんね』ときっぱり答えた。
『……師匠は、僕の気持ちを、わかってくれていると思っていました』
エセルヴォルドは、その言葉には答えなかった。代わりに言う。
『君には自由がある。そして私は、君がそれを行使することを推奨します』
『……やっぱり、出てけってことじゃないですか、それ』
『それもいいでしょう。君の才は、こんな北の果てに埋めておいていいものではない』
エセルヴォルドはしかつめらしい顔で言い、ヒースはそのときはじめて、心の底からの恐怖を感じた。
待て、これは、もしかして。
『……でも』
もしかして、本気で言ってるのか?
『でも、僕は、師匠のそばにいたい。……お側にいてはいけないんですか』
ぞっとしたせいで、少しも考えず、なりふり構わない言葉が口をついて出た。ひどい告白だ、と言ってから思った。こんな風に告げるつもりじゃなかった、じゃあどうするつもりだったのかと問われても困るけど。ヒースの言葉に、エセルヴォルドは、戸惑ったように眉を寄せた。
『いけないとは言っていませんよ。君には自由があります』
『……自由、ですか』
その瞬間、ヒースの胸のうちに落ちたのは、『そばにいることを許された』という安堵ではなかった。
(……他人事、というか)
それは、ぞっとするほど静かな、体を芯から冷やすような絶望が、胸元から全身に広がっていく。
(どうでもいい、のか?)
それは根拠のない疑念だった。けれども──同時に、それはひどく、真実に近いものであるような気がした。
エセルヴォルドはただひとつのことを繰り返している。『ヒースがそうしたければ』。
そこに、エセルヴォルドの意思はない。
『……じゃあ、師匠は、本当に、どちらでもいいって言うんですか? 僕がここにいても、いなくても』
ヒースはエセルヴォルドの表情を注視して尋ねた。ほんの少しでもいい、彼が、どちらかに寄った反応をしてくれればいいと願った。
けれども願いは叶わなかった。
『ええ』
エセルヴォルドは、ごく軽く、すこしの躊躇いもなく頷いた。
『ここ出て、広い世界を見るのもいい。君の才はきっと、世のためになるでしょう。けれども、そうすることを君が望まないなら、ここにいても構いません』
どちらでもいい、と、その口調はあまりにあっさりしていた。今までであれは、ヒースはそれを、『尊重されている』と感じたかもしれない。ヒースの意志を第一に考えてくれている、と。
『……そうですか』
でも──今は、そう思えない。ヒースは、なんだかひどく虚しくなって、小さく笑った。
ここは北の果て、雪に覆われた霊峰、けれどもこの家は常にエセルヴォルドの魔法で暖かく、寒さなんて一度も感じたことがなかった。
けれどもそのとき。
ヒースはひどく寒いと思って──だからヒースは、その寒い家を出ることに決めたのだ。
「……と、まあ、そういうわけで。師匠が、僕のことがどうでもいいみたいなことを言うから、ちょっと思い知らせてやろうと思ったんだよ。はっきり言えば、僕がいなくなって後悔しててほしい」
口をついて出る強がりは、ヒースのどうしようもない性分だった。あの寒さを思い出したくなくて、ヒースは滔々と語りを続ける。
「で、手放したものが大きいとわかるほど、より惜しくなるものだろう? だから、なるべく派手な功績が欲しい。北の果てにも伝わるぐらいのね。でも、面倒だから、就職とか出世とかはしたくない」
「ははあ……」
話を聞いたリゼは、咀嚼するように頷いた。
「……歳の差ですね!」




