第19話 魔法使いは生贄である
王宮には、ヒースの身元引受人として呼び出されたらしいリアムとリゼの姿もあった。
そうして王は、二人に向かって淡々と告げた。
西での瘴気の発生、頻発する地震、異常気象、そういうものの原因が、『海竜アズロ』の守りの綻びによる可能性が高いこと。
そしてその綻びは、『海竜アズロ』に五十年ごとに捧げられていた『生贄』の不備──十八年前に捧げられた生贄が不十分だったことに由来する可能性が高い、と、少なくとも西の入り江近辺に住む『アズロ』を祀る人々はそう考えていること。
アズロが求める生贄は、本来であれば、『花嫁』だった。『銀髪蒼瞳の、高い魔力を持つ成人女性』。けれども、外の村との交流も増え、混血が進んだ西の村々には、条件を満たす若い女性が存在しなかった。
そこで人々は、苦渋の決断を下した。生まれたばかりの、『銀髪と高い魔力』という条件だけを満たす赤子を生贄に捧げた──最も重要なのは、その魔力量だろうと仮定して。
「……そして、それから十八年が経ち、人々は日々起きる異常を『アズロの怒り』だと見做している。正しい生贄を捧げなかった罰だと。しかし我々は、それもまた異なる推測にすぎない……真実ではないと考えている」
そうして王は、深く一度ため息を吐いてヒースを見据えた。
「捧げられた子には、名前だけを与えたと言っていた。名前を彫り込んだ守り札をその首にかけ、生贄の衣装の代わりに白いおくるみで包んで、手順だけは正しく海に流したと。……ヒース、その名は師匠とやらがつけたものか?」
「いえ」
ヒースは軽く肩を竦めた。不敬と言える動作だったが、それを咎めるものはいない。
「……赤子の僕が握りしめていた札に書いてあったと、師匠は確かにそう言っていました」
これから王が命じることを、もう、誰もがわかっているからだ。
「時系列にも矛盾はない。十八年前、僕は生贄に捧げられ、生贄にはならずに、師匠に拾われた。……だからアズロは力が足りなくなって、今、その守りに影響が出はじめている」
ヒースは淡々と言葉を重ねた。本来は王が言うべきことを。
「生贄を捧げ直すより他に、守りを直す手立てはない」
全く正しい。ヒースは、ごく単純な魔法式を読み解くように言い──それからふと、「ああ」と、吐息のようにひとつ頷いた。
「……なるほど。それでか。そういうことだったのか……」
その声は、静まり返った拝謁の間に、奇妙にさみしく──この場の緊張感や絶望感に少しも相応しくない、いとけない子どもが、ただひたすらに悲しんで、泣き出そうとする直前のそれのように響いた。うつくしい顔からは表情が抜け落ち、見るものをひどく不安にさせる。その静寂を打ち破ったのは、リアムの「おい」という苛立った声だった。
「何が『そういうこと』だ。お前まさか」
大人しく生贄になる気か、と続けたかったのだろうリアムが、まさしくそれを命じた王の御前であることを思い出して口を閉ざす。そしてヒースはリアムの問いには直接答えず、独り言のように言葉を零した。
「昔、僕が死にかけたとき、師匠が言ったことがある。……『君が死んだら困る』って」
リゼが、僅かに息を呑む。そういえば昔語ったことがあったなと思う。
「おめでたかったな。僕はそれを、勿論、師匠は僕が大事なんだって、僕が死んだら嫌なんだって、そんなふうに思って嬉しかったよ。……でも、そうか、違ったんだ」
ヒースは軽く杖を振った。
「……ねえ、師匠。あなたは僕を、この日のために育てたんですね? いつか、きちんと、『条件を満たした生贄』として、海竜アズロに捧げるために。赤子の僕では、生贄として不十分だったから……アズロを満たすものにする必要があって、それで?」
美しい金の宝玉は、ヒースの問いには答えない。代わりにというようにリアムが叫ぶ。
「そんなわけないだろ!?」
何を馬鹿なことを、と、その全身が言っている。ヒースはそちらに視線を向けた。
ヒースが澄んだ氷なら、リアムは燃え盛る炎である。普段はあまりそうとは見えないが、性根はヒースよりよほど苛烈な男なのだ。リアムはヒースに歩み寄ってきて、ヒースの肩を容赦なく掴んだ。
「よしんばお前が生贄だとして、生贄にする人間に、懇切丁寧に魔法なんざ教えるか? その杖だってローブだって、全部師匠とやらに貰ったんだろう」
「……育てる理由はあるだろう。生贄はよりよいものであるほうがいい。魔法を学べは、魔力も育つ」
「なるほど? じゃあこれはどうだ。師匠はお前に『自由だ』と言ったんだろ? 本当に生贄にする気なら、その日が来るまで、ただ閉じ込めて飼っておけばいいと思わないか」
「十八年も育てれば情も湧く。死ぬ前に、つかの間の自由を与えるぐらいの温情はあってもいいだろ」
「……話にならないな」
リアムはヒースを見下ろして冷たく吐き捨てた。
「無理があるとわかってるだろう。お前は、わざわざ無理な解釈をして、自分を納得させようとしている。はっきり言って、ただの死にたがりの被害妄想だよ、それは」
「……手厳しいな……」
「事実を言ってるんだ」
リアムの燃える目が、ヒースを責めている。ヒースは緩く微笑んで、それからちらりと王に視線を向けた。
「だが、『勇者リアム』。君はそう言って僕の自己犠牲を咎めるけどね、今このとき、間違っているのは君の方だ。師匠の意図がどこにあったかは、今ここに至っては関係ない。誰かが、行かなきゃならないんだ」
リアムが盛大に舌を打ち、ヒースの言葉を否定しようと口を開く。しかし、ヒースの言葉を否定したのはリアムの声ではなく、凛と澄んだ、高く通る声だった。
「──そんなことは、ありません……!」
皆が、一斉に声のほうを見る。閉ざされていたはずの扉は大きく開かれ、息を切らせた第一王女アイリス、そしてそれを追いかけてきたらしいヴァネッサが立っているのが見えた。
「『生贄』が必要と決まったわけではありません! ……かつて生贄が常態化していた地方でも、それをやめてなお問題が発生していないところは幾つもあります。例えば、『海の魔女セイレン』への供物の儀は、百年以上前に、祭りによって歌や踊りを捧げるものへ変化しました。別の手立てがあるはずなのです」
「……姫様」
アイリスが、朗々とした語りとともに王へと近づいていく。ヒースは驚いて彼女を見つめる。
「なにより」
アイリスが、ぐるりとあたりを見渡す。
「私は、エルセリニアに、民に命を捧げさせ続ける国であっては欲しくない」
──眩しい。
その立ち姿は、決意を込めた表情は、彼女こそ次代の為政者たるべき存在であることを、何よりも雄弁に表していた。美しい、とヒースは思った。彼女の言葉は正しかった。
けれども。
「……アイリスよ。お前の言いたいことも、よくわかる」
王が、ため息とともに娘を制する。
「そして、『今』でなければ、お前の言い分は正しいだろう。別の手立てはあるかもしれない。しかし『今』はない」
「何故です」
「時間がないからだ」
アイリスが眉を寄せ、ヒースが「姫様」と、王の言葉を引き取る。
「お言葉、たいへん嬉しく思います。無論、生贄に替わる手段の模索は必要でしょう。けれども今は間に合わない。……今、僕を生贄として送らなければ、一体どうなるとお考えですか」
「どう、とは……」
「今、『生贄』を求めているのは、海竜アズロではないのです」
ヒースは、教え諭すように、穏やかに微笑んだ。
「今すぐに、有効な代替手段を示すことができれば別ですが。……そうでなければ、民は、国の許可なく生贄を捧げるでしょう。生贄を求めているのはアズロではなく、瘴気や災害への恐怖にさらされ続けている西の民なのです」
国が何か手を打たなければ、かつて赤子だったヒースをそうしたように、民たちは『少しでも条件に近い誰か』を生贄とするだろう。言葉を失うアイリスに、「だから」とヒースは優しく言った。
「僕が行きます。……僕は、ただ、十八年ばかり生き延びただけだ。とうに、失われているはずの命だったんです」
「でも、あなたは……!」
「ただ、ひとつだけ」
何かを言いかけたアイリスを遮り、ヒースは、きっぱりとした声で条件を出した。
「……ただ、一つだけ。最期に、立ち寄りたい場所がある。三日ほど、猶予を頂けませんか?」




