第18話 魔法使いは真実を知る
大神殿の書庫は、古い書物特有の、僅かなかび臭さとインクの匂いで満たされていた。
「……それにしても、ちょっと意外でした。神殿の歴史が知りたいだなんて……ヒースくん、神殿に来るんですか?」
先を歩くリゼの手に下げられた魔術灯の光が、見るだけで気圧されるような量の本に満たされた本棚を淡く照らし出す。からかうような問いに、ヒースは慌てて首を振った。
「そういうわけじゃないって。ただ、……ちょっと、『原初の古竜』について気になって」
先日の地震騒ぎの後、アイリス王女からは「ヒースは騎士団所属にはならないのか」という問い合わせがリアムにあったという。就職先候補だけが増えていく中、ヒースはまだ身の振り方を決めかねている──否、決めたくないと思っている、という方が正しいか。ともあれ、今日の目的は別にある。ヒースの言葉に、「ああ」とリゼは眉を上げた。
「そういえば、ヒースくん、エルセの像をやたら凝視してましたもんね。なにかおかしな点でも?」
「……おかしな、というか。自分でも良くわからないんだけど」
目的の区画に着いたのだろう、リゼが足を止め、本棚へと視線を向ける。つられるように視線を向けながら、ヒースは先日の違和感を口にした。
「『懐かしい』って、感じたんだ。おかしいだろ。僕は神殿にもろくに行ったことがないような育ちをしてるのに」
「懐かしい……ですか。それはたしかに、不思議な感覚ですね」
「そう。で、思ったんだ。物心ついてからに原因がないなら、『物心付く前』に原因があるんじゃないか、って」
背表紙に視線を走らせながら、ヒースは己の考えを口にしていく。リゼが尋ねる。
「ヒースくんは、孤児だったんですよね。つまり、お師匠様に拾われる前に、エルセに関わるなにかがあったと?」
「そういうこと。……で、エルセに関する資料は、この辺一帯ってこと?」
「そうですね。すみません、詳しい方と渡りがつけられればよかったんですが、丁度不在のようで」
「構わないよ。古文書を読むのは慣れてるから。暫くお邪魔するけどいい?」
「はい。閲覧許可はとりましたので」
リゼは許可証をヒースに手渡して、「では」と軽く頭を下げて去っていく。ヒースは改めて本棚を見上げ、それから、目についた本を手に取った。
そうして──運命のように、ヒースは、その真実にたどり着く。
「……わかった」
それは、求めていた答えとは異なるものであったが、真実であることに代わりはなかった。誰も居ない書庫で、誰からも忘れ去られていた古い古い巻物に、まるで隠すように記載されていた名前をヒースは見つけた。
「……エセルヴォルド……」
良く知った名だ。呼ぶことそのものはほぼ無かったが、それでも、馴染んでいると言っていい名前である。その名前が、古い文字による表記で、たしかにそこに残されている。
「『かつて、国を追われた一族が、竜と出会った──名を、エセルヴォルドと言う』」
エセルヴォルド。古くよりこの島に住まい、この島で、人の訪れを待っていたもの。
人々を『導く』神は、いなかった。エルセリニアの人々は、導かれたのではなく、ただ南の大陸を追われて逃げてきたのだ。そして、たどり着いた先の『竜』が、人々を救った。後になって経緯が改竄されたのは、そもそもの『元の国を追われた』というものが、外聞が悪いと判断されたためだろう。
誰だって、追い出されたというよりは、招かれたと思いたい。
「エセルヴォルドは、『エルセ』の元となった竜の名前……エセルヴォルドは北の霊峰からエルセリニアを見守ることを約し、人々が北の霊峰に近づかぬように、人々が自らを崇めぬようにと、自らと『神』とを分けることを願った。故に神は名を変え、あるいは名のない竜となった……」
そうと言われれば、思い当たる節はいくつもあるのだった。エセルヴォルドの北の住処は年季が入ったものではなく、村の住人は、エセルヴォルドについて、『ヒースを連れて移住してきた』と言っていた。それ以前に何をしていたのか誰も知らなかった。使い魔のジルも、ヒースを育てるために作り出したものだと言っていて──それをヒースは、少しも不思議なことだと思わなかった。赤子を拾ったことで生活が一変することも、新しい場所に暮らすようになることも、何も珍しいことではないからだ。
けれども。
けれども、それにしたって──今にして思えば、あれだけの実力を持つ魔法使いが、どの組織との繋がりも持たず、過去のひとつも持たずに生きていることなどありえない。ヒースはもっと、エセルヴォルドを疑うべきだったのだ。
エセルヴォルドを──そして、何より。
「師匠は……僕を拾って、『人としての生活』を、まるごと作り出した。それはいい。……問題はそこじゃない。どうして僕を拾ったのか? それも、大した問題じゃない」
一番可能性があるのは、ヒースが『生贄』だったという可能性だろう。エルセが生贄を求める神であるという記述はないが、生贄の風習自体は、まだ、存在している地方もある。求めずとも捧げられた可能性はあり、困って育てることにしたという可能性もまた、お人好しの師匠ならありそうなことだ。
ともかく。
「どんな理由であれ、師匠が僕を育ててくれた事実と、僕にかけてくれた手間そのものには、疑いの余地はない。ただ、……」
己の考えをまとめるためか、はたまた自身を落ち着かせるためか。言葉は口をついて溢れて止まらずに、ただひとつの結論を導き出す。
「……人でないものは、きっと、情とか、恋とか、そういうものを、きっと、理解しないんだろうな」
そう言われれば、却って、納得できるような気もするのだ。
エセルヴォルドにとってのヒースが、ただの養い子であるのみならず、庇護すべき民のひとりであったというのなら──ヒースを大切にしてくれたことと、ヒースが彼にとって重要な存在ではなかったこと、その二つが並び立つ。
ヒースは笑った。
「最初からわかってただろ、ヒース。……僕はそもそも、師匠に恋してもらおうなんて思ってなかった。本当は」
自分自身に言い聞かせるみたいに。
「本当は──最初から、諦めるために家を出たんだ。そうだろ?」
そのとき。
扉の方からなにか慌ただしい気配がして、ヒースははっと顔を上げた。足音が聞こえる。司書の「お待ち下さい!」の声が響き渡り、それを完全に無視しているとわかる速度で近づいてきた足音が、扉の前でピタリと止まる。
扉が開く。
「魔法使いヒース殿は、こちらにおられるな?」
尋常ではない。
十数人の帯剣した騎士、そして数人の魔法使いが、ヒースに鋭い目線を向けている。
「……物々しいね。何の用かな?」
「陛下の命だ」
一人の男が、懐から取り出した紙を開いて見せる。
「魔法使いヒース……いや、『入り江村のヒース』。陛下の命により、王宮に来ていただく」
来ていただく、と言っているが、とてもそういう雰囲気ではない。けれどもヒースは、逃げる選択肢を考えなかった。
思いついてしまったからだ。
『入り江村のヒース』。……それが、ヒースの出自なのだとしたら?
「なるほどね。……十八年前の精算を、今になって求められてる。そういうことか」
ヒースは真っ直ぐに男たちを見据えた。
この場から逃げ出すことなど、息をするより簡単だった。けれども、ヒースはそうしなかった。
わかったからだ。
ヒースが一体何者で──これから、何を為すべきなのかが。




