第17話 魔法使い、遠い日を想う/幕間 北の霊峰にて(3)
「……! ミスティカ様、しゃがんで!」
食事や飲み物が設えられた机が大きく揺れて、かしこから食器の割れる音が聞こえる。悲鳴が響き渡り、立っていられずにその場にしゃがみ込むもの、どこへとも知れず逃げようとするもので会場は騒然となり──ヒースは咄嗟にミスティカを腕の中に抱え込み、王女たちをはじめとした子どもたちの回りに魔法でシールドを張った。
エルセリニアは、地震の少ない国だ。だからこそ、最近の増加が目立ったのだし、ここまでの揺れを体験するのは皆初めてだろう。恐怖にかられた子どもたちは、親のところに走っていこうとしたり、その場で泣き出したりと大混乱だ。流石に会場全体にシールドは展開できない、走り出されたら止めるすべがない。しかしどうする。ヒースが行動に迷う間に、凛とした声を発したのは、子どもたちの中心にいたアイリスだった。
「落ち着きなさい、その場にしゃがんで!」
自身もその場で低く姿勢を取り、周りの人間を叱咤するように声を張り上げる。
「ヒース様、勇者パーティーの魔法使い様が守ってくださっています! この庭は落ちてくるものも倒れるものもありません、建物から離れ、ここにいるほうが安全ですわ!」
エルセリニア王家には、今、男児は存在しない。
このまま王妃が更に下に男児を得ることがなければ、次は女王アイリスの御代になる。──そして、そうなることを、今この場にいるものは皆確信しただろう。ヒースはミスティカを抱いてアイリスたちのもとに戻り、「お見事です」とアイリスに告げた。
「……そちらこそ。守って頂き感謝します。今、ヴァネッサから報告を受けました。安全確認が出来るまではこちらで待機と」
「はい。……幸い揺れも収まりましたし、皆様方も落ち着いてこられたようです」
騎士達が一旦参加者を一処に集め、使用人たちが割れた食器や倒れた机を片付けて周っている。子どもたちを心配した親がこちらにやってくる──そこで子どものひとりが思い出したように泣き出して、ヒースは慌てて杖を振った。
混乱は、恐慌は、感染する。それが子どもであれば尚更だ。ヒースがくるりと杖を回すと、きらきらと──光の粒が振り注ぎ、子どもたちははっとそちらに視線を向けた。
「見ていてくださいね。……さて、これは何でしょう?」
魔法で作った光の粒を集め、ぱっと空中に絵を描いていく。腕の中のミスティカが真っ先に「うさぎさん!」と叫び、ヒースは微笑んで「当たりです」と言った。
「次は……これは?」
「ね、ねこさん?」
「ではこれは」
「……ケーキ!」
「いいですね。次は? 何を描きましょうか?」
幾度かやりとりを行うと、最初は反応の少なかった子どもたちも、どんどん声を出すようになってくる。ヒースはリクエストに答えて絵を描き、たまに失敗して子どもたちを笑わせて──会場の片付けと王城内の安全確保が確認できたと知らせるためにヴァネッサがやってきたところで、くるりと杖を振って光を集めた。
「……さて。部屋の安全が確保できたようです。騎士の皆様の指示に従って、お部屋にお戻り下さい」
もちろん、子どもたちからはブーイングの嵐だ。ヴァネッサが「お菓子や飲み物も用意してありますので」と告げることでやっと皆が落ち着いたのを確認し、ヒースは最後に、集めた光の中から、一本の薔薇を取り出した。
魔法で作ったものではない、庭に落ちていたものを一本こっそり拝借しただけのものだ。ヒースはミスティカを膝の上から下ろし、そっとその薔薇を差し出した。
「改めて。……お誕生日おめでとうございます、プリンセス」
ミスティカが、薔薇よりよほど華やかに笑ってそれを受け取る。……こんな顔だったのだろうか、とヒースは思う。
光で空中に絵を描く、何の役に立つわけでもない、ただきらきらときれいなだけの魔法。
それは、ヒースが最初に覚えた魔法──わけもなく泣き止まなかった子どものヒースを泣き止ませるためにエセルヴォルドが編んだ魔法だった。あのとき、結局ヒースは何が描かれているのかひとつもわからなくて、あまりにわからないせいで笑って泣き止んでしまったのだ──そう懐かしく思い出し、ヒースはゆっくりと立ち上がった。
知らず、北の空を見る。
「……師匠」
エセルヴォルドは、今、どうしているだろう。どうしてか今、それが、無性に気になった。
* * *
──同時刻。
エセルヴォルドの手元で、光が、何ともつかない形を描く。それを見て、ジルが小さく笑った。
「……もう、ヒースのほうがよっぽど上手いですね」
「最初からずっとそうでしたよ」
エセルヴォルドは苦笑した。
「……だから私は、あの子が光を自在に操れるようになったとき、『これからは自分で描いて遊びなさい』と言ったんです。そうしたら……」
「この世の終わりみたいに泣き叫ばれた。……覚えてますよ。あんた、ほんとに何もわかってないんだな、って思ったので、あのとき」
ジルはしみじみとした口調で続きを引き取り、それから尋ねた。
「今は?」
「……え?」
「今は、わかりますよね。なんであのとき、ヒースがあんなに泣いたのか。今、あの子が、空に見ているものが、なんなのか」
エセルヴォルドが、沈黙する。ジルは「やれやれ」と口に出して言った。
「……そろそろ。あんたもヒースも、素直になったほうがいいんじゃないですか?」




