9章 屋台の肉と小さな勝負
次の日の朝、ナオは宿の入口で杖を持ちながら空を見上げていた。
雲は少ない、風も悪くない……昨日の光トカゲ捕獲で、体は少し疲れている。
でも、魔物討伐とは違う疲れだった。
走り回って、考えて、変な魔法も出して、最後はちゃんと報酬ももらった。
悪くない1日だった。
「おはよ」
後ろからサチの声がした。
振り向くと、サチが宿の看板の下を軽く拭いていた。
「おはよう」
「今日は早いじゃん」
「昨日よりはね」
「リュウは?」
「まだ寝てると思う」
「やっぱり」
サチは笑った。
「昨日はカジノ行かなかったんでしょ?」
「行かなかった」
「えらいじゃん」
「子ども扱いされてる気がする」
「半分くらいしてる」
「半分か」
ナオが苦笑すると、サチは雑巾を絞りながら言った。
「でもさ、カジノも楽しそうだけど、無理はしないでよ」
「分かってる」
「ナオは分かってそうだけど、リュウがね」
「そこは俺も少し思う」
「でしょ」
サチは少しだけ笑ったあと、ナオの杖を見た。
「その杖、だいぶ慣れた?」
「少しは」
「昨日も使ったんだっけ?」
「使った、でもまだよく分からない」
「よく分からないのに使えるの?」
「使えるけど、よく分からない」
「なにそれ、ちょっと怖いじゃん」
「俺もそう思う」
ナオは杖を見た。
この世界に来てから、魔法は何となく出せている。
でも、名前も仕組みも分かっていない。
光の弾。
リュウの動きを軽くするやつ。
相手の動きを少し鈍らせるやつ。
どれも感覚で出しているだけだった。
「ちゃんと知りたいな」
ナオが言うと、サチは首を傾げた。
「ギルドで聞けば?」
「ミーに?」
「あー、あの受付の子?」
「うん」
「ミーって名前なんだ」
「そう」
「へぇ、話したことはないけど、ギルドにいる子だよね」
「たぶん」
「たぶんって」
サチは少し笑った。
「じゃあ、今日は魔法のこと聞いてみれば?」
「そうする」
その時、階段の方から足音が聞こえた、リュウが眠そうな顔で降りてくる。
寝癖は少しある。
でも、顔だけはやっぱり整っている。
「おはよう」
ナオが言うと、リュウは片手を上げた。
「おはよう」
「今日は8分寝坊しなかったな」
「今日は6分くらいで起きた」
「なんで中途半端なんだよ」
「8分は昨日使ったから」
「消費制なのか」
サチが横で笑った。
「リュウ、今日はどうするの?」
「ギルド」
「お、えらい」
「また子ども扱いされた気がする」
「半分くらいしてる」
「ナオと同じこと言われた」
リュウは少しだけ不満そうにしたあと、外を指さした。
「飯行こうぜ、腹減った」
「屋台でいいか」
「肉あるところな」
「朝から肉か」
「冒険者は肉だろ」
「その理屈、昨日も聞いた」
2人はサチに手を振って宿を出た。
朝の町はいつも通りにぎやかだった。
屋台の煙が上がり、焼いた肉の匂いが道に流れている。
商人が荷車を押し、冒険者が武器を持って歩いている。
ナオとリュウは屋台で串焼きとパンを買った。
リュウは串焼きを2本買って、すぐに1本かじった。
「うまい」
「早いな」
「腹減ってたからな」
ナオもパンを食べながら歩く。
その途中で、道の端に小さな人だかりができているのが見えた。
「なんだ?」
リュウが足を止める。
「行くのか?」
「ちょっと見るだけ」
「それで済むか?」
「たぶん」
人だかりの中心には、小さな木の台があった。
その上に、3つの木のカップが伏せられている。
台の向こうには、ひげの男が立っていた。
「さあさあ、朝の運試しだ、当たりの石がどこにあるか当てれば倍だよ」
男はカップを軽く持ち上げ、中に赤い石を見せた。
そのあと、3つのカップを素早く動かす。
見ていた人たちが声を上げた。
「右だろ」
「いや真ん中だ」
「左に見えたぞ」
リュウの目が光った。
「ナオ」
「やめとけ」
「まだ何も言ってないだろ」
「顔が言ってる」
「ちょっとだけ」
「ギルド行く前にエル減らす気か?」
「増えるかもしれない」
「そういう時だいたい減る」
リュウは黙った。
でも目はまだ台を見ている。
ナオはため息をついた。
「1回だけな」
「さすがナオ」
「本当に1回だけだぞ」
「分かってる」
「その分かってるが1番信用できない」
リュウは台の前に立った。
「兄ちゃん、やるかい?」
ひげの男が笑う。
「1回だけ」
「いいねぇ、朝は運のいい人間が勝つんだ」
リュウは少しだけエルを出した。
男が赤い石を見せ、カップを伏せる。
そして素早く動かした。
右。
左。
真ん中。
ぐるぐると入れ替わる。
リュウは真剣に見ている。
剣を抜く時より集中しているかもしれない。
「どれだい?」
男が聞く。
リュウは少し考えた。
「真ん中」
「本当に?」
「真ん中だ」
男がゆっくりカップを上げる。
そこには何もなかった。
「ああ!」
リュウが声を上げる。
周りが笑った。
男は右のカップを上げる。
赤い石はそこにあった。
「残念、朝の運はまだ寝てたみたいだな」
「くそ、今の真ん中だと思ったのに」
ナオはリュウの肩をつかむ。
「はい、終わり」
「もう1回」
「やっぱり言った」
「次は当てる」
「そういう遊びなんだよ」
リュウは悔しそうに台を見る。
すると、ひげの男がナオを見た。
「そっちの兄ちゃんはやらないのか?」
「俺はいいです」
「大きい体して慎重だな」
「よく言われます」
「1回くらいどうだい?」
ナオはカップを見る。
さっきの動きは速かった。
でも、少しだけ違和感があった。
赤い石が入っているカップを動かしているようで、途中で男の手元が一瞬だけ隠れた。
あれが何かは分からない。
ただ、普通に目で追うだけの勝負ではない気がした。
「やめときます」
「賢いねぇ」
男は笑った。
その笑い方が、少しだけ引っかかった。
リュウはまだ悔しそうだったが、ナオに引っ張られてその場を離れた。
「今の絶対当てられた」
「外しただろ」
「次なら当てられた」
「それを言わせるためのやつだと思うぞ」
「どういうこと?」
「またやりたくなるようにしてる」
「カジノと同じか」
「近いかもな」
リュウは少し黙ったあと、パンをかじった。
「でも楽しかった」
「それは分かる」
「だろ?」
「でも朝から負けるな」
「少しだけだし」
「その少しが積み重なるんだよ」
2人はギルドへ向かった。
ギルドの中は今日もにぎやかだった。
掲示板の前には冒険者が集まり、受付ではミーが書類を持ってうろうろしている。
紙を何枚も抱えていて、今にも落としそうだった。
「ミー、大丈夫か?」
ナオが声をかけると、ミーは顔を上げた。
「あ、ナオ、リュウさん、おはようございますです」
「おはよう」
「おはよう、ミー」
リュウも手を上げる。
その瞬間、ミーの持っていた紙が数枚ひらひら落ちた。
「あっ」
「落ちたぞ」
「落ちましたね」
「自分で言うな」
ナオは落ちた紙を拾って渡した。
「ありがとうです、助かりました」
「今日は忙しいのか?」
「はい、なんか依頼が多い日です、たぶん天気がいいからです」
「天気関係あるの?」
「たぶんあります、晴れてるとみんな外に出ます」
「それはそうだな」
リュウが掲示板を見る。
「今日は何がある?」
「えっと、普通の依頼なら薬草採取、荷運び、あと畑の柵直しです」
「昨日から畑多いな」
「畑は大事ですからね」
ミーはうなずいた。
「それと、ちょっと急ぎの依頼が1つあります」
「急ぎ?」
ナオが聞くと、ミーは紙を探し始めた。
抱えている紙の中から1枚を抜こうとして、別の紙も落ちる。
「あ、また」
「落ち着け」
「はい、落ち着きます」
ミーは深呼吸した。
耳がぴこっと動く。
そして紙を1枚ナオに渡した。
「これです、町の北側の小屋に、変な魔物が入り込んだみたいです」
「変な魔物?」
「小さいです、でもちょこまか動いて、物を盗むらしいです」
「盗む?」
「はい、干してあった布とか、道具とか、あと昨日は焼き菓子を持っていったらしいです」
リュウが眉を上げた。
「焼き菓子を盗む魔物?」
「はい、甘いのが好きなのかもしれません」
「なんか弱そうだな」
「でも、すばしっこいらしいです」
「また速いやつか」
ナオは依頼書を読む。
北側の小屋に入り込んだ小型魔物の追い払い、可能なら捕獲。
危険度は低い。
ただし、小物を盗むため注意。
報酬は昨日の光トカゲより少し多い。
「これ、俺たちでも受けられる?」
ナオが聞くと、ミーはうなずいた。
「受けられます、でも、荷物を盗まれないように気をつけてください」
「分かった」
「リュウさん、剣を盗まれたら大変です」
「盗まれないだろ」
「でも、すばしっこいです」
「剣盗むサイズなのか?」
「分かりません」
「分からないのかよ」
「えへへ」
ミーは笑ってごまかした。
ナオは少し考えた。
魔物を倒すだけではなく、追い払うか捕まえる依頼。
昨日と少し似ている。
でも報酬は悪くない。
それに、ナオとしては魔法の練習にもなる。
「これにするか」
「いいぜ、速いやつなら俺の出番だ」
「昨日も言ってたな」
「今日はもっと出る」
「小屋壊すなよ」
「昨日は畑壊さなかっただろ」
「今日は小屋だ」
「分かってるって」
2人は依頼を受け、北側の小屋へ向かった。
町の北側は、倉庫や作業場が多い場所だった。
人通りは少ない。
木箱や樽が並び、少し埃っぽい匂いがする。
依頼主の小屋は、その奥にあった。
古い木造の小屋で、扉の前に中年の女が立っている。
「ギルドから来ました」
ナオが声をかけると、女はほっとした顔をした。
「ああ、助かったよ、また中でがさごそ音がしてるんだ」
「魔物は見ましたか?」
「見たよ、小さくて黒っぽい尻尾が長かったね、手が器用でさ、布を持って逃げるんだ」
「噛んだりは?」
「近づくと威嚇はするけど、今のところ怪我人はいないよ」
「分かりました」
ナオは杖を握る。
リュウも剣に手を置いた。
「倒すのか?」
リュウが小声で聞く。
「危険が少ないなら、まずは捕まえるか追い出す」
「了解」
小屋の扉を開けると、中は薄暗かった。
干してある布。
古い道具。
木箱。
その間から、かさっと音がした。
「いるな」
リュウが低く言う。
「焦るなよ」
「分かってる」
ナオは杖を構えた。
名前の分からない魔法を出す感覚を探る。
昨日の光の膜。
あれを使えば、逃げ道をふさげるかもしれない。
小屋の奥で何かが動いた。
小さな黒い影。
猿にもネズミにも見える。
でも、耳が妙に長く、尻尾の先が白い。
影はナオたちを見ると、手に持っていた布を抱えて逃げた。
「行った!」
リュウが前に出る。
速い。
でも、小屋の中は狭い。
剣を振るには向いていない。
「リュウ、右の箱!」
「分かった!」
リュウが箱を飛び越える。
黒い魔物は、その下をくぐって逃げる。
「速いな!」
「追い込みすぎるなよ!」
ナオは杖を向ける。
「はぁぁっ!」
杖の先から淡い光が広がり、扉の近くに薄い壁のようなものができた。
魔物は外へ逃げようとして、その光に驚いて方向を変える。
「こっち来た!」
リュウが布袋を広げる。
しかし、魔物は袋の手前で急に跳ねた。
リュウの肩に乗り、そのまま頭を踏んで反対側へ飛ぶ。
「うおっ!」
リュウがよろける。
魔物はリュウの髪をくしゃっとして、棚の上へ逃げた。
「今、俺踏まれた?」
「踏まれたな」
「魔物に?」
「魔物に」
「しかも髪ぐしゃってされた」
「されたな」
リュウは少しショックを受けていた。
ナオは笑いそうになるのをこらえる。
棚の上で、黒い魔物がこちらを見ていた。
布を抱えたまま、小さく鳴く。
「なんか、あんまり悪いやつに見えないな」
リュウが言った。
「でも盗んでるからな」
「布好きなのか?」
「知らない」
ナオは小屋の中を見回した。
布や道具の陰に、何か小さな巣のようなものがある。
布が丸められて、その中に光るものがいくつか入っていた。
「あれ」
ナオが指さす。
リュウも見る。
「巣か?」
「たぶん」
中には布切れと、小さな金具と、焼き菓子の包み紙らしきものがあった。
「食べ物だけじゃなくて、光るものも集めてるのか」
「じゃあ、泥棒というより巣作りか?」
「かもしれない」
その時、魔物がまた動いた。
棚から飛び降り、巣の方へ走る。
ナオは杖を向けた。
攻撃するつもりはない。
ただ、止めたい。
「うぉっ!」
床に淡い光が広がる。
魔物の足元が少し滑るように止まった。
その一瞬で、リュウが布袋をかぶせる。
「捕まえた!」
袋の中で魔物が暴れる。
でも、すぐにおとなしくなった。
ナオは袋の口を軽く押さえる。
「怪我してないか?」
「たぶん大丈夫だ」
リュウが袋の中を見る。
魔物は丸くなって、こちらをじっと見ていた。
大きな目をしている。
少しだけ震えていた。
「なんか、悪かったな」
リュウが小さく言った。
「依頼だから仕方ない」
「そうだけどさ」
ナオは依頼主を呼んだ。
小屋の中を確認してもらう。
女は巣を見て、少し困ったように笑った。
「ああ、こいつ、子どもだったのかね」
「子ども?」
「たぶんね、大きいやつはもっと荒っぽいんだよ」
「どうしますか?」
「町の外に逃がしてくれればいいよ、布は戻ってきたし、怪我人もいないからね」
ナオはうなずいた。
2人は袋を持って、町の外れまで歩いた。
小さな林の近くで袋を開ける。
黒い魔物はしばらく中で丸まっていたが、やがてひょこっと顔を出した。
ナオとリュウを見て、小さく鳴く。
そして、林の中へ走っていった。
「元気でな」
リュウが手を振る。
「盗むなよ」
ナオが言うと、リュウが笑った。
「言葉分かるのか?」
「分からない」
「じゃあ意味ないだろ」
「気持ちだ」
「気持ちはエルにならないぞ」
「それは違う話だろ」
依頼主から報告用の札をもらい、2人はギルドに戻った。
ミーは受付で待っていた。
「どうでした?剣、盗まれませんでした?」
「剣は無事」
リュウが言う。
「髪は踏まれたけどな」
ナオが言うと、ミーの耳がぴこっと立った。
「髪を踏まれたんですか?」
「踏まれた」
「魔物に?」
「魔物に」
ミーは少し考えてから、ぷっと笑った。
「あ、すみません、想像したら面白かったです」
「笑うなよ」
「でも、リュウさんなら大丈夫そうです」
「どういう意味だよ」
「えっと、髪が崩れても顔がいいので、たぶん平気です」
リュウは一瞬固まった。
ナオも少し驚いた。
ミーは自分が何を言ったのか分かっていない顔をしている。
「ミー、それは褒めてるのか?」
ナオが聞くと、ミーはうなずいた。
「はい、褒めてますです」
「そ、そうか」
0 リュウは少しだけ照れたように目をそらした。
ナオは笑いをこらえた。
ミーは報酬を渡しながら、にこにこしている。
「今日も無事で良かったです、ナオも魔法使いました?」
「使ったけど、まだよく分からない」
「魔法ですか?」
「名前とか、ちゃんと分かってない」
「あー、そうなんですね」
「ミー、何か知ってる?」
ミーは少し考えた。
耳がぴくぴく動く。
「えっと、魔法は、魔力をこう、ぎゅっとして、ぱっとやる感じです」
「それは俺もやってる」
「じゃあ、できてますね」
「説明になってないな」
「すみません、私、魔法はあんまり詳しくないです」
ミーはしょんぼりした。
「でも、ギルドに魔法に詳しい人が来ることあります、今度聞いてみますね」
「助かる」
「はい、任せてください、忘れなければ」
「忘れそうだな」
「半分くらい忘れません」
「半分は忘れるのか」
リュウが笑う。
ミーも笑った。
報酬を受け取ると、今日も袋が少し重くなった。
派手な依頼ではなかった。
でも、町の人に感謝されて、エルももらえた。
こういう仕事も悪くない。
ギルドを出ると、夕方の町にカジノの看板が光り始めていた。
リュウは自然にそちらを見る。
ナオも気づいた。
「行くなよ」
「まだ何も言ってない」
「顔が言ってる」
「ちょっと見るだけ」
「昨日も似たこと言ってたな」
「今日は勝てる気がする」
「朝に小さな勝負で負けただろ」
「あれは準備運動」
「負けを準備運動にするな」
リュウは笑った。
でも、足はカジノには向かわなかった。
「今日は飯にするか」
「珍しい」
「俺は成長してるからな」
「明日には戻ってそうだけど」
「それはある」
2人は近くの食堂へ向かった。
食堂に入る前、リュウがふと振り返った。
「ナオ」
「ん?」
「あの魔物、逃がしてよかったな」
「そうだな」
「倒すだけじゃない依頼もあるんだな」
「あるみたいだな」
「なんか、冒険者って思ってたより色々あるな」
ナオはうなずいた。
魔物を倒す。
エルを稼ぐ。
カジノで賭ける。
それだけではない。
盗まれた物を取り戻す。
困っている人を助ける。
知らない魔法を覚える。
知らない町へ、いつか向かう。
この世界でやることは、思っていたより多そうだった。
「明日もギルドだな」
ナオが言うと、リュウは笑った。
「で、たまにカジノだな」
「たまにな」
「たまにって、どのくらい?」
「働いたあとだ」
「じゃあ、今日働いたけど?」
「今日は飯」
「ちぇ」
リュウは残念そうにしながらも、食堂の扉を開けた。
中から肉の焼ける匂いと、冒険者たちの笑い声が流れてくる。
ナオは杖を持ち直して、その後に続いた。
今日は勝負には行かない。
でも、それでいい。
働いて、助けて、食って、少し笑う。
この世界での1日は、そうやって少しずつ積み重なっていく。




