16話 止まる日が明けたら
次の日、ナオはいつもより少し早く目を覚ました。
昨日はカジノに行かなかった。
食堂で飯を食べて、宿に戻って、そのまま寝た。
止まる日。
リュウがそう言っていた。
その言葉が少しおかしくて、でも妙にしっくりきた。
行くだけではなく、止まる。
止まったあとに、また動く。
冒険者としても、カジノ好きとしても、たぶん大事なことなのだろう。
ナオはベッドから起き上がり、杖を手に取った。
昨日の訓練で、魔法の感覚は少しだけ変わった。
力を投げるのではなく、置く。
押しつけるのではなく、合わせる。
言葉にすると簡単だ。
でも、実際にはかなり難しい。
ナオは部屋の中で杖を軽く握り、深く息を吸った。
「はぁ……」
魔力を流そうとして、すぐに止める。
部屋の中で出すのは危ない。
宿を壊したら、サチに何を言われるか分からない。
いや、分かる。
たぶん普通に怒られる。
ナオは小さく笑って、部屋を出た。
階段を下りると、宿の入口にサチがいた。
昨日渡した香り草の束の横に、小さな布を敷いている。
飾るというより、ちゃんと場所を作っている感じだった。
「おはよう」
ナオが声をかけると、サチが振り向いた。
「おはよ、今日は早いじゃん」
「昨日早く寝たからな」
「カジノ行かなかったもんね」
「それ、すぐ分かるのか?」
「分かるよ、リュウがうるさく帰ってこなかったから」
「判断基準がリュウなんだな」
「だいたい合ってるでしょ」
「合ってる」
サチは笑った。
ナオは香り草の方を見る。
「そこ、ちゃんと置いてくれたんだな」
「せっかくもらったしね」
「ただの虫よけだけどな」
「ただの虫よけでも、もらった物はもらった物でしょ」
サチは何気なく言った。
ナオは少しだけ言葉に詰まる。
そういうところが、最近少し困る。
サチは軽く言う。
でも、ナオの中には残る。
「今日は何するの?」
サチが聞いてきた。
「ギルドに行って考える」
「いつも通りだね」
「たぶん軽い依頼かな」
「昨日は止まる日だったんでしょ?」
「リュウが言ってたな」
「じゃあ今日は動く日?」
「かもしれない」
「動きすぎない日でお願い」
サチはそう言って、ナオを見る。
ふざけたようで、少しだけ本気の目だった。
「分かった」
「今の分かったは何割?」
「10割」
「ほんと?」
「リュウじゃないからな」
「ナオもたまに無理しそうだけど」
「そうか?」
「するよ、たぶん」
サチは少しだけ目を細めた。
「リュウは分かりやすく前に出るけど、ナオは考えすぎて無理しそう」
ナオは返事に迷った。
そう言われると、心当たりがないわけではない。
護衛依頼の帰り道で怪我人を見つけた時も、正しいか分からないまま助けた。
あれは結果的にはよかった。
でも、もっと危険だったらどうしたのか。
荷車を危険にさらしていたらどうしたのか。
考え始めると、少し重くなる。
「気をつける」
ナオが言うと、サチはうなずいた。
「うん、それでいい」
「今日は見送りはいらないぞ」
「普通にギルド行くだけでしょ」
「そう」
「じゃあ見送らない」
「それはそれで少し寂しいな」
言ってから、ナオは自分で少し驚いた。
サチも一瞬止まった。
それから、にやっと笑う。
「へぇ」
「今のなし」
「なしにしない」
「忘れてくれ」
「無理」
サチは楽しそうに笑った。
ナオは少し顔をそらす。
その時、階段からリュウが降りてきた。
まだ眠そうだが、昨日よりは早い。
「おはよう」
ナオが言う。
「おはよう」
リュウはあくびをしながら答えた。
サチがリュウを見る。
「今日は早いじゃん」
「俺は成長してるからな」
「昨日カジノ行かなかったからでしょ」
「それも成長」
「まあ、それはそうか」
サチが素直にうなずくと、リュウは少し驚いた顔をした。
「珍しくちゃんと褒められた」
「珍しくって言うと褒めたくなくなるよ」
「じゃあ今のなしで」
「なしにしない」
サチはまた笑った。
ナオとリュウは宿を出て、いつもの屋台へ向かった。
朝の通りはにぎやかだった。
焼いた肉の匂い。
パンを売る声。
荷車のきしむ音。
町に戻ってから、この音が前より身近に感じる。
「今日は何する?」
リュウが串焼きを買いながら言った。
「ギルドで依頼を見る」
「そろそろ討伐もいいな」
「昨日止まる練習したばかりだぞ」
「だからこそ実践」
「物は言いようだな」
「ナオも魔法の練習したいだろ?」
「それはある」
「じゃあ、軽めの討伐」
「軽めがあるならな」
ギルドに入ると、受付の棚から小さく鈴の音がした。
ちりん。
ミーが書類を取ろうとして、また木の鳥飾りに触れたらしい。
耳がぴこっと動いている。
リュウがそれを見て、少し満足そうな顔をした。
「おはよう、ミー」
リュウが声をかけると、ミーは振り向いた。
「あ、リュウさん、ナオさん、おはようございますです」
「また鳴らしてるな」
「違います、鳴っちゃったんです」
「同じじゃないか?」
「違います、気持ちが違います」
「気持ちか」
リュウは笑った。
ミーは木の鳥飾りをそっと押さえた。
「でも、これ置いてから受付が少し楽しいです」
「仕事は楽しくなった方がいいだろ」
「はい、ただ、楽しくなりすぎると怒られます」
「ほどほどだな」
「リュウさんもカジノほどほどですよ」
「急に刺してくるな」
「ほどほどが大事です」
「ミーに言われると妙に効くな」
ミーはよく分かっていない顔で首を傾げた。
ナオは掲示板を見た。
今日の依頼は、昨日より少し多い。
薬草採取。
南の草原の魔物確認。
東の畑の水路掃除。
倉庫の荷物整理。
町の外れに出た角ウサギの群れを追い払う依頼。
「ミー、角ウサギの群れって討伐?」
ナオが聞くと、ミーは書類を確認した。
「えっと、討伐じゃなくて追い払いですね、畑の近くに集まってるので、森の方へ逃がしてほしいみたいです」
「倒さなくていいのか」
「はい、できれば倒さずに、です」
リュウが少しだけ目を輝かせた。
「昨日の止まる練習、使えるんじゃないか?」
「そうだな」
「俺も前に出すぎずに追い込む練習になる」
「ちょうどいいかもな」
ミーはリュウを見て、にこっと笑った。
「リュウさん、止まる練習の実戦ですね」
「まだその名前続くのか」
「はい、もうしばらく続きます」
「いつ終わるんだよ」
「リュウさんが完全に止まれるようになったらです」
「それ、一生続かないか?」
「じゃあ一生です」
「重いな」
ミーは自分で言って少し笑った。
リュウもつられて笑う。
ナオは依頼書を取った。
「これ受ける」
「はい、角ウサギ追い払いですね」
ミーが手続きを始める。
「ナオさん、魔法で驚かせすぎないようにしてくださいね」
「ああ、分かってる」
「リュウさん、走りすぎないでくださいね」
「分かってる」
「何割ですか?」
「10割」
「おお」
「今日は本気で10割」
「では信じます、8割くらい」
「信じる側が8割なのかよ」
手続きを終え、2人はギルドを出た。
南東の畑の近くへ向かう。
町を出ると、空気が少し変わった。
草と土の匂い。
遠くで畑仕事をしている人の声。
角ウサギは、畑と林の間にある草地に集まっているらしい。
依頼主は年配の女性だった。
「倒さなくていいんですか?」
ナオが確認すると、女性はうなずいた。
「できればね、畑を荒らされるのは困るけど、数を減らしすぎると森の方で別の魔物が増えるって聞いたんだよ」
「そういうものなんですか?」
「私は詳しくないけど、ギルドの人が言ってたよ」
「なるほど」
ただ倒せばいいわけではない。
またそういう依頼だった。
ナオは少しだけガルドの言葉を思い出す。
状況を制御する。
今日の依頼には、それが合っている気がした。
草地に入ると、角ウサギが何匹もいた。
全部で8匹くらい。
額の小さな角が、草の間から見え隠れしている。
かわいい見た目ではある。
でも、畑に突っ込まれれば作物がやられる。
「林の方へ逃がすんだな」
リュウが言う。
「ああ、畑の方に行かせない」
「俺が左から回る」
「出すぎるなよ」
「分かってる」
「荷車はないけど、守る対象は畑だ」
「了解」
リュウは低く身をかがめ、畑の逆側へ回り込む。
ナオは杖を構えた。
強く驚かせすぎると、どこへ飛ぶか分からない。
光を置く。
投げない。
置く。
「はぁ……」
ナオは息を吐きながら、杖の先に魔力を集めた。
小さな光を地面に落とす。
角ウサギの前ではなく、畑側の少し手前。
光がふわっと弾ける。
角ウサギがびくっと顔を上げた。
何匹かが跳ねる。
だが、畑ではなく林の方へ動いた。
「いいぞ」
リュウが小声で言う。
リュウは林側へ行きすぎず、角ウサギの進行方向を少しだけ調整する。
剣は抜いていない。
手に持った布を広げ、音で誘導している。
「こっちじゃない、そっちだ」
リュウが軽く地面を踏む。
角ウサギが方向を変える。
だが、1匹だけ畑の方へ走り出した。
「ナオ、右!」
「ああ!」
ナオは杖を向ける。
焦るな。
当てるな。
前に置く。
「うぉっ!」
小さな光が角ウサギの進行方向に落ちた。
角ウサギは急に止まり、くるっと向きを変える。
リュウがすぐに横から布を振る。
そのまま林の方へ誘導した。
「よし!」
「まだだ、あと3匹」
残りの角ウサギは固まって動いていた。
群れになると、1匹が跳ねた方向に他もつられる。
ナオは光を大きくしすぎないように、点で置いていく。
リュウは走りすぎず、戻りながら誘導する。
昨日の訓練が、ちゃんと役に立っている。
ナオはそう感じた。
最後の1匹が草むらの中で丸まって動かなくなった。
小さく震えている。
「どうする?」
リュウが聞く。
「無理に追い立てると畑に行くかもしれない」
「捕まえるか?」
「できるか?」
「やってみる」
リュウはゆっくり近づく。
いつもなら一気に行きそうなところを、今日はかなり慎重だった。
角ウサギがぴくっと動く。
リュウは止まる。
「お前も止まる練習か」
リュウが小さく言った。
ナオは少し笑いそうになった。
角ウサギがもう一度動く。
リュウは布をそっと広げる。
ナオは後ろから杖を構え、畑側に光を1つ置いた。
「はぁぁ……」
光が小さく地面に灯る。
角ウサギはそちらへは行かず、リュウの横をすり抜けようとした。
リュウは半歩だけ引き、布をかぶせる。
「よし、捕まえた」
袋の中で角ウサギが少し暴れる。
すぐにおとなしくなった。
「林の近くで放そう」
「ああ」
2人は林の手前まで行き、袋を開けた。
角ウサギは一瞬だけ2人を見たあと、草の中へ跳ねていった。
「終わりか?」
リュウが言う。
ナオは畑の方を見る。
作物は無事だった。
角ウサギも林の中へ散っていった。
「たぶん」
「倒さない依頼、多いな」
「そうだな」
「でも、こういうの嫌いじゃない」
「俺も」
依頼主の女性に報告すると、かなり喜ばれた。
「助かったよ、畑も荒れてないし、ウサギも無事なら一番いい」
「よかったです」
ナオが答える。
「君たち、若いのに丁寧だね」
「ナオが丁寧なんです、俺は止まる練習中なんで」
リュウが言うと、女性は不思議そうな顔をした。
「止まる練習?」
「気にしないでください」
ナオがすぐに言った。
リュウは笑っている。
報告用の札を受け取り、2人はギルドへ戻った。
途中、リュウはやけに機嫌がよかった。
「今日の俺、かなり良かったよな」
「良かった」
「走りすぎなかった」
「それが一番良かった」
「ミーに報告しないとな」
「止まる練習の成果を?」
「そう」
「嬉しそうだな」
「いや、別に」
「顔が言ってる」
「ナオも人の顔読むようになったな」
「カジノとリュウのおかげだな」
「俺が教材みたいになってる」
ギルドに戻ると、ミーは受付で木の鳥飾りを少し磨いていた。
仕事中に何をしているのかと思ったが、近くに書類も置いてある。
どうやら飾りに付いた埃を取っていたらしい。
「ただいま、ミー」
リュウが声をかけると、ミーはぱっと顔を上げた。
「あ、おかえりなさいです、リュウさん、ナオさん」
「依頼、成功」
「角ウサギはどうでした?」
「倒さずに林へ追い払った」
ナオが報告用の札を出す。
「おお、すごいです」
ミーは書類を確認しながら、リュウを見る。
「リュウさん、走りすぎませんでした?」
「今日は走りすぎなかった」
「本当ですか?」
「本当」
「何割?」
「10割」
「おお、リュウさん、止まる練習の成果です」
「だろ?」
リュウは少し胸を張った。
ミーは嬉しそうに耳を揺らす。
「リュウさんが止まれるようになると、すごく安心です」
「そんなに危なそうだった?」
「はい」
「即答か」
「でも、今日は安心です」
リュウは一瞬だけ言葉に詰まった。
「そう言われると、悪くないな」
「悪くないですか?」
「ああ」
ミーはにこにこしている。
ナオはその横で、報酬の袋を受け取った。
今日の報酬は大きくない。
でも、昨日の訓練がちゃんと実戦で役に立った。
その感覚は、エルとは別の価値があった。
「ナオさんの魔法も上手くいきました?」
ミーが聞く。
「ああ、光を置く感じでやった」
「光を置く?」
「投げるんじゃなくて、置く」
「えっと、光って置けるんですか?」
「俺もまだよく分かってない」
「でもできたんですね」
「できた」
「じゃあすごいです」
ミーは難しいことを考えるのをやめたように、あっさりうなずいた。
リュウが笑う。
「ミーは納得が早いな」
「考えすぎるとお腹空くので」
「またそれか」
「はい」
手続きが終わると、ミーは木の鳥飾りを少し触った。
ちりん、と鈴が鳴る。
耳が動く。
リュウがそれを見て笑う。
「やっぱり動くな」
「勝手に動くんです」
「いいと思う」
「リュウさん、それ好きですね」
「まあ、面白いし」
「面白いですか?」
「かわいいと思う」
言った瞬間、リュウは少し固まった。
ミーも固まった。
ナオも固まった。
受付の空気が一瞬だけ止まる。
「えっと」
ミーの耳がゆっくり下がった。
「ありがとう、ございますです」
「いや、その、鳥飾りと耳の話な」
「はい、耳の話です」
「そう、耳」
「耳がかわいい……ですか?」
「いや、まあ、そういうことになるか」
リュウは目をそらした。
ミーは顔を少し赤くして、木の鳥飾りを両手で持っている。
ナオは笑っていいのか迷った。
結果、笑わないことにした。
リュウにあとで何か言われそうだからだ。
「ナオさん、笑ってませんか?」
ミーが聞く。
「笑ってない」
「ほんとですか?」
「ああ、我慢してる」
「それは笑ってるのと同じです」
「そうかもしれない」
リュウが小さく咳払いした。
「じゃあ、俺たちはそろそろ行く」
「はい、お疲れさまでした」
ミーは少し照れたように笑った。
「リュウさん、今日は止まれてよかったです」
「ああ」
「カジノでも止まってくださいね」
「そこに戻るのか」
「大事なので」
「分かった、8割くらい」
「今日は10割でお願いします」
「……10割」
「よしです」
ミーは満足そうにうなずいた。
ギルドを出ると、リュウはしばらく黙っていた。
ナオは横を歩きながら、あえて何も言わない。
夕方の町は少しずつにぎやかになっている。
カジノの看板にも灯りが入り始めていた。
リュウはちらっと見た。
でも、今日は足を止めなかった。
「何も言わないのか?」
リュウが急に言った。
「何を?」
「さっきの」
「耳がかわいいってやつか?」
「言うなよ」
「自分で聞いただろ」
リュウは頭をかいた。
「口が滑った」
「本音だろ」
「まあ、本音だけど」
「いいんじゃないか」
「いいのか?」
「ミー、嬉しそうだったぞ」
「そうか?」
「たぶん」
「ナオのたぶんは何割?」
「8割」
「まあまあ信用できるな」
リュウは少しだけ安心したように息を吐いた。
「サチには言うなよ」
「言わない」
「絶対だぞ」
「分かった」
「何割?」
「10割」
「信用する」
宿に戻ると、入口にサチがいた。
香り草の束の横に、小さな花が一輪だけ置かれている。
誰かがくれたのか、サチが置いたのかは分からない。
「おかえり」
サチが声をかける。
「ただいま」
ナオが答える。
「今日はどうだった?」
「角ウサギを追い払った」
「倒したんじゃなくて?」
「ああ、林へ逃がした」
「へぇ、そういう依頼もあるんだね」
「最近そういうの多い」
「ナオ向きだね」
「またそれか」
「だって、倒すより止める方がナオっぽい」
サチはそう言って、少し笑った。
ナオは返す言葉を探す。
「リュウも今日はちゃんと止まったぞ」
ナオが言うと、リュウは少し胸を張った。
「そう、俺は止まれる男になった」
「言い方が信用できない」
サチが即答する。
「なんでだよ」
「自分で言うと急に軽くなる」
「それはある」
ナオがうなずくと、リュウは不満そうにした。
「ナオまで」
「でも今日は本当に良かった」
「お、ちゃんと褒めた」
「今日はな」
サチはリュウを見て、少し目を細めた。
「じゃあ今日はカジノでも止まれる?」
「……」
「そこで黙るんだ」
「いや、考えてた」
「考える時点で怪しい」
リュウは笑ってごまかした。
「今日は行かないかも」
「かも?」
「行かない」
「ほんと?」
「10割」
「よし」
サチは満足そうにうなずいた。
リュウは荷物を置きに宿の中へ入っていった。
ナオは入口に残る。
サチは香り草の横に置いた花を少し整えていた。
「その花は?」
ナオが聞く。
「近所の人にもらった、香り草の横に置いたらいいかなって」
「いい感じだな」
「でしょ、宿の入口がちょっと良くなった」
「俺の土産が役に立ってるならよかった」
「かなり役に立ってるよ」
サチはそう言って、少しだけナオを見た。
「今日は無事だった?」
「ああ」
「怪我は?」
「ない」
「無理は?」
「してない」
「何割?」
「10割」
「ほんとかな」
「今日は本当に」
サチは少し笑った。
「ならよし」
ナオは香り草と花を見た。
ただの宿の入口だった場所が、少しだけ変わっている。
自分が買ったものがそこに置かれている。
それだけなのに、不思議と嬉しい。
「こういうの、いいな」
ナオが言うと、サチは首を傾げた。
「こういうの?」
「帰ってきた時に、ちょっと変わってる感じ」
「あー、分かるかも」
「町も宿も、少しずつ知ってる場所になる」
「ナオ、たまに急にしみじみするよね」
「そうか?」
「うん、おじさんみたい」
「それはひどいな」
「いい意味で」
「いい意味のおじさんって何だよ」
サチは笑った。
ナオも笑う。
その夜、2人は食堂で飯を食べた。
リュウはミーとの会話を何度か思い出しているようだったが、ナオは何も言わなかった。
言わない優しさもある。
たぶん。
「今日はカジノ行かない」
リュウが肉を食べながら言った。
「自分から言ったな」
「ミーにも言われたし、サチにも言われたし」
「止まる練習の成果だな」
「もう自分でもそう思ってる」
「いい傾向だ」
「でも明日は分からん」
「そこまでがセットだな」
リュウは笑った。
ナオも笑った。
窓の外では、カジノの灯りが今日も光っている。
でも今日は、それを遠くから見るだけでよかった。
止まる練習。
戻る練習。
少しずつ、2人はこの世界での動き方を覚えている。
派手な勝利はない。
特別な部屋にもまだ呼ばれていない。
それでも、日々は進んでいる。
ギルドで依頼を受けて、町の人を助けて、魔法を覚えて、剣の動きを直して、誰かと少しずつ近づいていく。
ナオは水を飲み、リュウを見る。
リュウは肉を食べながら、どこか上機嫌だった。
たぶん、ミーの耳のことを思い出している。
ナオはそれを言わない。
その代わり、宿の入口に置かれた香り草と花を思い浮かべた。
自分も人のことは言えない。
そう思うと、少しだけ笑えた。
明日もまた、何かがある。
依頼かもしれない。
訓練かもしれない。
カジノかもしれない。
でもその前に、今日はちゃんと止まった。
それだけで、少し前に進んだ気がした。




