13話 はじめての護衛依頼
朝は、思っていたより早く来た。
ナオはまだ薄暗い部屋の中で目を開けた。
窓の外は青みがかっている。
町の音はまだ少ない。
いつもの屋台の煙も、まだ上がり始めたばかりだった。
ナオはベッドから起き上がり、荷物を確認した。
水袋。
硬いパン。
干し肉。
簡単な布。
小さな薬。
サチにもらった干し果物と焼き菓子。
それから杖。
全部ある。
「よし」
小さく息を吐いて、ナオは部屋を出た。
隣の部屋の扉を叩く。
「リュウ、起きてるか?」
少し間があった。
嫌な間だった。
「……起きてる」
「今起きただろ」
「起きてる途中だった」
「それは起きてない」
扉が開き、リュウが荷物を肩にかけて出てきた。
髪は少し跳ねているが、昨日よりはまともだった。
剣も腰にある。
荷物も持っている。
意外とちゃんとしていた。
「忘れ物は?」
ナオが聞く。
「ない」
「食べ物は?」
「ある」
「昨日食ってないな?」
「9割食ってない」
「1割食ったのか?」
「干し肉を少しだけ」
「やっぱりか」
リュウは悪びれずに笑った。
「朝飯代わりだ」
「屋台で買う予定だっただろ」
「それも食う」
「食べすぎだ」
「今日は歩くからな」
ナオはため息をついた。
2人が階段を下りると、宿の入口にサチがいた。
ランプの灯りがまだ残っている。
サチは眠そうではあったが、ちゃんと起きていた。
「おはよ」
「おはよう」
ナオが答える。
「本当に起きてたんだな」
「起きるって言ったじゃん」
「無理しなくてもよかったのに」
「それ言わない約束」
「約束したっけ?」
「今した」
サチはそう言って、少し笑った。
それからナオの荷物を見た。
「忘れ物は?」
「確認した」
「水は?」
「ある」
「食べ物は?」
「ある」
「リュウは?」
「9割ある」
リュウが答えると、サチは目を細めた。
「1割どうしたの?」
「朝飯代わりに」
「出発前から減らしてどうするの」
「歩けば腹減るから」
「今減ってるじゃん」
サチは呆れたように言った。
でも、どこか安心したようにも見えた。
サチは小さな布袋をもう1つナオに渡した。
「これ、追加」
「いいのか?」
「昨日の残り、本当に食べきれなかったやつ」
「助かる」
「リュウ、勝手に全部食べないでよ」
「分かってる」
「何割?」
「10割」
「ほんと?」
「9割」
「正直でよろしい」
サチは笑った。
ナオは布袋を荷物にしまう。
その手元を、サチは少しだけ見ていた。
「気をつけてね」
「ああ」
「本当に危ないと思ったら、荷物より自分たち優先だよ」
「分かってる」
「リュウも」
「分かってる」
「今度は何割?」
「10割」
「よし」
サチは満足そうにうなずいた。
ナオは宿の扉に手をかける。
外の空気は少し冷たい。
出発の朝というだけで、いつもの町が違って見えた。
「行ってくる」
ナオが言うと、サチは少しだけ表情を緩めた。
「行ってらっしゃい」
その言葉を聞いて、ナオは短くうなずいた。
リュウも手を上げる。
「行ってくる」
「ちゃんとナオの言うこと聞きなよ」
「俺、子どもじゃないんだけど」
「半分くらい子ども」
「みんなそれ言うな」
リュウは苦笑しながら外へ出た。
ナオもその後に続く。
宿を離れて少し歩いたところで、リュウが横から言った。
「サチ、心配してたな」
「ああ」
「ナオ、ちゃんと帰らないとな」
「当たり前だろ」
「いや、なんかさ」
「なんだよ」
「昨日から、ナオが少し真面目すぎる顔してる」
「護衛依頼だからな」
「それだけ?」
「それだけだ」
リュウはにやっと笑った。
「ふーん」
「その顔やめろ」
「はいはい」
2人は朝の屋台で簡単にパンと串焼きを買った。
リュウは当然のように串焼きを2本買った。
ナオは何も言わなかった。
もう言っても無駄だと思った。
南西門に着く頃には、空が明るくなり始めていた。
門の近くには、小さな荷車が止まっている。
荷車には木箱と布で包まれた荷物がいくつも積まれていた。
その横に、髭のある男が立っている。
ミーの言っていた通り、髭が少し目印になる。
「ハルムさんですか?」
ナオが声をかけると、男は振り返った。
「ああ、君たちが護衛の冒険者か」
「はい、ナオです」
「リュウです」
「よろしく頼む、荷物は壊れ物もあるから、できるだけ揺らさないように進む」
ハルムは荷車を軽く叩いた。
「道中はそんなに危なくないはずだが、小型の魔物や荷物目当ての連中が出ることはある」
「分かりました」
ナオはうなずいた。
リュウは周囲を見ながら、少しだけ表情を引き締める。
いつもの軽さはあるが、完全に浮かれてはいなかった。
「俺は前を見ます」
リュウが言う。
ナオはすぐに首を横に振った。
「前に出すぎるな」
「分かってる、荷車から離れすぎない」
「それならいい」
ハルムは2人を見て、少し笑った。
「君たちはいい組み合わせだな」
「そうですか?」
「片方が前に出たがって、片方が止める、護衛にはちょうどいい」
「俺、そんなに出たがって見えます?」
リュウが聞くと、ハルムは即答した。
「見える」
「即答か」
ナオは少し笑った。
出発前の確認をしていると、ギルドの方からミーが走ってきた。
耳が上下に揺れている。
「あ、間に合いました」
「ミー?」
リュウが少し驚く。
「見送りです、あと、渡すもの忘れてました」
「忘れてたのか?」
「はい、でも思い出したので、半分セーフです」
「半分アウトだな」
ミーは小さな紙をナオに渡した。
「これ、村のギルド連絡所に渡す紙です、受付の人に渡してください」
「分かった」
「それと、リュウさん」
「俺?」
「前に出すぎないでくださいね」
「みんなそれ言うな」
「大事なので」
「分かってる」
「何割ですか?」
「10割」
ミーは目を輝かせた。
「おお、リュウさん、成長しましたね」
「だろ?」
「でも、9割くらいかもしれないので気をつけてください」
「信用してるのかしてないのかどっちだよ」
「9割信用してます」
「高いのか低いのか微妙だな」
ミーはにこにこしている。
リュウは少し照れたように顔をそらした。
ナオはそれを見て、少しだけ口元を緩めた。
「ナオさんも気をつけてくださいね」
ミーが言う。
「ああ、行ってくる」
「はい、行ってらっしゃいです」
門が開く。
荷車がゆっくり動き出した。
ナオとリュウはその左右につく。
町の外へ出る。
それだけのことなのに、足元の感覚が少し変わった。
昨日まで見ていた門が、背中の方に遠ざかっていく。
宿も、ギルドも、カジノも、サチもミーも、少しずつ後ろになる。
目の前には、まだ知らない道が伸びていた。
最初のうちは、道は広く歩きやすかった。
荷車の車輪が土を踏む音が、一定のリズムで続く。
左右には低い草原が広がっている。
朝の風が冷たく、少し気持ちいい。
「旅っぽいな」
リュウが言った。
「まだ出たばかりだぞ」
「でも町の外だ」
「浮かれるなよ」
「浮かれてない、8割くらい」
「2割浮かれてるじゃないか」
「それくらいは許せ」
ハルムが荷車を引きながら笑った。
「若い冒険者は、最初の護衛でだいたい浮かれる」
「そうなんですか?」
リュウが聞く。
「ああ、町から離れるだけで冒険者になった気がするからな」
「まさに今それです」
「正直だな」
ハルムは楽しそうに笑った。
ナオは周囲を見る。
草の揺れ。
道の先。
荷車の後ろ。
小型魔物が出る可能性があるなら、気を抜くわけにはいかない。
討伐依頼とは違う。
今回は荷物を守る。
前に出て倒せばいいわけではない。
荷車から離れすぎない。
ハルムを危険にさらさない。
壊れ物を守る。
ナオはそれを頭の中で何度も確認した。
しばらく進むと、道の脇に小さな林が見えてきた。
ミーが言っていた場所だろう。
深い森ではない。
けれど、木々が並んでいて、道の片側が少し暗くなっている。
「この辺は気をつけてくれ」
ハルムが言った。
「小さい魔物が草むらから飛び出すことがある」
「分かりました」
ナオは杖を握り直す。
リュウも剣の柄に手を置いた。
ただし、抜かない。
少し成長している。
ナオはそう思った。
林の横を通りかかった時、草むらが揺れた。
リュウがすぐ反応する。
だが、前に飛び出しはしなかった。
「ナオ、右」
「ああ」
草の中から、小さな灰色の魔物が2匹出てきた。
角ウサギより少し大きい。
犬のようにも見えるが、口が長い。
荷車に積まれた荷物の匂いを嗅いでいるようだった。
「食べ物狙いか」
ハルムが低く言う。
「追い払えばいい、倒す必要はない」
「了解」
リュウが一歩前に出る。
出すぎない。
荷車から離れすぎない。
ナオは杖を構える。
魔力を流す。
昨日ガルドに教わった感覚。
強く押し出さない。
形を決める。
リュウの動きに合わせる。
「はぁぁっ」
淡い光がリュウの足元に広がる。
リュウが軽く地面を蹴った。
速い。
でも、無駄に前へ飛びすぎていない。
魔物の前に出て、剣を抜く。
刃を向けるだけで、2匹の魔物がびくっと止まった。
「来るなら来い」
リュウの声は低かった。
魔物が1匹、横から荷車に向かって走る。
ナオは杖を向けた。
「うぉっ!」
魔物の前に小さな光が落ちる。
驚いた魔物が足を止める。
その瞬間、リュウが剣の腹で地面を強く叩いた。
乾いた音が響く。
魔物たちは耳を伏せるようにして、林の中へ逃げていった。
「よし」
リュウが剣を下ろす。
「倒さずに済んだな」
ナオが言うと、リュウは少し得意げに笑った。
「止まる練習の成果だな」
「自分で言うようになったか」
「もう受け入れた」
ハルムが感心したようにうなずく。
「いい判断だ、荷物を守るなら今ので十分だ」
「ありがとうございます」
リュウは少し嬉しそうだった。
その後もしばらく進んだが、大きな問題はなかった。
途中で休憩を挟み、道端で硬いパンと干し肉を食べる。
リュウはサチにもらった袋を見て、少し悩んでいた。
「それ、今食うのか?」
ナオが聞く。
「少しだけ」
「全部食うなよ」
「分かってる」
「何割?」
「9割」
「正直でいい」
リュウは干し果物を1つ食べて、少し目を丸くした。
「うまい」
「食いすぎるなよ」
「分かってるって」
ナオも1つ食べた。
甘さが口の中に広がる。
不思議と、サチの顔が浮かんだ。
ちゃんと帰ってきて。
その言葉も一緒に浮かんだ。
ナオは水を飲み、荷物をしまう。
「どうした?」
リュウが聞く。
「いや、ちゃんと帰らないとなと思って」
「サチのこと?」
「依頼のことだ」
「ふーん」
「その顔やめろ」
リュウは笑った。
昼を過ぎる頃、道は少し細くなった。
小さな丘を越えると、遠くに村が見えた。
木の柵に囲まれた、小さな集落。
畑があり、煙が上がっている。
町よりずっと静かだった。
「あれが西の村か」
リュウが言った。
「思ったより小さいな」
ナオも見ながら答える。
「でも、なんかいいな」
「旅っぽいか?」
「かなり」
ハルムは荷車を引きながら、少しほっとした顔になった。
「ここまで来ればもう少しだ」
その時だった。
道の脇の岩陰から、男が2人出てきた。
武器は持っている。
ただし、しっかりした剣ではない。
古い短剣と、木の棒のようなものだった。
服も汚れている。
盗賊というには頼りない。
でも、普通の通行人ではなかった。
「止まれ」
片方の男が言った。
声は少し震えている。
ナオは荷車の横に立ち、杖を握った。
リュウは前に出そうになったが、すぐに踏みとどまった。
荷車から離れない。
ちゃんと覚えている。
「何の用ですか?」
ナオが聞く。
「荷物を置いていけ」
男は短剣を向ける。
だが、手が震えている。
もう1人も、リュウの剣を見て少し腰が引けていた。
ハルムが小さく息を呑む。
ナオは男たちを見る。
本物の盗賊というより、追い詰められた人間に見えた。
それでも、武器を向けている以上、油断はできない。
「リュウ」
ナオが小さく言う。
「分かってる」
リュウは剣を抜いた。
でも、走らない。
ただ一歩だけ前に出る。
ナオは杖を構えた。
リュウの背中に合わせる。
押しつけない。
支える。
「はぁぁっ」
淡い光がリュウの足元を包む。
男たちの顔色が変わった。
「ま、魔法使いか」
短剣の男が後ずさる。
リュウは剣を構えたまま、低く言った。
「これ以上近づくな」
その声は、いつもの軽い声ではなかった。
剣士の声だった。
男たちは迷っている。
ナオはさらに杖の先に光を集めた。
大きくはない。
でも、見えるように。
「うぉー」
光の弾が杖の先に浮かぶ。
撃つつもりはない。
ただ、撃てると見せる。
短剣の男が一歩下がった。
木の棒を持った男は、すでに逃げ腰だった。
「やめとけ」
ナオは言った。
「荷物を取っても、たぶんすぐ捕まるぞ」
「うるさい」
「怪我人を出したら、もっと戻れなくなる」
男は唇を噛んだ。
ナオには事情は分からない。
でも、ここで戦う必要がないなら、その方がいい。
リュウは剣を下ろさない。
けれど、飛び込まない。
その距離が、逆に男たちを追い詰めすぎずに済んでいた。
しばらくして、短剣の男が舌打ちした。
「行くぞ」
「で、でも」
「無理だ」
2人は岩陰の方へ下がり、そのまま走って逃げていった。
リュウはしばらく見送ってから、剣を下ろした。
「追わないのか?」
ハルムが聞いた。
ナオは首を横に振った。
「荷物を守る依頼です、追ったら荷車が空きます」
ハルムは少し驚いた顔をしてから、ゆっくりうなずいた。
「その通りだ」
リュウも剣を鞘に戻す。
「正直、追いかけそうになった」
「だろうな」
「でも止まったぞ」
「見てた」
「褒めてもいい」
「偉い」
「やっぱり子ども扱いだな」
リュウは笑った。
でも、その顔には少し緊張が残っていた。
ナオも同じだった。
初めて、人間に武器を向けられた。
魔物とは違う怖さがあった。
倒せば終わりではない。
事情があるかもしれない。
それでも、守らなければいけないものがある。
護衛依頼は思っていたより重い。
村に着いたのは、夕方前だった。
木の門を抜けると、町とはまったく違う静けさがあった。
子どもが数人、荷車を見ている。
畑仕事を終えた人たちが、ハルムに声をかけている。
荷物は村の小さな倉庫へ運ばれた。
ナオとリュウも手伝う。
壊れ物の箱を慎重に下ろし、布で包まれた品を並べる。
すべて無事だった。
「ありがとう、助かった」
ハルムは深く頭を下げた。
「途中で少しありましたけど、荷物は無事です」
ナオが言うと、ハルムはうなずいた。
「君たちに頼んでよかったよ」
その言葉に、リュウは少しだけ照れた。
「まあ、俺たちも成長してますから」
「自分で言うな」
ナオが言うと、ハルムは笑った。
村のギルド連絡所は、小さな建物だった。
受付も1人だけ。
ナオはミーから預かった紙を渡した。
受付の女性が確認し、宿泊場所を教えてくれる。
「今夜は村の宿を使ってください、明日の朝、帰りの荷物を積んで戻る予定です」
「分かりました」
村の宿は、町の宿よりずっと小さかった。
部屋も簡素だ。
食事は出るらしいが、ナオたちは近くの小さな食堂で済ませることにした。
食堂には、村の人が数人いるだけだった。
リュウは椅子に座ると、大きく息を吐いた。
「疲れた」
「歩いたからな」
「魔物より、人間の方が変に疲れるな」
「分かる」
ナオは水を飲んだ。
武器を向けられた瞬間の緊張が、まだ少し体に残っている。
「追わなくてよかったのかな」
リュウがぽつりと言った。
「分からない」
「悪いやつだったかもしれない」
「そうかもしれない」
「でも、なんか弱そうだったな」
「追い詰められてたのかもな」
リュウは少し黙った。
「冒険者って、倒せばいいだけじゃないんだな」
「そうだな」
「面倒だな」
「でも、そこを間違えたら危ないんだと思う」
ナオはそう言って、杖を見た。
力がある。
剣がある。
魔法がある。
でも、それをどう使うかの方が大事なのかもしれない。
食事を終え、宿に戻る頃には、外は暗くなっていた。
村の夜は静かだった。
町のようにカジノの光もない。
酒場の大きな笑い声もない。
虫の声と、遠くの犬の鳴き声だけが聞こえる。
「カジノ、ないな」
リュウが言った。
「ないな」
「静かすぎる」
「たまにはいいだろ」
「まあな」
リュウは空を見上げた。
星がよく見えた。
町よりもずっと多い。
「サチに土産でも買って帰るか?」
リュウが何気なく言った。
ナオは少しだけリュウを見る。
「急にどうした」
「いや、心配してたし」
「そうだな」
「ミーにも何か買っていくかな」
リュウは少し照れくさそうに言った。
「ギルドへの土産か?」
「そう、ギルドへの」
「ふーん」
「その顔やめろ」
ナオは笑った。
宿の部屋に戻り、荷物を下ろす。
今日はカジノには行けない。
大きく稼いだわけでもない。
でも、ちゃんと依頼をこなした。
荷物を守り、村まで来た。
町の外で夜を迎えた。
それだけで、少しだけ遠くへ来た気がした。
ナオはベッドに横になり、天井を見上げる。
明日は帰り道だ。
ちゃんと帰る。
サチにそう言った。
だから、帰らなければいけない。
この小さな護衛依頼は、ただの仕事ではなくなっていた。
町を離れる一歩。
戻るための一歩。
そしていつか、もっと遠くへ行くための練習。
ナオは目を閉じる。
静かな村の夜の中で、サチの声がもう一度浮かんだ。
ちゃんと帰ってきて。
その言葉を胸に置いたまま、ナオはゆっくり眠りに落ちた。




