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11章 少しだけのつもり

 カジノの中は、相変わらずにぎやかだった。


 入口をくぐった瞬間、チップの音と、人の声と、魔力で動く台の光が一気に流れ込んでくる。


 昨日は行かなかった。

 その前も、我慢した。

 だからなのか、リュウの足取りは少し軽い。


 いや、少しどころではない。

 かなり軽い。


「リュウ、早い」


「早くない」


「ほぼ走ってる」


「歩くのが速いだけだ」


「それを早いって言うんだよ」


 リュウは振り返って笑った。

 その目はもう、奥に並んでいるブレイブマンの台を見ている。


 ナオはため息をつきながらも、少しだけ笑った。


 今日は訓練もした。

 依頼もこなした。

 エルも少し増えた。


 だから、少しだけならいい。

 少しだけ。


 その言葉が危ないのは分かっている。

 でも、分かっていても来てしまうのがカジノだった。


「ナオはどうする?」


 リュウが聞いてきた。


「テキサスホールデムを少しだけ」


「お互い少しだけだな」


「お前の少しだけは信用できない」


「今日は本当に少しだけ」


「何割?」


「8割」


「残り2割が怖い」


 リュウは笑って、ブレイブマンの島へ向かった。


 ナオはテーブルの方へ歩く。

 何度か座っただけなのに、少しだけ見慣れてきた。


 丸いテーブル。

 伏せられたカード。

 積まれたチップ。


 余裕そうな顔をした客たち。


 今日も赤い髪の女が座っていた。


 ナオを見ると、軽く手を上げる。


「また来たね」


「少しだけです」


「みんな最初はそう言うんだよ」


「今日は本当に」


「その言い方、昨日も聞いた気がするね」


 ナオは苦笑して席に座った。


 手元のチップは多くない。

 今日は増やすというより、遊ぶ。


 そして、読み合いに慣れる。

 そう自分に言い聞かせる。


「始めます」


 ディーラーがカードを配った。


 ナオは2枚のカードを見る。


 悪くない。

 でも、大きく行くほどでもない。


 ナオは小さくチップを置いた。


 場に3枚のカードが開く。

 手札とは少しだけ合っている。

 追えないことはない。


 でも、赤い髪の女が早めにチップを増やした。


 ナオは少し考える。

 いけるかもしれない。


 でも、無理をするほどでもない。


「降ります」


 ナオはカードを伏せた。


「相変わらず慎重だね」


「今日は少しだけなので」


「それ、本当に守れる?」


「たぶん」


「たぶんって言ったね」


 女は楽しそうに笑った。


 その頃、リュウはブレイブマンの台の前に座っていた。


 チップを入れる。

 レバーを叩く。

 リールが回り、魔法盤の中でブレイブマンが森の中を走る。


「お、走ってる」


 リュウは前のめりになった。


 左を止める。


 8。


 中を止める。


 盾。


「違う」


 右を止める。


 8。


「あー、間に盾挟むなよ」


 隣にいた客が笑った。


「惜しいな」


「今のはちょっとあったでしょ」


「あった気はするな」


「だろ」


「でも外れは外れだ」


「それは言うな」


 リュウはすぐに次のチップを入れた。

 魔法盤の中で、今度はブレイブマンが洞窟に入っていく。


 背景が少し暗くなり、奥で赤い光が揺れた。


「これは熱い」


 リュウの声が少し低くなる。


 左。


 8。


 中。


 8。


 右リールが回る。


「来い」


 リュウが息を止める。

 右を押す。

 8は少し上で止まり、宝箱が滑り込んだ。


「うわああ」


 ブレイブマンは魔法盤の中で宝箱を開けた。


 中から煙が出る。

 リュウは頭を抱えた。


「外れ方が腹立つな」


 隣の客が笑う。


「今のは入ってなかったな」


「分かるのか?」


「雰囲気で」


「雰囲気かよ」


 リュウは悔しそうにしながらも、またチップを入れた。


 ナオの方では、2回目の勝負が始まっていた。

 今度の手札はかなり弱い。

 ナオはすぐ降りるつもりだった。


 でも、場の空気を見る。

 相手がどれくらい乗ってくるのか。

 どのタイミングで降りるのか。


 それを見ているだけでも、少し勉強になる。

 赤い髪の女は、今日は少し強気だ。

 隣の男は、手が悪いとすぐに指先が止まる。


 向かいの老人は、ほとんど表情が変わらない。


 ナオは小さく息を吐いた。

 強いカードを待つだけなら簡単だ。

 でも、たぶんそれだけでは勝てない。


「降ります」


 ナオがまたカードを伏せると、赤い髪の女が笑った。


「今日は本当に少しだけっぽいね」


「今のところは」


「今のところって言ったね」


「言いましたね」


 ナオも少し笑った。

 そのあと、何度か小さく勝って、何度か小さく負けた。


 大きな動きはない。

 けれど、チップは少しずつ減ったり増えたりする。


 勝っても、すぐに戻る。

 負けても、まだ取り返せそうに見える。

 それが……楽しい。


 カジノは、負けた瞬間よりも、まだいけると思った時の方が危ないのかもしれない。


 リュウの方から、また大きな声が聞こえた。


「来た!」


 ナオが振り向くと、リュウの台が光っていた。

 魔法盤の中でブレイブマンがドラゴンと向き合っている。


 背景は赤。

 剣が光っている。

 リュウは完全に前のめりだった。


「これはある、絶対ある」


 左。


 8。


 中。


 8。


 周りの客も少し台を見る。


 リュウの指が右ボタンの上で止まる。


「ここだろ」


 右。


 8。


 3つの8がそろった。


 一瞬遅れて、台全体が光る。


 ブレイブマンがドラゴンを斬り伏せる。

 派手な音が鳴って、チップが払い出された。


「よっしゃあ!」


 リュウは椅子から立ち上がりそうになった。


「見たか!8だ!」


 隣の客がうなずく。


「今のは入ってたな」


「だろ?分かったもん」


「本当に?」


「8割くらい」


「残り2割は?」


「祈り」


「それが1番大事かもな」


 リュウは笑いながら、払い出されたチップを寄せた。


 減っていた分が戻った。

 少し増えた。

 ここでやめれば勝ちだ。


 リュウはチップを見た。


 台を見る。


 もうちょい。


 あとちょっとだけ。


 そんな声が頭の中で聞こえる。

 でも、ナオの声も聞こえた。


 そのあとちょっとがリュウは危ない。


「……よし」


 リュウは椅子から立ち上がった。


 隣の客が驚く。


「やめるのか?」


「今日は少しだけだからな」


「偉いな」


「俺は成長する男なんで」


 リュウは少し得意げにチップを持った。


 ナオのテーブルに近づく。

 ナオはちょうど1勝負終えたところだった。


「ナオ」


「どうした?」


「勝った」


「本当に?」


「本当に」


「合計で?」


「合計で」


 リュウは胸を張った。

 ナオは少しだけ驚いた。


「やるじゃん」


「今日はやめ時も完璧」


「珍しい」


「そこは普通に褒めろよ」


「偉い」


「子ども扱いみたいだな」


「半分くらい」


「サチみたいなこと言うな」


 ナオは笑った。


 自分のチップを見る。

 ナオの方も少しだけプラスだった。

 2人合わせれば、今日はちゃんと勝っている。


 大勝ちではない。

 でも、小さく勝ってやめられた。


 それが大事な気がした。


「帰るか」


 ナオが言うと、リュウはうなずいた。


「帰ろう」


「本当に?」


「本当」


「ブレイブマンが呼んでないか?」


「呼んでる」


「呼んでるのかよ」


「でも今日は無視する」


「すごい成長だな」


 2人はチップをエルに換えて、カジノを出た。


 夜の町はまだ明るい。

 酒場から笑い声が聞こえる。

 屋台の匂いもする。


 リュウは袋を軽く振った。


「今日は勝ったな」


「勝ったな」


「ちゃんとやめたしな」


「そこが1番大きい」


「俺、もしかしてギャンブル上手くなってる?」


「そう思った時が危ない」


「厳しいな」


「でも今日は良かったと思う」


 リュウは少しうれしそうに笑った。


 宿に戻る前に、2人は屋台で軽く肉を買った。

 宿では食事が出ない。


 だから最近は、屋台や食堂で食べるのが普通になってきていた。


 串焼きを片手に宿へ戻ると、サチが入口近くでランプを直していた。


「おかえり、今日は遅すぎないじゃん」


「ただいま」


 ナオが言うと、サチはリュウの袋を見た。


「その顔、カジノ行ったでしょ」


「行った」


 リュウがすぐに答える。


「また?」


「今日は勝った」


「ほんとに?」


「ほんとに」


「2人合わせたらじゃなくて?」


「俺だけでも勝った」


 サチは少し驚いた顔をした。


「へぇ、珍しい」


「みんな珍しいって言うな」


「だって珍しいじゃん」


 サチは笑った。


 ナオは屋台で買った串焼きを1本サチに見せた。


「食べる?」


「いいの?」


「多めに買った」


「じゃあ、もらう」


 サチは串焼きを受け取って、宿の入口横の椅子に座った。


 ナオも近くに腰を下ろす。

 リュウは少し離れたところで、まだ自分の勝ちを確認するように袋を眺めていた。


「で、今日はちゃんと勝って帰ってきたんだ」


 サチが言う。


「今日はね」


「ナオも勝ったの?」


「少しだけ」


「少しだけでも勝ちは勝ちだね」


「リュウと同じこと言うな」


「え、そうなの?」


 サチは笑った。


 ナオも串焼きをかじる。


 少し濃い味だった。

 夜の空気に合っている。


「今日は訓練もしたんでしょ?」


「なんで知ってるんだ?」


「リュウが出て行く時、魔法のこと聞くって言ってた」


「ああ」


「どうだった?」


 ナオは少し考えた。


 ガルドに言われたこと。

 魔力を固めること。

 支援は押しつけるのではなく、相手の邪魔を消すこと。


 どれも、まだ完全には分からない。

 でも、少しだけ前に進んだ感じはある。


「少し分かった気がする」


「よかったじゃん」


「まだ名前も分からないけどな」


「名前って必要なの?」


「分からない、でも何をしてるか分かった方が安心する」


「それはそうかもね」


 サチは串焼きを少しずつ食べながら言った。


「ナオってさ、見た目は前に出て戦いそうなのに、支える方なんだね」


「よく言われる」


「でも、似合ってると思うよ」


 ナオは少しだけ返事に困った。


「そうか?」


「うん、なんか安心する」


 サチは何気なく言っただけかもしれない。

 でも、その言葉はナオの中に少し残った。


 安心する。


 この世界に来てから、そんなふうに言われたことはなかった。


「それは、いい意味で?」


「いい意味に決まってるじゃん」


「ならよかった」


 サチは少し笑った。


「リュウは前に出る感じだし、ナオは後ろから支える感じでしょ、なんかバランスいいよね」


「リュウが出すぎなければな」


「あー、それは出そう」


「出る」


「即答じゃん」


 2人は笑った。


 その少し離れたところで、リュウが袋をしまっていた。


「俺、今日は出すぎてないぞ」


「聞こえてたのか」


「俺の話だろ」


 リュウが近づいてくる。


「今日はスロットも引き際完璧だったし、依頼もちゃんとやったし、訓練もした」


「えらいじゃん」


 サチが言う。


「だろ?」


「明日もできたら本物だね」


「明日もできる」


「ほんとに?」


「8割くらい」


「そこは10割って言いなよ」


 サチが笑う。


 リュウは少し悔しそうにした。


「ナオと同じこと言うな」


「たぶん、みんな思うよ」


 宿の中から客の声が聞こえた。


 サチは立ち上がる。


「じゃあ、私そろそろ戻るね」


「ああ、串焼き足りた?」


「うん、ありがと」


 サチは少しだけナオを見る。


「明日も無理しないでよ」


「分かってる」


「リュウも」


「俺も?」


「リュウは特に」


「それもみんな言うな」


 サチは笑って、宿の中へ戻っていった。

 ナオはその背中を少しだけ見ていた。


「何見てんだ?」


 リュウが横から言う。


「別に」


「その顔は別にじゃない」


「うるさい」


「サチと結構話すようになったよな」


「宿にいるからな」


「それだけか?」


「それだけだろ」


「ふーん」


 リュウはにやっと笑った。

 ナオは何も言わなかった。


 そのころ、ギルドではミーが受付の片付けをしていた。


 机の上に置いた書類をまとめながら、なぜか1枚だけ違う方向にそろえている。


「ミー、それ逆」


 横にいた職員に言われ、ミーは慌てて紙を回した。


「あ、ほんとです、今日2回目です」


「2回で済んでる?」


「たぶん3回かもです」


「増えたね」


 ミーは少し照れたように笑った。

 そのあと、ふと思い出したようにギルドの入口の方を見る。


「リュウさん、今日はカジノ行ったんですかね」


「気になるの?」


「え、いや、無事に帰ったかなって思っただけです」


「ふーん」


「なんですか、そのふーんは」


 ミーは首を傾げた。

 職員は笑って、書類をまとめ直す。

 ミーはよく分かっていない顔のまま、耳だけぴこぴこ動かしていた。


 宿の外では、夜風が少し冷たくなっていた。


 ナオとリュウは部屋に戻るため、階段へ向かう。


「明日はどうする?」


 リュウが聞いた。


「ギルドだな」


「で、夜は?」


「分からない」


「カジノ?」


「今日勝ったから、明日は行かない方がいい気もする」


「勝った次の日こそ流れがあるんじゃないか?」


「それが危ないんだよ」


「分かってる」


「何割?」


「8割」


「変わってないな」


 リュウは笑った。


 ナオも笑う。


 今日はちゃんと働いた。


 訓練もした。


 少しだけ賭けて、少しだけ勝った。


 宿に帰って、サチと話した。


 ただそれだけの1日だった。


 でも、悪くなかった。


 大きな事件は起きていない。

 特別な勝負もしていない。

 それでも、この世界で少しずつ暮らしている感じがした。


 ナオは部屋の前で立ち止まり、袋の中のエルを軽く鳴らした。


 明日もまた、何かがある。


 依頼かもしれない。

 訓練かもしれない。

 カジノかもしれない。


 それとも、まだ知らない誰かとの出会いかもしれない。


 分からない。

 でも今は、それでよかった。

 少しずつ進んでいる。


 たぶん、それが今の2人にはちょうどいい。

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