第40話 任命式① ―逃げ場のない場所へ
白鷺館の前に、王家の紋章入り馬車が止まった。
蹄の音が、すっと消える。
――来た。
窓の外を見て、息をひとつ吐く。
扉が開く。
「お迎えに来ました」
レオンが黒の正装をし、エントランスへと入ってくる。
無駄のない立ち姿。
いつも通りの顔なのに、今日は少し遠い感じがする。
「レオンありがとう。行こう」
みんなと共に、外に出る。
足が、ほんの少しだけ重い。
白い制服。
肩の金装飾。
胸元の紋章。
いつも視察の時に着用してる視察官としての正装。
「アイリー様、大丈夫ですか?」
レオンが、横に並び腰を曲げて顔を伺う。
強すぎない敬語。
でも、距離はある。
「……大丈夫」
短く返す。
自分でも分かる。
全然、大丈夫じゃない。
宿の外。
馬車の前で、足が止まる。
空気が、少しだけ冷たい。
「ビビは?」
ラーラが、横から覗き込む。
「今日はこれ。フードないから」
肩掛けのポシェットを軽く押さえる。
中で、もぞりと動く気配。
「大人しくしてる?」
「してる。たぶん」
口元が、わずかに緩む。
いつものフード付きの外套は、ない。
「あー、そりゃ無理だよな」
ラーラが肩をすくめる。
ポシェットの隙間から、
小さな目だけが、こちらを覗く。
じっと。
様子を見ているみたいに。
「……なんで俺だけ噛まれんだよ」
ルークが腕を見る。
小さく、赤い跡。
「嫌われてるんじゃない?」
「心当たりねぇよ」
「あるでしょ絶対」
いつものやり取り。
ポシェットの中で、
小さく、また動く。
呼吸が、戻る。
「――お二人とも」
レオンが声をかける。
「控え室までは同行可能ですが、式典会場への入場はできません。今回は貴族以上の方達しかできません。申し訳ありません。」
「了解、問題ねぇ」
ルークは即答。
「まぁ、当然か」
ラーラも軽く返す。
そして、馬車に乗り込んだ。
しばらくすると、白色の建物が目立つようになり
あんなに遠くに見えた王城が、目の前にやってくる。
「緊張、してますか」
レオンが言う。
少しだけ柔らかい声。
「……してる」
今度は隠さない。
「そうですよね」
それだけ。
否定も、慰めもしない。
ただ、受け取る。
それが、逆に楽だった。
ふと。
レオンが、懐に手を入れる。
出てきたのは、小さな花柄の紙包。
この場には、少しだけ不釣り合いな色。
「これ」
手袋越しに、受け取る。
「……飴?」
「甘いものは、少し楽になります」
それから、少しだけ視線を逸らして。
「……いつも、アイリー様からいただいてばかりですから」
さりげない声。
でも。
ちゃんと、覚えてる。
「……ありがとう」
一つ、口に入れる。
甘い。
ゆっくり、広がり、肩の力が抜ける。
「俺のは?」
横から、ルーク。
「……ありますよ」
レオンがもう一つ取り出す。
同じ紙包。
そのまま、手渡す。
「やった」
素直に受け取る。
「俺、こういうの好きなんだよな」
「でしょうね」
短く返す。
「ちょっと待って、私のは?」
ラーラがすかさず割り込む。
「……あります」
一拍。
でもちゃんと出す。
「はい」
手渡される。
「最初から出しなさいよ」
「順番です」
「なにそのルール」
ラーラが笑う。
一瞬だけ、空気が緩む。
「……ビビが側に居なくなるのは違和感あるな」
小さく呟く。
ポシェットに、そっと触れる。
中で、かすかに動く気配。
それだけで、胸の奥が静かにほどける。
一度、息を吐く。
「ラーラ」
呼ぶ。
ポシェットを外す。
「ビビを預かっててくれる?」
「流石に、式典には連れて行けないや」
状況を理解しているラーラが一瞬だけ目を細める。
「はいはい」
軽く受け取る。
でも扱いは、少しだけ丁寧だ。
「暴れるなよ」
ルークが覗き込む。
その瞬間。
ポシェットの隙間から、ひょこっと顔が出る。
ビビ。
じっとルークを見て――
ぺろ、と小さく舌を出す。
まるで、あっかんべー。
そのまま、
じとっと睨みつける。
「……ほらな」
「だからあんたは嫌われてんのよ」
ラーラが即座に返す。
「納得いかねぇ」
いつものやり取りに、笑みがこぼれる。
そして、馬車が止まる。
「到着しました」
外に出ると、空気がまるで違う。
音がない。張りつめている。
そして、誰かの視線。
「こちらへ」
歩く。
靴音が響く。
一歩ごとに、逃げ場が減る。
廊下に入ると、安心する顔を見かける。
「おー、いい顔してるじゃないのぉ〜」
完全に正装をしたセドリカ。
壁にもたれている。
いつもの気だるさはない。
視線だけが、鋭い。
「完全に“覚悟決めてない顔”だな」
「……わかっちゃいましたか?」
「分かる」
即答。
迷いがない。
でも。
笑っている。
「いいのよ、それで」
一歩、近づく。
視線が、真っ直ぐに刺さる。
「覚悟なんて、最初から決まってるやつの方が危ない」
少しだけ、声が低くなる。
「迷ってるやつの方が、ちゃんと人を見てる」
言葉が、重い。
でも、温かい。
「……でもな」
少しだけ、柔らぐ。
「お前はもう、“守る側に立つ顔”してるよ」
一瞬、言葉が止まる。
「だからそのまま行け。無理に強くなろうとするな」
短く言う。
でも、それで十分だった。
「……ありがとうございます」
小さく頷く。
背中が、少しだけ軽くなる。
「先に行ってるわよ」
ひらりと手を振るその背中は、
頼れる大人そのものだった。
残される一瞬の静けさ。
「皆さま、こちらです」
レオンに促され、一同は歩き出す。
控え室へ向かう廊下。
すると、
「――アイリーさん」
呼ばれて、振り返る。
マルセル。
教会本部の現場責任者。
各地の養育院や孤児支援をつなぐ“窓口”であり、
修道士や修道女の派遣、人材配置を担う立場の人間。
少しだけ息を切らしている。
「よかった……間に合って」
ほっとしたように笑う。
「ベルグで起こったドミニクの件……」
一度、言葉を飲み込む。
「報告は受けています」
あくまで“報告”。
現場にいなかったことが、自然に分かる。
「本当に……ありがとうございました」
深く、頭を下げる。
「子どもたちを救ってくださって」
顔を上げる。
その目は、まっすぐだ。
「私は、現場に人を送ることはできますが……」
ほんの少しだけ、言葉が詰まる。
「すべてを見届けることは、できません」
「だから……あなたのように、目の前の子どもに手を伸ばせる人がいることが」
「……本当に、ありがたい」
この人の言葉は、
全部、自分のものだ。
「……ありがとうございます」
自然に返す。
「私たちは、“届かなかった場所”の報告を受け続けています」
ぽつりと、こぼす。
「だからこそ――」
一瞬だけ、目が揺れる。
「届いた、という話を聞けるのは……救いなんです」
静かに、笑う。
その笑顔は、少しだけ疲れている。
「アイリーさん、では後ほど」
丁寧に頭を下げる。
すれ違う。
その背中は、
どこまでも“現場に手を伸ばそうとしている人”だった。
♦︎
控え室の扉が、静かに閉まる。
外の気配が、一気に遠のいた。
「式典開始まで、あと一時間ほどあります」
レオンが振り返る。
「開始前に、もう一度迎えに来ますので」
一礼。
「こちらで、少しお休みください」
それだけ言って、出ていく。
扉が閉まる音。
音が、消える。
――広い。
手入れは行き届いている。
整えられているのに、使われた気配がない。
「……落ち着かねぇな」
ルークが、肩を回す。
「こういう場所って、逆に疲れるよな」
苦笑い。
でも、声は少しだけ硬い。
「静かすぎるのよ」
ラーラが窓の外を一瞥する。
人の気配を探るように。
「音が少なすぎる」
壁にもたれたまま、腕を組む。
「こういう場所は、“何も拾えない”のが一番厄介」
低く言う。
完全に警戒している。
ラーラの腰元。
小さなポシェットが、わずかに揺れる。
「……キュ」
中から、小さな声。
ビビ。
顔は出さない。
ただ、中でじっとしている。
普段よりも、気配を潜めている。
「……珍しいな」
ルークが小さく呟く。
「出てこねぇのか」
「出たくないんでしょ」
ラーラが短く返す。
視線は外のまま。
「こういう場所、あの子は嫌いよ」
その言い方は、
少しだけ確信に近い。
私は、その様子を見て、
そっと息を吐いた。
「……大丈夫」
自分に言い聞かせるように。
「やることは、変わらないから」
ラーラが一瞬だけこちらを見る。
「……そうね」
短く。
それだけで、十分だった。
――コンコン
扉が叩かれる。
ラーラの視線が一瞬で鋭くなる。
ルークが、さりげなく位置をずらす。
「どうぞ」
扉が開く。
入ってきたのは――
フリード・ドローレ。
ルクス養育院の施設総監。
各地の養育院を束ねる、ルクスの中枢に立つ人物。
落ち着いた所作。
無駄のない動き。
柔らかい笑み。
「お待たせしました」
穏やかな声。
「最終の確認だけ、少しお時間よろしいでしょうか?」
部屋に入ってくる。
その瞬間、気配の密度が変わる。
「はい、お願いします」
机に書類が広げられる。
順番も、説明も、狂いがない。
「本日の進行ですが――」
言葉は明瞭。
だが、
どこか“触れられない距離”がある。
「以上になります」
顔を上げ微笑む。
「ご不明点などは?」
一瞬の間。
そのわずかな隙間に、
言葉を入れる。
「……特に無いのですが」
「近いうちに、セントラル院の視察に行ってもいいですか?」
空気が、止まる。
ほんのわずかに。
フリードの目が、“考えた”。
次の瞬間には、元に戻る。
「もちろんですよ」
柔らかい声。
「ぜひ、ご覧になってください」
「日程については、こちらで調整させていただきます」
淀みのない返答。
「……ありがとうございます」
言いながら、
胸の奥に、わずかな引っかかりが残る。
「では、後ほど」
フリードが一礼し、部屋を出ていく。
わずかに、圧が落ちる。
♦︎
コンコンっ
「……アイリー様、そろそろです」
レオンの声。
私は小さく頷いた。
控え室を出る前に、振り返る。
ラーラ。
壁にもたれて、腕を組んでいる。
ルーク。
落ち着かない様子で立っている。
そして――
ラーラがかけてるポシェット。
その中で、ビビがもぞりと動いた。
「行ってくるね」
ラーラが、ふっと笑う。
「行ってきな。ちゃんとしっかり立ってきなさいよ」
ルークが一歩出る。
「アイリーらしくな!」
ポシェットが小さく揺れる。
中から、じっとこちらを見ている気配。
「……行ってきます!」
そう言って、扉を開けた。
♦︎
廊下は、やはり静かだった。
さっきまでの空気と違う。
張りつめている。
レオンが先を歩くので、私はその後ろを進む。
靴音がやけに響き、
一歩ごとに、逃げ場が減っていくような感覚。
そして――
重厚な扉の前で、止まる。
ここだ。
中の音は、聞こえない。
ただ、人の気配だけがある。
押し込められたような密度。
音がなさすぎて、
鼓動だけが浮き上がる。
――ドクン
――ドクン
一瞬、よぎる。
助けられなかった、左目が金色だった少年。
怯えながらも、必死にこちらを見ていた目。
番号で呼ばれていたかもしれない少年。
0824。
べべリオ。
そして――
ドミニクの事件で、被害にあったアイシャたち。
助けを求めていた声。
届いたものと、
届かなかったもの。
全部が、
胸の奥に重なる。
「……」
手が、わずかに震える。
押さえ込む。
そのまま、顔を上げる。
まだ開かれていない扉の先を、見つめる。
――足音。
遠くから、近づいてくる。
重い。
硬い。
金属が擦れる音。
――ギィ、……カン
鎧同士が触れ合う、鈍い響き。
視線を向ける。
全身を覆う鎧と、無駄のない構え。
立っているだけで、空気が締まる。
(……声、かけるべき?)
レオンが、わずかに身を寄せる。
「……ガルド騎士団長です」
(……騎士団長)
一拍。
息を整える。
「……こんにちは」
勇気を出して、声をかける。
「……」
返答は、ない。
視線すら寄越さない。
ただ、前だけを見ている。
――カン
わずかな動きで、金属が鳴る。
それだけで、距離を置かれているのが分かる。
(……怖すぎます。帰りたい)
喉の奥が、少し乾く。
しばらくして、次の足音が聞こえてきた。
わずかに。
ほとんど音がしない。
気づけば、少し距離を取って立つ細身の男がいる。
整っているのに、どこか引っかかる。
レオンが、小さく囁く。
「……アデル魔導管理官です」
その直後。
男の視線が、こちらに向く。
わずかに。
測るように、じっと見る。
「へぇ」
小さく、声が落ちる。
独り言みたいに。
それから、一歩近づく。
距離が、わずかに縮まる。
「初めまして。アデル・ファーナーです」
口調は穏やか。
だが、この場にはわずかに馴染まない温度がある。
そのまま、手を差し出す。
私は一瞬だけ迷って、その手を取る。
彼の手は、
“人を触っている感じ”が薄い。
アデルの視線が、わずかに落ちる。
それから、ふっと口元が動く。
「その状態で、ちゃんと立てるんだ」
感心でも、評価でもない。
ただの“確認”。
今度は、まっすぐな視線が向けられる。
「普通はさ、もう少し崩れるんだけど」
言い方は柔らかい。
(もう少し崩れる?)
「まぁいいや」
あっさりと切る。
興味はある。
でも、掘らない。
「そのまま行ってみなよ」
まるで結果を見る側の人間みたいに、
私を一度見てから、視線を扉へ向けた。
三人の間に、沈黙が落ちる。
(……もう、やだ)
胸の奥で、小さく漏れる。
(レオンがいてくれてよかった)
そのとき、内側から声。
「ガルド・レイヴン騎士団長様、中へお入りください」
呼ばれる。
鎧が鳴る。
――ギィ、カン
迷いなく、扉へ。
そのまま中へ消える。
――数分後。
「アデル・ファーナー魔導管理官様、中へお入りください」
次。
アデルが歩き出す。
途中で、一瞬だけこちらを見る。
「どうなるか、ちょっと楽しみ」
小さく、呟く。
そのまま、中へ。
静けさ。
残される。
「……」
呼吸だけが、聞こえる。
私は、少しだけ顔を伏せる。
「……今の」
声を落とす。
誰にも届かないくらいの、小ささで。
「騎士団長の人……」
言葉を探す。
うまく出てこない。
「……怖かったです」
ぽつりと、こぼれる。
少しだけ間。
「あと……あの人も」
視線が、さっきまでアデルがいた場所へ向く。
「……何を見られてるのか、分からなくて」
胸の奥が、落ち着かない。
沈黙。
レオンは、わずかにこちらへ視線を向ける。
それから、静かに口を開く。
「……少し驚かれたかと思いますが」
低い声。
落ち着いた調子で。
「お二人とも、少し異端な方です」
事実だけを置くように。
「気にされなくて大丈夫です」
それ以上は、言わない。
説明もしない。
評価もしない。
ただ、
“そこに置く”。
私は、小さく息を吐く。
「……はい」
完全に整理できたわけじゃない。
でも、
少しだけ、距離ができる。
また数分後――
「――アイリー様、中へお入りください」
最後に呼ばれる。
「……はい」
顔を上げる。
前を向く。
一歩、踏み出す。
逃げ場は、もうない。
――だから、進むしかない。
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