第39話 変わらない場所と、見ないこと
ヘインの工房を出て、すぐに出発した。
その日は野宿。
火を囲んで、最低限の休息だけ取る。
そして翌日。
昼を少し回った頃――
見慣れた建物が見えてきた。
ルクス養育院、ベルグ院。
馬車が止まる、少し前。
二階の窓に、小さな影があった。
何度も外を見ていた。
来るかもしれない時間になるたびに。
その日も、同じように。
何気なく外を見て――
止まる。
「……っ」
目が見開かれる。
次の瞬間。
窓から身を乗り出す。
「アイリー!!」
――チェルシーだった。
「帰ってきた!!」
その声が建物の中に広がる。
ばたばたと足音。
扉の向こうが一気に騒がしくなる。
そして――
扉が開く前に、もう飛び出してきた。
「アイリー!!」
勢いよく駆けてくる。
そのまま、体にぶつかる。
「わっ――」
「おかえり!」
チェルシーが、そのまま抱きついてくる。
「遅いって!」
後ろからベグが飛び込んできた。
勢いのまま、肩を掴まれる。
「ずっと待ってたんだからな!」
「ごめんごめん」
思わず笑う。
その瞬間。
「ルーク!!」
ベグが振り返る。
そのまま一直線にルークへ走る。
「またやろうな!」
「今度は絶対捕まえるからな!」
服の裾を掴む。
ルークが一瞬だけ驚いて――
それから、少しだけ笑った。
「……おう」
短い返事。
でも、前よりずっと柔らかい。
その横で。
「ラーラ」
今度は静かな声。
アイシャが一歩前に出る。
その手には、小さな竹笛。
「これ、まだ持ってる」
そっと差し出す。
「ちゃんと吹けるようになった」
少しだけ、誇るように。
ポールも横に立つ。
「音、前より安定してる」
静かに補足する。
ラーラが鼻で笑う。
「へぇ」
竹笛を一度だけ見て――
「じゃあ、吹いてみろよ」
短く言う。
アイシャが息を整える。
すぅ、と吹く。
澄んだ音が、空気に伸びる。
ポールも続く。
少し低い音が重なる。
ラーラの目が、わずかに細くなる。
「……悪くねぇ」
ぽつりと落とす。
それだけで、二人の顔がぱっと明るくなる。
私はその光景を見ていた。
あの時、確かに壊れかけていた子たち。
でも今は――
ちゃんと、ここにいる。
「元気そうだね」
「うん!」
チェルシーとベグが同時に返す。
即答だった。
その横で、アイシャが小さく頷き、
ポールも静かに目を細める。
それだけで、十分だった。
重なる笑い声。
さっきまで、胸に残っていた重さが――
少しだけ、ほどける。
(……よかった)
静かに、思う。
この子たちを、助けられて。
「……よかった」
今度は、はっきりと。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
でも――
それだけじゃ、終わらない。
この笑顔が、偶然じゃないこと。
守らなければ、簡単に消えてしまうものだということ。
私は、もう知っている。
(だから――)
自然と、手に力が入る。
逃がさないように。
忘れないように。
(私の役目だ)
誰に言われたわけでもない。
でも、はっきりと分かる。
この場所で。
この子たちの前で。
もう一度、心が決まる。
(守る)
短く、強く。
胸の奥で、ぎゅっと固まった。
♦︎
「ねえ!」
ベグがすぐに声を上げる。
「鬼ごっこやろ!」
そのまま、くるっと振り返る。
「みんな呼んでくる!」
言うが早いか、中へ駆けていく。
ばたばたと足音が遠ざかる。
すぐに――
「外出てこいよー!!」
中から大声が響いた。
「アイリーたち来てるぞー!」
一気に騒がしくなり、どたどたと、何人もの足音。
扉から、子どもたちが次々に飛び出してくる。
そのまま勢いのまま、建物の前を抜けて庭へと駆け出す。
「外だ、外!」
「広いとこでやろー!」
声に引っ張られるように、私たちも後を追う。
一瞬で、庭が子どもたちの声で埋まった。
その中で。
チェルシーが、くるっと振り返った。
まっすぐレオンを見る。
「ねえ、お兄ちゃんもやろ!」
レオンがわずかに目を細める。
「……私か」
「うん!」
即答だった。
その横で、ベグが戻ってくる。
「鬼は――」
にやっと笑う。
「大人な!」
ルークが吹き出す。
「おい」
ラーラも口の端を上げ、右肩を回す。
「大人の本気を見せてやんよ!」
ポールが静かに一歩下がる。
「……逃げる側か」
アイシャも小さく頷く。
「じゃあ、全力で逃げる」
自然と、役割が決まる。
私は少しだけ息を吸う。
「……じゃあ、私たちが鬼だね!」
レオンは一瞬だけ考えて――
「……了解した」
短く返す。
その瞬間。
「いくぞー!!」
ベグの声で、全員が一斉に散った。
土を蹴る音。
ケラケラとした子どもたちの笑い声が一気に広がる。
「待て!」
ルークがすぐに動き、一歩で距離を詰める。
「捕まえたー!」
「はぁ!?子ども相手に本気出し過ぎ!」
子どもたちが悲鳴混じりに笑う。
ラーラは逆方向へ。
「逃げ道塞ぐぞ!」
回り込む。
私は正面から。
「こっち!」
子どもたちが散る。
そして。
レオンは一瞬だけ遅れて――
走り出す。
最初は、距離を測るように動きが固かった。
無駄のない、任務の延長のような足取り。
子どもたちを“対象”として捉えている動き。
一直線に詰め、逃げ道を読む。
「うわ、来た!」
「はやっ、こっち!」
一斉に捕まらないと逃げる子ども達。
予測を外すように。
笑いながら、わざと方向を変える。
足音が乱れ、声が重なる。
予定通りにいかない動き。
その中で――
レオンの足が、わずかに止まる。
一瞬。
視線が揺れる。
「……?」
わずかに、息が漏れる。
次の瞬間。
追う。
でも、さっきと違う。
無駄が、少しだけ増えている。
一歩、踏み込みすぎる。
手を伸ばす。
届かない。
「捕まんないよー!べろべろバー!」
変顔で挑発する子どもに、周囲から笑い声が弾ける。
そのすぐ近くで。
チェルシーが振り返る。
「ほら、こっち!」
挑発するように手を振る。
レオンが、それを追う。
少しだけ、強く踏み込み距離が縮まる。
もう少しで届く。
その瞬間――
ひらりと避けられる。
空振り。
「……あ」
小さく、漏れる。
次の瞬間。
自分でも気づかないうちに――
口元が、ほどけた。
「……っふ」
一瞬だけ。
ほんの一瞬。
でも、確かに。
笑っていた。
その顔は――
“誰かとしての顔”じゃなかった。
任務でも、役割でもない。
ただの、一人の人間の顔だった。
私はそれを見ていた。
(……今の)
胸の奥が、わずかに揺れる。
見たことのない顔だった。
知っているはずなのに――
知らない表情。
それなのに、なぜか目が離せない。
視線が、外せなかった。
♦︎
しばらくして、全員が息を切らして止まる。
地面に座り込む。
「つっかれたー……」
ベグがそのまま倒れる。
「もう一回!」
チェルシーが言う。
「もう無理だって〜」
ルークが笑う。
しばらくして、全員が息を切らして止まる。
庭のあちこちに、そのまま座り込む。
「もう一回やろ!」
チェルシーがすぐに言う。
「……無理」
ルークが短く笑う。
その横で、ポールが私の前に立つ。
そっと、水の入ったコップを差し出した。
「……どうぞ」
「ありがと、ポール」
受け取る。
ひんやりした感触が、手に伝わる。
一口飲むと、体の奥に落ちていく。
その間にも。
「まだ走れるって!」
「無理だって言ってんだろ!」
ベグとチェルシーが言い合っている。
ラーラは少し離れたところで座りながら、
「元気だな、ほんと」
と、呆れたように笑っていた。
その中で。
アイシャが、私の方を静かに見る。
「……忙しかった?」
やわらかい声。
問い詰めるでもなく、ただ確認するだけの言い方。
「うん、ちょっとね」
短く返す。
それだけで、十分だった。
アイシャは小さく頷く。
それ以上は聞かない。
ポールも、何も言わない。
ただ、そばにいる。
それが、ここの距離だった。
さっきまでの笑い声が、まだ残っている。
胸の奥に、じんわりと。
♦︎
「じゃあね!」
「また来てね!」
ベグとチェルシーが、ほぼ同時に言う。
そのまま一歩、近づいてくる。
「すぐ来てよな!」
ベグが、少しだけ強く言う。
「今度はもっとやろ!」
チェルシーも続く。
その奥で、アイシャが一歩前に出る。
「……また、会える?」
静かな声。
でも、その奥に少しだけ不安が混じっている。
ポールも横に立つ。
「次は、もう少し長く」
短く、でもはっきりと。
私は、四人を見る。
一人ずつ。
「すぐには来れないけど」
少しだけ間を置く。
「……必ず行く」
はっきりと、言う。
チェルシーの顔がぱっと明るくなる。
「約束だからね!」
「約束だ」
ルークが横から口を挟む。
ベグの頭を軽く叩く。
「ちゃんと強くなっとけよ」
「もう強いし!」
すぐに言い返す。
ラーラが鼻で笑う。
「じゃあ、次は負けんなよ」
「負けない!」
チェルシーが食い気味に返す。
アイシャが、そっと頷く。
ポールも小さく息を吐く。
その空気の中で。
レオンが一歩だけ前に出る。
子どもたちを見る。
一瞬だけ、視線が柔らぐ。
「……また来ます」
短く、それだけ。
でも――
確かな約束だった。
「ほんとに!?」
ベグが食いつく。
レオンはわずかに頷く。
「はい」
それだけで、十分だった。
「じゃあね!」
「またね!」
軽い声。
軽い手。
でも――
さっきより、少しだけ強い。
そのまま、離れる。
振り返らない。
でも――
ちゃんと残る。
♦︎
王都に着く頃には、日が傾いていた。
案内されたいつもの宿に入る。
「白鷺館」
役人や使節が利用する、落ち着いた宿。
余計な装飾はない。
でも、静かに整っている。
馬車を降りると、入口の前でレオンが立ち止まる。
「私は、ここで失礼します」
「王城に戻ります」
一拍。
「明日の午前中に迎えに来ます。明日の任命式に間に合ってよかったです。」
私は頷く。
「ありがとう!レオンも長旅お疲れ様。明日はお迎えをよろしくお願いします。」
レオンは一礼し、そのまま背を向ける。
迷いのない足取り。
そして、私たちはそれぞれの部屋に入る。
私は机に向かい、紙を広げる。
グラディオール院の報告書。
ペンを取り、書き出す。
同じ文字。
同じ形式。
同じ結論。
――問題なし。
運営体制、生活環境、教育方針。
いずれも基準を満たしている、と。
私は一度だけ、手を止める。
それから、続ける。
施設内で使用されていた魔導具について。
生活補助用の簡易魔導具――照明、温度維持など。
いずれも一般的な規格の範囲内。
扉の開閉には、識別型の魔導具が使用されていた。
特定の識別媒体を用いることで施錠・解錠を行う仕組みであり、
管理の効率化という点では有用性が認められる。
ただし――
万が一、識別媒体を持たない状態での閉鎖が発生した場合、
内部にいる子どもが自力で解錠できない可能性がある。
運用上の注意が必要と判断。
そこまで書いて。
ペンが、止まる。
(……これでいい)
それ以上は、踏み込まない。
書こうと思えば、書けた。
違和感も。
音も。
あの“ぐるぐる”も。
でも――書かなかった。
私はゆっくりとペンを置く。
「……終わった」
報告書は、問題ない。
――表向きは。
窓の外から、かすかに王都のざわめきが届く。
遠くで鐘の音が鳴った。
任命式の準備だろうか。
私は椅子にもたれ、息を吐く。
そのとき――
「……きゅ」
小さな声。
フードの中から、ビビが顔を出す。
「起きてたの?」
指先で、そっと撫でる。
ふわりとした毛並みが、指に絡む。
ビビは気持ちよさそうに目を細めて、小さく鳴いた。
「……ありがとね」
意味はない。
でも、そう言いたくなる。
胸の奥にあった重さが、少しだけほどける。
私はそのまま、何度か撫でる。
小さな体。
(……守りたい)
自然に、そう思う。
ベルグの子どもたちの笑顔が浮かぶ。
ヘインの言葉も、消えない。
私はビビを指先で包むように撫でながら、ゆっくりと息を吐く。
「……明日だね」
小さく呟く。
ビビが、もう一度だけ鳴いた。
まるで、返事みたいに。
私は目を閉じる。
(今やれる事をやる)
アイシャ達の笑い顔を思い出しながら、眠りにつくのであった。
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