第35話 甘い皿の上の影
翌朝。
私たちは短く朝食を済ませると、そのまま帰り支度に入った。
リオナで得たものは大きかった。
少年の名前。母親の証言。ルークが持ち続けていた歯車。
全部が繋がりかけているのに、まだ決定打には届かない。
「……よし、行くか」
ルークが荷を肩に掛ける。
ラーラも眠たそうに髪をかき上げながら頷いた。
「さっさと戻って整理しようぜ」
その言葉に、私も小さく頷く。
宿の前では、すでに馬車の準備が整っていた。
御者が手綱を引き、レオンが周囲を確認している。
何も急かさず、彼はいつもの距離でそこにいた。
私は馬車に乗り込む前、港の方を一度だけ見た。
ダリアの店は、ここからは見えない。
けれど、昨日あの場所で聞いた名前だけは、まだ耳の奥に残っている。
――ベベリオ。
小さく息を吐いて、私は馬車へ乗り込んだ。
♦︎
リオナを発ってから、数日が経った。
王都へ戻る道中、会話は多くなかった。
昼を過ぎても、誰もあの夜のことを蒸し返さない。
ただ一度だけ、ルークが窓の外を見たまま言った。
「……母親、元気そうに見えたな」
独り言みたいな声だった。
私は少し考えてから答える。
「うん」
一拍置く。
「だから余計に、言えなかったね」
ルークは何も返さない。
ただ、短く息を吐いただけだった。
それで十分だった。
そのまま数日、同じような静けさが続いた。
そして――
王都に着いたのは、昼を少し回った頃だった。
城門をくぐる。
人の声が一気に増える。
荷車の音、呼び込みの声、行き交う足音。
リオナとは違う“密度”のある空気だった。
見慣れているはずの景色なのに、
どこかだけ、感覚がずれている気がした。
まず向かったのは、王都でいつも使っている宿だった。
報告書だけは、先に上げておく必要がある。
私は机の上で簡潔にまとめた文書を見直し、封をする。
ルクス養育院のアクアレア院、リオナ院の視察結果。両施設とも大きな問題なし。
今はそれでいい。
報告書を宿の使いに預け、私は廊下へ出る。
ちょうどその時、レオンが階段の下から上がってきた。
「馬車の手配、終わりました」
「レオン、いつもありがとう」
そう言うと、レオンは一度だけ頷く。
そのあと、少しだけ間があった。
「ここから先は、俺たちだけで大丈夫だから。ちゃんと護衛してホームディアに帰るぜ」
先に言ったのはルークだった。
いつになく真っ直ぐな声だった。
レオンはルークを見る。
何も探らない目だった。
やがて静かに答える。
「了解しました。アイリー様の護衛をよろしくお願いします」
そして私へ向き直る。
「次にお呼びがあれば、すぐ参ります」
私は頷いた。
「はい。たぶん、またすぐ頼ることになります」
すると、レオンの口元がほんのわずかだけ緩んだ気がした。
「承知しています」
それだけ言って、彼は一礼する。
足音が階段の向こうへ消えていく。
私はしばらくその背を見送ってから、宿の窓へ目を向けた。
王都の夕方は、やっぱり少しだけ遠い。
♦︎
王都で一泊したのち、また数日かけて拠点であるホームディアへ戻った。
見慣れた道。
見慣れた建物。
門をくぐった瞬間、肩の力が少しだけ抜けるのが分かった。
帰ってきたのだと、身体が先に理解する。
けれど今は、ただ安心してはいられない。
この場所を拠点だと思っているからこそ、見落としたくないものがある。
ギルドの扉を開けると、昼のざわめきがそのまま流れ込んできた。
木の匂いと、酒と食事の混じった空気。
見慣れた光景だった。
カウンターの向こうで、受付のミレイユが顔を上げる。
「……あ」
次の瞬間、ラーラが手を上げた。
「おーい、ミレイユ!帰ってきたぞー!」
一気に距離が縮まる声だった。
ミレイユもすぐに顔を崩す。
「ラーラ!おかえり!」
「ちょっと港町までな。土産はないけど情報はあるぞ」
「いらないわよそんなの」
即答だった。
二人とも笑っている。
親友同士のその空気に、少しだけ肩の力が抜ける。
ミレイユがこちらに視線を移す。
「あ、アイリーさん達もおかえりなさい」
「ただいま戻りました」
軽く頷くと、ミレイユはすぐに奥を指した。
「セドリカさん、2階にいます。さっき“今日は機嫌いいから邪魔すんな”って言ってましたけど…」
ラーラがにやっと笑う。
「じゃあちょうどいいな。邪魔しに行くか」
「やめなさいよほんとに!」
2人の軽口を聞きながら、私たちは階段へ向かった。
♦︎
二階。
ギルドマスターの部屋の前で足を止める。
ノックをする間もなく、ラーラがそのまま扉を開けた。
「ギルマス〜、帰ってき――」
その瞬間だった。
部屋の中。
セドリカは、フォークで切ったフルーツタルトを口に運ぼうとしていた。
ちょうど一口、頬張る直前。
その“最高の瞬間”で扉が開く。
動きが止まる。
そのまま、ゆっくりとこちらを見た。
そして――
「……なんだい、あたしの幸せな時間を奪うのは、どこのどいつよ」
低く、はっきりとしたオネェ口調だった。
完全に不機嫌。
ラーラが肩をすくめる。
「悪い悪い、タイミング最悪だったな」
「最悪なんてもんじゃないわよ。あと一秒遅かったら完璧だったのに」
そう言いながらも、タルトを一口食べる。
しっかり咀嚼して、飲み込む。
「とりあえず、さっさと座んなさい」
私たちは席につく。
机の上には、フルーツタルトが一皿だけ。
その机の下で、小さな影がうろついていた。
ビビが、タルトをじっと見上げている。
「ネズミにやる分はないわよ」
セドリカが即座に言う。
ビビは一瞬だけ固まり、視線を逸らすと、そのままアイリーのフードに潜り込んだ。
ラーラがちらっと見る。
「ネズミじゃなくてリスだっての」
「そんなのどうでもいいのよ」
そんなやり取りを見てたルークが、小さく息を吐く。
セドリカは満足そうにもう一口切る。
「で、話は?」
空気が切り替わる。
私は姿勢を正した。
「今回視察で行ったアクアレア郊外の港町リオナで、進展がありました」
そこから、順に話す。
ダリアという女店主。
五年前に攫われた十二歳の息子。
右腰の赤い痕。
甘いもの――マンゴーが好きだったこと。
そして、名前。ベベリオ。
話している間、セドリカは一度も口を挟まなかった。
タルトを食べながら、ただ聞いている。
最後まで聞き終えると、小さく息を吐いた。
「0824の少年が……なるほどね」
フォークを皿に置く。
「なにかに繋がってる可能性は高いわね」
ルークが低く言う。
「……やっぱりか」
セドリカも頷く。
私は続ける。
「ですが、まだ断定はできません」
「みんなと話し合い、少年について母親には何も伝えていません」
セドリカの目がわずかに細くなる。
「希望ってのはね、渡し方を間違えると刃物になるのよ」
その一言で、空気が締まる。
ルークは何も言わない。
ただ、机を見ていた。
一拍。
「少年の件は分かったわ。こっちでも関連する情報が上がったら、あなたたちに伝える」
そして、セドリカが手を伸ばす。
机の端に置かれていた封筒を取った。
「で、こっちも話がある」
それをこちらへ滑らせる。
「王都からの招待状。それはあたし宛」
私は受け取り中を確認する。
正式な式典の案内。
そして――
別にもう一通、薄い封筒が入っていた。
「それはあんたのよ」
セドリカが顎で示す。
私は封を切り、中を確認する。
詳細が記された書面には、任命式の進行、お披露目の段取り、出席者、そして私の立ち位置が記されていた。
それはもう、完全に――
“表に引き出される側の人間”としての扱いだった。
私は一度、息を吐く。
「……思っていたより、ちゃんとお披露目会するんですね」
「そりゃそうよ。王都中に顔を出すための場なんだから」
セドリカはあっさり言う。
「守られる側から、見られる側に変わるの」
それから、少しだけ表情が変わる。
「それともう一つ」
フォークを置き、今度は食べない。
「この前、ギルドマスターが一同に会する集まりがあったのよ」
空気が変わる。
「隣国との小競り合いが、じわじわ激しくなってるみたいで、全面戦争まで時間の問題かもしれないわ」
ラーラが眉を上げる。
「マジかよ」
セドリカは続ける。
「お陰で、戦争孤児も増加の一途」
「施設はどこも、受け入れで手一杯みたいだわ」
「どこかで、今日明日をも生きるのに手一杯の子どもが溢れてるだろうね…」
その言葉に、胸の奥が少しだけ沈む。
子どもが増えている。
その現実が、重く乗る。
セドリカが視線を上げる。
「冒険者にも強制クエストが発令される可能性があるみたいよ」
ルークが静かに言った。
「……兵士扱いか」
「そうなるわね」
セドリカは否定しない。
部屋が、少しだけ静かになる。
甘い香りが、場違いに残っていた。
やがてセドリカが軽く息を吐く。
「今すぐじゃない。でも、頭の隅には置いときな」
私は頷く。
「……はい」
それで、話は一度切れた。
♦︎
それから数日が過ぎた。
ホームディアでの時間は一見穏やかだった。
けれど、頭の奥ではずっと何かが引っかかっている。
次の視察までは、三週間ほど空く。
何もしないには長すぎる時間だ。
ある日の昼。
いつものように、ルークの家に集まっていた。
窓は開いていて、外の風がゆるく入ってくる。
テーブルの上には、誰かが食べて、誰かが残したままの、いつもの軽食が並んでいた。
ラーラが椅子にだらっと座りながら言う。
「平和すぎて逆に落ち着かねぇな」
「それ言うと何か起きるからやめて」
そう返した直後だった。
扉がノックもなく開く。
「アイリーいる?」
顔を出したのは、キャンディだった。
いつもの旅装のまま、小さな鞄を肩にかけている。
「いるよ」
私が答えると、そのまま中に入ってくる。
「ちょっといい?」
声のトーンが、少しだけ低い。
私は椅子から立つ。
「なに?」
キャンディは軽く周りを見る。
それから、そのままテーブルの方へ歩いてきた。
「ちょっと面白いの見つけたさね」
ラーラがすぐ反応する。
「なになに」
ルークは壁にもたれたまま、視線だけ向けている。
キャンディは椅子を引いて座ると、少しだけ身を乗り出した。
「最近、うちの実家の荷運びに入った子がいてさ」
何気ない入りだった。
でも、その先が違う。
「その子、ルクス養育院にいたことあるらしいさね」
空気が、少しだけ止まる。
私はそのまま聞く。
「……ルクス養育院に?」
「うん。詳しくは知らないけど、何年か世話になってたって。真面目に働いてる、ちゃんと育ったって感じの子だよ」
ラーラが軽く息を吐く。
「へぇ……」
ルークは何も言わない。
ただ、視線がわずかに鋭くなる。
私は続ける。
「名前は?」
「アーモンドって言うさね」
ラーラが吹き出す。
「ぶっ…お前、ほんとそういう特徴的な名前好きだな」
「覚えやすいのが一番さ」
キャンディはさらっと返す。
それから、一瞬だけ視線を落とした。
「……まあ、ルクスについてはさ」
言葉を選ぶ。
「悪い話ばっかってわけでもないんだよね」
一拍。
「いろんな噂は聞くし、耳にも入ってくるけどさ」
軽く肩をすくめる。
「それが全部本当かは分かんないし」
「実際こうして普通に外でやってる子もいるわけだしね」
断定はしない。
でも、無視もしてない。
その距離だった。
私は小さく頷く。
「……その子に会える?」
キャンディはすぐに答える。
「ヴェインシアにいるさね」
「今なら会える」
ラーラが立ち上がる。
「行くか」
ルークも短く言う。
「……ああ」
私は二人を見る。
反対はない。
それで決まる。
私はキャンディを見る。
「行こう」
キャンディがにやっと笑う。
「そう来ると思ったさね」
♦︎
その日は、それ以上動かなかった。
出発は明日の朝一。
準備は最小限。
それでいい。
外に出ると、空は少しだけ色を落としていた。
見慣れた景色。
何度も見てきた場所。
――本当に、問題はないのか。
頭に浮かぶのは、
ベベリオ。
そして――0824。
繋がっている。だが、まだ足りない。
明日、ヴェインシアへ向けて出発し
そこで、ルクス養育院について聞く。
――もう、引き返すつもりはなかった。
ここまで読んでくれたあなたへ。
正直、この先から一気に面白くなります。
もし「もう少し付き合ってやるか」と思ってもらえたら、
ブックマークしておいてください。損はさせません。
応援や評価も、しっかり全部見てます。




