第32話 港町リオナ
アクアレアの街並みを背に、私たちは港町リオナへ向かう。
街を抜けると、道はすぐに海沿いへ出た。
その途端、フードの奥が小さく揺れる。
ビビが、もぞりと顔を出した。
潮の匂いに気づいたのか、黒い瞳がきょろきょろと動く。
私は小さく笑い、そっとフードの端を押さえた。
御者台では、専属の御者がすでに手綱を整えている。
レオンは周囲を軽く確認してから言った。
「ここからリオナまでは、馬車でおよそ一時間ほどです」
私は頷く。
「そんなに近いんですね」
レオンは静かに続ける。
「アクアレアの外港のような町です」
「漁師が多い、小さな港町になります」
ルークが馬車に乗り込みながら言った。
「なるほどな」
「だから魚が安いわけだ」
ラーラが笑う。
「お前はそこか」
御者が手綱を軽く引く。
馬車は静かに動き出した。
アクアレアの街並みを背に、私たちは港町リオナへ向かう。
街を抜けると、道はすぐに海沿いへ出た。
風の匂いが変わる。
潮の匂いが、はっきりと強くなった。
海風が馬車の窓から吹き込み、髪を揺らす。
遠くに小さな港が見えていた。
木造の漁船がいくつも並び、帆がゆっくりと揺れている。
岸には網が広げられ、何人かの男たちが黙々と修繕していた。
干された魚が木枠に並び、潮と魚の匂いが混ざって漂ってくる。
荷車がゆっくりと港から出てきた。
木箱いっぱいに魚が積まれている。
それを引く男は日に焼けた顔で、こちらをちらりと見て通り過ぎた。
アクアレアの大きな港とは違う。
もっと静かで、もっと生活に近い港だった。
子どもが魚の箱に腰掛けて、
大人の仕事をぼんやり見ている。
やがて道の先に、低い石壁に囲まれた小さな街が見えてくる。
高い建物はほとんどない。
代わりに、煙突の煙がいくつも上がっていた。
レオンが言う。
「ここが港町リオナです」
その声と同時に、馬車はゆっくりと坂を下りていく。
夕方の光が海に反射し、港全体を赤く染めていた。
波の音が、静かに街へ流れ込んでいた。
♦︎
宿に荷物を置くと、私はそのままフロントへ向かった。
カウンターの向こうで、宿の主人が帳簿を閉じる。
私は声をかけた。
「この辺りでおすすめの食事処ってありますか?」
主人は顔を上げると、すぐに笑った。
「ああ、それなら――」
少し考えてから言う。
「港通りの“潮風亭”ですね」
「この町じゃ有名な店で、魚なら、あそこが一番うまい」
ルークがすぐに頷いた。
「よし、決まりだな」
ラーラも軽く腕を伸ばす。
「ちょうどお腹も減ってきたし行こうぜ〜」
主人は笑いながら言う。
「ここを出てすぐの通りです」
「提灯がぶら下がってる店だから、すぐ分かりますよ」
私は頷いた。
「ありがとうございます」
ルークが立ち上がる。
「行くか」
その時だった。
少し後ろで静かに立っていたレオンに気づく。
私は振り返った。
「レオンさんも、一緒に行きましょう」
レオンは一瞬だけ目を瞬かせた。
「……よろしいのですか」
私は笑う。
「もちろん」
「レオンさんもご飯食べないと」
ルークが肩をすくめる。
「護衛だろ?ご飯中もしっかり頼むぜ!」
ラーラも軽く手を振る。
「はやく行くよ!」
レオンは小さく頷いた。
「では、同行します」
私たちはそのまま宿を出て、港通りへ向かった。
♦︎
潮風亭は、港通りの少し奥にあった。
木造の店で、扉を開けるとすぐに香ばしい匂いが広がる。
魚の匂い。
スープの匂い。
そして酒。
店内は賑わっていた。
漁師らしい男たちが肩を並べて酒を飲んでいる。
笑い声と食器の音が、店いっぱいに広がっていた。
私たちは空いている席に案内された。
レオンが立ったままでいようとしたので、私は手を引く。
「レオンさん、座って」
レオンは一瞬だけ戸惑った。
「ですが――」
私はそのまま椅子を引く。
「今日は一緒に食べるの」
「命令」
ルークが笑う。
「逆らうなよ、淡々男」
ラーラも肩をすくめた。
「諦めろ」
レオンはわずかに息をつき、席に座る。
「……では、お言葉に甘えます」
店を切り盛りしているのは、四十代後半くらいの女だった。
明るい顔で注文を取りに来る。
「いらっしゃい」
「今日はいい魚入ってるよ」
ルークが言う。
「じゃぁ、おすすめ頼む」
女店主は笑った。
「任せな!」
しばらくして料理が運ばれてくる。
魚介のスープ。
焼き魚。
香草の効いた煮込み。
私はスープを一口飲んだ。
「なにこれ、おいしい」
思わず声が出る。
その声に反応するように、フードの中でもぞりと小さな動きがした。
ビビが顔だけ出して、湯気の立つ皿をじっと見ている。
「だめだよ、ビビ。これは熱いから」
小さくそう言うと、ビビは名残惜しそうに鼻をひくつかせて、またフードの奥へ引っ込んだ。
思わず声が出る。
ルークも頷いた。
「うわっ!うまっ!」
ラーラが焼き魚をほぐす。
「これは当たりだ」
私はレオンを見る。
「レオンさんも食べてみて」
レオンは少しだけ迷ったが、スープを口に運ぶ。
そして静かに言った。
「……確かに」
「これは美味しいですね」
ルークが笑う。
「だろ?」
「港の飯はうまいんだよ」
私は嬉しくなって言う。
「このお店、当たりだね」
店の中では、漁師たちの笑い声がまだ続いていた。
港町らしい、にぎやかな食卓だった。
しばらくして、女店主がまたテーブルにやってきた。
手には小さな皿を持っている。
「これ、サービス」
そう言って皿を置いた。
黄色く切られた果物だった。
「マンゴーだよ」
私は少し驚く。
「マンゴー?」
女店主は笑った。
「この港じゃよく入ってくるんだ」
「南の船が運んでくるからね」
ルークの手が、ほんの一瞬止まった。
私はまだ気づいていない。
ラーラが一切れつまむ。
「へぇ」
「結構甘いな」
私も一口食べる。
「ほんとだ」
「おいしい」
女店主が嬉しそうに言う。
「子どもなんか特に好きなんだよ」
「この辺じゃ、すぐなくなる」
その時だった。
ルークが静かにマンゴーを口に運ぶ。
何も言わない。
ただ少しだけ、遠くを見るような目をした。
すぐに視線を落とす。
そして酒を一口飲んだ。
私は気づかないまま、女店主に言う。
「ごちそうさまでした」
「本当においしかったです」
女店主は笑った。
「また食べにきてな〜」
店の中では、漁師たちの笑い声がまだ続いていた。
港町の夜は、まだ賑やかだった。
♦︎
宿へ戻る頃には、港の通りはすっかり落ち着いていた。
昼間の喧騒はなく、聞こえるのは波の音と、遠くの船の鐘だけだ。
私たちは並んで歩いていた。
ルークは少し酒が入っているようだったが、足取りはしっかりしている。
ラーラが言う。
「いい店だったな」
ルークが頷く。
「確かに」
私は笑った。
「また食べに行きたいね」
ルークも軽く笑う。
「だな」
けれど――
その横顔を見て、私は少しだけ違和感を覚えた。
さっき店でマンゴーを見た時。
ほんの一瞬だけ、ルークの手が止まっていた。
何かを思い出しかけたような顔だった。
けれど今は、何も言わない。
私は少しだけ迷ったが、声はかけなかった。
宿へ戻ると、それぞれの部屋へ向かう。
レオンはいつものように周囲を確認し、静かに廊下を歩いていった。
その夜は、それ以上何も起こらなかった。
ただ――
ルークの横顔だけが、少しだけ頭に残っていた。
♦︎
翌朝。
港の朝は早い。
私たちは簡単に朝食を済ませると、すぐに宿を出た。
今日の視察先――
リオナ院だ。
港の通りを抜けると、少し外れた場所に施設があった。
木造の建物だったが、きちんと整備されている。
門の上には看板。
ルクス養育院 リオナ院
施設長が出迎えた。
院内を案内される。
食堂。
寝室。
学習室。
どこも問題はない。
庭では子どもたちが遊んでいる。
落ち着いた、普通の養育院だった。
私は何人かの子どもに声をかけてみた。
「困っていることとか、ない?」
子どもたちは顔を見合わせる。
それから、すぐに笑った。
「ないよ!」
「ここ楽しい!」
「ごはんもおいしい!」
別の子も元気に言う。
「先生やさしい!」
「みんなで遊べるし!」
返ってくるのは、そんな言葉ばかりだった。
私は少しだけ頷く。
「そう」
「それならよかった」
視察は、あっけなく終わった。
施設を出たところで、ラーラが腕を組む。
「……拍子抜けだな」
ルークが言う。
「アクアレア院も普通」
ラーラが続ける。
「リオナ院も普通」
私は少し考える。
「……施設の中だけ見ても、分からないのかも」
ルークが聞く。
「どういうことだ?」
私は言う。
「子どものことって、母親が一番よく知ってると思うの」
ラーラが眉を上げた。
「……なるほどな」
「母親か」
私は頷く。
「この街で、子どもに関する事件とか」
「そういう話を聞いてみたい」
ラーラが小さく笑う。
「それは確かに一番早い」
そうと決まり、私たちは港の通りで聞き込みを始めた。
魚を売る女。
洗濯をしている女。
井戸端で話している女。
やがて、一人の女が言った。
「ああ……」
「昔、この辺で子ども攫われた人がいるのよ」
私は顔を上げる。
「攫われた?」
女は頷く。
「だいぶ前だけどね」
「この港じゃ有名な話さ」
ラーラが聞く。
「誰?」
女は少し考えてから言った。
「ほら」
「あの潮風亭の……」
女は少し言葉を濁した。
近くで魚をさばいていた女が、
ちらりとこちらを見る。
それから小さく言った。
「……ダリアさん所だよ」
私の胸が、少しだけざわついた。
ルークは何も言わない。
ただ静かに港の方を見ている。
私は言った。
「……行きましょう」
昨日の食堂へ。
私たちは足早に歩き出した。
――昨日、笑って料理を運んできた女店主の顔が
頭の中で静かに重なっていた。
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