第30話 王都の答え
ベルグ院を出たのは、まだ朝霧が残る時間だった。
夜明けの光の中で、馬車は静かに門を離れた。
車輪が湿った土の道を静かに転がっていく。
最初のうちは誰も多くを話さなかった。
――その静けさの中で。
フードの奥が、小さく揺れる。
ビビが、落ち着かないように身じろいだ。
ほんのわずかに、尻尾が膨らむ。
気づいたのは、ルークだけだった。
(……なんだ?)
だが、何も言わない。
そのまま視線を外へ戻した。
やがて太陽が高く上がる。
街道の景色が少しずつ変わり、遠くに城壁の影が見え始めたのは午後もだいぶ過ぎた頃だった。
王都。
見慣れているはずの場所が、今日は少し違って見える。
馬車が石畳へと入った。
城門がゆっくり開く。
王城の敷地へ入るころには、西の空が夕方の色に染まり始めていた。
長い塔の影が地面を横切り、城壁の石に橙色の光が落ちている。
馬車が止まり、御者が振り返った。
「王城です」
扉が開き、夕方の風が流れ込む。
私は地面へ降り立った。
隣でルークが背中を伸ばす。
「……でかいな」
王城の塔を見上げながら肩を回した。
「ベルグ院の庭の方が落ち着く」
ラーラも続いて降りる。
城を見上げて、軽く目を細めた。
「へぇ」
感心したように呟く。
「これが王子の城か」
腕を組みながらゆっくり周囲を見回す。
「噂は聞いてたけどさ」
少し笑った。
「実物はもっと立派だな」
ルークが横目で見る。
「何しに来たんだお前」
ラーラは肩をすくめた。
「視察官の護衛」
それから続ける。
「ついでに王子って人間を見物」
ルークが鼻で笑う。
「相変わらずだな」
ラーラは楽しそうに言った。
「いや、純粋に気になるんだよ」
「どんな顔してるんだろうなって」
「評判通りの立派な王子様なのか」
少し顎を上げる。
「それとも、ただの貴族様なのか」
ルークがぼそりと言う。
「失礼だぞ」
「まだ会ってねぇのに」
ラーラは軽く笑った。
「だから見てみたいんだろ」
私は二人の会話を聞きながら、ゆっくり息を整える。
「謁見は明日の朝です」
そう言うと、ラーラが頷いた。
「予定通りか」
ルークが空を見上げる。
「もう疲れたからベットに入りたいぜ」
♦︎
騎士が近づいてきた。
「お帰りなさい、視察官殿」
軽く一礼する。
「殿下への報告は、予定通り明朝となります」
私は頷いた。
「承知しています」
騎士は廊下の奥を示す。
「客室をご用意しております。こちらへ」
私たちはそのまま城の奥へ進んだ。
いくつか廊下を曲がったところで、騎士が立ち止まる。
「こちらになります」
扉を開きながら、騎士は振り返った。
「本日の警備についてお知らせします」
「レオンは現在、別任務に出ております。今夜の警備は別の者が担当いたします」
その言葉を聞いた瞬間だった。
ルークが、なぜか少し嬉しそうに呟く。
「淡々男、いないのか」
騎士は淡々と答えた。
「明日には王城へ戻る予定です」
私は、ほんの一瞬だけレオンの無表情を思い出した。
それから小さく頷く。
「分かりました」
騎士は続けた。
「何かございましたらすぐお知らせください。明朝、謁見の時間になりましたらお迎えに参ります」
私は頷く。
「ありがとうございます」
騎士が一礼し、廊下へ戻っていった。
扉が静かに閉まる。
ラーラがくすっと笑う。
「忙しい奴だな」
ルークは肩をすくめた。
「いや、俺は別に居なくても困らないけど?」
ラーラが横目で見る。
「お前、絶対からかう気だろ」
ルークは何も言わず、にやっと笑った。
部屋は広かった。
窓の外には王都の街が広がっている。
――その静けさの中で。
フードから、そっと小さな顔が出る。
ビビだった。
くりっとした目で周囲を見回し、
安全だと判断すると、
もぞもぞと体を動かす。
頬が、少しだけ膨らんでいる。
どこかで木の実を拾ったらしい。
ラーラがちらっと見る。
「……それ、増えてね?」
ルークが鼻で笑う。
「さあな。勝手に増えるんじゃねぇの」
ビビは気にせず、もぐもぐと食べている。
夕暮れの光が消え始め、街に灯りが点き始めていた。
ルークが窓辺に立つ。
「王都の夜ってのは、やっぱ派手だな」
ラーラはベッドに腰を下ろした。
「ベルグ院とは大違いだ」
私は窓の外を見つめた。
遠くで鐘の音が響く。
明日。
王子に報告する。
そして――
灯りの家事件の結末を聞くことになる。
♦︎
翌朝。
私は小さく息を整えた。
王城の廊下は静かだった。
足音だけが石の床に響く。
隣でルークが天井を見上げる。
「……落ち着かねぇ場所だな」
ラーラが小さく鼻で笑う。
「私は初めてだけどな」
腕を組みながら前を見る。
「王子ってどんな人なんだろうな」
ルークが横目で言う。
「見物かよ」
ラーラは肩をすくめた。
「だって王子だぞ?」
「会える機会なんてそうない」
その会話を聞きながら、私は前を見た。
騎士が立ち止まる。
「こちらです」
重厚な扉の前だった。
私は小さく頷く。
「行きましょう」
騎士が扉を開く。
「視察官アイリー、到着いたしました」
室内は広かった。
窓の外には王都の街が広がっている。
机の前に、エリオット・ヴァルドゥナ第一王子。
その隣にはフリードが立っていた。
王子は私たちを見ると、ゆっくり立ち上がる。
「よく戻ったな」
私は一歩進み、片膝をつくと
ルークとラーラも続いた。
王子は軽く手を上げた。
「楽にしていい」
私は顔を上げた。
王子の視線が、まっすぐこちらを見ている。
「まず聞こう」
王子の声は落ち着いていた。
「ベルグ院の様子はどうだ」
私は答える。
「事件から約二週間ですが」
「子どもたちはしっかりと回復に向かっています」
「薬の影響も徐々に抜け、生活も落ち着き始めています」
王子は静かに頷いた。
「そうか」
短い言葉だった。
だが、その声には確かな安堵があった。
フリードが隣で書類を閉じる。
「ベルグ院からの報告書も確認しました」
「大きな問題は出ていません」
ルークは姿勢を保ったまま、静かに息を吐いた。
ラーラは一言も発さず、王子と執務室を順に見た。
噂で聞いていた人物を、確かめるような視線だった。
王子が視線を戻す。
「では、本題に入ろう」
少し間を置く。
「ドミニクの灯りの家の、事件についてだ」
王子の声が静かに響いた。
先ほどまで穏やかだった執務室の空気が、わずかに張り詰める。
私は何も言わず、その言葉を待った。
王子は机の上に置かれていた書類へ目を落とし、ゆっくり続ける。
「調査の結果、ドミニクは長年にわたり違法な児童売買に関わっていたことが確認された」
その一言だけで、胸の奥が冷たくなる。
王子は感情を表に出さないまま説明を続けた。
「灯りの家は、孤児の保護施設を装った拠点だった」
「実際には、子どもたちを集め、選別し、買い手へ引き渡すための場所だ」
私は静かに息を飲む。
フリードが一歩前へ出た。
彼は報告書を開き、落ち着いた声で続ける。
「調査の過程で、灯りの家から外部へ送り出された子どもの記録が多数見つかりました」
紙を一枚めくる。
「確認できた人数だけでも、二百人を優に超えています」
ラーラの肩がわずかに動いた。
フリードは淡々と続ける。
「ただし、記録は完全ではありません」
「実際の人数は、それ以上である可能性が高い」
執務室に沈黙が落ちる。
フリードの声だけが静かに響いた。
「売買の対象となった子どもたちは、国内外の様々な場所へ送られていた形跡があります」
「労働力として扱われた者」
「養子として売られた者」
「その他、用途不明の取引も存在します」
言葉が重く沈んでいく。
私は拳をわずかに握った。
フリードは続ける。
「現在、騎士団と王都治安局が合同で行方の調査を進めています」
「しかし」
一瞬だけ言葉を区切った。
「すべての子どもを見つけ出すことは、現実的には困難と考えられています」
ラーラが小さく息を吐いた。
その音だけが、かすかに聞こえた。
王子が視線を上げる。
「さらに調査で判明したのは、薬物の使用だ」
机の上の書類を指で軽く叩く。
「灯りの家では、子どもたちに鎮静剤が投与されていた」
私は顔を上げる。
王子は続けた。
「本来、医療目的で使用される量を大きく超えていた」
「子どもたちの感情を鈍らせ、従順にするためのものだ」
フリードが補足する。
「常習的な投与が確認されています」
「子どもたちの体調や年齢に関係なく、一定量が与えられていました」
「抵抗を抑える目的だったと考えられます」
ルークの気配が、わずかに硬くなる。
だが何も言わない。
フリードはさらにページをめくる。
「そして、この違法行為は短期間のものではありません」
「少なくとも十五年以上前から、同様の取引が続いていたことが確認されています」
(十五年も……)
その言葉が、やけに重く響いた。
王子が静かに結論を告げる。
「以上の罪状により」
「ドミニクには主犯として正式な有罪判決が下された」
一拍。
「そして――」
王子ははっきりと言った。
「先日、死刑が執行された」
部屋の空気が静かに沈む。
それは長い時間ではなかった。
だが、十分だった。
フリードが最後に口を開く。
「王都では、この事件をもって“ドミニクの灯りの家事件は終結した”と公表されています」
「治安への不安も、現在は落ち着いています」
ラーラが小さく息を吐いた。
「……そうか」
短い言葉だった。
それ以上は言わない。
王子はしばらく私たちを見ていた。
その視線は静かで、しかし重かった。
王子は静かに言った。
「だが」
一度言葉を区切る。
「死刑で終わる話ではない」
執務室の空気がわずかに変わる。
王子はゆっくり続けた。
「十五年だ」
「十五年もの間、この国のどこかで子どもが売られていた」
「それを誰も止められなかった」
その言葉には怒りではなく、静かな重さがあった。
「これはドミニク一人の罪ではない」
「国の監督の失敗でもある」
王子は私を見る。
「だからこそ」
「この国の施設を、もう一度見直す必要がある」
フリードが一歩前へ出た。
「殿下」
王子が軽く頷く。
フリードは手元の書類を開いた。
「現在予定されている次の視察先についてですが」
ページをめくる。
「湾岸都市アクアレア」
私はその名前を聞き、わずかに視線を上げた。
フリードは書類に目を落としたまま説明を続ける。
「アクアレア郊外には、ルクス養育施設が三つあります」
ページをめくりながら言った。
「今回視察していただくのは、そのうちの二つ」
「一つ目は、アクアレア院」
「そして――」
一拍置く。
「リオナ院です」
その名前を聞いた瞬間だった。
隣でルークが、わずかに顔を上げた。
ほんの一瞬だけ。
何かを思い出そうとするような表情。
「……リオナ?」
小さく呟く。
私は横を見る。
「どうしたの?」
ルークはすぐに首を振った。
「いや」
少し考えるように視線を落とす。
「なんか、どっかで聞いた気がしただけだ」
それ以上は何も言わなかった。
フリードの説明が続く。
「港町に近い施設です」
「海運が盛んな地域なので、人の出入りも多い」
王子がゆっくり言った。
「国の目が届きにくい場所だ」
私は静かに頷いた。
けれど――
ルークはまだ、考え込んでいた。
ラーラは黙ったまま話を聞いていた。
フリードは続ける。
「王都の管理下にはありますが、距離があるため監督が薄くなりやすい地域です」
「出発準備はこちらで進めます」
それから私を見る。
「数日以内には出発可能です」
執務室の空気は、先ほどまでとは少し変わっていた。
ドミニクの事件は終わった。
だが、それで全てが終わったわけではない。
むしろ――
ここからが始まりなのかもしれない。
王子が最後に言う。
「あなたの目で確かめてきてほしい」
静かな声だった。
「この国の施設が、本当に子どもたちのための場所なのか」
私は深く頭を下げた。
「承知しました」
それが、私の答えだった。
♦︎
執務室を出ると、廊下の空気が少しだけ軽く感じられた。
私は窓の外へ視線を向ける。
王都の空は、すでに夕暮れに染まり始めていた。
灯りの家事件は終わった。
けれど――
視察官としての仕事は、まだ続く。
次の目的地は
湾岸都市アクアレア。
新しい調査が、もうすぐ始まる。
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