表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
盾の少女は世界を救わない 〜攻撃できない盾魔法の少女、子どもの誘拐事件から国家の闇を暴く  作者: まるい そら


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

29/47

第29話 子どもに戻る日

馬車がゆっくりと止まった。


ルクス養育院ベルグ院の門の前だった。


扉を開けて外へ降りると、夕方の柔らかな光が庭いっぱいに広がっていた。

遠くで子どもたちの声が聞こえる。


王都とは違う、穏やかな空気だった。


門の向こうに数人の子どもが立っている。


その中で――


ひとりの少女がこちらに気づいた。


アイシャだ。


一瞬、驚いた顔になる。

それから、小さく手を振った。


やがてその表情がふっと緩み、静かに笑う。


「アイシャ」


私は思わず声をかけた。


少女の隣には、もう一人の女の子が立っている。

栗色の髪をした少女。


あの夜に、搬出されていたチェルシーだった。


二人は肩が触れるほど近くに並んでいる。

自然な距離だった。


同い年の二人は、もう仲良くなっているらしい。


チェルシーは少し緊張した様子で頭を下げる。


「……おかえりなさい」


小さな声だった。


私は笑う。


「ただいま」


その様子を見ながら、ふと気づく。


ここには、灯りの家にあった重たい空気がない。

同じ“子どもの施設”でも、こんなにも違うものなのかと思った。


その時、建物の扉が開く。


「おぉ!帰ってきたか!お疲れさま〜」


ラーラだった。


腕を組みながら歩いてくる。


「ラーラ、そばに居てくれてありがとう!お疲れ」


「そっちはどう?」


ラーラは少しだけ息を吐いた。


「まあ……いろいろあったねぇ」


それから視線を子どもたちへ向ける。


「昨日の夜、騎士団がチェルシーを連れてきたんだ」


チェルシーが少し照れたように視線を下げる。


ラーラは続けた。


「薬の影響もあったけど、夜にはだいぶ思考が戻ってた。ドミニクが何してたかも説明した」


私は頷く。


「……そう」


「アイシャとチェルシーは理解できてた」


ラーラは静かに言う。


「でも」


視線が庭の奥へ向く。


そこには二人の少年がいた。


ベグとポールだ。


「ベグは泣き出してな」


ラーラは苦笑する。


「“灯りの家に帰りたい”って」


私は胸の奥が少しだけ重くなるのを感じた。


「ポールは?」


「混乱してた」


ラーラは肩をすくめる。


「何が起きたのか分かってない顔だったな」


しばらく沈黙が落ちた。


その空気を切るように、遠くでベグの声が響く。


私は小さく息を吐いた。


「時間かかるよね」


ラーラは頷いた。


「まあな」


♦︎


翌朝。


子どもたちはまだ完全には回復していなかった。

鎮静剤の影響で、歩く足取りもどこか重い。


庭のベンチにはアイシャが座っていた。


背筋を伸ばしたまま、静かに中庭を眺めている。

風に揺れる木の葉や、遠くで遊ぶ子どもたちの姿を、ただ黙って目で追っていた。


その隣にはチェルシーもいる。


同じように座り、膝の上で指を組んでいた。

時々、深く息を吐きながら空を見上げる。


二人とも体はまだだるそうだったが、表情は落ち着いていた。


昨日聞いた話を、それぞれ自分の中で整理しているのだろう。


だが、ベグは違った。


部屋の入口近くで立ち止まり、何度も同じ言葉を口にする。


「……帰りたい」


声は小さいが、はっきりしている。


「灯りの家に帰りたい」


その言葉を、何度も繰り返した。


ここが安全な場所だと説明されても、ベグの中ではまだ納得できていない。

あの家こそが、自分の居場所だと思っているのだ。


ポールはその少し離れた場所に座っていた。


膝に肘をつき、俯いたまま動かない。


誰かが話しかければ小さく頷くが、自分から言葉を出すことはなかった。


起きているのか、考えているのか、それとも何も考えられないのか――

外からは分からない。


まだ、心が追いついていない。


それぞれが、それぞれの速度で現実に触れようとしている。


そんな朝だった。


♦︎


三日後。


ベルグ院の空気が、少しだけ変わり始めていた。

朝の庭に、子どもたちの足音が戻っている。


ベグはその中心にいた。


庭の端から端まで、落ち着きなく走り回っている。

時々立ち止まり、何かを見つけてはまた走る。


その後ろをチェルシーが追いかけた。


「待って!」


そう言いながら、息を弾ませて笑っている。


ベグは振り返り、わざと遠回りして逃げた。


まだ少しぎこちない。

けれど、それでも確かに子どもらしい動きだった。


その光景を、ポールが少し離れた場所から見ていた。


石の縁に腰を下ろし、腕を膝の上に乗せたまま、じっと庭を見ている。


最初は無表情だった。


だが、チェルシーが転びそうになりながらも笑い続けるのを見て――


ポールの口元が、ほんのわずかに緩んだ。


声にはならない。


けれど確かに、そこに小さな笑みが生まれていた。


それが、この場所で起きた最初の変化だった。


♦︎


「鬼ごっこやるぞ」


ある日の昼。


突然ルークがそう言い出した。


ベルグ院の広い庭の中央に立ち、腕を軽く振る。


「捕まったら交代な」


声が響くと、近くで遊んでいた子どもたちが一斉にこちらを見る。


ルクス養育院には、もともと多くの子どもが暮らしている。

庭には二十人近い子どもたちがいて、何が始まるのかとざわめきが広がった。


最初に動いたのはチェルシーだった。


「きゃー!」


笑いながら走り出す。


その背中を見て、ベグもすぐに飛び出した。


「待てー!」


庭のあちこちから子どもたちが動き出す。

あっという間に中庭は大騒ぎになった。


その少し後ろで、アイシャが立っている。


腕を軽く組みながら、様子を見ていた。


走り回る年下の子どもたちを、少し落ち着いた目で眺めている。

それでもチェルシーが転びそうになると、思わず一歩前へ出た。


だがチェルシーはすぐに立て直し、笑いながらまた逃げていく。


アイシャは小さく息を吐き、やれやれという顔で首を振った。


その近くで――


ポールだけが、まだ動いていなかった。


庭の端に立ったまま、走り回る子どもたちを見ている。


それに気づいたルークが、わざとその前で足を止めた。


「なんだ」


にやりと笑う。


「逃げないのか?」


ポールは答えない。


ルークは肩をすくめた。


「遅い奴から捕まえるぞ」


その言葉の直後だった。


ポールが走った。


最初はぎこちない。

それでも足は止まらない。


ルークが追いかける。


ベグが笑う。


チェルシーが叫ぶ。


二十人以上の子どもたちが庭を駆け回り、声があちこちで弾けた。


ポールは振り返りながら必死に走る。


その瞬間。


少年の口から、ふっと笑い声がこぼれた。


ほんの一瞬。


けれど確かに――笑った。


私は少し離れた場所からその光景を見ていた。


胸の奥が、じんわりと熱くなる。


ルークがちらっとこちらを見る。


私は気づかないふりをして、空を見上げた。


その少し後ろで、ラーラも同じ光景を見ていた。


庭を走り回る子どもたち。

笑い声。

息を切らして転びそうになりながらも、また立ち上がって逃げる小さな背中。


ラーラは腕を組んだまま、静かに息を吐く。


もし、ドミニクの地下を見つけていなかったら。


この子たちは、今もあの家で生きていたのだろうか。


“安心”という名の魔法に包まれて。


疑問を持つこともなく。


逃げようとも思わず。


ただ静かに、あの場所で育てられ

どこに売られていったのか。


どんな未来が待っていたのか。


想像すると、胸の奥が重くなる。


ラーラはゆっくり目を細めた。


そして、庭を駆ける子どもたちをもう一度見る。


――笑っている。


それだけで、今は十分だった。


♦︎


それからの日々。


私はベルグ院に通い続けた。


五日目。


ベグとチェルシーが喧嘩した。

すぐに仲直りした。


ポールが自分から鬼ごっこに参加する。


九日目。


アイシャとチェルシーが並んで本を読んでいた。

何かを話して、二人で静かに笑う。


そして十三日目。


ベグが言い出す。


「今日は俺が鬼やる」


ラーラが吹き出した。


「元気になったな」


ベルグ院の庭には、普通の子どもの声が響いていた。


♦︎


その日。


午後になってから、子どもたちを連れてベルグの小さなカフェへ行った。


ベルグ院から歩いて少しの場所にある店だ。


ガラスケースの中には、苺のタルトやケーキが並んでいた。


「わぁ……」


チェルシーが目を輝かせる。


ベグはすでにガラスに顔を近づけていた。


「すげぇ……!」


「おい」


後ろからラーラの声が飛ぶ。


「鼻つけんな」


軽く頭を叩かれて、ベグが振り返る。


「つけてねーよ!」


「つけそうだっただろ」


ラーラは呆れたように言った。


子どもたちは席につき、落ち着かない様子で店の中を見回している。


やがて、苺のタルトが運ばれてきた。


赤い苺が宝石のように並んでいる。


「これ……食べていいの?」


チェルシーが恐る恐る聞く。


ラーラが腕を組む。


「そのために来たんだろ」


「遠慮すんな」


ベグはすでにフォークを持っていた。


「いただきます!」


一口食べた瞬間。


「うまっ!!」


店の中に声が響く。


チェルシーも笑いながら食べる。


ポールも静かにフォークを動かした。


ゆっくり一口。


そして、少しだけ表情が緩む。


その様子を見て、ラーラがふっと笑った。


「良かったな」


それから子どもたちを見回す。


「でもな」


ラーラはテーブルに肘をついた。


「明日、あたしたちは王都に戻る」


ベグが顔を上げる。


「え?」


チェルシーも少し驚いた顔になる。


ラーラは肩をすくめる。


「仕事だからな」


「しばらくベルグ院には来られない」


ベグが不満そうな顔をした。


「えー」


その様子を見て、ラーラは苦笑する。


「そんな顔すんな」


「また来る」


アイシャが静かに聞く。


「……いつ?」


ラーラは少しだけ考えた。


「王都の仕事が片付いたらな」


それから指でテーブルを軽く叩く。


「でも、もし何かあったら王都に来い」


子どもたちが一斉に顔を上げた。


ラーラは紙ナプキンを引き寄せる。


そこに文字を書く。


「アイリーがいつも泊まってる宿」


ベグが身を乗り出す。


「行っていいの?」


「もちろん」


ラーラはあっさり答えた。


「受付のやつにこれ見せて、アイリーの名前言えば連絡が来る」


ポールが静かに紙を見る。


チェルシーも覗き込んだ。


ラーラは続ける。


「手紙でもいい」


「誰かに頼んでもいい」


「何かあったら遠慮すんな」


ベグが少しだけ安心した顔をする。


チェルシーも小さく頷いた。


その様子を見ながら、私は黙って苺のタルトを食べていた。


店の窓から夕方の光が差し込んでいる。


明日にはまた王都へ戻る。


けれど今は、子どもたちの笑い声がこの小さな店に広がっていた。


その時間を、少しだけ大事にしたかった。


♦︎


その夜。


食堂の片付けが終わり、灯りが一つ、また一つと落ちていく。


子どもたちがそれぞれの部屋へ戻り始めた頃――


ラーラが声をかけた。


「アイシャ、チェルシー。ベグ、ポール」


四人が振り向く。


「ちょっと集合!」


小声でそう言って、廊下の奥へ手招きする。


四人は顔を見合わせながら近づいてきた。


廊下の隅は静かだった。

夜の空気がひんやりと流れている。


ラーラはポケットから、小さな布袋を取り出した。


紐をほどき、手のひらに中身を出す。


細い竹でできた、小さな笛だった。


指ほどの長さしかない。


「これ」


ラーラは順番に四人へ渡していく。


アイシャ。


チェルシー。


ベグ。


ポール。


「これは、みんなのお守りだ」


ベグが首をかしげる。


「笛?」


ラーラは頷いた。


「そう。竹でできた笛を見つけたんだ!」


腕を組んで続ける。


「もし危ないことがあったら、これを吹くんだぞ?」


四人は黙って聞いている。


ラーラはゆっくり言葉を続けた。


「大きな声が出せない時でも、笛なら音が出る」


「誰かが気づく」


「だから危ない時だけ使え」


少しだけ目を細める。


「一人でどうにかしようとするな」


ベグが笛を持ち上げて見る。


「これ、けっこう音出る?」


「大きい音が出る」


ラーラは短く答えた。


「だから本当に危ない時だけ使うんだぞ!」


チェルシーは両手で包むように持っている。


ポールはじっと笛を見つめていた。


しばらくして、小さく聞く。


「……誰か、来てくれる?」


ラーラは少しだけ間を置いた。


それから言う。


「誰かが気づく」


静かな声だった。


「ここには大人がいる」


「ベルグ院には仲間がいる」


「だから、ちゃんと知らせろ」


それがラーラの答えだった。


アイシャは笛をそっと握る。


チェルシーは大事そうにポケットへ入れた。


ベグはすぐに口へ持っていこうとして――


ぱし、と軽く止められる。


「だからダメだって」


ラーラが笑いながら眉を上げる。


「夜中に吹いたら全員起きるぞ」


ベグは慌てて笛を下ろした。


四人が小さく笑う。


静かな廊下に、その笑い声だけが残った。


ラーラは最後に一度、四人を見回す。


「大事に持っとけよ」


短く言った。


その言葉に、四人はそれぞれ小さく頷いた。


♦︎


翌朝。


ベルグ院の門の前には、すでに子どもたちが集まっていた。


まだ朝の空気は少し冷たい。

けれど庭にはいつもの賑やかな声が戻っている。


ベグが落ち着きなく歩き回り、チェルシーがそれを止めていた。

ポールは門のそばで静かに立っている。

アイシャは少し後ろから、その様子を見ていた。


その前に立っているのは、ベルグ院のシスターだった。


落ち着いた微笑みを浮かべて、私たちに一礼する。


「アイリー様」


柔らかな声だった。


「この度は、本当にありがとうございました」


私は首を振る。


「私一人の力じゃありません」


少し視線を子どもたちへ向ける。


「これから、この子たちのことをお願いします」


シスターは穏やかに頷いた。


「お任せください」


その声には迷いがない。


「ここにいる子どもたちは、皆、私たちの家族です」


「安心してお任せください」


その言葉に、胸の奥が少し軽くなる。


私はもう一度頭を下げた。


その横で、ルークが腕を組んで子どもたちを見ている。


「おい」


ベグに声をかける。


「次来たらまた鬼ごっこやるぞ」


ベグがすぐに反応した。


「ほんとか!」


「逃げ足鍛えとけよ」


ルークが笑う。


「今のままだとすぐ捕まる」


チェルシーがくすっと笑った。


ポールも少しだけ口元を緩める。


アイシャは静かに言った。


「……待ってます」


その一言が、やけに胸に残った。


私は頷く。


「必ずまた来る」


それだけ約束した。


やがて馬車の準備が整う。


御者が軽く合図を送る。


私はもう一度、ベルグ院の門の前を見た。


子どもたちが並んでいる。


その中で、四人の姿も見えた。


アイシャ。

チェルシー。

ベグ。

ポール。


それぞれのポケットには、小さな竹笛がしまわれている。


私は小さく手を振った。


子どもたちも一斉に手を振り返す。


ラーラが軽く肩をすくめた。


「行くか」


私は頷いた。


馬車に乗り込む。


車輪がゆっくり動き出した。


ベルグ院の門が、少しずつ遠ざかっていく。


子どもたちの姿が小さくなる。


それでも、しばらくは手を振り続けていた。


やがて門が見えなくなる。


私はゆっくり息を吐いた。


ドミニクの一件は、まだ終わっていない。


その答えは、

王都にある。


馬車は静かに街道を進んでいく。


私はふと振り返った。


ベルグ院の門は、もう見えない。


それでも、あの庭の笑い声だけが

まだ耳に残っていた。


王都へ向かう道の上で、

私はもう一度、小さく息を吐く。


――きっと大丈夫だ。


そう思えたのは、

あの子たちが笑っていたからだ。

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。


もしこの物語が少しでも心に残ったら、

ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。


その一つ一つが、次の物語を書く力になります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ