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盾の少女は世界を救わない 〜攻撃できない盾魔法の少女、子どもの誘拐事件から国家の闇を暴く  作者: まるい そら


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第28話 甘い再会

ルクス養育院ベルグ院の一室は、静かな空気に包まれていた。


昼の光が窓から差し込み、白い壁に柔らかく広がっている。

地下室の石の冷たさとは違う、穏やかな温度だった。


部屋には、簡易寝台が三つ並べられている。


その上で――

ベグとポールが横たわっていた。


八歳のベグは、小さな体を毛布の中に沈めている。

職員がそばで様子を見守り、温かい飲み物を少しずつ口元へ運んでいた。


目は開いている。


けれど、焦点はまだ定まらない。


ゆっくりと杯に口をつけ、わずかに喉を動かすだけだった。


十一歳のポールも同じだった。


体は起こさず、寝台の上で天井を見つめている。

目は覚めているのに、どこか遠くを見ているような表情だった。


そして――


少し離れた寝台に、アイシャが横たわっている。


毛布を胸元で握りしめたまま、静かに呼吸を繰り返していた。


ベグもポールも目は開いている。

けれど、まだ焦点は定まらない。


起きてはいる。

それでも、まだ“世界に戻ってきていない”。


ドミニクの魔法の余韻が、心の奥に残っているのだと分かった。


私は、寝台のそばに立ったままその様子を見ていた。


フードの奥で、小さな気配が動く。


ビビが、そっと顔を出した。


くりっとした黒い瞳で部屋の中を見回し、それからまた私の肩口に潜り込む。


地下室ではずっと縮こまっていた小さな体が、今は少しだけ緩んでいた。


子どもたちは助かった。


けれど。


本当に救えたのかどうかは、まだ分からない。


胸の奥に、小さな不安が残っていた。


その時だった。


背後で、ラーラが小さく息を吐く。


「……ねえ」


私は振り向いた。


ラーラは腕を組み、三人の寝台を見ている。


その目は、いつもの軽さとは少し違っていた。


「アイリー」


「王都、行くんでしょ?」


私は頷いた。


「うん。王子に報告しないといけない」


ラーラは少しだけ考え、それから言った。


「あたし、残ろうか」


私は思わず目を瞬かせる。


「え?」


ラーラは肩をすくめた。


「だってさ」


「この子たち、まだこんな感じじゃん」


寝台の三人を見る。


「知らない場所だし」


それから、少しだけ笑う。


「知ってる顔、一人くらいいた方がいいでしょ」


私は言葉を失った。


ラーラは続ける。


「王都行くのも、お偉いさんもその護衛も」


「ルークもいるし」


「あたし居なくても十分でしょ?」


そして、軽く指を振った。


「だからさ」


「子ども担当は、あたしに任せな?」


その言い方は、いつもの調子だった。


けれど――


その優しさは、隠しきれていなかった。


私は少しだけ笑った。


「……ありがとう」


ラーラは照れくさそうに鼻を鳴らす。


「別に」


「あたし、子ども嫌いじゃないし」


そう言って、ベグの寝台の横にしゃがみ込んだ。


小さな肩に毛布をかけ直してやる。


その仕草は、驚くほど自然だった。


私は三人をもう一度見た。


アイシャ。

ベグ。

ポール。


まだ言葉はない。


それでも――


ここには、人の温度がある。


それだけで、地下室とは違った。


私はゆっくり息を吐く。


「……よし」


小さく言った。


「王都、行ってくる」


その言葉に、ルークが短く頷いた。


そして、部屋の空気が静かに動き出した。



♦︎



王都へ向かう馬車は、夕方近くに到着した。


高い城壁。

巨大な門。


街の空気はベルグとはまるで違う。


人の多さ。

行き交う馬車。

石畳を叩く蹄の音。


私はふと手元を見た。


「あ」


フリードが振り向く。


「どうしました」


「制服、宿に預けたままでした」


王都視察官の制服。


このまま王城へ行くのはさすがにまずい。


フリードは小さく笑った。


「では、取りに行きましょう」


宿に寄り、着替えを済ませる。


胸元に王都視察官の徽章をつけた時、少しだけ背筋が伸びた。


♦︎


王城の門は、思っていたよりも高かった。


白い石で組まれた巨大な城壁。

その奥に、さらに高い塔がいくつもそびえている。


門の前には鎧の兵士が並び、鋭い槍の先が朝の光を反射していた。


ルークは無言でその光景を見上げている。


普段は何事にも動じない男だが、さすがにここは勝手が違うらしい。


歩く速度が、ほんのわずかだけ遅かった。


石畳に靴音が響く。


王城の門をくぐると、空気が変わった。


兵士の視線。

規律の整った足音。

壁に掲げられた紋章。


すべてが、ここが「王の場所」だと告げている。


入口で兵士が手を上げた。


「武器の確認をします」


静かな声だったが、命令に近い響きだった。


「武器はお預かりします」


ルークは一瞬だけ斧に目を落とした。


そして――


背中からそれを外す。


両手斧。


崩牙(ほうが)


長年使い込まれた巨大な刃が、重い音を立てて石畳に触れた。


兵士が思わず息を止める。


想像より、はるかに大きかったのだ。


ルークはそれを持ち上げ、そのまま差し出した。


兵士は受け取ろうとして――


ほんの一瞬、動きを止めた。


重さもある。


兵士は受け取ろうとして、ほんの一瞬だけ動きを止めた。


重かったのだ。


「……お預かりします」


少し引きつった顔で斧を受け取る。


ずしり、と腕が沈んだ。


周囲の兵士が思わず目を向ける。


「武器庫へ」


慌てたように別の兵士が駆け寄り、崩牙を運んでいった。


ルークは何も言わない。


ただ、武器が離れていくのを静かに見ていた。


その背中に、ほんの少しだけ力が入っている。


私はその様子を見て、思わず笑ってしまった。


「緊張してるのー?」


ルークが眉を寄せる。


「してねぇ」


即答だった。


けれど声が、ほんの少し低い。


私は肩を揺らす。


「じゃあ、手でもつないであげようか?」

「安心するかもよ?」


ルークがこちらを見る。


一瞬だけ沈黙。


それから、あっさり言った。


「え?いいの?」


そしてすぐに続ける。


「じゃあ頼むわ」


ルークは右手を差し出した。

迷いがない。


私は一瞬固まり、それから吹き出した。


「冗談に決まってるじゃん〜!」


そう言って手を引っ込める。


ルークの顔がわずかに歪んだ。


「おい」


私は笑いながら前を向く。


「ルークは相変わらずだね〜」


少し振り返る。


「誰も食べたりしないから、安心してね?」


ルークは小さく鼻で笑った。


「……そりゃよかった」


さっきより、声がいつもの調子に戻っていた。


そして私たちは、そのまま王城の奥へ進んでいった。



♦︎


謁見室の奥。


一段高い場所に置かれた椅子に、男が座っていた。


エリオット・ヴァルドゥナ第一王子。


穏やかな表情。

整った身なり。

威圧感はない。


それでも、この部屋の中心にいる人間が誰なのかは、一目で分かった。


私は数歩進み、赤い絨毯の中央で足を止める。


そして――


片膝を折った。


「王都視察官、アイリーです」


隣で、ルークが一瞬だけ動きを止めた。


この作法には慣れていない。


私はわずかに手を下げる。


それだけで十分だった。


ルークはすぐに理解し、同じように片膝をついた。


床に沈む鎧の音が小さく響く。


王子は椅子に座ったまま、その様子を静かに見ていた。


やがて軽く手を挙げる。


「楽にしてくれ」


私は立ち上がる。


ルークもそれに続いた。


王子は私を見て、穏やかに言う。


「久しぶりだな、アイリー」


その言葉に、私は少しだけ驚いた。


覚えている。


それだけで、胸の奥がわずかに軽くなる。


王子は続ける。


「話は簡単だが聞いている」


そして視線を向ける。


「詳しく聞かせてほしい」


私は頷いた。


地下室。

帳簿。

子どもたち。

ドミニクの魔法。


灯りの家で見たことを順を追って説明する。


王子は途中で口を挟まなかった。


ただ静かに聞いている。


その視線が、途中で一度だけ動いた。


ルークの方へ。


王子はわずかに目を細める。


「……護衛か?」


私は振り返る。


ルークは背筋を伸ばして立っていた。


まだこの空気に慣れていないのか、いつもより表情が硬い。


それでも視線はまっすぐだった。


私は軽く笑う。


「仲間です」


「今回の件でも、かなり助けられました」


ルークがわずかにこちらを見る。


王子は小さく頷いた。


「そうか」


それだけ言うと、再び私へ視線を戻した。


私は話を続けた。


最後まで聞き終えたあと、王子はゆっくり指を組む。


「恐怖を消す魔法、か」


静かな声だった。


「それは……子どもの意思を奪うのか?」


「はい」


私は答える。


「安心という形で、依存を作ります」


王子はしばらく黙っていた。


その沈黙は短かったが、部屋の空気を重くするには十分だった。


やがて、深く息を吐く。


「……国家として調査する必要があるな」


私はその言葉を聞き逃さなかった。


否定ではない。


判断は、まだ下されていない。


私は一歩踏み出した。


「殿下」


王子が視線を向ける。


私は言葉を選ぶ。


「視察官として、お願いがあります」


謁見室の空気が、わずかに動いた。


「今回の件のような事例が、他にもある可能性があります」


私は続ける。


「もし同様の疑いが見つかった場合」


「地方や施設を問わず、調査に入る許可をいただけませんか」


ルークが一瞬こちらを見る。


王子は私を見つめたまま、少しだけ考える。


そして聞く。


「騎士団の捜査ではなく?」


「視察官の判断で?」


「はい」


私は頷いた。


「現場に早く入れるのは、視察官です」


「証拠が消える前に動けます」


数秒の沈黙。


王子はゆっくり立ち上がる。


「……いいだろう」


その言葉に、空気が変わった。


「視察官アイリーに、臨時調査権を与える」


「疑いがある施設には、直接入って構わない」


私は思わず息を止める。


王子は続けた。


「ただし」


「重大な案件は必ず王都へ報告すること」


「騎士団と連携を取れ」


私は深く頭を下げた。


「ありがとうございます」


王子は静かに頷く。


そして言う。


「二週間後、もう一度来てほしい」


「その頃には、より多くのことが分かっているはずだ」


謁見は、それで終わった。


♦︎


廊下を歩きながら、フリードが言う。


「これで殿下への報告は済みました」


私は少しだけ考えてから言った。


「明日、ベルグへ戻ります」


フリードは頷く。


「子どもたちですね」


「はい」


「また馬車を貸していただけますか?」


フリードは笑った。


「もちろんいいですよ」


それから時計を見て言う。


「もう夕刻です。今日は城内に泊まっていくといい」


「部屋は用意させます」


そして歩きながら続けた。


「護衛もつけておきます」


♦︎


城の客室。


広い部屋だった。


ルークが椅子に腰を下ろす。


「王都ってのは落ち着かねぇな」


私は窓の外を見た。


「……同感です」


その時だった。


コンコン。


扉が叩かれる。


ルークが立ち上がる。


扉を開けると、そこに立っていた男を見て私はすぐに気づいた。


黒い外套。

背筋の伸びた姿勢。

そして、静かな目。


「アイリー様」


男は軽く頭を下げる。


「お久しぶりです」


その声で確信する。


「あ、レオン」


思わず顔が明るくなる。


「久しぶりですね」


レオンは小さく頷いた。


「王命により、今晩からベルグまでの護衛を務めます」


短く続ける。


「またしばらく、お世話になります」


その横で、悪い表情をしたルークが腕を組んだ。


「よっ!淡々男!」


レオンを見る。


以前一度会った淡々男だ。


実力は分かっている。


それでも、目の奥に警戒は残っていた。


レオンも一瞬だけ視線を向け、軽く会釈をする。


私は、ふと思い出したように言う。


「あ、ちょっと待ってください」


そう言って、肩に掛けていた鞄を開く。


中を探り始めた。


「えーっと……」


「確か入れてたんですけど……」


ごそごそ。


紙袋。

小さな包み。

手帳。


ルークが呆れた顔になる。


「何探してんだ」


「ちょっと」


私はさらに鞄の中を探る。


そして――


「あ、あった」


小さな包みを取り出した。


花柄の包み紙の飴。


私は満足そうに頷く。


「任務ご苦労様です」


そう言って、レオンの方へ手を伸ばした。


ぽい、と。


軽く口へ放り込む。


レオンの目が一瞬だけ見開かれる。


けれど反射的に受け止めた。


そのまま口に入る。


甘い香りが広がった。


その瞬間、レオンの思考がわずかに止まる。


(……この人は、本当に)


(距離というものを知らない)


その横で、ルークがすぐ手を出す。


「俺にもそれ」


私は包み紙を見て、困った顔になる。


「あ、ごめん」


「それ最後だった」


ルークの手が止まる。


それから、ゆっくりレオンを見る。


レオンは何も言わない。


ただ静かに飴を口の中で転がしていた。


ルークの視線だけが、少し鋭くなっていた。


そしてレオンは、ほんのわずかに思う。


(……近すぎる)


(任務対象に、こういう人は)


慣れてはいけない。


そう思いながら、レオンは静かに扉の外へ戻った。


口の中には、まだ甘い味が残っていた。


♦︎


夜。


城の客室に、食事が運ばれてきた。


大きなテーブルの上に、次々と皿が並ぶ。


焼きたての肉料理。

香草のスープ。

温かいパン。

彩りのいい野菜料理。


さらに魚料理まで置かれたところで、私は思わず笑った。


「……多くないですか?」


給仕が少しだけ困った顔になる。


「本日は特別にとのことです。お疲れだろうと」


ドミニクの件だ。


城側の、ささやかな労いらしい。


私はルークを見る。


ルークも皿の数を見て笑った。


「三人分でも多いな」


その言葉で、私は扉の方を見る。


そこにレオンが立っていた。


壁際。

静かに、影のように。


「レオンさん」


声をかける。


「そこじゃなくて、こっち来てください」


レオンは動かない。


「任務中ですので」


「同席は――」


その言葉を、ルークが遮った。


「残したらもったいねえだろ」


椅子を引く。


「いいから座れ」


「護衛でも腹は減るだろ」


少し沈黙があった。


レオンは二人を見た。


そして――


静かに席へ歩いてくる。


椅子に座った。


背筋は伸びたまま。


完全に任務姿勢だった。


私は思わず笑ってしまう。


「そんなに固くならなくて大丈夫ですよ」


レオンは何も言わない。


ただ静かに頷いた。


食事は思っていたより穏やかに始まった。


肉は柔らかく、スープは温かい。


地下の石の匂いを思い出していた体に、ようやく温度が戻ってくる。


私はスープを飲みながら聞いた。


「レオン」


彼が顔を上げる。


「いつから城に仕えてるんですか?」


答えはすぐに返ってきた。


「十二歳頃からです」


迷いのない声だった。


私は思わず目を丸くする。


「そんなに若い頃から?」


「はい」


それ以上の説明はない。


その横で、ルークが肉を切りながら言った。


「じゃあ今いくつだ?」


レオンは少しだけ視線を向ける。


「二十六です」


ルークが頷く。


「若いのに城勤め長えな」


そして、何気ない調子で続けた。


「家族は?」


ほんのわずか。


空気が止まる。


けれどレオンの声は変わらない。


「記憶がありません」


短い答えだった。


私はフォークを置いた。


それから、少しだけ笑う。


「そっか」


軽く肩をすくめる。


「実は私もなんですよ」


ルークを見る。


「ルークも」


ルークは肩をすくめた。


「まあな」


私は笑った。


「だから三人とも似たようなものですね」


レオンは何も言わなかった。


皿にはまだ手をつけていない。


食事の間も、背筋を伸ばしたまま静かに座っているだけだった。


私はそれに気づいて、少し首をかしげる。


「レオンさん」


声をかける。


「まだ一口も食べてませんよね?」


レオンは淡々と答えた。


「任務中ですので」


ルークが笑う。


「頑固だな」


私はフォークを置いた。


それから少し身を乗り出す。


「レオンさん?」


「早く食べてください」


レオンがこちらを見る。


私は真顔で続けた。


「残したら、もったいないオバケが出ますよ!」


一瞬、沈黙。


ルークが吹き出した。


「あはは!子供かよ」


私は肩をすくめる。


「私は大真面目です!」


レオンは何も言わなかった。


そのタイミングで、給仕が扉をノックする。


「デザートをお持ちしました」


白い皿がテーブルに置かれる。


小さなタルト。


赤い苺が宝石みたいに並んでいた。


私は思わず笑う。


「わ、可愛い〜」


苺タルトを一口すくう。


口に入れた瞬間、甘さが広がる。


「……美味しい」


思わず笑ってしまう。


その様子を見て、ルークが肩をすくめた。


「アイリーはほんとに幸せそうに食べるよな」


私はスプーンを持ったまま笑う。


「だって美味しいんだもん」


ルークが小さく笑う。


「知ってる」


私はもう一口すくって――


ふとレオンを見る。


「レオンさん」


「本当に食べないんですか?」


「任務中ですので」


「頑固だな」


ルークが笑う。


私は少し考える。


それから肩をすくめた。


「じゃあ」


スプーンをレオンに向ける。


「これだけ、食べてください」


レオンの視線がスプーンへ落ちる。


赤い苺。


白いクリーム。


ほんの一瞬、時間が止まる。


私は何の躊躇もなく――


ぽいっ。


そのままレオンの口へ放り込んだ。


完全な不意打ちだった。


レオンの動きが止まる。


反射で口が動く。


苺の甘さが舌に広がる。


その横で。


ルークの動きが完全に止まった。


「……は?」


沈黙。


レオンはゆっくり理解する。


(……同じスプーン)


ほんの一瞬だけ。


表情が揺れた。


「ね?」


私は笑う。


「美味しいでしょ」


ルークが低く言う。


「……俺」


「それされたことねえんだけど?」


私はきょとんとする。


「え?」


「そうだった?」


ルークはしばらく黙る。


それから皿の上の苺をフォークで刺した。


「アイリー」


「お前苺好きだろ?」


私は頷く。


「うん」


ルークがフォークをこちらに向ける。


「ほら」


「食え」


私は一瞬目を瞬く。


「え?」


ルークは当然の顔で言う。


そして。


苺を私の口に入れる。


私は少し驚きながら――


ぱく。


苺の甘さが口いっぱいに広がる。


「……んー、幸せ」


思わず頬が緩む。


レオンは、その表情から目を逸らすのが一瞬遅れた。


ルークがそれを見て笑った。


「だろ」


その横で。


レオンは何も言わなかった。


ただ静かに二人を見ている。


それでも、口の中に残る苺の甘さだけは、

なかなか消えなかった。


♦︎


その夜。


廊下。


レオンは一人立っていた。


客室の扉は閉じている。


中からは、まだ二人の笑い声がかすかに聞こえていた。


レオンはしばらく、その扉を見ていた。


それから静かに視線を外す。


口の中には、まだわずかに甘い味が残っていた。


「……困る」


小さく呟く。


任務対象と、必要以上に距離を取るべきではない。


それは訓練で何度も叩き込まれてきたことだ。


感情は判断を鈍らせる。


情は任務を狂わせる。


それなのに。


レオンはほんの一瞬だけ、思い出す。


苺を口に入れられた時のことを。


「……」


小さく息を吐く。


そして、もう一度だけ呟いた。


「本当に……困る」


そう言って、レオンは廊下の暗がりへ静かに歩き出した。


♦︎


翌朝。


王城の門を出た馬車は、ベルグへ向かって走り始めていた。


私は窓際の席に座り、流れていく街並みをぼんやりと眺めていた。


王都の石畳は、朝の光を受けて静かに輝いている。


肩口では、ビビが小さく丸まっていた。


時おり耳だけ動かしながら、揺れる馬車の中でじっとしている。


その小さな重みが、少しだけ気持ちを落ち着かせた。


その隣に――


レオンが座っていた。


背筋を伸ばしたまま、まっすぐ前を向いている。


ルークが向かいの席で眉をひそめた。


「……おい」


低い声。


「距離取れ」


レオンは視線も動かさず答える。


「任務です」


短い一言だった。


ルークの眉がさらに寄る。


「いや近ぇだろ」


「そこ俺の席だったんだけど」


レオンは淡々と言う。


「護衛対象の隣が最も安全です」


「合理的判断です」


ルークが舌打ちする。


「……気に入らねぇ」


私は首を傾げた。


「何の話?」


二人は何も答えない。


レオンは相変わらず前を見ている。


ルークは腕を組んで、明らかに不機嫌だった。


私はしばらくその様子を見ていたが、やがて窓の外に目を戻した。


馬車はもう王都を離れ、街道へ出ていた。


遠くに森が見える。


その先に――


ベルグがある。


私は静かに息を吐いた。


頭に浮かぶのは、昨日の光景だった。


地下室。


冷たい石の床。


毛布にくるまった子どもたち。


アイシャ。


ベグ。


ポール。


まだぼんやりした目で、私の袖を握っていた小さな手。


あの子たちは、ちゃんと眠れただろうか。


少しは安心してくれているだろうか。


私は窓の外を見ながら、小さく呟いた。


「早く顔を見に行きたいな」


ルークが少しだけ笑う。


「心配性だな」


「だって」


私は肩をすくめる。


「約束したから」


アイシャの小さな手の温度を、まだ覚えている。


レオンは何も言わなかった。


ただ、静かに前を見ている。


馬車はゆっくりと街道を進んでいく。


ベルグは、もう遠くない。


私はもう一度だけ、窓の外を見た。


そして思う。


あの子たちが、今度こそ安心して眠れる場所でありますように。


馬車はそのまま、ベルグへ向かって走り続けていた。

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