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盾の少女は世界を救わない 〜攻撃できない盾魔法の少女、子どもの誘拐事件から国家の闇を暴く  作者: まるい そら


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第27話 帰る家

夜明け前の空は、まだ青にも灰色にもなりきっていなかった。


ドミニクが連行されたあとも、灯りの家はすぐには静けさを取り戻さなかった。


地下室では騎士たちが帳簿や薬品を押収し、部屋ごとに確認を進めている。石壁に反響する鎧の音、低く交わされる報告、運び出される箱のきしみ。そのすべてが、今までこの場所に隠されていたものを一つずつ白日の下に引きずり出していくようだった。


私は地下室の隅で、毛布に包まれたアイシャたちのそばにいた。


横たわっていたのは三人だった。


最初に目に入ったのは――アイシャだった。


昨日、生活棟で言葉を交わした少女。

十四歳の小さな体は毛布の中に沈み、深い眠りの底にいるように動かない。


胸だけが、ゆっくりと上下している。


そして――その隣。


私は一瞬、視線を止めた。


知らない顔だった。


もう一人。


こちらも、見覚えがない。


生活棟で見た子どもたちの中にはいなかった。


私は頭の中で、さっき見た診療記録を思い出す。


地下の棚にあった帳簿。


番号。


年齢。


そして――身元。


そこに書かれていた言葉が、胸に残っている。


「孤児」


私は小さく呟いた。


「……ベグ」


八歳。

帳簿には、家族なし、身寄りなしとあった。


そしてもう一人――ポール。

十一歳。

この子も同じだった。


家族なし。

保護者なし。


つまり、この地下にいる三人は全員、

帰る家を持たない子どもたちだった。


私はもう一度、三人を見た。


アイシャ。

ベグ。

ポール。


名前がある。


番号じゃない。


けれど――


ドミニクの帳簿の中では、


ただの管理番号として並んでいた。


三人とも、深い眠りに沈んだまま。


静かな呼吸だけを続けていた。


ルークは少し離れた場所で崩牙を下ろし、騎士たちの動きを見ていた。さっきまでの張り詰めた戦闘態勢は解いている。それでも、子どもたちの近くからは動かなかった。


「視察官様」


若い騎士が、地下の階段を下りてきて私に声をかけた。


「記録にあった搬出対象について、報告が上がりました」


私は顔を上げる。


「……チェルシーっていう名前の子?」


騎士は頷いた。


「はい。街道へ出た搬送役を追跡し、一名を保護しました」


胸の奥に詰まっていた息が、少しだけ抜けた。


「よかった。彼女は無事なんですね」


「ええ。かなり強い鎮静状態でしたが、生存は確認しています。護送に関わっていた者から拠点も割れました。人身売買に関わっていた一味も、この後まとめて押さえられそうです」


私は小さく目を閉じた。


間に合わなかったわけじゃない。


この夜に失われた子は、まだいない。


そう思えたことだけが、わずかな救いだった。


「ありがとうございます」


騎士は一礼し、すぐに次の報告へ戻っていった。


その後も確認は続いた。


帳簿には、番号と名前が整然と並んでいた。


その横に添えられた短い言葉。


処理。

転送。

急変。


人の一生ではなく、

荷物の行き先でも記すような文字だった。


ページをめくるたび、同じ記録が続く。


番号。

名前。

年齢。

身元――孤児。


私は帳簿を閉じることができなかった。


この家で、どれだけ長い時間をかけて、どれだけ多くの子どもが

「患者」という名前の下に管理されてきたのか。


そして、その中の何人が――


どこかへ売られていったのか。


胸の奥が、重く沈んでいく。


(売られた子どもたちも……)


ページの向こうに消えていった名前たち。


(どうにか、救うことはできないだろうか……)


答えは、まだ出ない。


けれど、その思いだけが胸に残った。


やがて。


地下室の空気が、わずかに動き出す。


騎士たちが静かに動き、

眠ったままの子どもたちを一人ずつ抱き上げていく。


毛布ごと、慎重に。


まるで壊れ物を扱うように。


そして――


子どもたちは、順に地下から上へ運び出されていった。


♦︎


外へ出ると、空は少しだけ明るくなっていた。夜明けの冷えた空気が頬に触れる。灯りの家の前庭には騎士たちの灯りが残り、施設は完全に封鎖されていた。


私はアイシャのそばを離れず、簡易寝台の横に座った。ベグとポールも近くに寝かされている。三人ともまだ本調子ではないが、地下室にいた時より呼吸はわずかに自然だった。


その時、ふと思い出す。


「騎士さん」


近くにいた騎士に声をかけた。


騎士が振り向く。


私は地下で見た帳簿の内容を頭の中で整理しながら言う。


「リュークには両親がいます」


騎士の表情が変わった。


「本当ですか?」


「ええ。ベルグの北側、鍛冶屋の息子です。昨日、本人から聞きました」


私は少しだけ言葉を足す。


「今は生活棟で眠っているはずです。まだ朝も早いので、部屋のベッドにいると思います」


騎士はすぐに頷いた。


「それは重要な情報です」


振り向き、部下に命じる。


「生活棟を確認しろ。子どもを保護して身元を確認。両親へ連絡だ。急げ」


「はっ!」


騎士が走り去っていく。


私はその背を見送りながら、さらに言葉を続けた。


「それと――」


騎士が振り返る。


「地下に帳簿がありました。子どもたちの番号と、搬出予定の記録です」


私は覚えている範囲で伝える。


名前。

年齢。

番号。


そして――搬出の印。


騎士の顔が、静かに険しくなった。


「……後で詳しく聞かせてください」


そのやり取りを見ながら、私は小さく息をつく。


帰れる子がいる。


それだけで、この朝の見え方が少し変わる気がした。


その頃。


生活棟の一室では、リュークがまだ眠っていた。


小さな体を毛布にくるめ、静かな寝息を立てている。


昨夜の出来事など、まだ何も知らないまま。


そこへ、騎士たちが静かに扉を開けた。


その後ろに、ラーラが立っている。


騎士が小声で聞いた。


「この子か?」


ラーラは部屋の中を見渡し、奥の寝台を指差した。


「あの子」


小さく言う。


「リューク」


騎士たちが頷く。


そのまま起こそうとした騎士を、ラーラが軽く手で止めた。


「待って」


そして、ベッドのそばまで歩いていく。


しゃがみ込み、少年の顔を覗き込んだ。


「リューク」


優しい声で呼ぶ。


「おはよう」


毛布の中で、少年の眉がわずかに動く。


ラーラは少し笑った。


「起きれる?」


肩をそっと叩く。


「もう朝だよ」


リュークの瞼がゆっくり開いた。


ぼんやりとした視線が、天井を見て――


それからラーラの顔を見つける。


「……ラーラ?」


まだ眠そうな声だった。


ラーラは小さく頷く。


「うん」


その後ろに立つ騎士たちを軽く指す。


「心配しなくていいよ」


少しだけ柔らかい声になる。


「もう全部終わったからね」


リュークはまだ状況を理解できないまま、ゆっくり体を起こした。


生活棟一階の多目的室には、簡易寝台が並べられていた。


窓から差し込む朝の光の中、

リュークはまだぼんやりした顔のまま椅子に座っていた。


♦︎


八時頃になると、ベルグの街にも完全に朝が来ていた。


空は明るく、通りを行く人の声も少しずつ増えていく。

けれど灯りの家の前だけは、まだ夜の続きのように張り詰めていた。


そこへ、慌ただしい足音が駆け込んできた。


リュークの両親だった。


母親は顔をぐしゃぐしゃにしながら子どもの名を呼び、父親は硬い表情のまま足を速める。


寝台の上でぼんやりしていたリュークは、その声でゆっくり目を開けた。


焦点の合わない目が、しばらく天井を見つめる。


それから、ようやく視線が動いた。


「……かあ、さん?」


声は小さく、どこか夢の続きを見ているように鈍かった。


その一言を聞いた瞬間、母親が泣き崩れるように抱きついた。


「よかった……っ、本当に……!」


父親は言葉を失ったまま、何度も頷いている。

鍛冶場で焼けたような大きな手が、息子の頭を震えながら撫でた。


私は少し離れたところからその光景を見ていた。


リュークはまだ完全には戻っていない。

けれど、その腕の中にある温度だけは確かなものだった。


その時、ふと視線を感じて振り向いた。


アイシャが、寝台の上から静かにこちらを見ていた。


いつの間に目を覚ましたのか分からない。


上体を少し起こし、毛布を胸元で握ったまま、じっとこちらを見つめている。


何も言わない。


ただ、静かに。


リュークの両親が息子を抱きしめている光景を見ていた。


泣き声。

震える手。

何度も名前を呼ぶ声。


その光景を、アイシャは黙って見つめている。


その瞳に浮かぶ感情は、まだ薄かった。


驚きなのか。

羨望なのか。

それとも、まだよく分からないだけなのか。


それでも、私はその視線から目を離せなかった。


やがて。


アイシャの目が、ふっと下に落ちた。


もう一度だけ、リュークと両親を見る。


そして――


静かに、目を逸らした。


その仕草は、とても小さかった。


けれど。


私は胸の奥がきしむのを感じた。


私はゆっくり歩き、アイシャの寝台のそばに立つ。


少女は何も言わない。


ただ、毛布を握ったまま、こちらを見上げている。


私は、そっと手を差し出した。


「アイシャ」


少女は、少しだけ迷った。


ほんのわずかな時間。


それから――


小さな手が、私の指を握った。


温度はまだ低い。


けれど、確かにそこにあった。


私は静かに言う。


「アイシャの帰る場所を、これから一緒に探そう」


彼女は何も答えなかった。


それでも、その手は離れなかった。


朝の光が、窓から静かに差し込んでいた。


♦︎


しばらくして、騎士の一人が私のところへ歩いてきた。


手元の記録板に目を落としながら、低い声で言う。


「残る二名ですが」


私は顔を上げた。


「ベグとポールですね」


騎士は頷く。


「はい。身元の確認が取れず、保護者も不明です」


紙の上の文字を指でなぞる。


「規定上は、近隣の養育院へ保護移送になります」


私は少しだけ考え、それから静かに言った。


「では、その子たちは私が連れて行きます」


騎士が顔を上げる。


驚いた様子ではない。


ラーラからの報告で、私の立場はすでに共有されている。


それでも確認するように言った。


「ルクス養育院のベルグ院ですね」


私は頷いた。


「あそこなら受け入れ体制が整っています」


騎士はすぐに理解したようだった。


「承知しました」


短く答える。


そして周囲を見回し、部下に指示を出した。


「馬車を用意しろ」


「視察官の移送だ」


兵がすぐに動く。


騎士は私へ向き直り、丁寧に頭を下げた。


「アイリー様」


「こちらで馬車を手配します」


「子どもたちの移送も、我々が同行いたします」


私は小さく首を振った。


「ありがとうございます」


その言葉に、騎士は静かに頷いた。


「いえ」


「視察官の方を歩かせるわけにはいきませんので」


その声は固いが、誠実だった。


そうして昼前には、騎士団が用意した馬車が灯りの家の前に止められた。


私はアイシャ、ベグ、ポールの三人を連れて乗り込む。ルークとラーラも一緒に馬車に乗り込む。


馬車が動き出す。


車輪の音が石畳を伝って体に響く。


ベグは、ぼんやりした顔のまま椅子に座っていた。

小さな手で毛布の端を握っているが、それが自分の意思なのか、ただそこにあったから掴んでいるだけなのか分からない。


ポールは窓の方を向いていた。

けれど外を見ているというより、視線がそこに落ちているだけのようだった。

目は開いているのに、どこか焦点が合っていない。


そしてアイシャは――


私の隣に座っていた。


体を少しこちらへ寄せながら、無言で私の袖を指先でつかんでいる。


握る力は弱い。

引き止めるというより、ただそこに触れているだけのようだった。


三人とも起きてはいる。


けれど、まだ完全には戻っていない。

ドミニクの魔法が、心の奥に残っているのだと分かった。


私はその小さな指を見て、静かにその上へ手を重ねる。


「大丈夫」


そう言うと、アイシャはわずかにこちらを見た。


まだ不安は消えていない。


けれど、少なくとも今は、地下の冷たい石床の上ではない。


それだけで十分だと思いたかった。


ルクス養育院ベルグ院は、街の中心から少し外れた穏やかな場所にあった。


高い塀はあるが、閉ざされた感じはしない。門は開いていて、中庭では小さな子どもたちの声がしている。洗濯物が揺れ、建物の窓からは昼の光が入っていた。


灯りの家とは、空気が違った。


その違いに気づいたのは、私だけじゃなかった。


フードの奥で、ビビがもぞりと動く。


そっと顔を出し、中庭の光と子どもたちの声を見回したあと、いつもより深くは潜り込まなかった。


私は馬車を降り、三人を連れて門をくぐる。


職員がこちらに気づき、すぐに中へ案内してくれた。


事情を伝えていると、院内の廊下から見慣れた顔が現れる。


ルクス養育院の施設総監フリード・ドローレだった。


彼は私を見るなり少し驚いたように目を見開いたが、すぐに表情を引き締めた。


「アイリー殿」


「……どうしてここに?」


私が問い返すより先に、ベルグ院の職員が答える。


「近隣養育院の巡回でお越しだったんです」


なるほど、と私は小さく頷く。


こんな日に限って、ではなく、こんな日だからこそ会うべき人だったのかもしれない。


私はフリードに、ドミニクの灯りの家で起きたことを短く、だが順を追って伝えた。


地下室。

帳簿。

子どもたち。

ドミニク。

搬出されていたチェルシーのこと。

騎士団が一味を追っていること。


フリードは途中で口を挟まず、最後まで聞いた。


聞き終えたあと、彼は深く息を吐く。


「……それは」


短く言葉を切る。


「すぐに王都へ上げるべき案件です」


その口調に迷いはなかった。


「地方の養育院や一施設で収まる話じゃない」


「王子殿下に、直接報告してください」


私は静かに頷く。


「わかりました」


フリードは続けた。


「私も同行します」


ルークが壁にもたれたまま、わずかに目を上げる。


私はフリードを見る。


「巡回は大丈夫でしょうか?」


「後回しです。今優先すべきはこっちでしょう」


その言葉は淡々としていたが、目は鋭かった。


話が決まる。


私は振り返り、中庭の方を見た。


ベグとポールは、職員に連れられて椅子に座っていた。二人ともまだ硬い顔をしている。けれど、差し出された温かい飲み物には手を伸ばしていた。


少し離れたところにいるアイシャは、まだ周囲を警戒するように静かだった。


それでも、地下室にいた時のような無機質な静けさではない。


ここには、人の声がある。


風がある。


昼の光がある。


帰る家がある子もいた。

これから家を作るしかない子もいる。


私はその光景を胸に刻むように見つめた。


そして、王都へ向かう決意を新しくする。

ドミニクは連行された。


地下の扉が閉じ、鎧の足音が遠ざかる。


けれど――

あの地下で残されたものは、まだ終わっていない。


静界。

帰灯。


恐怖を消し、安心を植え付ける魔法。


あの言葉が、まだ耳の奥に残っている。


“人は苦しまなければ、それでいい”


私はゆっくり息を吐いた。


横を見る。


アイシャは、まだぼんやりした目で私の袖を握っていた。

ベグも、ポールも、まだ完全には戻っていない。


救った――

そう言い切れる状態じゃない。


胸の奥が、少しだけ重くなる。


それでも。


ここで止まるわけにはいかなかった。


私は静かに言う。


「……行こう」


誰に向けた言葉だったのか、自分でもよく分からない。


けれど、その声にルークが短く頷いた。


フリードも、黙って歩き出す。


灯りの家の外では、朝の光が街を包み始めていた。


夜は終わる。


けれど――


ドミニクが残したものは、まだ終わっていない。


そして、この事件はきっと、


ここだけの話ではない。


私たちが次に向かうのは――


王都だ。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


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