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盾の少女は世界を救わない 〜攻撃できない盾魔法の少女、子どもの誘拐事件から国家の闇を暴く  作者: まるい そら


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第25話 安心の家

地下へ続く階段は、灯りを拒むように黒かった。


口を開けた闇の縁に、月明かりが薄く引っかかっている。

一段目だけが白い。そこから先は、何も見えない。


私は喉の奥で息を整えた。


そのとき、フードの奥で小さな気配が震えた。


ビビが、奥へ潜り込むように丸くなる。


尻尾がふくらみ、布越しにもわずかに震えているのが分かった。


私はそっとフードの端に触れた。


「……大丈夫」


そう言っても、ビビは顔を出さない。


「……行くよ」


ラーラが小さく頷く。


「静歩、まだ効いてる。足元だけ気をつけて」


ルークは、背中の両手斧の柄に手を添えた。


ゆっくりと引き抜く。


鈍い鉄の音が、小さく鳴った。


その斧の名は――


崩牙(ほうが)


ルークが低く言う。


「……いつでも来い」


その言葉が、やけに現実を連れてくる。


静歩が消してくれるのは、私たちの足音だけだ。


扉が軋めば鳴る。

鎖が触れれば響く。


この家の音は、消えない。


私は一歩、闇へ踏み込んだ。


足裏が石に触れたはずなのに、音がない。

それが逆に怖い。


階段を降りるほど、空気が重くなる。


薬草の匂いじゃない。


油と鉄と、甘く腐った薬品の気配。


そして――灯油。


(……さっきまで灯りがついてた)


最後の段を降り切った瞬間、ひやりとした冷気が足首に絡みついた。

地下の廊下が、まっすぐ伸びている。


壁は石。床も石。


湿った空気が、下からゆっくりと流れてくる。


私は一段ずつ、静かに降りていく。


やがて――


階段の先に、地下通路が現れた。


その両側の壁に、鉄の輪が等間隔で埋め込まれている。


まるで――


縄を通すための輪のように見えた。


私は、無意識に唇を噛んだ。


「……ここって、診療所の地下だよね?」


ラーラの声は小さかった。


ルークが、息を殺したまま視線を走らせる。


「……治療する場所じゃないな」


言い切る声が、低く震えた。


廊下の先に、扉がある。

木の扉だが、金具が多い。必要以上に頑丈だ。


私はゆっくり手をかける。

金具は冷え切っている。

押す。


――音がしない。


蝶番が鳴らないように油が差されていた。

“静かに開くために整えられた扉”。


扉の向こうは、小さな部屋だった。


棚、棚、棚。

木札、封筒、紙束。

古いインクと紙の匂いが、乾いた埃と混ざって鼻につく。


ルークが棚の端の帳簿を引き出し、ぱらりと開く。


紙の擦れる音が、地下では妙に大きい。


――そこにあったのは、“診療”じゃない記録だった。


名前。年齢。症状。

そして、横に並ぶ短い文字。


A/B/C/D


さらに別欄。


処理

転送

急変


私は喉の奥が冷えた。


(“急変”……)


ラーラが棚の奥から、別の帳簿を引き出す。


ぱらり。


ページをめくる。


そして――


手が止まった。


「……これ」


小さく呟く。


私はすぐ横へ寄る。


帳簿には、こう書かれていた。



診療番号 298


名前 アイシャ

年齢 11


〈身元〉

孤児


〈主症状〉

恐怖反応

自傷行為(左手首)


〈処置〉

静界カーム・フィールド

帰灯ホーム・ライト


〈状態分類〉

C


〈備考〉

調整中


商品状態 未完



私は、思わずページを掴んだ。


「……やっぱり」


声が、低くなる。


ルークが眉をひそめる。


「アイシャ……」


ラーラの顔から、軽さが消えていた。


「……これ」


「“治療”じゃない」


帳簿の別欄。


そこに、小さく書かれていた。


調整中


商品状態 未完


私は拳を握る。


「……子どもを」


言葉が、喉で止まる。


ルークが、低く吐き捨てた。


「……家畜かよ」


怒りが、地下の空気を重くした。


その時だった。


ルークが、次のページをめくる。


ぱらり。


そして、突然手が止まる。


「……おい」


声が変わった。


私は振り向く。


ルークの目が、帳簿を睨んでいる。


「これ」


指で叩く。


「今日だ」


私は帳簿を覗き込む。


そこに書かれていた。



診療番号 285


チェルシー

年齢 14


状態分類 B


処理

転送


備考


搬出予定

本日



一瞬、言葉が出なかった。


ルークが低く言う。


「……出荷だ」


そして、顔を上げた。


「おい」


声が低くなる。


「今まさに運ばれてるぞ」


空気が凍る。


地下の静けさの中で、その言葉だけが重く落ちた。


ラーラが、ゆっくり奥の廊下へ視線を向ける。


「……そういうことか」


小さく呟く。


私は帳簿を見つめたまま、ゆっくり顔を上げた。


胸の奥で、何かがはっきりと形を持つ。


怒り。


そして――決意。


私は低く言った。


「……先に行こう」


「まだ、この先にいるはず」


ラーラが短く頷く。


「うん」


ルークは帳簿を閉じた。


ぱたん、と小さな音が地下に落ちる。


「急ごう」


その声は、低く抑えられていた。


私たちは視線を交わす。


そして――


奥の廊下へ足を向けた。


♦︎



廊下を進む。

私たちの足音はない。

だからこそ、遠くで鳴った小さな音が際立つ。


……カタン。


どこかで金属が触れた音。

続いて、かすかな布擦れ。

そして、灯油の匂いが少しだけ濃くなる。


(誰かが、ここを使ってる)


廊下の先。

さらに一枚、扉があった。


鍵穴の周りだけがやけに擦れている。

何度も開け閉めされた痕だ。


私は指先に力を入れ、そっと押す。


今度は――


キ、と小さく鳴った。


静歩は、扉の音までは消せない。

私の心臓が、その音に合わせて跳ねた。


扉の向こうは、広い部屋だった。


薄暗い。

けれど、完全な闇じゃない。


壁際に、小さなランプが置かれている。


火は消えているのに、灯芯の先は黒い。

ついさっきまで灯っていたみたいに。


その残り香が、かすかに空気の中に残っている。


そして――


床に、並んでいる。


子どもたちが。


毛布をかけられ、横たわっている。

数人。


次の瞬間。


私は駆け寄っていた。


膝をつき、一人の肩に手をかける。


「……っ」


軽く叩く。


反応はない。


私はもう一度、肩を揺する。


「目をあけて……!」


それでも、目を開けない。


胸に手を当てる。


ゆっくり。


深い呼吸。


……生きている。


胸の奥に溜まっていた空気を、私はやっと吐いた。


「……生きてる」


声を押し殺して言う。


けれど――


眠りが深すぎる。


普通の眠りじゃない。


揺すっても、肩を叩いても、まったく反応がない。


まるで、意識がどこか遠くへ沈んでしまっているみたいに。


私は、顔を1人ひとり確かめた。


そして――


息が止まりそうになった。


(……アイシャ)


十四歳の少女。


昨日、食堂で私に話しかけてきた子だ。


私は声を極限まで落とした。


「アイシャ……」


顔を近づける。


「聞こえる?」


返事はない。


ただ、胸がゆっくり上下しているだけ。


ルークが、後ろで歯を食いしばる気配がした。


「……寝てるって感じじゃねぇな」


低く、怒りを押し殺した声だった。


ラーラは周囲に視線を走らせる。


壁の鉄の輪。


床の擦れ跡。


薬品棚。


そして、奥に続くもう一つの扉。


私は、アイシャの肩にそっと触れた。


今度は揺すらない。


ただ――


“ここにいる”ことを伝えるように。


そのとき、フードの奥でビビが小さく身じろいだ。


怯えているというより、嫌がっているような反応だった。


この部屋の空気そのものを、拒むみたいに。


「……大丈夫」


小さく囁く。


「私がいる」


その時。


アイシャの睫毛が、かすかに震えた。


とても小さく。


まるで、深い水の底から浮かび上がれないみたいに。


私は顔を寄せる。


「アイシャわかる?」


「……ここ、どこ?」


数秒。


そして、やっと。


息みたいな声が漏れた。


「……せんせい……」


その一言が、背中を冷たく撫でた。


私は、アイシャの手をそっと握る。


冷たい。


体温が、どこか遠い。


「アイシャ」


「なにがあったの?」


一拍。


彼女の唇が、ゆっくり動く。


「……ここが……あんしん……」


言葉は途切れがちで、焦点が合っていない。


けれど、その内容だけは――妙に整っている。


安心。


ここが安全。


外は、怖い。


まるで。


誰かに“覚えさせられた言葉”みたいに。


私は喉の奥で息を止めた。


ルークが、低く囁く。


「……やっぱりだ」


ラーラが、目だけで私に確認する。


(どうする?)


私は答えを出す前に、耳が先に“音”を拾った。


……遠いところ。


地下のさらに奥――搬出口の方から。


ガタン。


木箱が置かれる音。


続いて、布の擦れる音。

短い人の声。聞き取れない。

でも確かに、“外の匂い”が混ざってくる。


(引き渡しが……進んでる)


私はゆっくり立ち上がる。


子どもたちから目を離さないまま、二人にだけ伝える。


「……助けに行こう」


ルークの目が暗く燃えた。


「……今、運ばれてるんだろ」


低い声だった。


帳簿を握る手に、力が入っている。


「だったら――」


歯の奥で言葉が擦れる。


「助けに行くしかねぇだろ」


私はゆっくり頷いた。


胸の奥にあった迷いは、もう消えている。


「うん」


小さく言う。


「行こう」


ラーラが顔を上げる。


「この奥だね」


視線が、地下の廊下の先へ向いた。


帳簿に書かれていた“搬出予定”。


そして、奥へ続く通路。


ここ以外に、人を運び出せる場所はない。


私は床に横たわる子どもたちを見た。


アイシャ。


そして、他の子どもたち。


深い眠りに沈められた小さな体。


私は唇を噛む。


「この子たちも、あとで必ず助ける」


声を落として言う。


「でも今は――」


顔を上げる。


「動いてる方を追う」


ルークが短く言う。


「十分だ」


そして、斧の柄を握り直した。


「行こう」


ラーラも小さく頷く。


三人の視線が、廊下の奥へ向いた。


地下の空気は冷たい。


静まり返っている。


私は一歩踏み出した。


その瞬間だった。


――コツ。


音。


私は反射的に顔を上げた。


――コツ。


階段の方からだった。


石を踏む、ゆっくりした足音。


ルークの肩が、わずかに動く。


ラーラの目が細くなる。


三人同時に振り向いた。


階段の暗闇。


その奥から――


足音が、近づいてくる。


コツ。


地下の静けさの中で、石を踏む音が落ちた。


私は顔を上げる。


コツ、コツ。


階段の方から、はっきりと足音が響いてきた。


さっきまで、この地下には何の音もなかった。


それなのに――


今は、誰かが降りてきている。


しかも、その歩き方には迷いがない。


この場所を、知り尽くしている足取り。


静歩が消してくれるのは、私たちの足音だけ。


つまり――


“私たちじゃない”。


ラーラが、息だけで言った。


「……来る」


その時だった。


暗い階段の上に、橙の光が揺れた。


ランプの灯りだ。


ゆっくりと、その光が下へ降りてくる。


そして――

ランプを手にした影が、ゆっくりと階段を降りてくる。


橙の光が、地下室の石壁を舐めるように揺れた。


やがて、その顔が光の中に現れる。


白衣。

整った髪。

そして――静かすぎる目。


ドミニクだった。


彼は階段の最後の一段を降りると、足を止める。


ランプを少しだけ持ち上げた。


その灯りが、床に横たわる子どもたちを照らす。


そして――


その奥に立つ、私たちを。


ドミニクは、ほんのわずか首を傾けた。


まるで、診察室で患者を見る医者みたいに。


「ああ……」


小さく息を吐く。


怒りも、驚きもない。


ただ、静かな納得だけがそこにあった。


「なるほど」


ゆっくりと視線を巡らせる。


子どもたち。

帳簿。

そして――私たち。


それから、やっと微笑んだ。


昼間と同じ、穏やかな医者の笑み。


「見てしまいましたか」


声は柔らかい。


優しいほどに。


けれど――


その言葉の奥にあるものが、ぞっとするほど冷たい。


ドミニクは、ランプを少し掲げた。


「安心してください」


静かな声だった。


「この子たちは――苦しんでいません」


「だから私は、救っているんです」


その言葉が、地下室の空気を凍らせた。

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