第20話 王都視察①
王都へ向かう朝は、よく晴れていた。
石畳の道を、王家の紋章を掲げた馬車が静かに進んでいく。
その中で、ルークが腕を組みながら、じっとこちらを見ていた。
正確には――
私のフードの中を見ている。
「……やっぱり連れて来たんか?」
ルークが尋ねる。
外套のフードの奥で、もぞりと何かが動いた。
「うん」
私は苦笑する。
「森に返そうとしたんだけどね」
フードの中から、黒い小さな鼻先がぴょこんと出る。
リスのビビだ。
傷はすっかり良くなっていた。
だからこそ、最初は森へ帰そうと思った。
けれど。
木の根元へ降ろした瞬間、
ビビはくるりと振り向いて――
まっすぐ私の外套へ駆け上がってきた。
そのまま、フードの中へ潜り込んだ。
まるで、そこが巣だと言うみたいに。
ラーラが笑う。
「帰る気ゼロだったよね」
「うん」
私はフードを軽く叩いた。
ビビは中でもぞもぞ動くだけだった。
ルークが指を伸ばす。
ビビの小さな頭が、ぴょこっと出た。
次の瞬間。
シャッ。
鋭い爪が、ルークの指先を軽く弾いた。
「・・・」
ルークが無言で手を引っ込める。
ラーラが吹き出す。
「あははは!ルークめっちゃ嫌われてる〜」
ルークは不満そうに鼻を鳴らした。
私は少し笑った。
そんなやり取りの間にも、馬車は進んでいく。
遠くに、高い城壁が見え始めた。
王都に入る前、2人には一旦外に出てもらい
私は国から支給された視察官用の制服に着替えた。
白を基調とした上着に、紺の縁取り。
胸元には王家の紋章のブローチ。
公式で活動する視察官の正装だ。
鏡の前で袖を整えてから、
最後に、形見である兄の外套を羽織る。
茶色の古い外套。
布は長い年月で柔らかくなっている。
けれど縁の部分だけは、しっかりと補強されていた。
旅の中で、何度も直してきた跡だ。
私はその襟元を軽く整える。
――これは、変えない。
「わぁ〜おー」
ラーラが腕を組んだまま、まじまじと私を見る。
「ちゃんと偉い人っぽいじゃん!」
ルークも一度だけ視線を向けた。
「白い色の制服、とっても似合ってるな」
私は少しだけ肩をすくめ微笑む。
♦︎
拠点のホームディアから馬車で2日半の距離にある
王都――サンクトリア。
巨大な門と、行き交う人々。
荷馬車、兵士、商人。
やがて、本日宿泊予定の宿の前に
馬車がゆっくりと止まる。
宿の前には、すでに一人の男が立っていた。
黒い制服。
王都実務官の装い。
姿勢は真っ直ぐで、無駄な動きがない。
まるで測ったように整った立ち姿だった。
そして、その男はただ待っているわけではなかった。
視線は通りの流れを確認し、
馬車の紋章を一度だけ確かめる。
すべてを把握した上で、
その男は静かに立っている。
やがて馬車が止まる。
男は一歩前へ出て、扉の前で一礼した。
「視察官アイリー様」
落ち着いた声だった。
「王都への到着をお待ちしておりました」
顔を上げる。
冷静な目。
感情が表に出ない。
「本日は予定通り、ルクス養育院ホーリス院への視察となります」
言葉は簡潔だった。
「案内を担当します。レオンです」
その名前を聞いて、私は頷いた。
「お久しぶりです。よろしくお願いします」
レオンはもう一度、短く礼をする。
「こちらへ」
それだけ言って、すぐに歩き出す。
無駄な説明も、愛想もない。
ラーラが小声で囁いた。
「……仕事できそうな人」
ルークがぼそりと続ける。
「いや、淡々男だろ」
「もうあだ名つけたの?」
「つけた」
私は思わず吹き出しそうになるのを堪えた。
その時だった。
前を歩いていたレオンが、ほんの少しだけ足を緩めた。
振り向きはしない。
けれど、聞こえているのは明らかだった。
「……聞こえております」
静かな声だった。
ラーラが一瞬固まる。
ルークは眉を上げた。
レオンはそのまま続ける。
「ただ、その評価は間違っていないと思います」
さらりと言う。
そして、ようやく振り返った。
「必要な情報以外は話さない性格です」
ほんのわずかだけ、口元が緩む。
ほんの一瞬の変化だった。
私は少し安心する。
完全な無機質な人ではないらしい。
私は改めて紹介する。
「こちらはルークとラーラ。私の護衛です」
ルークが軽く手を上げた。
「ルークだ」
短い挨拶。
ラーラは少し丁寧に頭を下げる。
「ラーラです。よろしく」
レオンは二人を静かに見て、頷いた。
「視察官の護衛と伺っています」
ほんの一拍置いて続ける。
「王都の治安は比較的安定しておりますが、視察中は施設内外とも人の出入りが多くなります」
事務的な口調。
だが、先ほどより少しだけ柔らかい。
「同行いただけるのは助かります」
ルークが鼻を鳴らす。
「そう言われると仕事しがいあるな」
ラーラが笑う。
「淡々男に認められた」
レオンが一瞬だけ目を細めた。
「……その呼び方は、できれば控えていただけると助かります」
小さく言う。
ラーラが肩をすくめた。
「努力します」
完全にはやめない顔だった。
そのやり取りを見ながら、私は周囲を見渡した。
王都の空気は、地方の街とは明らかに違った。
広い石畳の通り。
高い建物。
人の数。
その時だった。
通りの向こうを、小さな影が横切る。
パン屋の前で、
少年が店主に頭を下げていた。
「ありがとうございました」
まだ十歳にも満たないくらいだろう。
大きすぎる袋を抱え、
必死に歩いていく。
ラーラが小さく言った。
「……働いてるんだ」
レオンは淡々と答える。
「王都では珍しくありません」
私は、その背中を少しだけ目で追った。
そして、遠くに見える王城。
ここが、この国の中心だ。
その時、フードの中がもぞりと動く。
ビビの小さな顔が、ひょこっと覗いた。
レオンの視線がそこへ落ちる。
ほんの一瞬だけ、驚きの色が浮かんだ。
「……リスですか」
私は頷いた。
「ビビっていうの」
ビビはレオンをじっと見ている。
ルークが横から言う。
「俺は引っかかれる」
「ルークは、急に触ろうとしたからでしょ」
ラーラが言う。
ビビは小さく鼻を鳴らすと、またフードの奥へ潜り込んだ。
レオンはしばらくその様子を見てから、小さく息を吐く。
「……王都の視察にリスを連れているのは、初めて見ました」
少しだけ困ったような声だった。
私は肩をすくめる。
「こんな事、私も初めてよ」
レオンはわずかに頷いた。
そして視線を前へ戻す。
「では、本日の予定を説明いたします」
歩きながら言う。
「本日視察していただくホーリス院は、王都中央区の西側にございます」
少し遠くを指さす。
「王城から見て西区画。王都内の養育院の中でも、比較的大きな施設です」
さらに続ける。
「もう一つのセイント院は、東区の東北側に位置します」
私は静かに頷いた。
「今日は二つとも回るの?」
「いいえ」
レオンは淡々と答える。
「本日はホーリス院の視察。明日、セイント院です」
一拍置く。
「どちらも、王都内の標準的な養育院とお考えいただければ問題ありません」
言葉は穏やかだった。
けれど。
私は、ほんの少しだけその言い方に引っかかった。
――標準的。
それが、どういう意味なのか。
まだ、分からない。
♦︎
やがて、私たちは再び馬車へ乗り込んだ。
王都の通りは広く、人の流れも多い。
移動は基本的に馬車になるらしい。
扉が閉まり、馬車がゆっくりと動き出す。
王家の馬車は広く作られていて、
向かい合う長椅子に三人が並んでも余裕があった。
レオンは反対側の席に腰を下ろし、説明を始める。
「ホーリス院は、ルクス養育制度の基本モデルとなっている施設です」
「基本モデル?」
ラーラが首をかしげる。
「はい」
レオンは短く答えた。
「ルクス養育院の理念に最も忠実な形で運営されている施設になります」
ルークが小さく鼻を鳴らした。
「理念ねぇ」
「ええ」
レオンは否定もしない。
ただ、事実だけを続ける。
「親を失った子ども。
家庭環境に問題がある子ども。
あるいは保護が必要と判断された子ども」
「そういった子どもを国が預かり、教育と生活を保障する」
「それが、ルクス養育院の基本理念です」
――理念。
国が子どもを守る仕組み。
言葉だけ聞けば、間違いなく正しい。
「王都にはいくつくらいあるの?」
私は尋ねた。
レオンは少し考えてから答える。
「王都内にあるルクス養育院は、二施設のみです」
「今日向かうホーリス院と、明日視察予定のセイント院」
「その二つになります」
「意外に少ないですね」
ラーラが目を丸くした。
レオンは静かに頷く。
「王都は土地が限られておりますので」
「養育院自体は地方に多く設置されています」
一拍置き、続けた。
「国全体では、現在十九施設ございます」
ルークがぼそりと言う。
「結構あるな」
「ええ」
レオンは淡々と続ける。
「ただし、それとは別に――」
ほんのわずか言葉を選ぶ。
「セントラル院という施設があります」
「各養育院から、優秀な子どもが推薦され」
「より高度な教育を受ける場所です」
ラーラが感心したように言う。
「へぇ。エリート学校みたいな感じ?」
「概ね、その認識で問題ありません」
レオンは簡潔に答えた。
私は、その言葉を聞いて
ほんの少しだけ考える。
――優秀な子ども。
その言葉に、
胸の奥で小さな疑問が浮かぶ。
(……ステラとノヴァ)
あの双子の顔が、ふと頭をよぎった。
もし養育院にいるのなら――
そういう場所へ行くこともあるのだろうか。
けれど。
私はその考えをすぐに振り払う。
まだ何も分かっていない。
想像だけで結論を出すべきではない。
その時。
フードの中で、ビビが小さく動いた。
ひょこっと顔を出す。
きょろきょろと周囲を見回して、
またすぐに潜り込んだ。
レオンがその様子に、わずかに視線を落とす。
「……慣れているようですね」
「うん」
私は笑った。
「もうフードが家みたい」
ルークがぼそっと言う。
「巣だろ」
ラーラが吹き出す。
「アイリー、完全に木扱い」
「ビビが落ち着くなら、なんでもいいの」
そんなやり取りの横で、
レオンの口元がほんの少しだけ緩んだ。
♦︎
やがて、通りの景色が少しずつ変わっていく。
商店が並ぶ区域を抜け、
落ち着いた石造りの街並みへ入った。
人通りは減り、
代わりに広い敷地の建物が増えていく。
レオンが前方を示す。
「見えてきました」
視線の先に、白い建物があった。
高い塀に囲まれた敷地。
整えられた庭。
大きな門。
門の上には、金色の紋章が掲げられている。
その脇に、
ひとつの石碑が立っていた。
白い石に刻まれた文字。
――すべての子どもに、守られた未来を。
馬車は速度を落としながら門へ近づく。
守衛が紋章を確認すると、
重たい門が静かに開いた。
王家の馬車はそのまま敷地の中へ進む。
整えられた庭園の間を、
ゆっくりと進んでいく。
窓の外に広がる建物を見ながら、
私はその言葉を思い返していた。
――理念。
国が子どもを守る仕組み。
――ルクス養育院。
その名が、
静かに刻まれている。
「ここが、ホーリス院です」
レオンが言った。
やがて馬車は建物の正面へ回り込み、
大きな階段の前でゆっくり止まる。
正面玄関には、
すでに数人のシスターと職員が並んでいた。
どうやら到着は伝わっているらしい。
ルークが小さく呟く。
「……準備いいな」
ラーラも頷く。
「完全に歓迎モードだね」
私は扉越しにその光景を見つめた。
整った庭。
整った建物。
整った人々。
そして。
整いすぎた空気。
どこかで見た光景。
――ホームディア院。
胸の奥に、
あの違和感がほんの少しだけ蘇る。
レオンが静かに言った。
「それでは」
「視察を開始いたします」
馬車の扉が開いた。
♦︎
正面玄関の前には、すでに数人のシスターと職員が並んでいる。
どうやら到着は伝わっているらしい。
扉が開く。
石の階段を上がると、
先頭に立っていたシスターが一歩前へ出た。
「ようこそお越しくださいました」
柔らかな笑顔。
「視察官アイリー様」
深く頭を下げる。
「ホーリス院一同、歓迎いたします」
形式は整っている。
けれど。
そこに張りつめた緊張はない。
私は小さく頷いた。
「本日はよろしくお願いします」
短い挨拶を交わしたあと、
シスターが静かに手を差し出す。
「どうぞこちらへ」
私たちは玄関を通り、
建物の奥へ案内された。
そして――
中庭へ出た瞬間。
子どもたちの声が聞こえた。
笑い声。
走る足音。
ホームディアとは違う。
もっと、自然な音だった。
ラーラが小さく言う。
「……あ、普通の子どもだ」
ルークも頷く。
「騒いでるな」
私は少しだけ肩の力を抜いた。
――少なくとも。
ホームディア院とは、違う。
♦︎
視察は順調だった。
帳簿も整っている。
子どもたちの生活環境も問題ない。
教育担当のシスターも、
丁寧に説明してくれる。
その案内の途中で、ひとりの男の子が
庭の端で本を読んでいるのが見えた。
年齢は、八歳くらいだろうか。
シスターが穏やかに言う。
「この子は以前、夜驚症がひどくて」
男の子は顔を上げ、
こちらを見る。
驚いた様子はない。
ただ、少しだけ考えるような間があってから
小さく会釈した。
落ち着いた子だ。
「ベルグの街にある治療所で診てもらったんです」
シスターは続ける。
「ドミニク先生という方で」
その名前を聞いても、
私は特に気に留めなかった。
「今では、夜もぐっすり眠れるようになりました」
男の子は本を閉じる。
そして、小さく言った。
「先生のところは、静かで好き」
「眠れる薬も、くれるし」
穏やかな声だった。
その言葉を聞いて、シスターの肩から力が抜けたのが分かった。
「……以前は、夜になると本当に大変で」
「本当に助かりました」
私は頷いた。
「それは良かったですね」
シスターは安心したようにもう一度頭を下げた。
♦︎
その後、施設内の案内と説明がひと通り終わり、
私たちは執務室へ移動する。
視察の記録確認のためだ。
レオンがすぐに必要な書類を取り出し、
手続きは滞りなく進んだ。
ルークが途中で小さく言う。
「……ここは普通だな」
ラーラも頷いた。
「うん。ちゃんとしてる」
私も同じ感想だった。
――何も、おかしくない。
視察はそのまま滞りなく終わった。
帳簿も整っている。
子どもたちの生活も問題ない。
職員の対応も丁寧だった。
表に見える限り、
ここは本当に“模範的な施設”だった。
やがて私たちはホーリス院を後にし、
王都の通りへ戻る。
王家の馬車が、ゆっくりと石畳を進む。
夕方の光が、街を柔らかく染めていた。
ルークが窓の外を見ながら呟く。
「なんか、理念がなんとかって言ってたけど」
「すんげー普通だったなー」
ラーラも肩をすくめる。
「だねー。子ども達も、これぞ子どもたち!みたいな感じで、安心して見てられたねー」
私はフードの縁を軽く触れた。
その中で、ビビがもぞりと動く。
今日一日を思い返す。
記録。
施設。
子どもたち。
どれも問題はなかった。
それなのに。
ふと、頭の奥にひとつの言葉が浮かぶ。
私は小さく呟いた。
「……ドミニクの灯りの家」
フードの中で、ビビが小さく動く。
その名前が。
なぜか、妙に胸に残っていた。
――まるで、最初からそこへ辿り着くことが決まっていたみたいに。




