第18話 それぞれの足取り
無事に契約書にサインをした3人は
ギルドの重たい扉を押し開けると、昼の光が目に刺さった。
重たい空気を破ったのは、ラーラだった。
「……腹減ったぁ〜」
ルークが横で小さく頷く。
「俺も」
私も、少し遅れて言う。
「……私も」
三人とも、顔はまだ重いままだったけれど。
足は、自然といつもの食堂へ向かっていた。
♦︎
店内は、
鉄鍋の音。
笑い声。
香ばしい匂いで、満ちていた。
いつもの奥の席に腰を下ろす。
料理が運ばれてくるまでの間、
ルークが静かに口を開く。
「で、これからどうする?」
真正面からの問いだった。
私は、水の入った杯を指先でなぞる。
「……まず、少年を探す」
ルークは短く頷いた。
「だと思った!」
ラーラも続く。
「今後の視察官としての活動は?」
「こっちもしっかりやる」
私ははっきり言った。
「でも、優先順位を決める」
料理が運ばれてくる。
湯気が立ちのぼる。
私は続ける。
「今度視察に行くルクス養育院は、王都内に二か所あってそこに行くみたい。」
「視察開始は約一ヶ月後」
ラーラが指を折る。
「ってことは?」
「三週間後には、王都へ出発するよ」
私は言い切った。
「それまでは、自由に動ける」
ルークが腕を組む。
「三週間か」
「うん。その間に、少年の足取りを追う」
ラーラが、少し真面目な顔になる。
「マルタばぁちゃんの所?」
「まずはそこかなって思う」
ルークは、迷わなかった。
「行こう」
それだけで決まった。
――と、思ったところで。
ラーラが、ふと思い出したように言う。
「ていうかさ。今回の契約金、やばくなかった?」
私は苦笑する。
「うん。視察官報酬、月額固定だし」
ルークが言う。
「護衛は、固定支給だ。危険手当込み」
「正直、冒険者やらなくても困らないね、これ」
ラーラは思わずニヤニヤしてしまう。
「魔獣狩らなくて済むな」
その一言で、空気が少しだけ軽くなった。
私は、目の前の料理に視線を落とす。
香草の効いた肉料理。
焼きたてのパン。
湯気の立つスープ。
ひと口、口に運ぶ。
……あ、美味しい。
ちゃんと、味が分かる。
さっきまで、喉を通るかも分からなかったのに。
ルークも、無言でパンをちぎる。
ラーラは「うまっ」と小さく呟く。
三人とも、黙々と食べる。
三週間。
時間は限られている。
でも、焦る必要はない。
今は――
ちゃんと食べて、
ちゃんと動く。
それだけでいい。
♦︎
翌日。
辺境の村までは、歩いて3時間の距離だった。
空は高く、風は穏やか。
あの日と、何も変わらない。
村の入り口で、マルタばあちゃんが畑をいじっていた。
「あら、戻ったのかい」
その声は、いつも通りだった。
私たちは、少年のことを話した。
朝いなくなったこと。
森を探したこと。
歯車のこと。
ばあちゃんは、静かに聞いていた。
「戻ってきちゃいないよ」
あっさりとした答えだった。
「ここはいつも通りさ」
ただ、静かな村。
私は、少年が短い間住んでいた小屋を尻目に
マルタばあちゃんに礼を言い、村をあとにした。
♦︎
辺境の村をあとにして、森道に入る。
しばらくは、誰も口を開かなかった。
やがて、ラーラがぽつりと呟く。
「……やっぱり、戻ってなかったね」
ルークは短く答える。
「ああ」
私は、ポケットの中の歯車を指でなぞる。
「歯車を落としてるってことは……」
言いかけて、言葉を探す。
ラーラが続ける。
「慌ててた、とか?」
ルークが低く言う。
「急いでた可能性はあるな」
「でも、あの子があれを手放す?」
私は首を振る。
「あれだけは、絶対に離さないと思う」
沈黙が落ちる。
ルークが視線を森の奥に向けたまま言う。
「歯車を見つけた周辺には、血痕らしきものはなかった」
ルークが、静かに言う。
「引きずった跡もなかったし」
ラーラが小さく頷く。
「傷つけられた感じは、なかったよね」
ルークが、視線を落としたまま続けた。
「……あいつ、最近、落ち着きがなかったんだよな」
「え?」
私は顔を上げる。
ルークは少しだけ間を置く。
「夜中に泣いてたんだよな」
森の音が、一瞬遠くなる。
「“おかあさん”って」
ラーラが息を呑む。
私は、その事実を初めて聞く。
胸の奥が、わずかに冷える。
「……言ってくれればよかったのに」
思わず出た言葉に、
ルークは首を振る。
「俺も、朝になれば落ち着くと思ってたし、アイリーはその時、王都に居たからな」
低い声だった。
自分を責める響きが、少しだけ混じる。
「急がなきゃいけない理由が、出来たのかもしれねぇ」
それが、ルークの結論だった。
誰かに呼ばれたのか。
自分で向かったのか。
あるいは――
ラーラが小さく言う。
「さらわれた、って線も……消えないよね」
否定できる材料は、何もない。
森は静かだ。
静かすぎる。
私は、歯車を握り直す。
「必ず見つける」
その瞬間。
カサ、と。
葉が揺れる音がした。
ラーラが足を止める。
「……なんか聞こえない?」
小さな音だった。
ルークが剣の柄に手をかける。
私は、ゆっくりと近づいた。
茂みの奥にいたのは――
小さなリスだった。
薄茶色の体。
大きな尻尾。
片足を引きずっている。
こちらを見ると、ぶるっと震えた。
「……めっちゃビビってる」
ラーラが呟く。
私はしゃがみ込む。
逃げない。
ただ、震えている。
「怪我してるみたい。痛いねぇ」
足に、小さな裂傷。
私はそっと抱き上げた。
驚くほど軽い。
震えは止まらない。
「どうすんだ」
ルークが聞く。
私は即答した。
「うん?連れて帰るよ」
ラーラが目を細める。
「飼う気?」
「とりあえず、ほっとけないでしょ?怪我してるし」
その時、リスがまた小さく震えた。
布を取り出し、そっと包む。
手荷物の中にあった薄いタオル布だ。
小さな体をくるむと、
震えが少しだけ弱まった気がした。
「……ビビ」
思わず、口から出た。
「は?」
ルークが顔を上げる。
「名前。ビビにする」
ラーラが吹き出す。
「飼う気マンマンじゃん!」
「かわいい名前でしょ?ねぇ、ビビ」
布ごと抱き寄せる。
震えは、少しだけ弱まった。
そのまま、私の腕の中で小さく丸まった。
「帰ろう」
森を抜ける風が、
ほんの少しだけやわらいだ気がした。
♦︎
その日の夜。
部屋は静かだった。
ランプの灯りが、壁に揺れる。
籠の中で、ビビが丸くなっている。
傷の手当ては済ませた。
今は、穏やかに眠っている。
私は籠の縁に指をかけたまま、しばらく動けなかった。
守れる命が、ここにある。
それだけで、
胸の奥のざわつきが、ほんの少しだけ落ち着く。
三週間後、王都へ向かう。
その前に、
もう一度、少年の痕跡を探す。
守れなかった。
その事実は消えない。
でも。
守ると決めたものまで、
手放す理由にはならない。
籠の中で、ビビが小さく動いた。
私は、布越しにそっと触れる。
「……明日、ホームディア院に行く」
今度は、訪問者ではない。
任命を受けた立場で立つ。
ランプの火が揺れる。
あの夜、私は忍び込む覚悟をしていた。
今は違う。
視察官として、堂々と問うことができる。
ランプの火を落とす。
確かめられなかった“子どもたちの時間”を、
今度は正面から問う。
逃げない。
もう、逃げない。
そのとき。
籠の中のビビが、
小さく震えながら、森の方角を見ていた。




