第14話 任命
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「――正式に、君に“任じたい役目”がある」
エリオット王子の声は、淡々としていた。
側近が一歩進み、書状を開く。
形式的な文言が読み上げられ、部屋の空気が引き締まる。
「国公認ギルド特別登録者アイリー。
養育施設支援の巡回補佐として、各地の施設を視察し、現場の声を報告してほしい」
私は、反射的に背筋を伸ばした。
「命令ではない。依頼だ」
王子はそう付け加える。
「だが、君にしかできない」
視線が重なる。
逃げ道を塞ぐ言い方ではない。
それでも、“選ばれている”という圧は、確かにあった。
「各地の施設を回り、実情を見てほしい。
書類の数字では拾えない歪みを、国へ上げる役だ」
“歪み”。
「歪みを見つける者がいなければ、
国は、整っているふりを続けてしまう」
王子は、淡々と続けた。
「問題がない、という報告ほど、
上にとって扱いやすいものはないからね」
昨夜、覗こうとした夜の養育院が脳裏をよぎる。
双子の星の印。
“正解だった?”という声。
番号でしか名乗れない少年。
――確かめたい。
この目で。
「形式ばった視察では意味がない」
王子は言う。
「君は、現場で人を見る。そこがいい」
評価の言葉は軽くない。
それでも、甘く聞こえた。
「現場を知り、なお疑う人間は貴重だ。
制度は整えられる。だが、人の心は、現場でしか分からない」
私は、言葉を選んだ。
「……身に余るお言葉に存じます」
王子は、わずかに笑う。
「君のやり方でいい。
守るために前に立つ。その姿勢を、国の仕事に使ってほしい」
胸の奥が熱を帯びる。
“盾”としての在り方を、そのまま肯定された気がした。
――これなら、夜に潜らなくてもいい。
正規の立場で、確かめられる。
危険な場所に、ひとりで踏み込む必要はない。
誰かに止められることもない。
“正しい形”で、正しいことができる。
そう思ってしまう自分がいた。
「無論、無理はさせない。
だが、君の目が必要だ」
断れない言い方ではない。
それでも、断る理由が見当たらない。
私は、一拍だけ置いた。
「……子どもたちのためになるのであれば。
お引き受けいたします」
王子は、短く頷いた。
側近が書状を差し出す。
手続きが進む音が、静かに部屋を満たす。
「これで、君は“国の仕事”として施設を回る」
王子は言う。
「君の報告は、私の机に届く」
その言葉に、ほんの一瞬、喉が鳴った。
見られる側になる。
それでも、退く理由はなかった。
「期待している、アイリー」
私は頭を下げる。
「……恐れ入ります」
♦︎
「――では、ここから先は“現場の話”だ」
エリオット王子は、そう言って視線を扉の方へ向けた。
側近の一人が頷き、部屋を出ていく。
短い沈黙。
ほどなくして、扉がノックされ、
側近に伴われて、一人の男が入室してきた。
年の頃は三十代後半。
動きに無駄がなく、場の空気を読む仕草が自然に身についている。
王子は、私に向き直って言った。
「紹介しよう」
「施設総監、フリード・ドローレだ」
フリードと呼ばれた男は、一歩前に出て、静かに頭を下げる。
「はじめまして、アイリーさん」
「現場の取りまとめを任されています、フリードです」
柔らかな口調。
それでいて、どこか“慣れている”距離感。
“現場トップ”。
その肩書きが、言葉の奥に透けて見えた。
私は、すぐに姿勢を正す。
「お目にかかれて光栄でございます」
「以後、何卒よろしくお願いいたします」
エリオット王子は、短く頷いた。
「この件の実務は、彼が担当する」
「日程調整も、教会側との連携も含めてだ」
“教会”。
その単語が、ここで初めて出てくる。
「君の活動は、基本的にフリードの管轄下で進めてもらう」
“管轄”。
その言葉に、ほんのわずか、胸の奥が引っかかる。
フリードは、私に視線を向けて穏やかに言った。
「現場の具体は、別室で説明させてください」
「ここは出入りが多く、落ち着いて話す場所ではありませんので」
エリオット王子は、それを了承するように視線を流す。
「後は任せる」
「何かあれば、私に直接上げてくれて構わない」
私は、深く頭を下げた。
「……恐れ入ります」
♦︎
フリードに導かれ、回廊を進む。
王子の政務応接室から離れるにつれ、
城内の空気が、少しずつ“仕事場”の匂いに変わっていく。
行き交う役人。
書類を抱えた官吏。
どの部屋も、人の出入りが絶えない。
「このあたりは、各部署の打ち合わせにも使われる区画でして」
フリードが歩きながら言う。
「税務室も、今日は会議続きで空きがないんです」
「落ち着いて話せる場所を用意しています」
“税務室”。
その単語ひとつで、
ここが王城の“実務の中心”であることが分かる。
しばらく進んだ先で、
フリードは一つの扉の前で足を止めた。
「こちらです」
「現場担当者用の小会議室になります」
扉を開くと、
簡素な机と椅子が置かれた、実務用の部屋だった。
豪奢さはない。
だが、地図や記録棚が整然と並び、
ここで“人の運命が決められている”のだと、直感する。
「ここなら、腰を据えて話せるでしょう」
フリードはそう言って、私に席を勧めた。
「これからの巡回日程と、教会本部との顔合わせ」
「それから……現場での立ち回り方についても、
いくつか共有しておきたい」
私は、静かに頷く。
――動き出した。
王子の言葉は、もう背中にある。
ここから先は、“現場”の人間と進む仕事だ。
その事実が、
ほんのわずか、胸の奥を冷やした
♦︎
フリードは、机の上に一枚の紙を広げた。
整った筆跡で、地名と日付が並んでいる。
「こちらが、当面の巡回予定です」
私は、思わず視線を落とす。
王都近郊の養育施設。
交易都市近くの分院。
そして、教会本部での顔合わせ。
「……随分、具体的ですね」
「ええ。現場は、段取りが命ですから」
即答だった。
迷いがない。
「教会本部での顔合わせは、形式的なものです」
「向こうは、支援と人材派遣の窓口になります」
「運営自体は、すべて国の管轄です」
言い切る声音に、曇りはない。
「修道士や支援者の多くは、純粋な善意で動いています」
「給金を受け取っている者もいますが、
それは国の制度に組み込まれているだけです」
私は、ルクス養育院で見たシスターたちの顔を思い出す。
――あの人たちは、間違いなく善意だった。
「現場にいると、教会が“悪”だと思われがちでしてね」
フリードは、どこか困ったように笑った。
「ですが、彼らの力がなければ、施設は回りません」
その言葉に、違和感はなかった。
むしろ、現実的だ。
「巡回は、私の管轄下で進めます」
「無理な視察は組みません」
「必要があれば、予定は随時調整します」
――融通が利く。
「あなたの役目は、現場を見ることです」
「問題があれば、私に上げてください」
「私のところで処理します」
処理する。
その言葉が、わずかに引っかかる。
けれど、今は理由が分からない。
「……分かりました」
私は頷いた。
フリードは、日程表を私の前へ滑らせる。
「こちらを控えとして持っておいてください」
「明日は、教会本部へ向かいます」
明日。
思っていたより、ずっと早い。
「準備は……」
「必要ありません」
フリードは穏やかに言った。
「あなたは“視る側”ですから」
その言い方は、
安心させるための言葉に聞こえた。
私は、日程表に手を伸ばす。
――もう、動き出している。
この役目を引き受けたのは、自分だ。
誰かに強制されたわけじゃない。
それでも。
書類の端を指でなぞりながら、
胸の奥に、小さな違和感が残る。
“準備を待つ前に、道だけが先に敷かれている”
その感覚を、私は言葉にしないまま飲み込んだ。
フリードは日程表を畳み、淡々と続けた。
「一点、事務的な話を」
「視察は、あなた一人で動かせる性質のものではありません」
私は顔を上げる。
「各施設は、国の管轄です」
「訪問先によっては、兵の立ち会いが必要になります」
「そのため、護衛を一名、お付けします」
護衛。
その言葉に、昨夜の“夜の養育院”がよぎり、喉がわずかに乾く。
「……承知いたしました。どなたがご同行くださるのでしょうか」
フリードは扉の方へ視線を向けた。
「レオン」
短く呼ぶ。
ノックもなく扉が開き、
一人の男が、音も立てずに入ってきた。
背は高く、動きに無駄がない。
武具は控えめだが、隙のない立ち方だけで“仕事”が分かる。
フリードは形式通りに紹介する。
「王城警護の任にある者です」
「以後の巡回では、あなたの護衛として同行します」
「名はレオン。余計な口は利きませんが、腕は確かです」
レオンは一歩前に出るでもなく、ただ静かに頭を下げた。
「……命により、同行いたします」
声は低く、感情が薄い。
けれど、雑に扱われている感じもしない。
“仕事として整えられた礼儀”だった。
私は姿勢を正し、軽く頭を下げる。
「はじめまして。アイリーです」
「これから施設を回ることになるそうで……よろしくお願いします」
すると、レオンはほんのわずかに首を横に振った。
「護衛です。丁寧な挨拶は要りません」
「任務として同行します。それだけです」
きっぱりした言い方だった。
突き放すというより、“距離を決めている”声音。
私は一瞬だけ言葉に詰まり、
それから小さく頷く。
「……分かりました」
「でも、最低限の挨拶くらいはさせてくださいね」
レオンは返事をしない。
ただ、視線だけが一瞬こちらを向いて、すぐに逸れた。
フリードが間に入るように言う。
「彼は口数が少ないだけです」
「任務中は、あなたの安全を最優先します」
「承知しました」
私はそう答えた。
――護衛。
距離を置いたまま、同じ道を歩く人。
その存在が、
これからの巡回を少しだけ現実のものにした気がした。
「明朝、宿まで迎えを出します」
「本日は疲れてると思うので休んでください。明日からは、予定通りに動きます」
フリードが伝える。
「……ありがとうございます。承知いたしました」
書類を抱え直し、席を立つ。
♦︎
廊下を抜け、城門を出る頃には、空はすっかり夕暮れに染まっていた。
この日は、まだ護衛はつかない。
明日からの巡回に合わせて、正式に動く――
そういう段取りなのだと、フリードから簡潔に伝えられている。
ひとりで宿へ戻る道は、静かだった。
王城を出た途端、
さっきまでの“国の仕事の場”の空気が、嘘のように遠ざかる。
通りには人の気配が戻り、
屋台の呼び声や、馬車の音が混じる。
――同じ王都なのに、
城の中と外では、まるで別の世界だ。
宿へ向かう足取りは、軽い。
今日一日で、
私の立場は、確かに変わった。
“国の仕事”として、施設を回る。
それは、夜にこっそり覗くよりも、
ずっと正しい形のはずだった。
それでも。
“君の目が必要だ”
王子の言葉は、まだ胸の底に残っている。
私は、この役目を自分の意思で引き受けた。
誰かを守るために、前に立つ選択をした。
けれど、その一歩の先には、
最初から用意された道が伸びていた。
気づいたときには、
もう、その上を歩き始めている。
宿の扉を押し開けると、
外の喧騒が、ふっと背後に遠のいた。
明日からは、
国が用意した場所を回り、
国が整えた宿に泊まり、
時には教会の一室を借りながら進む。
――私の“視察”は、もう個人の行動じゃない。
それが、ほんの少しだけ怖くて。
それでも、目を逸らす気はなかった。
私は、静かに部屋の鍵を閉めた。
その瞬間、
扉の向こう――
誰かの“気配”が、確かに消えた。
――明日から始まる視察は、
もう“見に行く”だけの仕事ではなくなる。




