第13話 王子の視線
王都サンクトリアの城門をくぐる前に、
私は一度、ギルドが手配してくれた宿へ馬車を回してもらった。
長旅の埃を落とし、
王城に出るための服に着替える。
鏡の前に立つと、
そこに映る自分は、
辺境を歩いていた“いつもの私”とは、少し違って見えた。
……場違いにならないように、整えるだけ。
それ以上でも、それ以下でもない。
短く身支度を済ませ、
私は再び馬車に乗り込む。
王城へ向かう道は、
もう目と鼻の先だった。
♦︎
王城の奥、
政務応接室と呼ばれる部屋に通された。
王城の回廊は、華やかさよりも機能性を優先した造りだった。
一定間隔で兵の詰所が置かれ、通路の奥からは武具の擦れる音が聞こえる。
――この国は、ずっと戦っている。
周辺国との衝突は絶えず、
国境では、今も小競り合いが続いていると聞く。
だからこそ、
王城も“宮殿”というより、
ひとつの軍事拠点のようだった。
この国を率いるのは、
現国王オズヴァルト・ヴァルドゥナ。
戦争国家を長く支えてきた、
冷徹な現実主義の王。
その息子であり、
次の王位を継ぐと目されているのが、
第一王子エリオット。
―これから会うのは、
いずれこの国を背負う男だ。
その事実が、
政務応接室の空気を、少しだけ重くしていた。
玉座の間ほど広くはない。
だが、壁に掛けられた地図や書架に並ぶ書類の量が、
ここが“国の仕事の場”であることをはっきりと示している。
室内には、
すでに護衛が二名、壁際に控えていた。
椅子は勧められなかった。
私は、入口付近に立ったまま待つ。
しばらくして、
廊下の向こうから足音が近づいた。
扉が開く。
第一王子エリオットが、
側近を伴って入室する。
私はすぐに片膝をつき、頭を垂れた。
「この度は、お招きいただき、誠にありがとうございます。
国公認ギルド特別登録者、アイリーでございます。
お時間を賜り、身に余る光栄に存じます」
形式通りの挨拶。
王子は、
わずかに目を細めてから言った。
「そんなに畏まらなくていい。
こちらこそ、時間を作ってくれて感謝する」
彼は政務机の前に立ち、こちらを見る。
その視線だけで、挨拶の時間は終わったと分かった。
♦︎
「顔を上げてくれ、アイリー」
エリオット王子の声は、低く穏やかだった。
私はゆっくりと頭を上げる。
以前と変わらない、整った容貌。
柔らかな物腰。
威圧するための言葉は一切なく、
それでいて、場を支配する静かな存在感がある。
「ホームディアの辺境から、わざわざ来てもらってありがとう」
「道中、問題なかったか?」
「お心遣い、痛み入ります。
道中は、滞りなく参りました」
王子は軽く頷いた。
「報告書は、こちらでも目を通している」
「ギルド経由で上がってくる君の活動記録だ」
「君は、国公認ギルド特別登録者だからね。最低限の報告書をあげる義務がギルドマスターにはあるんだよ」
私は、思わず目を瞬かせる。
――知られているのか!
辺境での動きなど、
王都から見れば取るに足らない記録だと思っていた。
「ルクス養育院ホームディア院の継続的な訪問」
「現場での補佐」
「子どもたちとの接し方も、とても評判がいい」
王子は、書架の一角から一枚の書類を取り出し、
視線を落としたまま続ける。
「現場を知らずに制度を語る者は多い」
「だが、君は違う」
その言葉に、胸の奥がわずかに熱を帯びる。
――ちゃんと、見ている人だ。
そう思ってしまう自分がいた。
王子は、書類を机に戻すと、
今度は視線をこちらに向けた。
「……実際に関わってみて、どうだった?」
不意に投げられた問い。
私は、一瞬だけ言葉を探す。
評価を求められているのか。
それとも、報告を求められているのか。
――どこまで、正直に話すべきだろう。
「……想像していたより、ずっと“普通”でした」
私は、慎重に言葉を選びながら答える。
「建物も整っていて、職員の対応も丁寧で……」
「子どもたちも、よく躾けられていて」
「一見すると、問題があるようには見えませんでした」
王子は、黙って頷く。
「ただ……」
そこで、私は一拍置いた。
「“普通すぎる”と感じる場面もありました」
自分でも、曖昧な言い方だと思う。
「泣く子が少なくて」
「叱られても感情をあまり表に出さなくて」
「褒めると、安心するというより……“正解だったか”を確認するような反応をする子が多くて」
王子の眉が、わずかに動く。
私は、その変化を見逃さずに続けた。
「もちろん、それが悪いことだとは言い切れません」
「環境が整っていれば、落ち着いた子が多くなるのも自然ですし」
「施設として、よく管理されている証拠でもあると思います」
一歩、踏み込みすぎないように。
それでも、感じたことは伝える。
「……ただ、私は」
「“ちゃんと育てられている”というより」
「“きちんと型にはめられている”ように見える瞬間があって」
言い終えてから、
自分が思っていた以上に踏み込んだことに気づく。
王子は、すぐには答えなかった。
少し考えるように、視線を机の上へ落とす。
「それは……管理が行き届いている、ということだろう?」
言葉は穏やかだ。
否定も肯定もしていない。
私は、首を横に振る。
「いえ……管理が悪い、という意味ではありません」
「むしろ、あそこは“よくできた施設”です」
「だからこそ、違和感を覚えました」
“よくできすぎている”場所。
それを、どう表現すればいいのか分からず、
私は少しだけ視線を伏せた。
「でも、その“いい子”であることに、慣れすぎているようにも見えました」
王子は、私の言葉を遮らない。
「感情を出すより、正しく振る舞うことを覚えさせられている」
「そういう印象を受けました」
部屋の空気が、
ほんのわずかに張りつめる。
私は、慌てて付け加える。
「もちろん、私の受け取り方の問題かもしれません」
「数回訪れただけで、すべてを判断できるほど、私は現場を知っているわけではないので」
言い訳のような言葉。
けれど、
これ以上踏み込めば、
自分の中の“疑い”をそのまま口にしてしまいそうだった。
王子は、しばらく黙っていた。
やがて、静かに口を開く。
「……現場を見た人間の言葉は、重い」
それは評価のようでもあり、
釘を刺すようにも聞こえた。
「制度は、理屈で整えられる」
「だが、人の心の在り方までは、紙の上では分からない」
私は、その言葉に小さく頷く。
王子は、ふっと息をついた。
「君の感想は、記録としても価値がある」
「“問題がない”という報告よりも、よほど現実的だ」
その一言で、
胸の奥が、わずかに緩む。
――聞く姿勢がある人だ。
そう思ってしまう自分が、また顔を出す。
「ありがとう」
王子は、そう言ってから、穏やかに微笑んだ。
「だからこそ、君の目を、もう少し“国の側”でも借りたいと思った」
「だからこそ、君の目を、もう少し“国の側”でも借りたい」
そう言って、王子は話題を切り替えた。
「ホームディアはどうだ。不便も多いだろう?」
「……はい。物資も人手も、十分とは言えません」
王子は小さく頷いた。
「数字で見る辺境と、実際の辺境は違う」
「だからこそ、君の報告には意味がある」
私は、その言葉をすぐには受け止めきれず、黙って視線を下げた。
♦︎
「本題に入ろう」
王子は、机の縁に手を置き、
わずかに姿勢を正した。
空気が、ひとつ引き締まる。
「国として、ルクス養育施設の支援体制を見直している。」
「施設の数は増え続けているが、
現場の実情が、上まで正確に届いているとは言い難い」
――それは、事実だと思った。
書類の上では整っていても、
現場は、いつも追いついていない。
「だから、現場を知る人間の目が必要だ」
「形式的な視察ではなく、
実際に足を運び、声を拾える者がな」
王子は、こちらを見る。
「君は、国公認ギルド特別登録者だ」
「辺境での実績もある」
「そして、子どもたちへの接し方に定評がある」
淡々と並べられる条件。
どれも、事実だ。
「君の目で、各地の養育施設を見てほしい」
私は、息を飲んだ。
――視察。
それは、
昨夜、私が“勝手に”やろうとしていたことと、
どこか重なっていた。
夜の施設を覗こうとしていた自分の行動と、
国から正式に与えられようとしている役割。
奇妙なほど、線がつながる。
「無論、強制ではない」
「だが、君のような人間の視点は、
制度を形だけで終わらせないために必要だと考えている」
言葉は、あくまで穏やかだ。
命令ではない。
けれど、断りづらい“期待”が、そこにある。
私は、一瞬だけ視線を伏せた。
――子どもたちのためになるなら。
そう思ってしまう自分がいる。
♦︎
「君の行動は、国の理想に近い」
不意に、王子がそう言った。
私は、思わず顔を上げる。
「力で押さえつけるのではなく、
目の前の相手と向き合う姿勢だ」
その言葉は、
これまでの私の在り方を、
そのまま肯定するものだった。
“盾”として、
守るために前に立つという選択。
誰かを踏みつけることで得る強さではなく、
誰かの前に立つことで生まれる強さ。
それを、
国家の象徴に近い存在の口から語られる。
胸の奥が、じわりと熱くなる。
――分かってもらえた。
そんな錯覚が、
一瞬、確かに生まれた。
「君のような人間が現場に立つこと自体が、
国にとっての希望になる」
王子の言葉は、
人の心を掴むことを知っている。
私は、言葉を選びながら頭を下げた。
「……身に余るお言葉に存じます」
その一言に、
自分でも気づかないほど、
心が軽くなっていた。
♦︎
エリオット王子は、静かに立ち上がる。
それに合わせるように、
側近が一歩前に出た。
一枚の書状が、
丁寧に机の上へ置かれる。
場の空気が、わずかに張り詰める。
形式ばった手続きの気配。
「では――」
王子は、ゆっくりと口を開く。
「正式に――」
私は、何も分からないまま、
その言葉を待っていた。




