ep.7 当たり前でしょう?
扉の先はまた薄暗い路地裏。
他の世界に来たとは思えない、変わり映えのしない景色に、自然と口角が下がる。
しかし、ルリに手を引かれて大通りへ出ると、
そこには背の高い建物が壁のように建ち並び、“大きな鉄の塊”が道を行き交う――ヘデラの知らない世界が広がっていた。
「わーお! 見てくださいヘデラちゃん! ここは車が存在する世界です! ラッキーですねー!」
「……くるま?」
口をぽっかりと開けて放心しているヘデラの耳にルリのはしゃぐ声が飛び込んで来ると、少し遅れて視線を向ける。
ルリは道端に停まっている鉄の塊に近付き、じろじろと視線を這わせていた。
「ヘデラちゃんの世界でいう馬車のような物です」
「馬が見当たりませんわ」
「そうなんです! 馬に引いてもらわなくても動くんですよ! まぁ、馬の代わりに燃料が必要ですが……ヘデラちゃん、これと同じ物作れます?」
挿しっぱなしのキーに気付いたルリは期待するようにヘデラに声をかけた。
「お任せあれ〜ですわ!」
ルリに頼られたことで機嫌を良くしたヘデラは、同じ車を横に作り出して見せると、得意げに胸を張った。
周囲の視線が一斉に集まる。
ルリはさっさと車の助手席にヘデラを座らせ、運転席に乗り込んでエンジンをかけた。
「大丈夫そうですね、とりあえず移動しましょう」
不思議そうに車内に視線を巡らせるヘデラにシートベルトをつけると、増える視線から逃れるように移動を開始した。
「な、なんですのこれ! すごいですわ! とても速い! しかも全然揺れませんわ!」
窓に張り付いて流れる景色を見ながら感嘆の声を上げるヘデラを横目に、ルリはメーター横の液晶に触れると、浮かべていた笑みを濃くした。
(ナビも使えるのか……この女を拾ったのは正解でしたね。面倒な仕事が減って有難い)
「ルリ、どうかしまして?」
「いいえー! ヘデラちゃんと結婚できてよかったなーと!」
「私も同じですわー!」
これが異世界――
外を歩く人々はヘデラの世界と変わらない。
しかし、それ以外は何もかもが違う。
目に止まるもの全て、道に転がるゴミでさえ、ヘデラの関心を引いた。
「……さて、今から質屋に向かいます。その後、宿泊施設を決めて、そこを拠点にお金を稼ぎながら情報を集めましょう」
「お金を稼ぐ……? 私働いた事なんてございませんわよ⁉︎」
ルリの言葉にヘデラは視線を勢いよく車内へと戻した。
顔を引き攣らせるヘデラに、ルリは堪らず吹き出した。
「ぶはっ! すごい顔!」
「うぅ……あの野蛮な神はお金も用意してくださらないの?」
「いえ、世界によって通貨は異なるので、お金ではなく換金しやすい物をお願いしています。……おや、今回はヘデラちゃんも一緒だからか、多めに用意してくださったみたいですね!」
ルリはカズマから受け取った袋を覗いて声を弾ませた。
多くの金属や宝石のような物が見えると、ヘデラは頭を横に倒した。
「それだけあるのに、稼ぐ必要あります?」
「はい、どれだけ滞在する事になるか分からないので。心配しないでください、情報を集めがてら僕が稼いで来るので。
ヘデラちゃんはその間、部屋で好きに過ごしていてください。……あっ、そうだ」
ルリは懐からナイフを取り出してヘデラに手渡した。
「僕が仕事をしている間一人にしてしまうので、護身用に渡しておきます」
「……!」
ナイフを受け取ったヘデラは目を輝かせた。
恋人からもらうプレゼントは花束やアクセサリーが定番だ。
ナイフを渡す恋人など聞いたことがない。
「大事にしますわ!」
逆にそれはヘデラに特別感を与えた。
嬉しそうにナイフを見つめるヘデラに、ルリは口元を押さえて笑った。
「バカだなぁ……」
ナイフに夢中になるヘデラの耳に、ルリの言葉は届かなかった。
◇◇◇
質屋で換金した後、2人は街で一番大きな宿泊施設にやって来た。
広いロビーには音楽が流れているようだが、人の賑わいでほとんど聞こえない。
「……ルリ、ここ本当に宿なんですの? 歌劇場ではなくて?」
「驚かれるのも無理はないですね。ヘデラちゃんの世界にはここまで大きな宿泊施設はなかったですから」
「ルリ! あの方! 頭に獣の耳のアクセサリーをつけてますわ!」
「ああ、ヘデラちゃんの世界には半獣はいなかったんでしたっけ? あれは本物ですよ」
「本物⁉︎ 本物の獣の耳が生えているの⁉︎ ……ルリ! あれは――」
「はーいヘデラちゃん、一旦落ち着きましょうねー」
興奮するヘデラを宥め、ルリはフロントで鍵を受け取り、指定された部屋へと移動した。
この世界で拠点となる部屋。
中は広く、家具や装飾はその部屋の価値が高い事を証明していた。
奥にあるベッドはルリが両手を伸ばしても端には手が届きそうもない程大きい。
部屋の探索を始めるヘデラを見て、ルリは口角を持ち上げると、彼女の腰にそっと手を回した。
「早速情報収集に向かおうと思ったのですが……少し楽しんでからにします?」
それを聞いたヘデラの眼差しに期待が滲む。
ルリはクスリと笑いを溢れさせると、ヘデラに顔を近付けた。
その時――
「……おっと、カズマさんですね」
部屋に置かれた電話がけたたましい音を立ててルリの意識を持って行った。
「もしもーし! はい、今ホテルにいますー」
(野蛮な神め……! よくも邪魔を……!)
ヘデラが歯をギリギリと鳴らしながら電話を睨み付けると、ルリはそれをおかしそうに笑って手帳を開いた。
「すみません、今確認してます。はいはい……“勇者”の情報を中心に集めてみます。……ヘデラちゃんですか? はい、めちゃくちゃ怒ってますよ」
「おじゃま虫! 野蛮人! 猿!」
「――!」
「あはは、失礼しまーす」
受話器から聞こえるカズマの声は何を言っているのかは分からなかったが、怒っている事だけは分かった。
やっと邪魔者がいなくなった。
ヘデラは続きをしようとルリに向かって口を突き出したが、唇の代わりに触れたのは彼の指だった。
「すみません、お仕事に行って来ますね」
「むぅ……」
「可愛い奥さんに お仕事頑張って♡ って言って欲しいなー」
「!」
“可愛い奥さん”
それを聞いたヘデラは堪らず口端を持ち上げると、扇を広げ誇らしげにふふんと胸を張った。
「頑張ってくださいましー! “可愛い奥さん”として、旦那様のお仕事を応援いたしますわー!」
「わーお! なんて可愛らしいんでしょう! お仕事頑張れそうです! では行って来ますねー!」
ルリはヘデラを抱き締めた後、大きく手を振って部屋から出て行った。
◇◇◇
あれから数日――
「ただいま戻りました」
「お帰りなさい!」
ルリは毎日、夜には帰って来た。
「いやー遅くなってすみませーん」
「おかえ……りなさい……」
出て行く時と変わらない笑顔で、
「ただいま戻りましたよ、僕の可愛い奥さん」
「…………」
服や肌に擦れたようにつく化粧品の跡、毎日違う香水の匂いを纏って――
「……いや、流石の私でも気付くわよこの浮気者‼︎」
ヘデラは猫のように毛を逆立てながら声を荒げると、他の女の存在を隠そうともしないルリを扇でバシバシと叩いた。
「わーお! 今日は一段と熱烈なお出迎えですねー!」
「ふざけないで‼︎ 結婚してすぐに他の女に手を出すなんて‼︎」
「あはは、女性だけではありませんよ」
「そういう問題じゃ――ちょっと⁉︎ 何人と浮気してるんですの⁉︎ このクズ‼︎」
怒りを爆発させるヘデラに、ルリは悪びれる様子もなく肩を竦ませた。
「浮気〜? お仕事ですよ、お仕事」
「妻以外と寝ることが⁉︎」
「ふーむ……そういえば話していませんでしたね」
バシバシと叩かれながら、ルリは話を始めた。
「僕もヘデラちゃんのように、すごい能力を持っています」
「はぁ? 急になんですの?」
ヘデラは叩く手を止めてルリを睨み付けた。
「まぁ最後まで聞いてください。
僕の能力……それは、相手の仕草や表情、会話や視線等……様々な情報から対象の性的嗜好、そして性への関心度を――」
「……?」
「ふむ……簡単に言うと、対象者の“スケベ度”を測ることができるんです」
「な、なんですってー⁉︎」
ヘデラの驚きに上がった声は、部屋に大きく響き渡った。
そして、しばらく沈黙が流れた後、ヘデラは再び扇を力強く振り下ろした。
「それがなんだって言うのよぉぉおお‼︎」
「あはは、痛い痛い!」
「大人しく聞いていれば‼︎ この‼︎ 情報収集なんて適当言って‼︎ 嘘つき‼︎」
「嘘じゃありません、これが僕のやり方です」
ルリは、振り回される扇を避けると、ヘデラの腰に手を回して引き寄せた。
「この能力を使って、相手の欲しいモノを見抜き、差し出してやる――」
指先が背中を這うと、ヘデラは途端に言葉を詰まらせた。
「するとどうでしょう……誰もがみんな、驚くほど簡単に僕に心を開き、喜んで色んなことを話してくれるんです」
ルリは上から覆い被さるようにヘデラを見下ろした。
藍色の髪が首筋を擽ると、ヘデラは肩を小さく跳ね上げた。
「ヘデラちゃんと出会うずっと前から、僕はそうやって必要な情報を集め、神との戦いに備えてきました。
神との戦いにおいて、情報は最も重要な武器になる。だからこの行為は、必要なことなんです。……不服ですか?」
「ふ、不服に決まって――」
「彼らへの行為は仕事ですが、ヘデラちゃんは違いますよ」
「違う……?」
「当たり前でしょう?」
その一言は、“特別”を好むヘデラの口を閉ざさせた。
そして、ヘデラの視線が机の上に置かれたナイフに向くと、ルリは小さく笑みを浮かべて言葉を続けた。
「だから毎日必ず、ここに帰って来るんです」
先を期待させるように、指先がドレスにかかると、既に勢いが弱まっていたヘデラの怒りは流されていった。
「……許してくれます?」
ヘデラは不満の色を残しつつ、小さく頷いた。
それに満足したように笑うと、ルリは彼女の期待に応えるように、ドレスの留め具を外した。
「ああ、よかった。寛容な妻を迎えられて、僕はとっても幸せ者です」




