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ep.4 欲の種

 

 舞踏会の事件から数時間後、

 城郭都市にある宿の一室――


「だぁかぁらぁ、ゴム弾なんだから問題ないでしょ! 一人も殺してません!」


 《――‼︎》


「キャンキャン吠えないでください! ……え? ああ、はい! 結婚しました! 引き出物は僕達がプリントされたマグカップとかどうでしょう?」


 受話器に向かって喋るルリの声を聞きながら、ヘデラは重たい瞼を擦った。


 愛する者達が必ず辿り着くその “行為” は、

 想像していた以上にヘデラの心を満たした。


 囁かれる甘い言葉は脳を擽り、

 未知の快楽が全身を駆け、

 常に体のどこかに体温を感じる。


 初めては痛いものだと聞いていたが、それを感じる前に快楽に溺れていた。



「あーもううるさいなぁ……今から帰りますよ! はいはい失礼しまーす!」


 ぼんやりと思い出に浸っていると、通話を終えたルリがヘデラの腰に巻き付くように腕を回し、憂鬱そうに溜息を吐き出した。


「もう少し楽しみたかったのに、報告に戻らなくては……」


「……行ってしまうの?」


 今になってルリに縋っていた者達の気持ちが分かった。

 表情を曇らせるヘデラに、ルリは不思議そうに首を傾けて頬をつついた。


「ヘデラちゃんも一緒に行くんですよ?」


「え……? る、ルリの職場に……?」


「はい。夫婦になったのと同時に、ヘデラちゃんは僕のビジネスパートナーにもなったんですから、当然です。上司にもヘデラちゃんを紹介すると伝えてありますし……」


 ルリは唇を尖らせてヘデラの顔を覗き込んだ。


「一緒に来てくれないんですか?」


「い、行きますわ‼︎」


 ヘデラは堪らず笑みを溢した。


 ()()()は縋ってもルリの側にはいられなかったのに対し、

 自分はプライベートでも仕事でも、ルリの側にいることができる。

 それを望まれている――


 溢した笑顔には、しっかりと優越感が表れている。

 ルリはヘデラの唇を指で撫でながら、口端を吊り上げた。


「あなたの感情がこうして見えると、愛おしくてたまりません――っと、危ない危ない! 続きはまた後で」


 軽く触れるだけの口付けを落とした後、ルリはヘデラにドレスを着せると、懐から鍵を取り出した。


「移動しながら仕事の詳細を話しますね」


 ルリはそう言って鍵を前に出して手を捻る――すると、2人の目の前に扉が現れた。


 聖女を連れて行ったものとは違う、歯車の並んだ鉄の扉。


「あっ、そうだ」


 ルリはドアノブに手をかけながら振り返った。


「この扉は、こことは違った歴史や文化、価値観を築いた別の世界――異世界に繋がっています」


 開かれた扉の先には闇が続くだけ。

 音も匂いもしない。


「これを潜れば、もうこの世界に戻る事はできません。……未練はありませんか?」


 不思議そうに扉を観察するヘデラに、ルリは少しだけ笑みを薄めて問いかけた。


「未練? ……はっ」


 乾いた笑いが漏れる。


「……未練があると思いまして?」


 美しさ以外、奪うばかりで何も与えなかったこの世界に、未練などあるはずもない。


 この男(ルリ)がいれば、他は必要ない。


「ははっ、失礼しました」


 ルリは再び笑みを濃くすると、掬うようにしてヘデラの手を取った。


「では、行きましょうか」

「ええ」


 手を引かれながら、扉の向こうに足を踏み入れる。


(ご機嫌よう、クソみたいな世界)


 扉は軋んだ音を立たせ、静かに閉まった。



 ◇◇◇


 扉を超えると、景色は薄暗い路地へと変わった。

 肌に纏わりつく湿った空気に不快感を覚えつつ、ヘデラは辺りを見回す。


 建物と建物を繋ぐ紐。

 そこにぶら下がる布や野菜。

 日がほとんど当たらないというのに、花をつける雑草――


 異世界に来たと実感できるような物はない。


 しかし、出歩くことがなかったヘデラにとって、路地裏の景色は興味深いものだった。


 ルリは忙しなく視線を動かすヘデラに少しだけ視線をやると、手を引きながら話を始めた。


「さて、お仕事の話をする前に、まずはそれに関わる異世界や神についての話をしましょうかね。

 ――ヘデラちゃんは、世界がどのようにして生まれるのか、ご存知ですか?」


「……え?」


 突然投げかけられた問いに、ヘデラは片眉を上げて首を捻る。


 世界が生まれるとはどういう意味だろう。


 神を恨んで生きて来たヘデラは、神話に興味を持ったことがない。

 ただ唸り声を上げるだけのヘデラに、ルリはクスリと笑って話を続けた。


「この通り、世界は1つだけではありません。

 無数に存在し、交わることなくそれぞれ別の歴史を紡いでいます。


 ……しかし、どの世界も始まりは同じ」


 ルリは迷路のように入り組んだ路地を迷うことなく進んでいく。


「“元祖の神”と呼ばれる存在によって選ばれた“人間の魂”が、神となって世界を創る。

 ――そして世界はその神に導かれ、歴史を歩み始めるのです」


「……人間の魂……?」


「はい。無数に存在する世界――それを司る神々のほとんどは、元は人間なんです」


 人の話し声、馬の蹄が地面を蹴る音――少しずつ、耳に入る音が増して行く。


「元々、世界というのは元祖の神々が自ら創り出し、管理していました。

 ですが――そのうちの一柱が、気まぐれに人間の魂に世界を創らせました。


 すると、人間の魂が創り上げた世界には、神々が創る世界よりも遥かに多くの感情が生まれました。


 その感情は大きなエネルギーを生み出し、

 停滞していた世界を大きく動かしました。


 それを喜んだ神々は、

 世界を創り、導く役目を人間の魂に委ねたのです」


 人の姿がぽつぽつと増えてくる。

 彼らの格好や雰囲気は、ヘデラの世界とあまり変わらない。


「しかし、選ばれる魂には、いくつかの条件があります。

 そのうちの一つが、“欲の種”の有無です」


 大通りに出ると、ルリはしっかりと指を絡ませながら人混みの中を進んだ。


「ヨクの種?」


「はい。

 欲の種とは、元祖の神々が人間を作る際に紛れ込んだ、神の異物。


 心に異常な欲望や執着を芽生えさせる代物です。


 元祖の神々は、種が世界に悪い影響を及ぼす事を懸念し、

 種を持たない魂を選んで力を与えていたのですが――彼らの中には、愉悦に身を堕とした愚かな神もいます」


 大通りを少し進んだ後、ルリは再び薄暗い路地に足を踏み入れる。


「一部の神は魂に無差別に力を与え、敢えて種を残したまま世界を創らせる。

 聖女の背中から飛び出した花を覚えていますか?」


 聖女の腰を突き破り、顔を出した植物を思い出して、ヘデラは「ああ」と声を上げた。


「あれは欲の種が、強い欲望に飲まれた魂と神の力を吸収して形を成し、芽を出したものです。

 そのまま成長を続ければ魂は消え、管理者を失った世界は生まれて来た全てのものたちを道連れに崩壊し、消滅する――」


『ルリ……どうしよう……』


 過去の声が蘇る。

 ルリは一度言葉を切ると、ゆっくり深呼吸してから話を再開した。


「種は芽を出し、花を咲かせた後、実をつけます。

 その実には、強い感情によって強大になった神の力が宿っています。

 愚かな神は世界が壊れていく様を楽しんだ後、その実を取り込み自身の力に――」


「うーん……?」


 聞こえて来たヘデラの唸り声に話を止めて振り返ると、彼女は顔をしわくちゃにして頭を傾けていた。


 頭の上には複数のクエスチョンマークが見える。


「……ぶはっ‼︎ あははは‼︎」


 このままでは彼女の頭から煙が上がりそうだ。

 ルリはひとしきり笑った後、呼吸を整えるように深呼吸を繰り返すと、ヘデラの頭を優しくぽんぽんと叩いた。


「はぁー……失礼しました。一気に話しすぎましたね。

 僕のお仕事は、その欲の種によって暴走する神――人間の魂を止め、世界の崩壊を防ぎ、悪い神様の企みを台無しにすることです。


 そして、ヘデラちゃんにお願いしたいのは――」


「なんで?」


「へ?」


「相手は神なんでしょう? なんでルリがやらなきゃいけないんですの? ルリはただの人間でしょう?」


 その問いかけに、ルリは一瞬――口端をぴくりと動かした。


『お願い、ルリ』


「…………ははっ」


 ルリは乾いた笑いを溢すと、切り替えるように手をパンッと鳴らした。


「ただの人間だなんて心外ですねー! 僕の勇姿をお忘れで?」


「確かにルリは強いですけど……」


「そう! 僕は強いでしょう? 神が相手でもなんら問題ありません! お給料はいいですし、なんでも願いを叶えてくれると言うので」


 ドンッと何かがぶつかる音が路地に響くと、ヘデラは開きかけた口をぎゅっと結んだ。


「おっと、上司が我慢の限界のようです」


 ルリは目の前の建物に視線を向けて肩を竦めた。


 上司というのは、どうやら目の前の建物の中にいるらしい。

 建物から再びドンドンッと音が聞こえてくると、ヘデラはゴクリと喉を鳴らして唾を飲み込んだ。


「行きましょう」


 扉を開いて中に入ると、ルリはヘデラに靴を脱ぐように言った。

 素足で部屋に上がる事に若干の抵抗を感じながらも、言われた通りパンプスを脱ぐと、ルリはヘデラを壁に寄せて奥の扉に声をかけた。


「ただいま戻りましたー」


 ――すると、ドタバタと大きな足音と共に扉が勢いよく開かれ、クッションが目の前を通り過ぎていった。


「あはは、今日は家具じゃないんですねー」

「遅い‼︎」


 大きく響いた声に驚いて視線を向けた先には、金髪の青年が額に青筋を立ててルリを睨み付ける姿があった。


「お前好き勝手しやがって‼︎ 覚悟はできてんだろうな⁉︎」

「ちゃんと説明したじゃないですかー誰も殺してないですよー」

「そういう問題じゃねぇ‼︎」


 青年はルリに掴み掛かると、怒鳴り声を上げて彼を揺さぶった。

 ルリは態とらしくハンカチで眼鏡を押さえて、呆気に取られるヘデラに声をかけた。


「ヘデラちゃん助けてくださーい! クソジジイにいじめられていまーす!」


「誰がクソジジイだ‼︎」


「ちょっと‼︎ 私の夫をいじめないでくださる⁉︎」


「いじめてねぇ‼︎」


 ヘデラがぶんぶんと扇を振って威嚇すると、青年は歯軋りしつつルリから手を離した。


「野蛮‼︎ 野蛮人だわ‼︎」


「ぶはっ‼︎ 野蛮人……ククッ……‼︎」


「笑うなクズ‼︎ ……それからお前‼︎ 神に向かって野蛮人とはなんだ‼︎」


「……え?」


「ああ、紹介が遅れました」


 ルリはハンカチをひらひらとさせながら、ヘデラに紹介を始めた。


「この方は僕の上司で、この世界の神様――“ヨツヤ カズマ”さんです」


 青年――カズマは腕を組んで不機嫌そうにふんっと鼻を鳴らした。

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