ep.10 馬鹿だな
視界の端に、勇者の仲間達が舞台裏へと駆けて行く姿が映る。
苦渋の表情を浮かべる彼女達に、ルリはおかしそうに喉を鳴らして勇者の顔を覗き込んだ。
「僕らに構っていないで、彼女達のように奴隷達の救出に向かった方がよろしいのでは?」
「黙れ‼︎ 彼女を解放し――ッ⁉︎」
ルリが体を横に滑らせながら、剣に絡めたワイヤーを手放す。
剣先が勢いよく地面へ落ち、勇者が大きく体勢を崩すと、ルリは天井から機材を吊る縄を撃ち抜き、ヘデラを抱えてその場から飛び退いた。
次の瞬間、支えを失った機材は勇者を押し潰すように落下した。
“普通の人間”であれば、即死だっただろう。
「……無駄だ‼︎」
崩れた機材を押しのけて現れた勇者の体には傷一つついていない。
先程よりも強い殺意が滲んだ眼差しが向けられると、ルリは態とらしく肩を竦ませ、手をひらつかせた。
「僕は奥さんを迎えに来ただけです! そんな目で見ないでくださーい!」
「冗談は――」
「私とルリは、正真正銘夫婦でしてよ〜!」
会場を魅了していた美しさはどこへやら――だらしない笑みを浮かべてルリに寄り添うヘデラに、困惑した勇者は瞳を揺らした。
「ど、同一人物……?」
「ちょっと‼︎ どういう意味よ‼︎」
ヘデラが仏頂面を浮かべると、先程見た美しさがちらつく。
勇者は気を取り直し、剣先をルリに向けた。
「君は騙されている‼︎」
「は?」
「こんな軽薄そうな男が君を本気で愛しているわけないだろ‼︎」
「はぁ⁉︎ ちゃんと愛されてるわよ‼︎ ねっ⁉︎」
下唇を突き出しながら不安げにルリを見上げるヘデラの瞳は、
“そうだと言って”と、
強く訴えかけている。
それは、妻が夫に向ける眼差しというよりも――
『ルリ、どうしたの?』
思考を乱すように、脳内に“彼女”の声が響く。
「……ルリ?」
不安そうに名前を呼ぶヘデラの声にハッと我に返った。
「もちろん、愛してますよ」
遅れて口にした言葉。
それでも、ヘデラは喜びにパッと笑みを咲かせ、勇者に向かって得意げに胸を張ってみせた。
「ほーらね‼︎」
「即答できてなかったじゃないか‼︎」
「黙りなさいよ‼︎」
「詐欺師め……‼︎ お前を捕まえて彼女を救い出す‼︎」
「……まったく、羨ましいですよ。その都合のいい耳と思考回路……っと、そろそろ閉幕のお時間ですね」
ルリは複数の足音に近付いて来ることに気付くと、ヘデラを抱えて発煙弾を足元に放った。
「お先に失礼します」
「待て‼︎」
視界は一瞬で煙に覆われた。
勇者は慌てて煙を吹き飛ばすように魔法を放ったが――既にルリとヘデラの姿はそこになかった。
「……クソッ‼︎」
「ハヤト‼︎ お姫様連れて行かれちゃった‼︎」
「なぜこんな事を……! お前らしくないぞ……!」
「うるさい‼︎」
声を荒げる勇者に、仲間達は顔を強張らせた。
「必ず……捕まえる……‼︎」
怒りに歪んだ顔、欲望が強く滲んだ瞳――
そこには彼女達が慕う勇者の姿はなかった。
◇◇◇
「違いますって! 態とじゃないです!」
宿泊施設に戻って数分もしない内に、電話がけたたましい音を立てて鳴った。
ルリの顔が引き攣っているのを見るに、相手はカズマで間違いない。
ヘデラは本物の貨幣を見本に偽物を量産しながら、緩く首を傾げた。
(なんで電話が繋がるのかしら?)
「はい? ……やれやれ、人の奥さんにちょっかいかけるのやめてもらえます? あーはいはい! 分かりました分かりました!
――ヘデラちゃん、少しいいですか?」
ルリは机の上に積まれた貨幣を確認し、満足げに笑ってヘデラの頭を撫でると、電話の横に転がされた受話器を指差した。
「カズマさんがお話ししたいそうです」
「いやですわ」
《おい‼︎ さっさとしろポンコツ‼︎》
「ぽ、ポンコツぅ⁉︎」
電話からは距離がある。
それでもポンコツと呼ぶカズマの声はよく聞こえた。
ヘデラは怒りを堪えるように歯をギリギリと鳴らしながら受話器を耳に押し当てた。
「お猿さんが何の用ですの⁉︎」
《猿ぅ⁉︎》
「ぶはっ‼︎ くくっ……」
《こ、こいつ‼︎
……チッ……お前、クズに売り飛ばされそうになったらしいな》
「お、お金を稼ぐための作戦ですし‼︎ それに、その件に関してはルリも反省して……」
《本気で言ってんのか?》
圧をかけるような低い声。
ヘデラは思わず言葉を詰まらせた。
《なんとも思ってないのに、反省するもなにもないだろ》
「…………」
ヘデラはちらりとルリの方を見た。
彼は鼻歌交じりに偽物の貨幣を数えている。
《そろそろ分かっただろ、あいつはお前のことなんて――》
「ルリは私を愛してるって言ってくれたもの」
ヘデラの言葉に鼻歌が途切れる。
すぐ後に、まるで嘲笑するように鼻を鳴らす音は、ヘデラの高笑いに掻き消された。
「僻んでないでお猿さんも素敵なパートナーをお探しになったら? まぁ、そんな性格じゃ無理でしょうけど! オホホホホッ!」
《……バカだなお前》
「なんですって⁉︎」
《お前に渡した鍵はこの世界に通じてる。危ない目に遭ったり、考えが変わったらそれを使え》
「何度も言わせないで、必要ありませんわ〜!」
《いつか必ず、必要になる時が来る》
まるで未来が分かっているような口振り。
ヘデラが不服そうに口を曲げると、ルリが後ろから受話器を取り上げた。
「カズマさん、そろそろ切っていいですか? 色々準備しないといけないので」
《お前が――から――》
受話器が離れた事でカズマの声は聞こえなくなった。
『いつか必ず、必要になる時が来る』
不安を誘うようにカズマの言葉が頭に浮かぶ。
しかし、ルリの指先が頬に触れると、それはいとも簡単に消え失せた。
《おいクズ、ふざけるのも大概にしろよ》
「おー怖い……ちゃんと応援してくださいよ。あなたの代わりに動いてさしあげてるんですから」
《……別にやめたっていいんだぞ? リン達には俺が話しといてやる》
「…………」
《フンッ……嫌がらせの程度が低過ぎんだよ、馬鹿が》
受話器がギシリと嫌な音を立たせる。
《八つ当たりした所で、望んでるもんは手に入らないぞ――クズ》
ルリは叩きつけるように受話器を置くと、歯を強く食いしばった。
「ルリ……?」
か細い声が耳に届くと、無意識に睨みを飛ばす。
ヘデラの顔が強張ると、ルリはハッとして口元を押さえた。
「すみません、お猿さんが――んへっ⁉︎」
慌てて言い訳を口にしようとした時、ヘデラはルリの頬を挟んでむにむにと撫で回した。
「へ、へでぇりゃちゃん?」
「私、何があってもルリについて行きますわ」
「へ? にゃんのはにゃし――」
「お金はあとどれぐらい作ればよろしくて?」
「え……えっと……」
ヘデラは頬から手を離すと、再び偽の貨幣作りに取り掛かった。
平然を装いながらも肩を震わせるヘデラの姿に、自分の姿が重なる。
ルリは小さく息を吐き出して彼女を抱き締めた。
「……また後にしましょう。お猿さんにいじめられて傷心なので慰めてください」
いつもの軽口。
それを聞いたヘデラが震えを止めて笑みを浮かべると、思わず安堵した。
『大丈夫よ、ルリ』
(……馬鹿だな)
ルリは顔を隠すように、ヘデラの首元に口を寄せた。
◇◇◇
「ふーむ……ヘデラちゃんのお顔が新聞の一面を飾っていますね」
「なんでこの顔なのよ‼︎」
翌朝。
ルームサービスで届いた新聞の一面には、ヘデラの泣き顔が大きく掲載されていた。
“勇者、違法オークションに踏み込む!”
“勇者が違法に行われていた奴隷オークションの会場へ突入し、囚われていた多くの奴隷を解放した。救出された者達は無事に家族の元へ帰されたという。”
“――一方で、関係者の一部は混乱に乗じて逃走。”
“また、被害者のうち2名の行方が依然として分かっていない。”
“現在、勇者は王国兵と共に逃走者の追跡、および行方不明者の捜索に当たっている。”
「……おや、何故ヘデラちゃんの顔が大きく載っているかと思えば……ヘデラちゃんの捜索に貴族も参加しているようですね。わざわざ尻尾を掴ませるような事を……それだけヘデラちゃんが魅力的だったんですねぇ」
「ふふーん!」
「しかし、動きにくくなってしまいましたね。ヘデラちゃんの髪の色は珍しいですから……おっと、このホテルからもさっさと出た方が良さそうです」
耳に意識を集中する。
訓練された者特有の足音――それがロビーに集まって来ている事に気付くと、ルリはどこか楽しそうに口端を吊り上げてトランクを手に取り窓を開いた。
「ヘデラちゃーん、行きますよ〜」
「……ルリってば、そこはドアではなく窓でしてよ〜!」
ルリは返事の代わりにニッコリと笑った。
この部屋は、宿泊施設の最上階――60階にある。
察して顔を引き攣らせるヘデラを抱き上げると、ルリは外に向けてワイヤーを放ち、そのまま落ちるように体を倒した。




