思い出してはいけない
夢を見た。
月夜だった。
桜が舞っている。
赤い着物を纏った少女が、 静かに笑っていた。
――紗月。
木乃葉は、 夢の中でその名前を知っていた。
向かいには、 黒髪の青年。
金色の瞳。
九条夜。
今より少し幼く見える夜が、 不機嫌そうに紗月を見ている。
『またそんな無茶をしたのか』
『だって放っておけなかったんだもん』
紗月が笑う。
夜は深いため息を吐く。
『お前は、 昔からそうだ』
そう言いながら。
夜は優しく、 紗月の頬へ触れた。
その指先は、 ひどく愛おしそうだった。
木乃葉の胸が締めつけられる。
これは。
自分の記憶だ。
夢じゃない。
本当にあったこと。
『夜』
紗月が夜の名前を呼ぶ。
その声が、 どうしようもなく愛しかった。
だが次の瞬間。
世界が燃えた。
炎。
悲鳴。
血。
そして。
泣きながら夜へ札を向ける紗月。
『ごめんなさい……!』
夜が目を見開く。
絶望。
悲しみ。
そして――。
裏切られた子供みたいな顔。
木乃葉は悲鳴を上げた。
「いやっ!!」
飛び起きる。
息が荒い。
全身が汗で濡れていた。
朝日が差し込んでいる。
夢。
……いや、 記憶だ。
木乃葉は震える。
涙が止まらない。
胸が苦しい。
まるで本当に、 大切な人を傷つけたみたいに。
「……私、 夜を」
封印した。
愛していたのに。
その事実が、 心を抉った。
学校。
木乃葉は机へ突っ伏していた。
眠れていない。
頭が痛い。
すると。
「大丈夫?」
銀が覗き込んできた。
木乃葉はゆっくり顔を上げる。
銀は表情を見て、 すぐ察したようだった。
「……夢、見たんだ」
木乃葉は小さく頷く。
銀は少しだけ目を伏せた。
「思い出し始めてるね」
木乃葉は震える声で聞く。
「私…… 夜のこと、 好きだったの?」
銀は苦笑する。
「好きなんてもんじゃなかったよ」
胸が痛む。
銀は窓の外を見る。
「九条も同じだった」
静かな声。
「だから、 あの結末になった」
木乃葉は唇を噛む。
「……私、 夜を裏切ったの?」
銀は驚いたように木乃葉を見る。
そして。
ゆっくり首を振った。
「違う」
その声は、 はっきりしていた。
「紗月は最後まで、 九条を守ろうとしてた」
木乃葉は目を見開く。
だが銀は、 それ以上は言わなかった。
代わりに。
「でもね」
銀は木乃葉を見る。
その目は真剣だった。
「思い出せば、 また同じことになる」
木乃葉の背筋が冷える。
「同じこと……?」
「封印だよ」
静かな声。
「九条はまた暴走する」
木乃葉の呼吸が止まる。
銀は続ける。
「封印が解け始めてる今、 九条の妖力はどんどん戻ってる」
窓の外で、 風が吹く。
桜が舞う。
銀は小さく笑った。
「昔みたいにね」
木乃葉は震える。
夜が、 暴走する。
町が壊れる。
そんな未来、 想像したくなかった。
その時だった。
校内放送が突然、 ザーッとノイズを立てる。
教室がざわつく。
次の瞬間。
バンッ!!
窓ガラスが一斉に割れた。
悲鳴。
黒い霧が教室へ流れ込む。
『巫女』
『巫女』
『見つけた』
木乃葉は息を呑む。
また妖だ。
しかも今までより多い。
教室の空間が歪む。
出口が消えた。
壁が闇へ変わっていく。
生徒たちは混乱しているが、 妖の姿は見えていないらしい。
木乃葉だけが、 はっきり見えていた。
『封印を壊せ』
『王を還せ』
黒い手が、 木乃葉へ伸びる。
その瞬間。
狐火が炸裂した。
轟音。
青白い炎が妖を焼き払う。
夜だった。
教室の入口に立つ夜は、 いつも以上に妖気を纏っていた。
金色の瞳。
鋭い殺気。
「木乃葉」
低い声。
「こっち来い」
木乃葉は駆け出す。
だが。
妖が行く手を阻む。
銀が印を結ぶ。
白蛇の光。
妖が弾け飛ぶ。
夜と銀が同時に戦う。
圧倒的だった。
だが。
木乃葉は気づいてしまう。
夜の変化に。
髪の隙間から、 狐耳が現れていた。
背後には、 揺れる尾。
しかも前より多い。
妖気が強すぎる。
木乃葉の胸がざわつく。
夜は苦しそうに顔をしかめる。
「……ちっ」
妖力が抑えきれていない。
銀が険しい顔をする。
「九条!」
夜は答えない。
狐火がさらに膨れ上がる。
教室が軋む。
木乃葉は恐怖より先に、 胸が痛くなった。
苦しそう。
まるで、 壊れそうだった。
木乃葉は叫ぶ。
「夜!!」
その瞬間。
夜の瞳が揺れた。
ほんの一瞬だけ、 理性が戻る。
だが。
妖たちは笑った。
『王が目覚める』
『大妖狐が還る』
『封印は終わる』
黒い霧が、 夜へまとわりつく。
夜は頭を押さえた。
苦しそうに息を荒げる。
木乃葉は駆け寄ろうとする。
だが銀が腕を掴んだ。
「行っちゃダメだ!」
「でも!」
銀の表情は切羽詰まっていた。
「今の九条に近づいたら危ない!」
木乃葉は夜を見る。
夜は苦しそうに俯いている。
なのに。
その瞳だけは、 木乃葉を見ていた。
まるで助けを求めるみたいに。
木乃葉の胸が締めつけられる。
その瞬間。
また記憶が流れ込む。
炎。
血。
暴走する夜。
そして。
泣きながら夜を抱きしめる紗月。
『大丈夫』
優しい声。
『私は、 あなたを置いていかない』
木乃葉の目から涙が溢れる。
気づいてしまう。
自分は。
千年前からずっと。
この人を救いたかったのだ。




