封印の巫女
その夜。
木乃葉は眠れなかった。
布団へ入っても、 頭の中には夜の顔が浮かぶ。
――知らないままの方が幸せだ。
あの言葉。
あの苦しそうな目。
木乃葉は胸元を押さえる。
「……何なのこれ」
苦しい。
切ない。
まだ数日しか一緒にいないはずなのに、 どうしてこんなに気になるのかわからなかった。
窓の外では、 風に揺れた桜が舞っている。
その時だった。
チリン――。
小さな鈴の音。
木乃葉はハッと顔を上げた。
狐の鈴。
あやかし横丁で渡された鈴が、 淡く光っている。
同時に。
ゾワッ――。
嫌な気配。
空気が急激に冷える。
木乃葉は息を呑む。
障子の向こう。
庭に、 “何か”がいる。
黒い影。
人の形をしているのに、 顔がない。
それが一体ではない。
二体。
三体。
無数。
『巫女』
『封印の巫女』
『見つけた』
低い囁き。
木乃葉は震えた。
その瞬間。
バン!!
障子が破れる。
黒い腕が一斉に伸びた。
「きゃっ!!」
木乃葉は咄嗟に後ろへ下がる。
怪物たちが這いずるように部屋へ侵入してくる。
『喰わせろ』
『王を還せ』
『巫女を殺せ』
恐怖で身体が動かない。
その時。
青白い炎が闇を裂いた。
狐火。
怪物たちが焼け崩れる。
「夜!」
窓から飛び込んできた夜が、 木乃葉を背後へ庇う。
金色の瞳が妖しく光っていた。
夜は低く呟く。
「……結界が破られたか」
怪物たちは笑う。
『王』
『王がいる』
『封印が弱っている』
次々に襲いかかる。
夜の尾が現れる。
狐火が炸裂する。
だが。
怪物は消えない。
次々湧いてくる。
夜が舌打ちする。
「数が多すぎる……!」
木乃葉は震えながら夜を見る。
夜は一人で戦っていた。
自分を守るために。
その姿を見た瞬間。
胸が強く痛んだ。
知らない記憶が流れ込む。
燃える社。
血。
傷だらけの夜。
そして。
自分を庇って倒れる姿。
「っ……!」
木乃葉は頭を押さえる。
怪物がその隙を狙った。
黒い腕が、 木乃葉へ伸びる。
夜が叫ぶ。
「木乃葉!!」
その瞬間だった。
木乃葉の身体から、 桜色の光が溢れた。
部屋中に札が舞う。
無数の光。
怪物たちが悲鳴を上げる。
『ぎゃああああ!!』
浄化。
黒い影が次々消滅していく。
風が吹き荒れる。
やがて静寂が訪れた。
木乃葉は呆然と立ち尽くす。
周囲には、 淡い光だけが残っていた。
夜もまた、 驚いた顔をしている。
「……紗月」
掠れた声。
木乃葉は震えながら聞く。
「今の……何」
夜は答えない。
その時。
廊下から足音が響く。
祖母だった。
祖母は部屋の惨状を見るなり、 深く息を吐いた。
「……とうとう来たか」
木乃葉は祖母を見る。
「おばあちゃん…… 何か知ってるの?」
祖母はしばらく黙っていた。
やがて、 静かに頷く。
「話さなきゃならないね」
居間。
重い空気。
夜も無言で座っていた。
祖母は古い木箱を取り出す。
中には、 古びた巻物と御札が入っていた。
祖母はゆっくり語り始める。
「千年前。 この土地には、 災厄の妖狐がいた」
木乃葉の鼓動が跳ねる。
祖母は夜を見る。
「九条の狐」
夜は黙ったままだ。
「都を焼き、 人を喰らい、 恐れられた大妖狐」
木乃葉は夜を見る。
だが夜は否定しない。
祖母は続ける。
「その妖狐を封じたのが、 “封印の巫女”――紗月」
木乃葉の胸が苦しくなる。
祖母は木乃葉を見る。
「そしてお前は、 その紗月の生まれ変わりだ」
静寂。
木乃葉は息を呑む。
「……じゃあ私、 本当に」
祖母は頷いた。
「お前は、 再び封印の役目を背負って生まれてきた」
木乃葉の顔から血の気が引く。
夜が低く言う。
「だから言っただろ」
冷たい声。
「関わるなって」
木乃葉は夜を見る。
「でも夜は、 私を助けてくれてる」
夜の瞳が揺れる。
祖母は険しい顔をした。
「それでも、 この狐は危険だ」
「おばあちゃん!」
「木乃葉!」
祖母は珍しく強い声を出した。
「その狐が暴走すれば、 町が滅ぶ」
空気が凍る。
木乃葉は夜を見る。
夜は目を伏せていた。
否定しない。
つまり、 本当なのだ。
祖母は苦しそうに続ける。
「紗月は最後、 泣きながらこの狐を封じた」
木乃葉の胸が締めつけられる。
なぜか涙が出そうになる。
祖母は言う。
「……二度と同じ過ちを繰り返すな」
その言葉に。
夜の指先が、 わずかに震えた。
木乃葉はそれを見逃さなかった。
夜は悲しそうだった。
怒っているわけでも、 憎んでいるわけでもない。
まるで。
最初から、 全部諦めているみたいだった。
木乃葉は唇を噛む。
そして気づいてしまう。
自分はもう、 夜を“化け物”だとは思えなかった。




