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春祭りの夜

春祭りの日。


本来なら、 町で一番賑やかな夜になるはずだった。


だが今年は違う。


空は赤く染まり、 町全体に異様な妖気が漂っていた。


提灯は揺れ、 風は冷たい。


人々は気づいていない。


自分たちのすぐ隣に、 異界が重なっていることを。


木乃葉は神社の石段を駆け上がっていた。


心臓が苦しいほど鳴っている。


夜を止めなければ。


でも。


失いたくない。


その想いだけで走っていた。


境内へ辿り着いた瞬間。


空が裂けた。


轟音。


巨大な妖門が、 完全に開いたのだ。


無数の妖気が溢れ出す。


妖たちの歓声。


『王が還る!!』


『千年の封印が終わる!!』


木乃葉は息を呑む。


境内の中央。


そこに、 九条夜が立っていた。


いや。


もう“人”には見えなかった。


九本の尾。


巨大な妖気。


金色の瞳。


黒い狐火。


夜の周囲だけ、 空間そのものが歪んでいる。


圧倒的だった。


恐ろしいほど美しく、 恐ろしいほど孤独だった。


木乃葉の胸が締めつけられる。


「……夜」


夜がゆっくり顔を上げる。


その目は、 もう半分ほど理性を失っていた。


だが。


木乃葉を見た瞬間だけ、 苦しそうに揺れる。


「……来るな」


掠れた声。


妖気が唸る。


境内の石畳が砕けていく。


木乃葉は震えながらも、 一歩踏み出した。


「嫌」


夜の尾が揺れる。


暴風。


木乃葉の髪が舞う。


夜は頭を押さえた。


「来るな……!」


苦しそうだった。


まるで、 自分自身と戦っているみたいに。


その時。


銀が境内へ現れる。


その手には、 封印刀。


銀は叫ぶ。


「木乃葉ちゃん!!」


木乃葉が振り返る。


銀の表情は切羽詰まっていた。


「もう限界だ!」


空を見上げる。


妖門の向こうから、 巨大な妖たちが現れ始めている。


町が危ない。


人々が危ない。


銀は刀を差し出した。


「今ならまだ間に合う!」


木乃葉の呼吸が止まる。


銀は震える声で言った。


「九条を封じて!!」


静寂。


夜は俯いたまま、 小さく笑った。


悲しい笑み。


「……そういうことだ」


木乃葉の胸が痛む。


夜はゆっくり顔を上げる。


金色の瞳。


涙が滲んでいた。


「封じろ」


低い声。


「木乃葉」


木乃葉の目から涙が溢れる。


夜は苦しそうに続けた。


「今の俺は、 もう止まれない」


妖気が暴走する。


狐火が空へ吹き上がる。


妖たちが歓喜する。


『王!!』


『滅ぼせ!!』


夜は叫ぶ。


「黙れェッ!!」


轟音。


妖たちが吹き飛ぶ。


だが。


その力は、 完全に暴走しかけていた。


夜の身体が崩れ始める。


黒い妖気が、 夜を蝕んでいく。


木乃葉は震えた。


怖い。


苦しい。


なのに。


目を離せない。


夜は木乃葉を見る。


その目だけは、 昔と同じだった。


優しくて。


寂しくて。


どうしようもなく愛しかった。


夜は掠れた声で言う。


「……頼む」


その言葉に。


木乃葉の中で、 何かが決壊した。


千年前。


泣きながら封印した紗月。


置いていかれた夜。


一人だった夜。


全部、 全部見てしまった。


もう。


同じ結末は嫌だった。


木乃葉はゆっくり、 封印刀を受け取る。


銀が息を呑む。


夜は目を閉じた。


諦めたように。


静かに。


木乃葉は刀を見る。


これで刺せば、 全部終わる。


町は救われる。


夜も苦しまなくて済む。


けれど。


木乃葉の手は震えていた。


無理だ。


できない。


だって。


好きだから。


涙が落ちる。


木乃葉はゆっくり顔を上げた。


夜を見る。


夜は静かに待っていた。


その姿が、 あまりにも悲しくて。


木乃葉は。


カラン――。


封印刀を、 地面へ落とした。


銀が目を見開く。


「木乃葉ちゃん!?」


夜も息を呑む。


木乃葉は涙を流しながら笑った。


「もう嫌なの」


震える声。


「置いていくのも、 置いていかれるのも」


木乃葉は夜へ歩き出す。


妖気が吹き荒れる。


それでも止まらない。


夜は苦しそうに叫ぶ。


「来るな!!」


木乃葉は首を振った。


「今度は、 一人にしない」


その瞬間。


夜の瞳が大きく揺れた。


木乃葉は夜の前へ立つ。


そして。


そっと、 夜を抱きしめた。


暴走していた妖気が、 大きく震える。


夜の呼吸が止まる。


木乃葉は涙を流しながら言った。


「好き」


その言葉に。


夜の目から、 涙が零れた。


千年越しの想いが、 ようやく届いた瞬間だった。

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