08.運命の破廉恥注意報
帝国兵との戦闘から数日。
夜の砂漠では、ルアー号のエンジン音だけが闇を震わせていた。
居住スペースの古いランプが、テーブルを囲むアグラ、トッティ、そしてシエラの顔を淡く照らしている。
「警戒してるっつうのに……追っ手の“お”の字も来ねぇな」
アグラは窓の外を流れる闇を睨みながら、どこか不満げに鼻を鳴らした。
「……何で不満そうなんだよ。もう二度と来なくていいよ、あんな連中。お前のその『戦い足りない』って顔、見てるだけで胃が痛くなる」
トッティは手元で、即席のゴーグルと帽子を器用に縫い合わせながらアグラにタメ息をつく。
「……なぁシエラ。その外套のこと『アビタナ』って呼んでたよね?何か心当たりがあるの?」
トッティが針を動かす手を止め、シエラを見据えた。かつては「鉄板」「椅子」「保冷剤」と馬鹿にされていたそれは、今や彼女の肩を包む白い外套へと姿を変えている。
「……はい。『アビタナ』という名は、大精霊から教わりました。おそらく、白い民の中でも私しか知り得ないことだと思います。」
「大精霊?」
アグラが眉をひそめる。
「砂に宿る精霊たちの源とされる存在です。私たちに魔法を授けたのも大精霊だと言い伝えられています。……その大精霊が、私の16歳の誕生日の夜、直接語りかけてきたんです」
シエラは目を閉じ、あの夜、頭の中に直接響いた震える声を反芻した。
『――シエラ……やっと……繋がりましたね……私はノア……ごめんなさい……私は……――』
「ノア……? 随分としおらしい精霊様だな。いきなり謝ってきやがるなんて」
アグラが茶化すと、シエラは真剣な眼差しで首を振った。
「その日からです、私の使命が始まったのは。大精霊の声を聞く者は『開白の巫女』と呼ばれ、古の詩と共にその存在が語り継がれてきました」
「詩、か……」
トッティが、以前に一度聞いたそのフレーズを思い出すように呟いた。それに続いて、シエラも改めてその言葉を噛み締めるように紡ぐ。
『空の玉座は飢え、久遠の乾きに口を開く。「双血の王」がその身を昏き器と成し、混ざり合わぬ二つの相食む滴を其の内にそそがん。「開白の巫女」よ、銀砂の規律を祈りとせよ。溢るる黒き脈動を、大地に潤いへと導を成さん。混沌に沈む星の白骨は、遂に碧き再誕の産声を上げん。』
「……改めて聞いても、さっぱり分かんないね。」
「おばあさまは、『双血の王と開白の巫女が星を取り戻す詩』だと、そう言っていました」
「いや、ざっくりしすぎだよ……」
トッティの呆れ顔に、シエラは申し訳なさそうにはにかんだ。
「……開白の巫女は大精霊に導かれる。その伝承通り、少しするとまた声が聞こえました。」
『――シエラ……行きなさい…一人…砂の海へ…王の器と……その証たる銀盤を探すのです……臆することはありません……道は砂が……教えてくれます……――』
「元々、白い民は16歳になれば砂漠に点在する別の集落へ旅立ち、新しい家族を作るのが決まりなんです。だから、一人で砂の海に出ること自体に不安はありませんでした。大精霊の声が導いてくれるなら、どこへだって行ける気がして……」
シエラは少しだけ寂しげに、ランプの炎を見つめる。
「砂の導きのままに小さな砂船を走らせ、旅を続けました。けれど『王の器』を探せと言われたきり、あの大精霊の温かな声は、プツリと途絶えてしまったんです。広い砂漠に、たった一人で取り残されたみたいでした」
「……で、その大精霊に言われるがまま砂漠をフラついて、挙げ句の果てに帝国兵に囲まれて、あっけなく捕まっちまったってわけか」
ずっと黙っていたアグラが、真面目な雰囲気を茶化すように口を開いた。
「お前を一人で放り出した故郷の連中も、その大精霊も、随分と無責任じゃねぇか」
「なっ……故郷のみんなや大精霊を悪く言わないでください! 私は子供じゃないし、自分の責任は自分で……!」
シエラはムッとして言い返す。その頬は赤くなる代わりに、内側からほんのりと白い燐光を放ち始めた。
「まあまあ、シエラ。アグラは思ったこと考えなしに言っちゃうから……」
トッティが慌てて、宥めるように手を振った。
「でもさ、シエラはどうして帝国に見つかって、追われてたの?」
「…………旅に出て4ヶ月が経とうとしていたある日、帝国の軍艦が私の砂船を囲むように現れたんです。彼らは私を見るなり『鍵を見つけた』と叫びました。……私を探していたかのような口ぶりでした。」
シエラは、冷たい檻の感触を思い出すように自身の腕を抱えた。
「捕らえられた日の夜です。絶望していた私の耳元で、懐かしい声が聞こえました。『――シエラ………もうすぐ……出会う……走りなさい……――』。その言葉が終わると同時に、軍艦の壁に穴が空いて、砂が入ってきたんです。」
「砂?」
トッティが驚きで目を丸くする。
「はい。私は導かれるまま、夜の砂漠へ飛び出しました。背後から追いかけてくる銃声を、不思議と砂風がすべて遮ってくれたのを覚えています。そうして夢中で走って、砂丘を越えて……帝国兵からは逃げ切れました。」
「それで…日が昇ると今度は砂岩蠍に目をつけられて……」
「……おれに“釣られた”ってわけか」
夜の船内に、しばしの沈黙が流れる。トッティは地図の上に指を置き、複雑な表情で口を開いた。
「……話が見えてきたね。シエラ、君が帝国に捕まったのは、君の落ち度じゃない。帝国が何らかの方法で『巫女』の情報を持っていたんだ。なぜ『鍵』と呼ぶのかは分からないけど……。でもね重要なのはそこじゃない。」
トッティの言葉にシエラは「まさか…」と、何かに気づく。
「…帝国は、私の居場所が分かるの…?」
「そうだと思う。最初に捕まった時、そして猟犬部隊の襲撃も、この広い砂漠で2回も“偶然”見つかるなんて考えづらい」
船内に沈黙が流れる。
シエラの白い顔が、さらに冷たく色を失っていく。
「ハッ!」
「いいじゃねぇか!!何で今は襲ってこないか知らねぇが、何度来てもおれが返り討ちにしてやるよ!」
アグラはそう言って立ち上がり、シエラの絹の様な白い髪に包まれた頭をガシガシと撫でた。
「ちょっと…!」
「双血の王だの巫女だのはどうでもいいが、守ってやるよ!お前はおれが釣り上げたお宝だからな!」
アグラの真っ直ぐな瞳に、彼女の頬はまた、パチパチと火花のような白い燐光が強く明滅させた。
恐怖ではない。胸の奥が熱くなるような感覚――。
その静かで温かな空気を切り裂いたのは、頭上からの荒々しい音だった。
バタンッ!!
「船内に発情を検知。 検知。 ピンクノ波形ガ上昇中デス。 破廉恥注意報ヲ発令。」
ハッチを勢いよく蹴り開け、夜間の舵を担当していたニノが騒がしく降りてきた。
「……はぁ、台無しだよ。ニノ…」
トッティが深いため息をつき、アグラは「誰が発情だ、このポンコツ!」とニノの頭を小突く。
船内ははいつもの騒がしさを取り戻したが、シエラだけは、撫でられた頭の感触を反芻するようにアビタナの裾を握りしめていた。
(……この人が、本当に『双血の王』なら……)
翌朝。
ルアー号の食堂に集まった三人と一機は、今後の針路を突き合わせていた。
「いいかい、帝国に居場所が割れている可能性は高い。だけど、ここから帝国領までの距離を考えれば、前回の戦力以上の追っ手が到着するには、まだ数日の猶予があるはずだよ」
トッティが地図を取り出す。
「シエラとアグラの『使命』ってやつは、まだ分からない。それなら今は、色々と準備しといた方がいいと思うんだよね。水や食料、医療品も、少なくなってるし……」
「つまり、買い物に行こうってか?」
アグラの問いに、トッティが不敵に笑う。
「普通の街じゃ帝国に売られる。行く先は、砂漠の無法者たちが集う中継都市――『錆びた指先』だ。あそこなら、金さえ出せば帝国の目も誤魔化せる!」
「……決まりだな。巫女サマ、帽子被って準備しな!久しぶりに白流でぶっ飛ばすぞ!」
アグラが、昨晩トッティが作っていたゴーグル付きの砂乗り帽をシエラの頭に無造作に乗せた。
その瞬間、
ゴォォォォンッ!!
轟音と共に大きな衝撃が頭上から伝わってきた。
「な、何!? 砂嵐? それとも帝国!?」
慌てて甲板へ飛び出した一行の目に飛び込んできたのは、六本脚の機獣とそれに跨る赤い髪をなびかせた女だった。
その流れる赤髪は、朝日に照らされて炎のようにゆらめいている。
「なんだ!?」
「緊急事態。今度コソカッコヨク自爆スル時デスネ」
状況を飲み込めていない面々を前に、女が口を開く。
「我が名はルルマリ!!先の雪辱を晴らす為追ってきた!!大剣型遺失機構群使いの男よ前へ出ろ!」
ルルマリ。「鮮紅の猟犬」所属であり、帝国の第三血位継承権を持つ彼女だが、その瞳には軍の命令など微塵もなく、ただ獲物を求める獣のような、純粋な闘争心だけがギラついていた。
「誰だか知らねぇが…おれをご指名たぁいい度胸だ!!」
運命の歯車によって巡り合う、「王の器」と「紅血の皇女」。
2人の戦いはルアー号をさらなる混沌へと引きずり込んでゆく。
砂界の歩き方
・ノア…白い民に伝えられる大精霊の名。砂の精霊を生み、白い民に魔法を授けたとされるが、その正体は…。帝都の奥深くにも同じ名前の何かがあるようだ。あのちゃんは可愛い。
・白い民のしきたり…白い民は16歳になると故郷の集落を離れ、砂漠に点在する別集落へ向かわなければならない。そして辿り着いた先で家庭を築く。これは血が濃くなりすぎなようにするための知恵である。独身は許されない…。
・破廉恥注意報…破廉恥警報の一歩手前、サッカーで言えばイエローカード。なぜニノは発情期を許さないのか。謎である。




