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戦歌の姫君  作者:
アズナブール編
4/4

 路地を出て少しぼんやりとしながら歩くと、賑やかな目抜き通りに出た。商業の都ルスュールの市場なだけあって、活気があり華やかだ。珍しい色合いの織物を広げる店、豊富な香辛料が所狭しと並ぶ店。これも貿易港ならではの光景である。


 それに混じって、港で揚がったばかりの新鮮な魚介を扱う店や雑貨店など、住人の生活に必要なものを取り扱う店も豊富だった。その中で、ジークは一軒の果物屋に目を留めた。

 愛想の良い小太りの店主の前では、絶え間なく客が足を止めている。常連らしい主婦とはにこやかに会話していた。

 明るい笑い声と鮮やかな果物の色に引き寄せられるように、店主の前に立つ。前の客を見送った店主がジークに目を向け、いらっしゃいと豪快な笑みを見せた。にこりと返して果物を見渡す。


「こんにちは。どれもとても美味しそうね。ええと、おすすめはどれかしら?」

「今の旬は葡萄(ぶどう)(ひめ)林檎(りんご)杏子(あんず)ってところかね。どれも丸のままでも旨いが、搾りたてのジュースは絶品だよ」


 この場で搾った新鮮なものを提供してくれると聞いて、頷いた。


「じゃあ、葡萄のジュースをください」

「蜜は入れるかい?」

「いえ、そのままで」


 店主は手際よく葡萄の皮を剥き、搾り器にかけ取っ手を回した。適量を搾り終えたら、薄い木製のカップを注ぎ口に当てて蛇口を捻る。半透明の葡萄の実の色をした液体がとろりと出てきた。

 氷も加えて「はいよ」と手渡されたカップと引き換えに、店主の手に代金を渡す。

 乾いた喉に流し込んだ果汁は濃く、甘酸っぱい。旬のものだからなのか、記憶にある葡萄の実よりもずいぶん美味しく感じた。


「うん、美味しい」


 心の底から称賛すると、店主は笑みを顔一杯に広げて得意顔になった。


「そうだろ、そうだろ。菓子に混ぜて食べるのもいいが、やっぱり自然のものは自然に食べるのが一番だ」

「ほんとにそうだわ」


 頷いて、飲み干したカップを店主に返す。


「ご馳走さま。市場に寄って良かったわ。こんなに美味しいものが安く食べられるとは思わなかったもの」

「嬉しいね。ま、それがこのルスュールの良いところさ。旨いものも珍しいものも、無いもの以外はなんでもある」


 その言い方が面白くて、声を漏らして笑う。


「おじさん、楽しい人ね。お店が流行るのもわかるわ」


 おじさんを見込んで聞きたいことがあるのだけど、とジークは本題を口にする。


「この辺りで、信用のおける換金所はないかしら」


 換金所ねえ、と呟き店主は宙を見る。


「でかいのはセザール商会だな。支店がこの先の通りにある。ただ、もちろん信用はあるが手数料が割高だ。小さい店でもよければ、ミゼリ婆さんの店が良心的だと思うが。手狭だが外国の客もよく行く店だよ」


 すらすらと答え、店への道順を丁寧に教えてくれる。そして、何やら陳列した商品の中から小瓶を持ち上げ、にやりとした。


「婆さんは信用できる人間だが、いかんせん気難しいとこがある。スグリのジャムはあの人の好物だ。上手く使いなよ」


 手渡され、慌てて代金を出そうとすると押し留められた。


「それはサービスだ。お嬢さんの言葉は嬉しかったし、あんたは別嬪さんだからな」


 片目を瞑ってみせる仕草は不器用で様にはなっていなかったが、好感が持てた。固辞するのも失礼だろうと判断して、頭を下げた。


「ありがとうございます」

「また来なよ」


 ひらひらと手を振った店主はあっという間に切り替えて、陽気な声で次の客を迎えた。





 目抜き通りを折れて路地に入り、青いパラソルの立つカフェを右へ。そのまままっすぐ進むと海に面した道に出る。ジークは間近に望む青い色に目を細めて、潮の匂いを嗅いだ。


 実のところ、この国で三年近くを過ごしたけれど、こんなに海を近くで見たのは生まれて初めてだった。べとつく風も些事(さじ)に思えるくらい、海は宝石みたいに明るく輝く。自然と浮かんだメロディで鼻歌を歌いながら、果物屋の店主に習った通り右の壁沿いに歩く。しばらく行くと深い緑色に塗られた金属の看板が下がるドアの前に着く。

 『ミゼリ・ボルデ換金店』。簡潔な文字を確かめて、真鍮の取っ手に手を掛けた。ギイ、という音と共に、古い本を収めた書庫に似た匂いが流れてくる。


 薄暗い店の中に目が慣れるのを待って入り口の階段を下りると、正面に重そうなテーブルが備え付けられていた。おそらくはそれが鑑定台なのだろう、椅子には店主らしき老婆が腰かけている。彼女の前には先客がいた。

 目深にかぶった帽子の縁をつまんで軽く頭を下げた客は、背格好からして男だった。彼は踵を返してジークとすれ違い、ドアを開けて出て行った。一瞬、強い視線を感じたのは気のせいだろうか。確かめようにも店は暗く、当人はさっさと店を出て行ってしまった後だ。諦めて、テーブルに近づいた。


 目をあげた老婆と目が合う。室内が薄暗いので分かりにくいが、濃い茶色がかった瞳が皺の奥で細められ、思ったよりもしっかりした声が響いた。


「おや。これはまた、随分と可愛らしいお客だね」


 頭の先から爪先まで、値踏みする視線を感じながら意識して笑みを浮かべる。


「こんにちは。ここが評判のいい換金所だと聞いたので、伺ったのですけれど。あなたがミゼリさん?」

「評判はどうだか知らないが、確かに私はミゼリだよ。それで、お嬢ちゃん。客なら座ったらどうだい」


 椅子を示され、礼を言って腰かける前に、彼女の前に小瓶を置いた。果物屋の主人に貰ったスグリのジャムだ。

 ミゼリは無言でジークを見上げたので、説明する。


「この店を教えてくださった目抜き通りの果物屋のおじさんが、ミゼリさんの好物だと教えてくれたんです」


 老婆は息を吐くと、呆れたふうに呟いた。


「やれやれ。あの親仁(おやじ)、スケベ心を出したね」


 小瓶を取り上げ、ジークを促す。


「言われなくとも仕事はするさ。ま、ありがたくいただいとくよ。とにかく座りな」


 再度言われ、椅子に腰を下ろした。


「それで、鑑定するものは?」


 世間話も何もなく本題に入るようだ。無駄話が好きな人物には見えないから、これが彼女のスタイルなのだろう。ジークは鞄を探って、テーブルに置かれたトレーの上に取り出した装飾品を並べた。

 翡翠がちりばめられた首飾りに、銀色の繊細な透かし彫りが施された腕輪。そして小さな石が嵌った指輪がふたつ。どれも派手な見た目ではないが、手が込んだものだということは一目でわかる。ミゼリも軽く眉を上げ、ちらりとジークの顔を見た。


「これは、上物だね。一級の店で扱われていてもおかしくないものばかりだが……」


 視線には疑念が混じっている。それはそうだろう。ただの小娘が持っているには不相応な品なのだから。

 ジークはここに二人きりなのは承知の上で、声を潜めて憚るように言った。


「……実は、これはアレイス・セザール様に頂いたものなんです」

「セザールの馬鹿息子かい」


 途端に嫌そうに眉を寄せ、ミゼリが嘆息する。

 その悪名高さは本物のようだ、と苦笑しながら頷く。


「ええ。私、セザール様のお屋敷で下働きをしていたのですけれど、何度か彼に声を掛けられまして。そのときに強引に渡されたのですけれど、使い道もないし困ってしまって」


 少し視線を落として語った内容は、全てが嘘なわけではない。これらは、本当にアレイス・セザールに渡されたものだった。


 セザール商会はルスュールで一番の規模を誇っており、扱う商品も取引先も幅広く、首都では大きな権力を持っている。その経済力は政治的にも無視できないもので、よく商会の関係者が大公の城に出入りするのを見かけていた。そして、たまたま庭に出てのんびり散歩を楽しんでいた時に無遠慮に声をかけてきたのが“馬鹿息子”ことアレイス・セザールだったのだ。


 彼は美辞麗句で飾りすぎて何を言いたいのだか全く分からないことをまくし立てたあげく、きらきらしい装飾品の山を献上品として押し付けてきた。「お美しい大公妃殿下に」と言いながらも、夫へのアピールはしっかりねじ込んできた。相手に口を挟ませない口上はなるほど、商人に向いているのかと思わなくもない。


 あいにくと形ばかりの大公妃でしかなかったジークには、夫に口添えをするなんていう権利もなく彼のお役には立てなかったのだけれど。むしろ、こうして身の上を明かせないジークの嘘に信憑性を与えるのに力を借りているのだから、申し訳ないくらいだ。

 家の権力と後継ぎという立場を笠に着て、放蕩の限りを尽くす女好き。用心深そうなミゼリも一応の納得を見せてくれているのだから、その悪名も今ばかりはありがたい。


「しかし、恋人に貰った品を売り払おうなんて、あんたも肝の座った娘だね」


 呆れたように言われて、あら、と微笑む。


「あんな人の恋人だなんてとんでもないわ。しつこく言い寄られて苦労したし、友人の結婚式のお祝いの足しにするくらい、構わないと思いません?」


 実際、声を掛けられたのは一度や二度ではない。後の方は面倒になってろくに話もせずに追い返したけれど、それでも後程部屋にいかにも高価そうな装飾品がきっちり届けられた。その執念には呆れを通り越して感心すらしたものだ。あまりにもけばけばしい品ばかりよこすものだから使い道も何もなく、むしろ嫌がらせか何かだろうかと思ったけれど。


 その中に紛れていた、目立たないが質のいい品を選んで持ってきたつもりだった。あちこちで浮名を流して金品を女にばらまいている彼のことだ、ここで売った装飾品が回りまわって彼の目に触れることがあったとしても、気に留めることもないはず。……そうだと信じたい。


 ミゼリの冷静な目がジークと装飾品を見比べ、沈黙が落ちる。内心は冷や汗ものだったが、彼女は「ふむ」と呟くと懐から拡大鏡(ルーペ)を取り出し、一つずつ手袋を嵌めた手に取って眺め出した。どうやら鑑定はしてもらえるらしいと知って、安堵する。

 何しろジークの故郷は遠い。しばらく首都に滞在するにしろ帰郷するにしろ、先立つものはお金だった。


 気が抜けたついでに、鑑定を待つ間店の中を見回してみた。天井まで届く棚が窓と入り口、奥へ続くドア以外の壁を埋め尽くし、漏れなく物でいっぱいになっていた。

 古書に水晶玉、(はかり)、無造作に巻かれた地図、中身のない額縁など、分類もされずに適当に押し込まれている風なのに、全体でみると不思議と調和して見えた。あるべきものがあるべき場所に納まっているような、ある種の整然とした雰囲気がある。見ていて飽きず、面白い。


 つい、テーブルの隅に置かれた帆船の置物(細く糸のように伸ばした金属で精巧に作られていて興味深い)に指を伸ばしたところでミゼリに睨まれ、慌てて手を引っ込めた。


「鑑定が済んだよ。首飾りが半金二枚、腕輪が銀一枚と銅二枚。指輪二つで銅五枚だね。指輪の色褪せと片方の台座にあった目立つ傷がなきゃ、ひとつで銀一枚は下らなかっただろうが」


 さらさらと紙の端に書付け、ジークに鑑定額を見せる。多くはないが、少なくもない。妥当、と言っていい金額だろうと思えた。


「これから鑑定料を差し引くといくら?」

「鑑定料は銅四枚。残りは半金二枚、銀一枚、銅三枚だ」

「わかった。それでお願いするわ」


 ミゼリは頷くと、装飾品に布を被せてから奥のドアをくぐった。そう間を置かずに戻ってきて、硬貨の乗った小さなトレーを差し出す。


「確かに渡したよ。こっちの紙は証明書。これがなきゃ後から文句があっても取り合わないから、大事に持っておくことだね」

「ええ、ありがとう。ところで……、金額が多いように思えるんだけど?」


 証明書や先ほどの走り書きと見比べても、硬貨の数が銅二枚分多い。ミゼリは鼻を鳴らして椅子に座り、傍らの小瓶を指で弾いた。


「ただで物を受け取るほど商売人は暢気じゃないよ」


 ただより高い物はない、ということだろうか。


「代金なら、果物屋のおじさんに渡すべきだと思うけれど」

「そう思うならお嬢ちゃんが渡すんだね。私は相応の対価を支払った。それで十分だ」

「ふうん。そういうもの?」


 ジークは少し考えて、銅貨を二枚をつまみ上げミゼリに差し出した。彼女は怪訝そうに茶色の瞳を眇めて、それを見やる。


「……どういうつもりだい?」

「私も、相応の対価を支払おうと思って」


 にこりと微笑み、小瓶を指し示す。


「あそこの果物は新鮮で美味しかったし、スグリのジャムはミゼリさんの好物だっていうから興味があったの。ここでご馳走になっても構わないかしら」

「ここは飯屋じゃないんだがね……。それに、銅二枚あれば立派な朝食が食えるよ」

「構わないわ。ここでも十分ご馳走にありつけそうないい匂いがするし」


 小瓶を指していた指をそのままミゼリの背後のドアに向かって滑らせる。そこからは店に入った時からずっと、香ばしい匂いが漂って来ていた。


「本当に、肝の据わったふてぶてしい娘だよ」


 根負けしたように呟いたミゼリの頬は緩んでいた。始めて見せたわずかな笑みはすぐに引っ込んで、ぶっきらぼうな言葉と共に背を向ける。


「仕方がない、パン一つとその分のジャムはやろう。準備を手伝うなら、スープと食後の茶くらいはつけるが、どうするね」

「素敵。もちろん、お手伝いするわ」


 ミゼリに続いて、踊るような足取りでドアをくぐった。


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