第8話 陛下の秘め事と団長の心配事(後書き挿絵、ドルファン宰相)
―― 陛下の秘め事 ――
ナヴィア王国宮殿。
そのさらに奥まった一角に、女王と王夫の私室はある。
国の頂点に立つ者の部屋としては質素ではあるが、しかし落ち着いた気品を湛えていた。
そこは国王夫妻の息抜きの場であると同時に、まつりごとの最終決定が下される場所でもある。
そのため清掃時を除き、侍女の立ち入りは固く禁じられていた。
この部屋で茶を煎じるのは女王自らである。
若葉色の新茶から芳醇な香りが静かに立ちのぼる中。
エルフィア女王と王夫ドルファンは一つのソファに並んで腰掛けていた。
話題はつい先ほど行われた虚穴人・草太との謁見である。
「女王陛下は草太 殿のこと、どのように思われます?」
宰相でもある王夫がそう尋ねた瞬間。
「痛っ!」
彼の二の腕に鋭い痛みが走った。
隣の妻がギュッとつねったのである。
「私室では陛下呼びは禁止の約束であろう、だ・ん・な・さ・ま」
赤い唇を尖らせ、ぷくっと頬を膨らませる女王。
智謀と美貌と妖艶さを合わせもち「月下に咲く妖貌の叡主」などと国民から崇められる彼女が、夫にしか見せない可愛い表情だ。
「すまん、すまん、エルフィア。謁見が終わったばかりなので、ついな」
手を合わせて謝る夫。
しかし、本当はついではない。
この男は、妻が拗ねる可愛い姿が見たいが為に、時折こうしてわざと禁を破るのだ。
故意だと気づかれれば拗ねてくれなくなるため、タイミングには細心の注意を払っている。
「それで奥様、草太殿の印象はどうだった?」
ユルユルになりそうな表情を、必死で整えながら再び問い直すドルファン。
「草太殿のう……悪い男では無さそうじゃ。
わらわの胸に興味津々のようだが、若い男なら普通であろう」
エルフィアは目を閉じ、ゆっくりお茶を含んでから続けた。
「【植物おせわ係】……あのスキルは気になるのう。
偶然か……神樹様のお導きか……」
ここ数年、少しずつではあるが、神樹エルナヴィアが作り出す防壁の内側。
つまり居住区内に魔物が侵入してくる割合が増えているのだ。
神樹の発する霊力が衰えているのではないか?
と危惧される中。
植物に直接作用する魔法系統スキルを持つ、虚穴人が出現したのだ。
しかも、数ある国家の中でも最小のナヴィア国内にだ。
まったくの偶然とは思えなかった。
「草太殿のスキルは、普通の植物魔法とは似て非なる魔法の可能性があるのう」
「今考えても結論は出まい、しばらくは様子見という所か……そのためにセラフィー姫を草太殿の世話役にしたのだろう?」
「さて、それはどうかのう……」
思わせぶりな言葉を放ったのち、妻はそっと扇子を広げ口元を覆う。
それは、隠し事や深く思案を巡らせる時にだけ見せる、彼女の癖であるとドルファンは知っている。
『月下に咲く妖貌の叡主』
その二つ名を持つ彼女の本心は、夫である彼でさえも計り知れないのだ。
そして……確かに今現在エルフィアは彼女の伴侶にとって、とても重要な隠し事をしている。
扇子の裏側で唇を尖らせ、ぷくっと頬を膨らませていた。
その表情が夫の好物であると気づいて以来、彼に見えない所で頻繁に練習しているのだ。
時折、侍女達にも完成度の評価をして貰っている。
―― 知らぬは夫ばかりなり、なのだった。
* * * *
―― 団長の心配事 ――
筋肉という生きた鎧を全身にまとった男―― ナヴィア王国防御兵団団長 バルグ・テイル・エルナヴィアの朝は鍛錬に始まる。
団の最高位の地位に在りながらも、それを一日たりとも欠かした事はない。
国を守る者の責務であるからだ。
もはや肉体を鍛えることは彼にとって生きる糧である。
部下の兵達はバルグを「鍛錬狂」と親しみと畏怖を持って呼ぶ。
鍛錬が食事や睡眠と同義語の彼には兵の言葉は理解できない。
ナヴィア国の居住地は直径十キロほどの円環を描く。
空に赤く浮かぶ赫月が細り、半月に差し掛かる早朝。
魔物が跋扈する樹海との境界に築かれた、高さ十メートルの土手の上を。
実戦と変わらぬ重装備姿の巨漢が駆けぬける。
鎧に提げたビーズで歩数を確認しながらの急歩、次に全力駆け足、最後は身体強化魔法を使っての『魔力疾走』。
これらを次々とローテーションで繰り返す。
朝霧の中、樹海の放つ緑臭が疾風となり肌を撫でる。
外周を巡回する兵たちとすれ違うたび、バルグは息を乱さぬまま顎を引き、短く声をかける。
兵たちはその背中を見送りながら、自然と姿勢を正した。
駆け足の後は戦闘訓練だ。重量物を用いての訓練はしない。
兵に必要なのは戦闘に特化した肉体であって、重い物を持ち上げるためだけの筋肉は適さない。
訓練場につくと先客がいた。これもいつもの光景だ。
赫月に変わり朝日が照らす霧の向こう、皮鎧姿の腰まで届く銀髪が揺れる。
朱色に霞む複数の小さな点に向かって、次々と矢を放っていた。
余りにも遠いため点にしか見えない直径30センチの的から、微かにバネのような響きが聞こえる。
それらが、すべての的の中心を射貫いた矢音であると、バルグは確信していた。
銀髪がバルグに気付き明るく微笑む。
「おはようございます! 父上」
彼の娘、王位継承権第4位の姫である―― セラフィーだ。
「おはよう、セラフィー姫。相変わらず早いな」
軽く手を上げて挨拶をする。
毎朝、父より早くに訓練に励む姫だが、鍛錬狂の血を受け継いだ故の行動ではない。
母親との約束を守っているのだ……。
姫が魔法弓を折り畳み、腰のベルト左横に付けられたホルダーに収納する。
腰後ろの鞘から薄青く金属の光沢を放つ剣を抜き、構えた。
「剣術の指導をお願いいたします、父上」
防衛兵団の戦闘は魔物との野外戦が主である為、遠距離攻撃の弓と魔法が主体となる。
それでも剣術を修めるのは、室内での対人戦に至った場合の備えである。
使用する剣もやや短い、樹海に分け入る際の山刀としても使用するため、片刃で峰に鋸状の切り欠きが施されている。
バルグも剣を抜き娘と相対する、本身を用いての型稽古だ。
眼で追える程の動きで剣を合わせると、金属が触れ擦れ合う律動音が流れた。
速さは重要ではない。
自分より動きの遅い者にしか勝てないのであれば、それは剣術ではない。
大切なのは間だ。
敵が動き体重移動が左右に切り替わる直前。
或いは後方に下がる瞬間。
隙が生まれる。
―― その一瞬を狙う、又は牽制で状況を作り出す。
反復練習によって刹那の好機を、徹底的に身体に染み込ませるのだ。
翡翠色の瞳が亡き妻によく似ている娘。
彼女が繰り出す剣をいなしながら、バルグの脳裏に浮かぶのは最愛の伴侶を失った時の光景だ。
まるで昨日のことのように鮮明に覚えている。
第一王女だった妻ソフィーリアは厳格な性格で、娘に対しても王族としての帝王学を厳しく教育していた。
その反面、私室では幼い姫を溺愛する母親でもあった。
セラフィーもそんな母を慕い憧れているのが見て取れた。
そんな折に悲劇が起こる。
エルフ王家の血を直接引く者だけに時折表れる奇病「晶輝石化症」。
手足の先から徐々に虹色の宝石のように変わっていき、最後は死に至る。
治療手段は未だ存在しない難病。
それが妻に発症したのだ。
半年後……
王女の容態がいよいよ悪くなり王族が病床に集まる。
病魔に侵され末期となった者が発する、独特な酸えた異臭が部屋に満ちている。
常在戦場を旨とするバルグであるが、その残酷な現実に視界は滲んでいた。
ソフィーリアの意識は混濁していた。
王族と王医が見守る中、ベッドにすがり泣きじゃくる幼いセラフィーの姿が痛々しい。
その時、意識のなかった妻が突然言葉を発した。
「セラフィー! ……… 姫が人前で泣いてはなりません!」
泣いている娘を叱咤したのだ。
死にゆく者とは思えない声量にバルグは驚き、息をするのも忘れて、愛する妻と娘を見つめた。
「私は直に……神樹様の元に召される……あなたが女王となる事は無いでしょう……ですが……王家の一人であることには変わりありません……」
痩せ細り結晶化し今にも崩れそうな指が、幼い我が子の銀色の髪にそっと触れる。
「王族として恥じぬよう……誰よりも……よく学び……よく鍛え……国民の模範となりなさい……そしてその命をナヴィア国と民の為に使うのです……よいですね……」
母の言葉に娘が返事をする。
「はい、母様…… 必ず…… お約束いたします……!」
幼い姫は涙を必死にこらえ、震える声で王女に誓った。
その言葉を聞くと、妻は安心するように息を引き取った……
最後は《《母と娘》》ではなく、《《王女と姫》》であった。
バルグはそれに習い、敬礼を持って妻を見送った。
そして―― セラフィーは努力の鬼となったのだ。
あの日以来、娘の泣いた姿を、父であるバルグでさえ一度も見たことがない。
妻の遺言は王族としては正しい―― だが。
一人の父親として余りにも完璧を求める姫の姿勢が心配なのだ。
母親の最後の言葉が、まるで呪いのように娘を縛る鎖に思えるのだ。
「ご指導ありがとうございました!
父上はこの後も鍛錬の続きですか?」
娘の明るい声で現実に引き戻される。
「ああ、無論。私はこれからが本番だ」
今年16歳で成人の義を終えた姫とは、実の父親といえど同じ館に住めない。
日頃の様子が気になり聞いてみる。
「セラフィー、最近どうだ? 食事と睡眠はしっかり取っているのか?」
「はい父上! 食欲は至って旺盛です!」
堂々と胸を張って続ける愛娘。
「睡眠も1日に2時間以上は取っていますので、ご安心ください!」
――まったく安心できない元気な返答に、身体の芯が冷え、胃が縮こまる。
半月となった赫月を仰ぎ見ながら。
バルグは全身の筋肉が萎む程の、深く長~い溜息をついたのだった。




