第三話 風の目
ヴェナを発ったグレンは北の街道を進んでいた。だが道中で、東へ下る隊商が狩り手を探していると聞いて、雇われた。荷を無事に送り届けたら、その働きに応じた歩合を払う、という約束だ。追う相手の手がかりは、各地の古い遺構でしか拾えない。気は焦るが、狩りの働き口は路銀を稼ぎながら土地の者から遺構の噂を聞く場を兼ねる。
隊商は小さかった。荷を負った駄獣が数頭と、荷を積んだ車が二台、それを十数人が前後に分かれて守りながら、オルナ丘陵から東へ下る尾根道を進んでいく。道の片側は谷へ深く切れ落ち、もう片側には岩と低木のまじる斜面が高く続いていた。谷の底から、ぬるい風が途切れがちに吹き上げてきた。グレンは列の少し外側を歩きながら、ときおり頭上へ目をやる。
空の高みに、一羽の猛禽がいた。
フェルだ。長く連れ歩いてきた相棒で、魔物に数えられる猛禽だった。翼を広げれば、人が両腕を左右に伸ばしたほどの幅になる。羽は群青と銀白で、尾の先だけが橙色をしている。手懐けて従えているのでも、飼っているのでもない。旅を重ねるうちに、たがいの気配が馴染んで、向こうから付いてくるようになった鳥だ。
フェルは隊商のずっと先まで高く舞い上がり、尾根の先の道筋を旋回して見渡していた。グレンの目では届かない遠くまで、あの鳥は見通す。やがて翼を畳んで斜めに降りてくると、グレンの数歩先の、道ばたの岩の頭に止まった。
フェルが近い間合いに戻ってくると、見てきたものが伝わってきた。言葉ではない。東へ下れば道が一度狭まり、その先でまた斜面が開ける。そんな景色の切れ端がぼんやりとした像になって届く。あわせて、差し迫ったものはない、という落ち着きの気配が伝わってきた。それ以上の正確なところは分からない。フェルから届くのは、見てきたものの断片と、強い印象だけだ。残りは、鳥の向きや羽の様子と照らして、グレンが自分で組み立てる。
当面、この先に危ないものはない。グレンはそう見当をつけた。フェルは岩の上で羽づくろいをはじめる。
列がいくらか進んで、荷車の中ほどへ差しかかったときだった。フェルがふいに羽づくろいをやめ、首を巡らせた。喉の奥で、低い声が二度鳴る。
声の向く先に、荷運びの男が一人いた。中ほどの荷車のわきで、ほかの者にまじって荷の縄を確かめている。三十なかばだろうか、痩せて、目の動きの速い男だ。フェルはその男へ体を低くし、羽を半ば開いたまま、じっと見据えている。男が荷車の向こう側へ回り込んで姿が隠れると、フェルはようやく鳴きをやめた。
グレンはその一部始終を見ていた。フェルは気に入らない相手にだけ、ああやって低く鳴く。なぜ嫌うのかは分からない。だが、フェルが低く鳴いた相手は旅のあいだ、あとでたいてい何かしらの面倒を起こした。
覚えておこう。グレンは男の顔を、そう心にとめた。声には出さず、また頭上へ目を戻す。フェルはもう何事もなかったように、橙色の尾をゆっくり揺らしていた。
フェルがまた高く上がった。だが今度は長くは行かない。短く尾根の先を旋回しただけで、すぐにグレンのそばへ戻ってくる。岩の上に止まっても羽を畳まず、半ば開いたまま、頭を上空の一方向へ何度も振り向けた。
戻ったフェルからは、さっきの落ち着きは伝わってこなかった。差し迫った、強い警戒だ。あわせて、像が一つだけ伝わった。大きな翼が高い空をゆっくり舞っている、それだけだった。数も、正体も、いつ来るかも分からない。だがフェルがこの鳴き方をするとき、危ないものは決まって近くにいた。
フェルの向く先をたどって、グレンは足を止め、開けた斜面の側の高い空へ目をやった。
いた。ずっと高いところを、一つ、大きな翼が弧を描いて回っている。間遠に羽ばたいては、また長く滑空する。グレンはその飛び方を知っていた。放浪の道で、幾度か相手にしてきた猛禽だ。空の高みから地上の獲物を見下ろし、見えない方向から一息に落ちて、急所を一突きにする。グリフォンだ。
日を背にした側にいるので、まともに見上げても、輪郭が日の光に溶けて、どこから来るのかまでは追いきれない。降りてくる直前、大翼で下へ送る風が獲物の頭上の砂と土埃を巻き上げる。狙われた者は砂塵で目を細めるうちに上の一点を見失う。そこが厄介だった。
そして今、隊商はもうすぐ、上を遮る物のない開けた斜面へ出ようとしている。グリフォンを迎え撃つには、これ以上に悪い場所はなかった。
「止まれ」。グレンは先頭へ声を張った。「その先の開けた斜面へは出るな。空に大物が一つ旋回してる、グリフォンかもしれん。駄獣と荷車は岩の張り出しと木立の下へ寄せて、上を遮れ。人は岩陰と低木に固まれ、散らばるな」
隊商が動いた。御者が先頭の駄獣を引き戻そうとするが、その一頭はもう開けた斜面の側へ頭を入れていて、上り風が強まる中、取り回しがきかない。引き戻すのに数呼吸かかった。中ほどの荷車は順に木立の下へ入ったが、後ろの一台が向きを変えきれず、車輪を低木の根に乗り上げて止まる。荷主と隊商の者が車体に取りついて、押して入れ直す。その数瞬、荷車を押さえる者たちはまだ何にも遮られず、空の下にさらされていた。
グレンは腰の鉄杭の束を、すぐ投げられるよう握り直した。鉄粉の袋の口を、指で緩めておく。降りてくる一瞬を、地上で迎え撃つしかない。フェルにはそのまま上空を見張らせ、低くひと声かけて落ち着かせた。
固まりきらない隊の中で、一人だけ、グレンの目にとまる動きがあった。さっきフェルが低く鳴いた、あの痩せた男だ。荷車を木立の下へ押し込む手伝いに加わってはいる。だが体はほかの者のように低木の奥へ深く入らず、荷車の、値の張りそうな品を積んだ側の積み口の近くに残っていた。今はそれを気にかけている場合ではない。グレンは目だけでその位置を覚え、また空へ視線を戻した。
高みの影は旋回するたびに輪を一回りずつ縮めていく。影は翼を畳み気味にして高さを保ち、開けた斜面の上空へ滑り出て、駄獣と荷車の側へ正面を向けた。風に乗って、どこから落ちるか、狙いを定めている。
来る。グレンは息を詰めて、その一点を見据えた。
落ちてくる。日を背にした影が見る間に大きくなる。
グレンは先頭の駄獣の脇へ二歩で踏み込み、斜めに落ちてくるグリフォンと、駄獣とのあいだに体を入れた。落ちてくる影そのものは、日に紛れて狙いがつけられない。だが、グリフォンが駄獣の急所を突くには、駄獣の頭の真上、背丈の二倍ほどの高さの一点を、必ず抜けねばならない。そこなら、影が見えなくても狙える。グレンはそこへ、鉄粉をひとつかみ、高く撒き上げた。あとは、落ちてくる影がその粉に重なる、その一瞬を待てばいい。
影が粉に触れた。
グレンが念じる。風に散ろうとしていた鉄粉が駄獣の頭上の一点へひとかたまりに寄り集まり、そのまわりへ空気を巻き込んで、次の刹那、ひとりでに燃え上がった。鉄の粉は薪よりも油よりも高く燃える。一点に集めたぶん、火は落ちてくるグリフォンの顔へ、真下から噴き上がった。
突っ込む勢いのまま、グリフォンはその火へ自分から飛び込む形になった。嘴の先と、片翼の前縁の羽が一息に焼け縮む。目を灼かれたグリフォンは駄獣の急所へ伸ばしかけた爪を、宙でぐにゃりと逸らした。まっすぐ落ちていた体がぐらりと傾く。
だが、それで墜ちるほどの深手ではない。大きな翼は軽く、火は羽の縁を灼いただけだ。グリフォンは焼けた翼で空気を掻き、体勢を立て直そうともがいて、斜面の側へ流れていく。
その一瞬を、グレンは待っていた。左手の鉄杭を一本、傾いた相手のさらした胸へ投げる。念じると、まっすぐ放った杭は飛ぶうちに速さを増し、宙で向きを変え、もがく相手の胸の急所へ、下から深く突き刺さった。火に灼かれてもがく相手は飛んでくる杭へ向き直る間もなかった。
胸を貫かれたグリフォンは飛ぶ力を失って、開けた斜面の側へ大きく墜ちた。地面に翼を打ちつけ、焼けた羽と砂塵を巻き上げて、声を上げてのたうつ。
だが地上はにわかに乱れた。
頭上で火が爆ぜた衝撃に、引き戻しかけていた先頭の駄獣が激しく怯えた。引き綱を振り切って、墜ちたグリフォンとは逆の斜面の側へ、数歩、駆け出す。御者と数人が綱に取られて、前へ振り回された。伏せていた者たちは身をすくめ、それから起き上がって、墜ちた相手と暴れる駄獣の方へ、いっせいに目を向ける。
グレン自身も、起こした火の熱を間近で浴びていた。前腕を、焼けた風がかすめる。掠っただけだと確かめて、グレンは暴れる駄獣を鎮めに、前へ走りかけた。
そのとき、フェルがまた低くうなった。
前と同じ声だ。あの痩せた男へ向けた、嫌う相手への低い鳴き。フェルの首は前方の駄獣ではなく、中ほどの二台目荷車の方を向いている。
グレンは前へ出かけた足を止めて、その方へ目をやる。
グレンから見て、男は積み口の緩んだ二台目荷車のわきにしゃがみ込んでいた。荷車を支えるそぶりだが、右手は積み口の隙間へ入っている。顔だけが、前方の騒ぎへ向いていた。しばらくして、その手が積み口から抜けた。上着の合わせが一度開き、男の手が腰帯のあたりへ何かを差し込んだ。皆の目は墜ちたグリフォンと暴れる駄獣の方へ向いていて、荷車を見ているのはグレン一人だった。
グレンは駄獣へ走るのをやめた。鉄杭の束を握ったまま半身を荷車の方へ向け、周りにも届く声で言う。「おい、そこのあんた。荷車から手を離して、立て。今、積み口に手を入れて、腰に何を入れた。出して、こっちへ見せろ」
その声に、前方を見ていた隊商の者が二、三人、振り返って男の方を見た。
男の顔がこわばり、立ち上がりざま来た道の側へ身を開いて逃げかける。だが道は狭い。斜面の側では墜ちたグリフォンがまだ暴れ、来た道の側はグレンと、木立と低木が塞いでいる。フェルが男を見据えてもう一段低くうなり、男の足が一瞬止まる。
その隙に、振り返った隊商の者たちが男の行く手へ回り込み、何本もの手が男の腕と上着を掴む。男に、数人の手を振りほどくだけの力はなかった。そのまま、その場へ押さえつけられる。
グレンは握っていた鉄杭を帯へ戻し、「腰だ」と短く言った。隊商の者が男の上着の合わせを開くと、腰帯の内側から、小さな品が一つ出てきた。掌に収まるほどの、値の張りそうな細工物だ。荷主が欠けのない荷を受け取って、荷車の積み口へ戻した。
男は隊商の手に渡された。この先どう沙汰するかは、隊商の主が決めることだ。グレンは手を出さない。
斜面の側では、胸を貫かれたグリフォンの暴れが、もう弱っていた。グレンは斜面を下りて、深手を負った相手にとどめを刺した。打ちつけていた大翼が最後に一度伸びて、動かなくなった。声も砂塵も、それきり収まった。
前方では、暴れていた先頭の駄獣が御者と数人の手で引き戻されていた。グリフォンの巻き上げた砂塵が上り風で東へ流れ、グレンはまた尾根の先まで見通せるようになる。
隊商が東の里へ下り着いたのは、それから数日のちだった。
里は尾根を下りきった先の、川沿いの小さな集落だった。隊商は広場に荷を下ろし、駄獣を水場へ引いていく。空には何もおらず、よく晴れて、風も穏やかで、グリフォンの墜ちた尾根はもうずっと後ろになっていた。
グレンは荷の脇に腰を下ろし、革袋から干し肉を一切れ出した。フェルへ差し出すと、鳥は近くの杭の上から舞い降りて、嘴で受け取る。雨の降らない、穏やかな日だ。機嫌がいいらしく、食べ終えると、そのままグレンの肩へ止まって、橙色の尾をゆっくり揺らした。
「あの鳥のおかげで助かったよ」。荷を下ろし終えた隊商の者が通りすがりに言った。「あんたの鳥が騒がなけりゃ、おれたちゃ空のあいつに気づくのが遅れてた」
グレンは肩のフェルへ目をやってから、答えた。「こいつはおれの手駒じゃないんだ。命じて飛ばしてるわけでもなくて、旅を一緒にしてるだけの相棒だ。危ないと見りゃ、こいつはこいつで先に逃げるさ」。鳥や狩りのことになると口数が増えるのは、自分でも分かっていた。「だから、おれとこいつで半分ずつだ。こいつだけのおかげじゃない」
隊商の者は笑って、「そういうもんかね」と行ってしまった。
やがて隊商の主が来て、約束の歩合に、いくらか色をつけて渡した。「あの男のこともある。助かった」。それから、荷の行く先のついでのように言い添える。「西のソナ高原で、追い狩りの手が足りないと聞いた。腕の立つ者を探してるそうだ。気が向くなら、回ってみるといい」
追い狩りは、獲物を追い立てて走らせ、その隙に仕留める狩りだと、グレンも知っていた。一つ所に構えて待つ自分のやり方とは、勝手が違う。それでもその日の働き口で食う流れ者に、選り好みはない。グレンは礼を言って、銭を荷へ仕舞った。これが、次の路銀になる。
家族を奪った相手を追い続けるには、路銀も、備えも要る。グレンは肩のフェルへ、「西へ回るぞ」と低く言った。フェルは答えるように、一声鳴いた。
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呼び名 グリフォン。空の高みを舞う大翼の猛禽。
棲み処 開けて遮る物のない土地。斜面や原の上空を旋回し、輪を縮めて間合いを計る。
習性 高みから獲物を見下ろし、日を背にした側から一息に落ちて急所を突く。輪郭が日に溶けて、どこから来るか追いにくい。
体と急所 大きな翼は軽い。胸が急所。
干渉 降りてくる直前、大翼で下へ送る風で、獲物の頭上に砂と土埃を巻き上げる。上を見ようとした者は目を細め、上の一点を見失う。輪郭は日を背にして追いにくい。




