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第二話 廃坑の歯車

採掘道は採掘人が踏み固めた幅広の道で、両側に、掘られた横穴がいくつも暗く開いている。その一つの前に坑夫が五、六人かがみ込み、道具を抱えたまま、誰も奥へ目を向けようとしない。この三日、仕事はそこで止まっているのだという。


「先におれが入る」。グレンはクレフから松明を受け取り、火を移した。「数と居場所を確かめるまでは、誰も中へ入れるな。何か聞こえても、だ」


クレフは顎を引いた。「歩合は討った頭数だぞ。深追いはするな」


グレンはうなずき、一人で奥へ下りていった。


坑道は腰をかがめずに歩ける高さで、トロッコの朽ちた枕木が点々と残っている。入口からの光は数歩で届かなくなり、その先は松明の明かりだけが頼りだった。荒らされた跡はまだない。グレンは足音を殺し、灯りを低く保って進んだ。


坑道の左手に、分岐が二つあった。手前は右へ下る枝道で、底に水が溜まって行き止まる。奥は細い登りの枝道で、朽ちた支柱が並び、天井から細かい土がこぼれていた。支柱の二、三本が傾いでいる。グレンはその枝道の前で足を止め、天井へは触れず、灯りだけ差し入れて確かめた。この枝道を強く揺らせば、支柱が倒れて天井が落ちる。火をかければ、朽ちた支柱が焼けて、なお早く落ちる。そう見当をつけると、その手前に小石を一つ置いて目印にし、坑道の奥へ向き直った。


坑道はやがて天井の一段高い広間へ抜けた。坑道のなかで人が数人散れる広さを持つのは、ここだけのようだ。だが広間へ入るには坑道からの細い一筋を通るしかなく、出るのも同じ道だ。その入口の床には、坑夫が落としたらしいつるはしと油皿が散らばり、油は流れて乾いている。隅には食い破られた革帯と布の切れ端、獣の糞が積もるばかりで、坑夫の姿はどこにもなかった。


グレンは灯りを上げた。天井のくぼみに、黒いかたまりがびっしりとぶら下がっている。中型の飛膜の獣だった。翼を畳んで眠るように連なり、その下の岩にも同じものが幾重にも重なっている。グレンはこの獣を知っていた。以前、別の廃坑で、群れに顔と灯りを狙われたことがある。洞や古い坑道に群れて棲み、夜になると灯りに引かれて飛ぶ。寄ってくる先は人の顔の高さだ。暗がりでは、こちらより先に獣が気づく。一匹ずつなら恐れるほどでもないが、数で囲まれ、顔と灯りを一斉に襲われれば、人はたまらず逃げ出す。掘り子が三日も入れずにいるわけだ、とグレンは見てとった。


踏み込めば、暗がりで先に気づかれて囲まれる。人族の狩りは、本来なら見張りと罠と火と刃を大勢で分け持ち、囲んで数で狩る。だがこの坑道では、囲うどころか横に二人と並べない。ならば群れの方から出てこさせ、出口の一筋で迎え撃つしかなかった。


グレンは散らばったつるはしと油皿を脇へ寄せ、足場を作った。入口の左右の壁ぎわに浅いくぼみを見つけ、携えた鉄粉を一筋ずつ盛る。広間から登りの枝道へ抜ける気流が撒いた粉を奥へ流してしまわない場所を選んだ。鉄杭を数本、入口のすぐ内側の床と壁の継ぎ目に、頭を手前へ向けて寝かせる。松明は入口から数歩手前の壁にもたせて立て、自分はその灯りより奥の暗がりへ退いた。灯りに寄る習性なら、群れは松明とこの細い一筋へ集まってくる。集まったところを一匹ずつ仕留めればいい。


退いて息を整えたとたん、天井のかたまりが崩れた。


無数の翼がいちどに開き、広間いっぱいに羽音が満ちる。群れは松明の灯りめがけ、狭い入口へ殺到した。横に一匹ずつしか抜けられない幅へ先頭の数匹がいっぺんに突っ込み、互いの翼をぶつけ合って、もつれたまま床へ落ちる。後ろの群れがその上へ折り重なり、詰まった体が入口の縁を越えはじめた。同時に、灯りを嗅ぎつけた数匹が松明へ散り、その数歩奥にいるグレンの顔の高さへ、まっすぐ突っ込んでくる。


それだけではなかった。坑道から分かれた登りの枝道からも、別の一群が湧き出してくる。あの傾いだ支柱の枝道だ。あそこで火を大きく焚けば、天井が落ちて自分も埋まる。得意の火を、この場では振るえない。正面に広間の群れ、背の側に登りの枝道の群れ。挟まれた。


一人では、前と後ろを一度には捌けない。グレンは相手を絞ることにした。松明を掴み、坑道の入口寄りへ二、三歩下がりながら、腕を低く伸ばして灯りを突き出す。登りの枝道から出た群れと、顔へ突っ込んできた数匹がこぞって灯りの一点へ向きを変えた。群れを、脆い登りの枝道から引き離して天井の固い側へ誘い込む。


正面の入口では、もつれ落ちた群れがもう折り重なって詰まりかけている。グレンは念じた。床に寝かせた鉄杭の一本がひとりでに頭をもたげる。起き上がった杭の先が入口でもがく先頭の一匹を下から突き上げる。狙いは翼の薄い付け根だった。一匹が貫かれて動けなくなり、後ろがその上へ乗り上げて、入口がもう一段ふさがる。押さなくても、しばらくは勝手に詰まっていてくれる。


群れをひとつに寄せきるには、まだ手がかかった。松明を追って向きを変えた群れのうち、先んじた一匹が灯りの手前からグレンの首めがけて飛ぶ。身を沈め、短刀を抜いて翼を払った。羽毛と血が散る。杭を起こし続ける念を緩めれば、正面の杭が倒れる。片手で松明をかざして群れを一筋へ引き、もう片手の短刀で迫る一匹をさばく。背に汗が伝い、息が上がってきた。


群れが、ようやく松明の前の一筋へ寄りきった。


今だ。グレンは入口の壁ぎわに盛っておいた鉄粉へ念じた。念じるそばから、撒いた粉のまわりに渦が起きた。鉄粉が舞い上がり、群れの真下で細かく散る。空気とよく混じった粉が、そこでひとりでに燃え上がった。鉄の粉は、薪や油よりずっと熱く燃えた。空気と細かく混じったぶん、火は下から強く立ち、寄り集まった群れを焼いた。寄せた群れの中ほどまでが、一度に焼け落ちる。枝道から松明へ寄せておいた一群も、広間の群れと一筋に折り重なって、同じ火に巻かれた。羽の焦げる臭いがただよい、黒い煙が気流に乗って登りの枝道の奥へ流れていく。


焼け残った数匹は、煙を嫌って散るかと思えば、かえって燃え残りの火の方へ突っ込んできた。グレンは松明を投げ捨て、転がった鉄杭をもう一本、念じて走らせる。宙で向きを変えた杭が、突っ込む一匹を打ち落とした。残りは短刀で払う。


やがて羽音が絶えた。広間にはグレンの荒い息だけが残り、足元に黒いかたまりがいくつも転がっている。汗が顎から落ちた。それでも、立っていられた。


グレンは投げ捨てた松明を拾い、床に散った鉄杭を集めて、坑道を外へ戻った。


坑道を出ると、外でクレフと坑夫たちが待っている。


「片づいた」。グレンは松明を返した。「広間と登りの枝道に、飛膜の獣の群れが巣を張っていた。数は削いだから、あとは何日か灯りを絶やして燻せば、残りも出ていく」。それから声を落とす。「坑夫は見つからなかった。布と革帯の切れ端だけだ」


クレフは口を結び、坑夫の一人が低く何かをつぶやいた。それからクレフは歩合を数えて、グレンの手に渡す。グレンは礼を言い、銭を背の荷へ仕舞った。


組が引き上げても、グレンはその場を離れなかった。仕事は終わったが、やることがもう一つ残っている。


採掘道を戻り、岩の張り出しを回り込む。本道を外れた細い脇道の奥に、仕事の前に目をつけ、縁の手前に目印の石を積んでおいた、あの四角い入口があった。石はそのまま残っている。人が掘ったものとは似ても似つかない、定規を当てたようにまっすぐな四隅だ。グレンは灯りをかざし、その入口をくぐった。中はゆるい下り坂で、闇の奥へ続いている。


下りきると、平らに開けた場所に出た。その壁の一面に、金物の歯車が幾枚も噛み合って露出している。大小の歯車が歯を合わせて並び、その歯はどれも同じ形、同じ間隔で刻まれている。多くは赤く錆び、一部は岩に埋もれ、ひとそろいの歯が欠けていた。歯車列の途中には、回転軸から二つの重りが棒の先で外へ張り出した部品がある。重りが外へ開けば、連結した棒が軸の回りを抑える向きに動く。何度か目でたどって、速さを一定に保つための仕掛けだと分かった。今は錆びついて固まり、重りは中ほどで止まっている。


その奥の一角には、人の背丈を超える金物の筒が据わっていた。筒からは太い管が伸び、内側に擦れた筋の残る別の筒へつながって、その筒の押し棒の先が、歯車の軸から出た短い棒に結ばれていた。グレンは管の継ぎ目をなぞった。芯まで冷え切って、指の腹が赤い錆で汚れる。押し棒が前後すれば、短い棒が歯車の軸を回す。だが押し棒を何が押すのか。筒の下へ目を落とすと、火を焚いたらしい炉の空間に、燃え滓と、黒く燃える石の砕けが残っていた。ここで水を沸かせば、湯気が管を伝い、押し棒を突く。


人の工具では、この精度は出ない。金物も、人の使う鉄とは色も肌も違う。表面には、細かい目盛りらしい刻みと、人の使う文字とは違う、見たことのない刻線が残っていた。作ったのは人ではない。グレンは、その刻線を指の先でなぞった。


気づくと、歯車の前にしゃがみ込んでいた。先を急ぐ身だが、それでも、噛み合った歯から目を離せなかった。


同じ歯車を、前にも見たことがある。


故郷タドナの前山に岩あいの小さな穴があった。子どものころ、父サドルの目を盗んではそこへ通う。奥にはこれと同じ、人の手のものとは違う作りの歯車の残骸が埋もれている。グレンは弟のロルを連れていき、暗がりを怖がって入口で足を止めるその子の手を引いて奥へ入った。小さくて汗ばんだ手だった。歯車を指さしてロルが訊く。「兄ちゃん、これ誰が作ったの」。「分からん」とグレンは答えた。「ずっと昔の誰かだ」


あのときの問いの答えを、グレンはまだ持っていない。


頭を振って、立ち上がった。ここで分解して読み解こうとすれば、錆びた連結が壊れて、二度と作りが読めなくなる。グレンは伸ばしかけた手を引っ込め、見えるとおりを正確に写し取って持ち帰ることにした。帳面と筆を出し、重りの仕掛けの棒の長さの比、歯車の歯の数と噛み合う相手、あの金物の筒と管と押し棒のつながりを、一枚ずつ線図にする。その見たことのない刻線は、特有の金物の痕とともに型を採った。手を動かすあいだだけ、息が落ち着いていった。


帳面を閉じ、型を布に包むと、グレンは機関に背を向けた。奥の歯車列は、途中から岩に埋もれて見えなくなっている。この機関が何を回していたのか、その先は分からないままだ。グレンは灯りを手に、下りてきた傾斜を上って、四角い入口の外へ出た。


町外れの鍛冶の工房は、ゆうべと同じく炉の火を落としていない。鞴を踏むたびに炎が伸び、焼けた鉄の匂いが戸口まで流れてくる。グレンは炉を借りて、坑道で群れに突かれ、先の曲がった鉄杭を二本、赤めて打ち直した。ついでに、杭の頭を少し詰める。広間のような狭い坑道では、長い得物は岩に引っかかって思うように振れない。今日それを体で覚えた。罠に仕込む杭も、抜き差しの速い長さへ揃え直す。火の番の老いた金物師が手元を覗き、「坑道から戻ったか」とだけ言った。


「ああ」。グレンは鎚を置いた。腕の擦り傷が、汗でしみる。「手当ての薬を、どこかで売ってないか」


金物師は顎で坂の下を示した。「市に、薬売りが来てる」


坂を下りると、広場に市が立っていた。日は前山の向こうへ傾きかけ、鉄道具の台も、牧の革紐や干し肉の台も、そろそろ店じまいにかかっている。仕事の止まった採掘道から手すきの掘り子が下りてきて、人の出は半端に多い。広場の隅に、女が一人、布を広げて薬を並べていた。化膿止めらしい干した薬草、止血の粉の包み、打ち身の膏薬の壺、巻いた縄や革紐が並んでいる。辺境では、薬は値の張る品だ。掘り子が手当てを買いに、台の前を入れ替わり立ち寄っていた。


グレンが台の前に立つと、女はその腕の傷へ目をやった。「お客さん、その腕」。化膿止めの薬草と膏薬を、布の手前へ寄せる。「擦り傷の浅いほうは、この化膿止めを揉んで、汁を擦り込んどけば膿まないよ。打ち身にはこっちの膏薬。塗って布で巻いときな」。よく回る声だった。言うだけ言って、値はまだ口にしない。グレンの返しを見ている。


グレンは腕の擦り傷を、見えるように前へ出した。「これだ。汗でしみるんだ。膿ませたくない。どれがいい」。腕を出したまま、女が選ぶのを待った。


女は薬草を一掴み取り、台の上で軽く揉んでみせた。青い汁の匂いが立つ。「これだよ。乾かさずに、揉んで出た汁を擦り込むんだ。朝晩、汗を拭いてから塗り直しな。二日で乾いてくるよ」。一掴みを葉に包んで、グレンの前に置いた。「ひと包み、銭二枚。膿んで腕を落とすより安い」。短く言い切ると、包みからは手を離さない。グレンが払うまでの一呼吸、その顔と手元を見ている。


グレンは値切らなかった。歩合は入っているし、店じまい間際まで一人で台を出している相手だ。銭を二枚、女の手のひらへ置く。「助かった。傷の手当ては、命取りになる前が肝心だからな」。包みを受け取り、荷へ仕舞った。


女は銭を握って、ふっと肩の力を抜いた。「値切らない客ってのは、かえって気味が悪いもんだよ」。半分は冗談の口ぶりだ。それから、グレンの腰の鉄杭の束へ目をやる。「で、その鉄を担いでどこ行くんだい。この先、牧も鉱も尽きるよ」


「北のほう」。グレンはそれだけ答え、包みを荷へ仕舞った。追っているものの正体は、胸の内に置いたままにする。打ち明けて信じられたためしは、これまで一度もなかった。


女もそれ以上は訊かず、残った薬草を布へ戻しながら言った。「……まあ、いいか」


その夜、グレンは町を出て、北へ向かう街道の脇で火を焚いた。歩合に得た銭は、次の路銀になる。膝に帳面を広げ、昼に写し取った機構を、火明かりでもう一度たどった。火と湯の力を、回り続ける動きに変える機関。そこまでは分かった。だが、あの歯車列が何を回していたのか、その先は岩に埋もれたままだ。回る速さを保つ重りの仕掛けにも、まだ合点のいかない一点が残っている。グレンは帳面を閉じ、布包みの型を脇に寄せて、火のそばに横になった。昼の狩りの疲れが体の芯に残り、火の爆ぜる音がだんだん遠くなっていく。明日も足は北を向く。そう思ううちに、まぶたが落ち、眠りに引き込まれていった。


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呼んでも、誰も答えない。返ってくるのは、自分の声だけだ。


あれほど近くにいたのに、もう一人も残っていない。ここにいたはずの者たちの場所に、わたしひとりが取り残されている。


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呼び名 ジャイアントバット。洞や古い坑に群れる、中型の飛膜の獣。


棲み処 洞窟・廃坑・古塔の暗がり。天井のくぼみに、翼を畳んで幾重にもぶら下がる。


習性 夜、灯りに引かれて飛び、人の顔の高さへ寄る。一匹なら恐るるに足りないが、数で囲み、顔と灯りを一斉に襲う。


体と急所 急所は翼の付け根で、そこは膜も薄く、刃が通る。


干渉 暗がりでこちらより先に気づく。足音も灯りも、闇のなかで先に察される。

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